ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




「淡路島の旅」
淡路島には何度も旅しましたが、梅雨の時期にアジサイを鑑賞しに行って来ました。
宿泊は、ウエスティンホテル淡路で、淡路夢舞台の模型を見ながら「奇跡の星の植物園」
や「国営明石海峡公園」を散策しました。







































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「有馬−高槻断層帯」
有馬−高槻断層帯は、北摂(ほくせつ)山地と大阪平野・六甲山地の境界部にほぼ東北東−
西南西に延びる活断層帯です。
有馬−高槻断層帯は、神戸市北区の有馬温泉西方から高槻市街地北部に至る長さ約55km
の断層帯です。並走、あるいは分岐する多くの断層線からなります。断層帯の東部(宝塚−
高槻)では2つの断層が並走して地溝帯を形成していることが多いです。有馬温泉付近以
西(約12km)ではいくつかのやや不明確な活断層に分岐します。
(地図)

<過去の活動>
有馬−高槻断層帯は活動度の高い(A級−B級)右ずれ北側隆起の断層帯であり、少なくとも
東部(宝塚−高槻)は過去約3千年間に3回活動しています。それらの活動の間隔は1千−
2千年程度でした。最新の活動は西暦1596年の慶長伏見地震で、その時のずれの量は
3m程度であったと推定されます。
<将来の活動>
有馬−高槻断層帯のうち、少なくとも東部では、ずれの量が右ずれ最大3m程度、マグニ
チュードが7.5程度(±0.5)の地震が発生すると推定されます。断層帯の西部に
ついては資料が少なく判断できません。




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「大阪北部に地震」
6月18日午前7時58分頃、大阪府北部を中心に、高槻市、枚方市、茨木市、箕面市、
大阪市に、M6.1の地震があり多大の被害を出しました。
近くには二つの断層帯が有り、一つは、有馬―高槻断層帯が55kmほぼ東西に、ともう
一つは、豊中市―岸和田市までの上町断層帯が約42kmほぼ南北に走っています。
気象庁は、東西方向から圧縮する力が働いた模様と説明しています。
大阪府高槻市の我が家も、人的被害は無い物の大変な被害をこうむりました。










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「ホテル椿山荘東京」
掛川市の「葛城北の丸」とは異なり、東京のど真ん中に、緑多い癒しの空間が広がる場所
に近代的な「ホテル椿山荘東京」に以前宿泊しました。
江戸時代、ホテル椿山荘東京の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころから椿が自
生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。明治に入り、軍人・政治家であっ
た山縣有朋が、明治11年(1878年)私財を投じて「つばきやま」を購入し庭園、邸宅を
つくり「椿山荘」と命名しました。
その後、大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた「藤田平太郎男爵」が、
名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎましたが、昭和20年の空襲で、
山縣の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまい、昭和23年(1948
年)に椿山荘は、藤田興業の創業者となった小川栄一は、一万有余の樹木を移植し、名園
椿山荘の復興に着手し昭和27年11月11日ガーデンレストランとして「椿山荘」オープン
しました。平成 4年(1992年)には、 椿山荘敷地内に「フォーシーズンズホテル椿山荘
東京」がオープンし、平成 25年「ホテル椿山荘東京」となり現在に至っています。

椿山荘三重の塔「圓通閣」
圓通閣は平安前期に小野篁によって広島の竹林寺に創建され、平清盛が一回目の修復を行ったと
言い伝えが有り、椿山荘へは大正14年、山縣侯爵から庭園を譲り受けた藤田平太郎男爵によって
移築されました。その後、平成22年に大規模な改修が行われ新たに聖観世音菩薩を奉安、
入仏開眼法要を執り行い「圓通閣」と名乗るところとなりました。




























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明石海峡大橋
明石海峡大橋は、兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、橋長
3,911m、中央支間長1,991mの、明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊
り橋です。大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深
は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達し
ます。1988年(昭和63年)5月に現地工事に着手し、およそ10年の歳月をか
けて1998年(平成10年)4月に完成しました。
(その間、1995年(平成7年)1月17日5時46分、明石海峡付近の深さ10~20km
を震源として、マグニチュード7.2の大地震が発生しました。
この地震で神戸市や淡路島を中心として、大きな被害が発生しました。
この時工事は、両方の主塔が立ち上がって、メインケーブルの架設作業中でし
た。地震後、直ちに詳細な点検を行った結果、橋自体に深刻な構造上の損傷は
見当たりませんでしたが、その後に行われた測量等の結果、基礎が設置されて
いる地盤そのものが動いたために生じた事が分かり、主塔と主塔の間の距離が
変わったため、桁の長さを変更する必要がありましたが、これも、未製作の桁
のパネルの長さを調整することで対応することが出来ました)

吊り橋は、橋の形式の一種で、綱などの張力で吊り下げ支える形式のものです。
釣り橋・釣橋とも書くが、この表記は狭義には江戸期以前の古典的な形式に対
して用いられています。

参考(斜張橋)斜張橋と吊り橋
斜張橋は、橋の形式の1つで、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つな
ぎ支える構造のものです。ケーブルを利用し吊って支えることから、広義には
吊り橋の一種と言える。しかし狭義には、すなわち土木工学分野、橋梁工学分
野では吊り橋とは区別されます。


主塔
メインケーブルをささえる塔で、両岸もしくは岸から全長の1/4くらいまでの位
置に設けられる。一組の塔は桁を挟むように建つ2本の柱をトラスまたはラー
メン構造で繋いでいます。基礎が水中になる場合は、ケーソンと呼ばれる鉄の
函を沈めコンクリートを流し込み構築する場合が多く、水流を妨げない場合に
は複数の柱で構成する場合もあります。(大鳴門橋など)

メインケーブル
主塔に架けられ、ハンガーロープを通じて桁をつり下げる、吊り橋の最も重要
な要素で、ケーブルの素線は直径わずか5.23mmですが、この素線を127本束
ねたものをケーブルストランドと呼び、そのストランドを290本架け渡してか
ら、さらに円形に整形して束ねたものがメインケーブルになります。その直径
は、1,122mm。明石海峡大橋の片側ケーブル1本に使われている素線の本数は
36,830本、両側2本のケーブルに使用された全素線の長さは約30万kmで、
これは地球7周半に相当します。
ケーブルは腐食(錆)防止のためにゴムや塗装による表面処理が施してありま
すが、覆われたケーブル束の内部は湿度が上昇し、腐食が進行する事例が見ら
れたことから、1998年に完成した明石海峡大橋では乾燥空気を送風するシステ
ムが採用されています。このシステムは、2002年に瀬戸大橋で追加的措置とし
て講じられたほか、2011年にはイギリスのハンバー橋でも採用されています



道路や鉄道が設けられ実際に通行する部分であり、橋桁あるいは補剛桁とも言
います。送電線や水道管が併設される場合もあり、桁は箱型のものとトラス形
式の物があるが、風の影響の少ないトラスのものが多いです。

アンカーレイジ(橋台)
アンカーレイジは橋の両端にありメインケーブルを繋ぎ止める文字通りの碇で、
コンクリート製です。地形的制約や強固な岩盤などがある場合は地山の支持力
も利用するトンネルアンカレイジとする場合もある。(来島海峡大橋など)

ハンガーロープ
メインケーブルから鉛直に垂らされ桁を支えます。懸垂線を描くメインケーブ
ルと桁を結ぶため場所により長さが異なります。通常、撚ったワイヤーロープ
が使われ、主塔が岸よりにあり側径間の桁を支える必要が無い場合も、この形
式のものを単径間吊り橋と言います。(下津井瀬戸大橋など)
ちなみに一般的なものは3径間です。ハンガーロープには風による振動防止用
に螺旋状に線が巻かれている場合があります。




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