ニッコウの旅のブログ
旅行の写真集
散歩の写真集

               
                    




創業703年。加賀・粟津温泉の宿「のとや」
モダンな食事処「源助」で、お刺身でも頂けるほど新鮮なあわび・
サザエ・帆立・才巻海老などを、「炭火焼」にて焼きたての旨さを堪能。

















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「冬の蔵王連峰」
冬に入ると、シベリア生まれの厳しい寒気が日本海の水蒸気とともに蔵王連峰に
吹きつけ、一面の樹氷林が生まれ、2月に入ると樹氷は最盛期に入ります。
当日は吹雪で、視界はほとんどゼロに近く、残念でした。
冬の蔵王 その間、たまに訪れる移動性高気圧の晴天は素晴らしい 白銀の芸術品
を一堂に展示してくれ、またとない鑑賞のチャンスに心が踊ります。

(中央の三角をクリックし、右下端のボタンを押しFull Screenでご覧下さい。
 尚、速度は隣のボタンを押して速度調整して下さい。)



















「晴れた日の、蔵王連峰です」





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「黒川温泉の旅」
江戸時代天領の大分県日田市へ、日田は、文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地
(直轄地)を支配する代官が置かれ、以来大名支配も行われたが、それ以外は徳川幕府
の天領(直轄地)となった。その天領も大名預けとなった時期もあるが貞亨3年(1686年)
以来は引続き日田の陣屋(御役所)にあって代官、郡代の天領支配が行われた。豆田、
隈の両町を持つ日田は、政治、経済の中心地として栄え、裕福な商人が台頭し、掛屋や
大名の御用達として活躍して、九州金融の中心となり、日田金は諸大名に貸し出された。
当時、江戸、上方、長崎との経済や文化の交流も多く、日田には文人墨客が訪れ、
賑わいました。
(中央をクリックし画面下、右端TVボタンを押しFull Sceeenでご覧下さい)



大自然の中、標高700m、筑後川の支流
である田の原川沿いの渓流に杖立温泉があり、其処から少し行った所に黒川温泉があります。
熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉で、阿蘇山の北に位置し、南小国温泉郷の一つを構成しています。
全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、
温泉地としては異例の二つ星で掲載された。なお 「黒川温泉」の名称は2006年に地域団体商標として
商標登録(地域ブランド)されている。


























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「信州は小諸城跡懐古園の旅」
画面下の右端ボタンを押して、全画面表示の左下三角ボタンを
クリックしてご覧下さい。




























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「由布院温泉の旅」
宇佐神宮は、大分県宇佐市にある神社で、全国に約44,000社ある八幡宮の総本社です。
石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つとされ、
通称として宇佐八幡・宇佐八幡宮とも呼ばれる。大分県北部、国東半島付け根に立つ
御許山(標高647m)山麓に鎮座し、本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する
上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。
境内は国の史跡に指定され、国宝の本殿のほか重要文化財の工芸品が所蔵されています。
由布院温泉は、大分県由布市湯布院町にある温泉で、すぐそばに聳える由布岳(火山:
標高1,584m)の恵みを受けた豊富な湯量を誇る温泉です。
由布院散策、大杵社は宇奈岐日女神社の末社でもあり、境内には、樹齢1,000年以上
と言われる杉の大木が大地に踏ん張り、空に向かってそびえています。
大杵社(おおごしゃ)の大杉で国指定天然記念物です。

































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「大阪・道頓堀」
松竹座にカニ道楽、そしてグリコの看板などによって象徴される道頓堀は、大阪・ミナミの
代表的な繁華街。道頓堀の名は、慶長17年(1612)に私財をなげうって川を開削した
安井道頓の名前に由来しています。その後、幕府の都市計画によって道頓堀の南側に
大坂中の芝居小屋が集められ、47軒の水茶屋が許可されて長らく日本の芝居の本場として
栄えました。芝居に大勢の人が集まってくると、食べ物屋も自然に繁盛し、現在、
芝居小屋は戎橋近くの松竹座だけが残っているが、飲食店は道頓堀通りの北側にさまざまな
ジャンルの店が軒を連ね、一年中賑わいを見せています。また近年では、食と芸能の
テーマパーク・道頓堀極楽商店街をはじめ、川面の遊歩道・とんぼりリバーウオーク
なども開業/開通し、道頓堀の新たなスポットとして人気を集めています。





























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[足立美術館」
島根県安来市にある、足立美術館へ行ってきました。
130点におよぶ横山大観の 作品もさることながら、見事な庭園をご覧ください。

























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「お台場・東京駅」
お台場の「フジテレビ」見学や、新装なった「東京駅」を主体に見て回りました。
東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、プラットホームの数は日本一多く、
在来線が地上5面10線と、地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面
10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。
赤レンガ造りの丸の内口駅舎は、辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、
2003年に国の重要文化財に指定されています。



























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「和歌山・熊野の旅」
熊野本宮大社
熊野本宮大社は、和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社で、社殿屋根修復事業の
第二期工事として鈴門・瑞垣の檜皮屋根葺替並に修復工事が完成し、新しく再生
した御本殿・神門・鈴門・瑞垣を一堂に見渡せるようになりました。
熊野本宮大社の御祭神は三山共に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の
神で、熊野三山の一つ、家都美御子大神(素蓋鳴大神)、熊野坐大神、熊野加武呂乃命、
ともを主祭神としてお祀りしてあります。
なお残念なことに、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち 中・下社倒壊し
現在地に上四杜のみお祀りすることととなり、他八社は石祠として旧社地大斎原に
お祀りして今に至っています。























「神紋・八咫烏」
八咫烏とは熊野の大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという故事に習い、導きの神として
篤い信仰があります。八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味で、八咫烏は太陽の
化身で三本の足があり、この三本の足はそれぞれ、天・地・人を顕わすと言われています。
天とは天神地祇のことですなわち神様のことです。地とは大地のことで我々の住む自然
環境を指します。つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であると云う事を
二千年前に示されていたのです。
サッカー協会のマークに八咫烏が使われているのは、天武天王の故事に習い、よく
ボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。





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「南木曽の読書発電所」
南木曽の桃介橋や、読書(よみかき)発電所に付いて。

福沢桃介は1917(大正6)年から26年まで、木曽川沿いに7つの発電所を造り、長さ200キ
ロの送電施設で関西地方に電気を供給し「電力王」と呼ばれた。
旧中山道の宿場町、妻籠(つまご)に程近い木曽川の谷あいに読書(よみかき)発電所がありま
す。桃介橋は、大同電力が1922(大正11)年、読書発電所の建設資材運搬のために木曽川に
架けた橋で、長さは247メートル木製の橋げたをもつ吊(つ)り橋としては最大級です。
読書発電所は、背後の山を伝う3本の鉄管を背負った鉄筋コンクリート造り煉瓦壁の水路
式発電所で、3本の大口径給水管からの、落差は112メートルあり、完成時は4万700キ
ロワットと当時では最大の出力を誇った。半円や四角の明かり採り窓はアールデコ調で、
配置もリズミックだ。あめ色の古い窓ガラスがはめ込まれていて、大正ロマンの片鱗をう
かがわせています。木曽川水系発電所は「電気の時代」に大きく貢献し、中核の読書発電
所は近代化遺産として1994(平成6)年に国の重要文化財に指定されました。












桃介は、福沢諭吉の婿養子となり、
北海道炭鉱鉄道に入社し、間もなく肺結核をわずらい療養生活にはいる。持ち前の才気と
米国留学で仕込んだ先見性で、病床にいて株商いに精を出し、日清・日露の戦争をチャンスに
大儲(もう)けして「相場師」の名をはせた。
その後、経営不振の名古屋電燈の株を買い占めたことがきっかけで電力事業に関心を持ち、
同社の役員として注目したのが足元の木曽川水系であった。急峻な山を縫って落差大きく、
水量豊か、しかも中央西線の開通で輸送手段が整い、電源開発にはうってつけと思い、
1914(大正3)年、社長に就任した桃介は発電所建設にのめりこんだ。









「柿其(かきぞれ)水路橋」

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