母乳コンサルタントの日記

ママさんたちへ、母乳とマッサージ

「座右の銘」

2018-04-29 11:16:00 | 日記

「全てに感謝し 少しでも ひとの為に」

この素晴らしい言葉は、、私にとって「座右の銘」です。

数年前、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックを訪問した時に院長の根津先生殻頂いたものです。

根津先生とは30年来の知人なのです。

生殖医療の分野の先駆者で有名な方ですが、「おっぱい先生」として、母乳哺育の分野でも一時期先駆者でした。

戦後の哺育の潮流は、母乳からミルクに流れですが、母乳ルネサンスは昭和50年代におきました。母乳「母乳危機」の声を、

国立岡山病院の山内逸郎先生が、先陣をきられたのです。若かった根津先生も独自の見解から、母乳哺育改革にすすまれました。

丁度そのころ、「母乳マッサージ」の看板をかかげた私と意見が合致してか、30数年のお付き合いが続いています。

残り少なくなりました人生ですが、「すべてに感謝して・・・」と、思う日々です。

 


富士山?

2018-04-22 08:39:11 | 日記

この山は、ロシヤの極東カムチャカー半島の南に位置する火山です。

富士山と、とても似ているのです。私は17年前にこの地を観光したのです。

昨夜NHKの夜のBSで「極北の大地・・・」で放映されたので、懐かしく思いました。

 

最初に、カムチャキーで見上げたのは、富士山そっくりの美しい形の山々が、

一つではなく幾つも連なっているのでした。

日本よりもはるかに巨大な火山地帯であることにある意味の、恐怖を覚えました。

灰色と青と白をバックに、山、山があるのです。

美よりも恐を感じるのは、そのバックにある景色と色にあることを感じました。

富士山は、四季折々の華やかな色で、人々を魅了するのだと思います。

同じ生まれの火山なのに、生まれた場所によって存在感が違うのですね!


東京見物

2018-04-15 08:48:16 | 日記

強烈な回顧は 初めての「東京見物」です。

1945,3/10 東京の下町が空襲により壊滅したラジオニュースの後で、父の兄が焼死したらしい・・・との電話をうけた。祖父にとって長男の生死不明の知らせに、安否を確かめるべく上京することになった。当時祖父は75歳の高齢のため、私が同行することになったが、17歳の学生であった。

小樽市に住んでいたが、汽車の乗車券を購入するのに公務の証明書つきで、上野駅の往復の切符を得た。出発は3/20頃と記憶している。

上野駅へは比較的順調な汽車旅であった。幾日間の食糧を背負った私たちは市電のレールにそって歩いた。見渡す限りの焼け野原を、墨田区の本所へとトボトボと歩く、祖父は息子の死を確認したのか「ここでいい!」と、途中で足を止めた。

市電は動いていないので、徒歩で三越についた。三越の地下街は営業していたが、もちろん食料品は皆無。木工細工や、貝細工があった。

まだ、東京駅は無事で、丸の内オフイス街も平穏で、オフイスガールもズボンスタイルで、防空ずきんを肩からかけてはいたが、美しく思えた。

皇居参拝の後、銀座線で明治神宮に行った。その時に空襲警報のサイレンがなったが、飛行機の影は見えなかった。

東京見物は、ここで終了で、そのあとは電車で親戚のある逗子市に行った。

逗子での朝、B29の飛行機の黒い列が、富士山方面に飛行するのをを仰いだ。

帰路の汽車旅は散々で、空襲警報で、下車をよぎなくされ、真っ暗の駅舎で睡眠をとった。目覚めたら、食料品の入ったリックを盗まれていて、飲まず食わずで、小樽に帰ってきた。

戦後、縁あっては千葉市に住んでいる。ですから、東京は身近にあるのですが、最初の「東京見物」は貴重な体験でした。 


 「アップルパイ」 は いかがですか?

2018-04-08 14:15:57 | 日記

左のアップパイは直径17センチ、370グラムのアップルパイです。右のは1/8にカットしたものです。

奥のラッピンしたのは、左の1個をラッピングしたものです。手土産用にしています。

17センチ2個で、材料費とガス代で約千円弱になりますので、1個は役5百円です。

(バターが高価なので、パイ地が高くなります。)

 

パンのような早い劣化はありませんので、冷凍しておいて、進物用にしています。

 

パイ地は小麦粉とバターと水でできるのですが、幾層にもなるカリカリのパイ地をつくることは、すこしばかり 努力が必要です。

そして、煮リンゴをのせて、オーブンでやきあげて、出来上がりです。私は見よう見まねで、上記のようなまあまあの製品にたどりつけましたが、長い年月トライしました。

(レシピはGoogle で 出来そうなのを、さがしてください。どれでも上達するには、根気がいります。)

 


「孟母三遷 と 私

2018-04-01 11:44:15 | 日記

日経新聞のコラムに上記の記事「孟母三遷」がありました。「孟母三遷」とは、中国の古事です。

孟子の母がわが子の教育のために3度転居して、最後は学校のそばに転居したことで、孟子は勉強ごっこをするようになりましたと。

私の友人で、彼女は2度転居して、息子を北海道大学の医学部に合格させ、医者にしました。

ですから、私も…と胸をふくらましていました。

そして、千葉市に新居の購入を考慮したときに、

国立と私立の2つお大学のそば を希望したのです。

息子たちに入学してほしかったのですが・・・だめでした。

あれから、40年年近く その、大学のそばに住んでいますが、

今は徒歩で1分の敬愛大学の「生涯学習センターの英会話コース」に、私が学んでいます。

私は老齢になり、歩行障害がありますので、近くでなくては行けませんので、

近くで、学べることに感謝しています。

大学の近くに住めたのは、子供のためでなく自分のためになりましたが、

それでも「孟母三遷」という言葉が好きなのです。