我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

曾祖父の青年もしくは壮年時代

2009年12月01日 | 歴史

 

2009 12 01 曾祖父の青年もしくは壮年時代【わが郷】

 

 

日清・日露戦争の時代は、我が郷の祖父より前、曾祖父の時代のこと。日清戦争が、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)4月であるから、百拾余年前である。一般的には曾祖父の顔は見ることはない。なれど、話には聞くこともあるだろう。

祖父のことならば、記憶にもある。「子猫のDNA」にも書いたが、鼠を捕らえて喰らう猫の本性を孫に見せつけた、例の爺のこと。その親が青年から壮年のころの話であろうか。小生の子供のころは、「戦後民主主義教育」華やかしきころで、戦争とはうとましくも、おぞましきかぎりのもので、口にするのも避けるべきものであった。今となっては、爺に聞いておけば良かった。残念なことではあった。新聞・書籍の記事は記事で意味も多いが、肉声で聞く故事は血が通っている。

現在は平和な時代と大抵の御仁は、勘違いをしている。戦時ではない時期が半世紀以上もつづく誠に平和な時代とされている。先の大戦では310万の将兵・軍属そして一般国民が死亡した。年間およそ30万人。現在では別の形での、戦時死亡者がそれと同数あるいはそれ以上のものが、戦禍に斃(たお)れている。一つには癌である。ガンとは病気の一種と思われているが、医療を領導するものからすれば、一種の処断である。医療主体の能力の範疇を超えるものは、何らかの難病と診断される。所謂、不治の病。その最大の不治の病がガンとされた。ガンは生活習慣病で、放置すれば一進一退。生活を改善すれば、進行は止まり、多くは退縮するもの。これはある意味医療界の担当医師の間では常識になっている。外科や腫瘍の専門・医学書を丹念に読めば、その事実が透けた見えてくる。

ガンなどの不治の病として、処断されるもの年間およそ、30~40万人。先の大戦での死者とほぼ同じである。これが占領米軍のもたらしたアメリカ式医療の実態である。森村誠一の悪魔の飽食、731石井部隊の話の実相は、アメリカ医療のことである。まともな感覚と推察力そして、適正な判断能力があるならば、かの悪名高き偽書の根源が、アメリカ医療にあることが誰何できる。暗き闇の中に蠢くものに、激しく聴けば獲られるものがある。人気ブログランキングへ

 

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