孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

意識が原因からして必然性があるか否か…その必然ご縁で仕組まれるのが私たちです。

2017年12月03日 | Weblog
私は後期高齢者ですから、世間で見られる老人と同じ生き様になっています。
しかしそれは見える結果で判断したことであって、内なる精神を見ているわけではありません。

そして私が欲張らない実践意識にして素朴謙虚に生きていることよりも…

巷では年老いてまでも…此れではダメだ何とかしなければの…不満と欲でもって生きている人が多いと思います。

そして此れまで欲張り続けてきたその裏が出て・すでに心身が困ったことになっている人も多いことでしょうし、此れから先にもっと困ったことになるかもしれません。

また世間の常識からして冠婚葬祭やの伝統風習に従い・振り回されたり・見栄からしてお祝いごとやお見舞いごとや巷の記念日にお金と時間を浪費していることでしょう。

ところが私は自然界に囲まれた過疎地でもって・心身の健全健康でもって・孤独の自由を味わっていますから、巷の常識や伝統風習からも離れ、また人為人工的な諸々による変化刺激や快感快楽からも離れた・食って寝て糞をしながらにして生きているだけのような・心安らかな精神安定にして日々を過ごしています。

そして暇からして自力を多く使っていますから・その意識が原因からして他力に依存しなければ生きずらい局面に至ることも少ないと思っていますし、過去に欲張っていたしっぺ返しが起きても大ごとになることはないと確信しています。

また肉体や感情体に拘ったり執着していませんから…成り行きからして・山の中で事故死や突然死や孤独無縁死でもって白骨で発見されようが…身近な人に手間いらずで望むところです。

また私の死に様を看取ることや死後の葬儀法要から仏壇お墓も必要ないとして伝えていますから簡単に処理するだけで事が済みます。

また私が重病人になっても、足腰が弱って思うように動けなくなっても、自分のウンコの後始末ができるうちは…それも此れまで欲張って生きてきた罰として受け止め、その苦労が罪滅ぼしとなるとして…多くの他力に頼ることなく自力でもってやる覚悟ができています。

ちなみにその他力に依存しないだけの覚悟意識が本物となっていれば…その意識が原因からして他力に頼らなければならないような大きな局面・必然の結果となることは避けられると思っています。

…と言うことからして事例を書けば…

前もっての勉強が必要ないと思っている人に・前もって勉強する必然が仕組まれることはないと思います。
ちなみに私はその通りでした。

そして先人が言ったように…習うよりも慣れる…から始まりました。

ちなみに時代の先駆けで始めた諸々も、それが最後となったビデオ撮影制作も自己流でした。

また親孝行する必要がないと自覚確信している人にその親孝行が仕組まれることは必然性がないから…概ね無縁になります。

然るに親孝行が必要と思っているいる人、また過去性からして学ぶ必然性のある人に限って…親孝行が仕組まれると思っています。

だから私が自己拡大し続けている中で違和感となったことが…その意識が原因からして仕組まれ続け・それも形ある欲を選ばずにして・無関心でもって知らなかった見えない精神世界を選んだことからして・新たな事が始まり・自己流の独自独歩の現在があります。

ちなみにこのブログも…20世紀末をきっかけにして…習うよりも慣れる…その自己流から・ニフティから始まったことです。

そして読み書きソロバン程度の学識からして・当然ながら他の人の言葉を借りながら・必然にして・自分の思い意識を表現してきました。

だから前もって欲張って学んで・この先にも必要としない無駄で余計なことを学ばなくても・己に必然となれば・やっているうちに馴染んで自ずと身についていくのです。

だから私の場合は…前もっての理想や目的や願望があって始まったことではなくして・生きているからには・その成り行きからして成るようになっているだけです。

だから…ちいさな小から始まり・小さな繰り返しからして積み重なり・次第に大きくなっているだけです。

そして…老後と暇からして退屈しのぎに書き続けています。

5 コメント

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Unknown (お気楽星人)
2017-12-03 16:19:18
先ほど往復二時間の道を、おかげさまでお天気に恵まれ、ドライブがてらに走り、現地で仕事をして帰ってきました。赤・朱・紅・黄・茶・緑…様々な色彩織り成す美しさに、最高の芸術家は、大いなる絶対無限の存在であると感じます。
これまで書かれている内容を、読ませていただいていますが、どれもストンと府に落ちます。
「人の集まる所に寄るなかれ」…本当にそうです。わたしも、以前は、自分のなにが間違っているのだろう?真理が知りたい!と、精神世界のセミナーに、いくつか足を運んだことがあります。でも…仰ることはごもっともだけれど、何か違和感がある…なにか臭う…と。結局、集まった人達が、講師?をグル扱いして、心酔信奉して慕っている集まりの場になっていたり…。観じていることが共鳴すると思ってセミナー会場に行ってみると、いきなり部屋中に、これは誰??みたいな人の顔のスケッチ画がそこら中に張ってあって…苦笑い。
その時のわたしは、ただ真理が知りたかった。グルや仲間など求めるつもりはさらさらなく。
そして、気づきました。なにも間違っていない…全ては必然であったと。全ては自分に必要があってのこと。ちっぽけな人間視点の良い悪いではなく、人知では到底計り知れない大きな流れを生きているのだと。
独りにならないと、それは感じ&観じられないことだと思います。
今思えば、わたしの20代半ばからのいろいろな経験は、ある意味、孤独慣れするように(的確な言葉が浮かびませんが…)仕組まれていたようです。
また、仕事柄、社会的な有力者&有力だった人のパーティーで演奏することもありますが、集まって来ている人達の言動や各人から漂う空気感は、虎の威を借りようとするご機嫌とり下心満載3次元界そのものです。
これまで沢山の様々な人々や場面を観ながら、人それぞれと…。
そして、今では、孤独の自由さの豊かさを感じております。
特別人間の集まりが講演会ですね (utyu21)
2017-12-03 18:18:26
私も完全真理の講演会に参加したことがありますが、集まっている人の殆どが真理を学ぶというよりも主催者に陶酔している様が見とれました。

とにかく人が集まるところは普通ではなくして特別意識の特別人間で目立ちたがり屋の人たちが多いようです。

然るに人が集まるところが苦手だった私も…前もって仕組まれていたようです。
Unknown (お気楽星人)
2017-12-03 20:21:00
さっきも、筆者さんの以前の内容を読みながら、あー、本当にそうだ!と心で頷いていました。シンプルな分かりやすい言い表しで、核心を突いていて、ズンと響くフレーズが随所にあります。

先ほど例に出した某所のこと、書き忘れていた事がありました…。(これは批判でもなんでもなく、単なる事実として書かせていただきますね)
そこのセミナーの中心人物の方は、普段のセミナーに姿を現すことはないけれど、毎月二万円(ほどだったと記憶にあります)の会費を出せば、特別な縁で繋がることができ、宇宙の流れの変わり目である今これから起きてくる様々なことから助かることができる…と誘われましたが、丁重にお断りしました。
表面的には精神世界のセミナーであるけれど、内情?システム?はまるで宗教のようだと。
お金払って、自分は助かる???滅茶苦茶エゴ発想でビックリしました。
わたしは、宗教も、国も、今のような政治や貨幣経済も…ピラミッド支配を維持するようなものは要らないと想っています。国とは、単なる文化圏の名称だと、わたしは勝手に解釈しています。
人が集まるのは他力依存が原因です (utyu21)
2017-12-04 08:04:03
国家社会が必要なのも他力依存が強いからです。
それをうまい具合に操っているのが時の人・支配者・指導者・教祖宗教家と言われる類です。

ちなみに指導者のいる国家や社会がなくて・人それぞれが思うがままの自由に生きているほうが幸せなのです。
どうやら縄文時代を滅ぼした弥生時代から集合化組織化され能率効率が言われるようになったようです。

ところが他力依存になるのは己の欲からです。
だから特別な人を敬い祀るわけです。
Unknown (お気楽星人)
2017-12-04 09:42:33
仰る通りです…。縄文時代は人間が自然界と共に調和的に生きていた時代。だから遺跡等奇抜な人工的な物がなく、ゆえに文化的な時代ではないと思われていますよね。実は現在よりよほど高い意識であったのに。
車で街中を移動していると、高層ビルやマンションが次々に建設されていて…ふと、バベルの塔を思い出しました。人間の傲慢が肥大すると、高い建物を作り出す…より高くより高くと…そして、その最上に立ちたがる。
人類は、何先年も同じようやレベルですね…。

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