私たち人間は良い悪いで判断する矛盾意識を持って生まれています。
だから好きの裏には嫌いがありますから、その好き嫌いで選り好みしています。
そして好きだったのが嫌いになったり、嫌いだったのにいつの間にやら好きになったりしています。
ちなみに私の若い時ころは貧乏くさいのが嫌いでしたが今はその貧乏を楽しんでいます。
然るに思い感情は変化するのです。
だから人情愛情や恋愛感情も長続きしませんで、時と場合ではその裏が出て憎しみ嫉妬やの憎悪にも変わっています。
何はともあれ自分に都合が良い時は好きなままが続きますが、それがいつしか都合の悪いことになれば嫌いに変わっています。
ちなみに親の自己犠牲・愛情たっぷりの子育て指導教育も同様です。
何はともあれ己も人様も矛盾偽善で生きている事実があるのです。
しかも巷の神仏と言えども…どうすることもできないのが事実なのです。
それゆえに人様の矛盾偽善を指摘することよりも先ずは自分の矛盾偽善に気付くことが重要になるのです。
ちなみに私は己の中のどうしようもない矛盾偽善に気付き悟っているから…素朴謙虚にして生きるしかないとして自己縮小の実践をしているのです。
だから国家社会や政治経済とか、精神世界がどうのとか、信仰宗教やスピ系がどうのとか、先祖や両親や家族のことよりも、
先ずはこの世人間関係が矛盾偽善に満ちそれに牛耳られていることを学び気付き自覚納得することが最も大切になるのです。
また矛盾に満ちていることからしてどんなに頑張り努力して事を成しても同じ矛盾する結果になりますから、結果的には余計なことを無理し無駄となって終わることの真実事実を悟る必要もあるのです。
またセックス絡みの肉体や思い思惑期待願望の感情体で生きることではなくして、それを超えた己の中の正直な精神体で自問自答しながら生きていくことが人間本来の生き方だと実感することになればいいのです。
それが己の為でもあり人様のためにもなるのです。
そしていつの間にやら矛盾偽善から離れた自己縮小が進んでいくことにもなるのです。