孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私が正しいが強い人ほど世間の厄介者になる事実がある。

2017年06月03日 | Weblog
人それぞれに異なった性格個性や感性知性やまた学識知識教養や特技特性や技能能力なども様々な違いがあります。

だから(人それぞれが公平にして様々な違いをもっているのだから)わざわざ人間同士が比較競争し合う必要はないのです。

と言うことは人同士が比較競争するのではなくして、人それぞれが己の生き様にして既に持っているものを皆が公平に出し合って・協力し合って・共に生きていくことが人間本来の役割使命になります。
…だから生きているだけでいいのです…

だから己個人が何か事を成すということよりも、己が無理なくできることをしながら生きていれば、それがお蔭様とお互い様の人間関係からして世のため人のために役立っていることになるのです。
…この理解ができない人が多くいるからヘンテコな人間界になっているのです…

そして自分さえ良ければの個人意識と欲と見栄を持っているがゆえに不調和な人間界になっているのも事実です。

だからこのままではダメだ何とかしなければと不満と欲と見栄からして頑張り努力した者だけが得をする・有利な立場になる・世間に愛でられるという形がまかり通ています。

然るにその残酷さや理不尽不条理や不完全さを口に出している者さえも(私は正しいと口に出すからには)それら不満の数々とその欲と見栄からして・何くそ負けてなるものかと頑張り続けているという矛盾偽善があります。

しかもそのことに気付かずにして…己の思い思惑・理想目的・想念・信念は完璧だ・間違ってはいない・私は正しいとばかりに主張しまくっています。

然るに己の思い思惑を優先しているのです。

なのにそれを善人が如くの優しさ思いやり愛だ絆だ尽くしていると言い張って自慢しているところもあります。

またそんな人に限って私は正しいが強いだけに気に入らないことを否定反発排除したがることからして厄介なことになるが、本人は正しいと思っているだけに尚更厄介なことになっている事実があります。

と言うことからしても世間で目立つ存在の人よりも心静かにして穏やかに生きている人のほうが厄介なことにならずにして平然と生きていけるのです。

ところが(己が厄介者の立場になっていることを知らずにして)世間の片隅で静かに生きている人を何かと卑下する・厄介者扱いする輩が多いのも事実です。

またそれだけに尚のこと世間から離れた生き様になっていく人も増えています。

然るに若者のホームレスやニートや引きこもりや山奥ニート・サイレントテロなる形のものが増えています。

然るに世間で目立っている己のほうが厄介者の立場になっていることに気付かないで逆に世間の片隅で生きている者を厄介者に思っている矛盾偽善があるのです。

とにかく欲張り続けてきたものがリードする立場になって、しかもそれが正しいと自惚れ慢心しているから、結果的には欲張らなければ損するとばかりに真似する人が増えているのです。

だから文化文明が進化発展するも人間意識のほうは進化するどころか闇意識に覆われたが如くにして先行きが危ぶまれているのが現在です。

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