孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

御身の感情に支配される愚かさを自覚しなければ…とんでもないことになります。

2018年01月19日 | Weblog
幼子や成長盛りの子供が感情丸出しで生きているのはまだしも、一人前の大人になった人が好き嫌いの感情でもって生きているとなれば…如何にもお粗末な精神意識を持った人となります。

しかも此れまで長年生きてこられたご老人が未だに感情に支配されていれば尚更のことです。

何はともあれ…人間は肉体と感情体でもって生きながらも・それが精神体の精神の学びとならなければ…人間として生きている価値のない哀れな人生のままで終わることでしょう。

しかも生殖本能の性欲が快感快楽となることからしてセックス依存となり、その快感快楽からして病みつきとなれば…犬猫畜生にも劣る精神意識を持った人間落第となります。

なのに人間ならば感情的になることが当たり前が如くに勘違いしている人も大勢いることでしょうが…その感情から出る人情愛情でもって生きることが正しいと主張している人も大勢います。

だから好きで結婚した人がその相手を嫌いになればすぐさま離婚や別居となっていますが…それを我慢して共に暮らすのが・生涯を共に暮らすのが賢くて立派だという人もいます。

然るに…出てくる感情を抑えてまでも一緒に暮らすのが夫婦だという人もいます。

また艱難辛苦の修行を積み重ねることで未熟で愚かな精神体を修正改革克服できることにもなりますが…しかし持って生まれた感情を消し去ることは絶対に不可能です。

だから修行したものが悟ったが如くに善人ぶっている偽善者なのは確かです。

ところが先ほど書いたように…感情を抑えるのではなくして…その感情で生きることを卒業しなければその満足と不満の喜怒哀楽でもって生きながらえる・精神未熟でもって愚かな人生となるのです。

しかも感情的になるのも原因は欲張りですから…その欲張らない生き様からして感情も出てこなくなるのは事実です。

ちなみに私が感情的にならないのも…欲張ることから卒業できていることもありますが…それ以前から私は概ねにして成り行き任せなところがあることからして薄情なくらい感情的になることもなく生きていました。

それでも一度だけ…二十代のころ丁稚奉公が如く真面目に勤務していたときにミスった覚えもないことで叱責されて一気に感情が高ぶったことがあることからして…それを後ほど省み自問自答して…その感情に支配される愚かさをすでに自覚認識し納得していました。

何はともあれ…欲張ることや感情的になるのも原因は己の中の精神にあります。

だからその精神を意識して生きていれば気付き悟ることにもなるのです。

そしていつの間にやらストレスのない精神安定にして生きている己に気付くことにもなるのです。