孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自己縮小することで「地上の天国」と人間関係での<至福の時>も味わえます。

2017年05月16日 | Weblog
自己満足と不平不満は表裏一体の関係ですから、
自己満足が増えればその分だけ不平不満も増えるし、不平不満が増えればその分だけ自己満足を欲しがり増えます。

だから逆に自己満足が減れば不平不満も減り、不平不満が減ればその分だけ自己満足を欲しがることも減ります。

然るに自己縮小をして不平不満が減ればその自己満足も減りますから…そこで何やら充実感が無く物足りなく思われますが…
ところが精神的なゆとりからして「至福の時」を味わえる精神力が身に付きます。

その至福の時とは変化刺激的な強い感覚ではなくして…何やらホッとする感覚であり・心が和むことであり、俗に言う「癒された」感覚になることです。

然るに雑草が雑草ではなくなる、足元の小さな草花が目に留まり意識するようになる、
然るに空気や水や風を感じ、風景や空や雲や闇夜や星々を意識したり、月や太陽の陰陽を味わう、
然るに室内よりも野外でいる時間が多くなる。

然るに人為人工的な諸々の変化刺激ではない当たり前の中の味わいを多く感じるようになるのです。
然るに暇しているからこそ味わえる自然界の諸々です。

ところが自然界だけではなくして人間関係でも至福の時が味わえます。

然るに否定反発のない・悪口のない・自慢も欲も見栄もない・気の合った者同士で交わす穏やかな会話のひと時、

また互いの目線がふと出逢って交わす微笑み返し・愛のキャッチボール、

然るに互いの思い思惑期待願望ではなくて、成り行き任せからして結果が出て、その結果を快く味わえる時、
好き嫌いを超えた自然的な感情を味わえる時、

ちなみに自然界が相手ならいつもでも続きますが、しかし変化が少ないだけに飽きてくるのも早い、

然るに相手が人間ならばコロコロと様変わりしますから飽きもせずに長く続くときもありますが、時として嫌みが出てきて居づらくなるときがあるから、そうなる以前に・後味がまずくなる前に早めに離れていきます。

そして…これぞ至福の時と感じるのが…やはり互いの目線があってふと微笑み逢った時です。

然るに短い時間ながらも互いに打ち解けあっていると感じることができます。

だから自己縮小となり心身ともにゆとりができれば些細なことで人間関係での至福が多く味わえるようにもなるのです。

またそれだけに人間関係での変化刺激の自己満足がなくても・至福を味わった思いが心を満たしてくれるのです。

何はともあれ否定反発する・悪口陰口が出る人とは疎遠になりますが、
微笑み逢うことができる人とは(欲得抜きで)親睦が深まるのは当然です。

然るに豊かな自然界の恵みで生きている地上の天国と不完全意識ながらも人間関係での特別ではない普通ながらにして至福の時が味わえるようになるのです。

然るに虚しさ寂しさの孤独感にはなりません。