人畜無害であるけれども、これじゃぁアカンですなぁ~。しかし、それでもボキは生きている。
夢中になると碌なことはない。ボキの場合は。歩かなくなるからである。これで病気になったっちゅうのに懲りないのだ。真性のバカだな。
昨日は、ある国について資料を作っていたのである。午前中いっぱいかけて。ありきたりのツアーガイドでは面白くもなんともないから、全部自分で調べて、写真付きのしおりみたいなものを作ってしまうのである。ついでに歴史も調べ始めるともうやめられない。楽しくて。だから、昨日の午前中は、200メートルしか歩いていなかった。これだもの、病気になるわけである。
耐性がないっちゅうもんだ。
ところが、これが一番いい。体調ではなくて、知的な体験という意味では。惚け防止にもなる。たいへんになる。
しかも徹底的に参考になる。ありきたりのガイド本ではわからないものが浮かび上がってくる。
このことは国内の旅でもおなじことである。秘湯が好きで、あちこちとインターネットや、書籍で調べることにしているのだが、これがなかなか楽しいんである。
思うに、こりゃぁ民俗学の手法である。そう感じた。感じただけであるから、別に理由はない。それだけの話であるし、それだけ暇なんだということである。
ま、あらゆる学問は、暇人だからできることであって、もの好きだからできるのである。それは間違いない。食うにも困る状態では、そんなもんできるわけがない。
それこそフリーターみたいなもんである。
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この最初に興味を持つということが、もっとも重要であって、社会学のある碩学がおもしろいことを言っていたのを思い出してしまった。
それは、ゴミ論文でもなんでも書きたいことがあったら、まず最初に結論を出してから考えることであるということであった。
それから、その分野に関して一番嫌いな奴の顔を思い出しながら論迫していけというのである。これはこれは。なかなかの発言である。先行研究への反論というやつである。これが全部正しいとは言わないが、ある種の説得力はある。
次に、資料やデータの収集に入る。結論が先に出ているんだから、それに添った形で収集をする。当然、誰がなにを書いているか、論じているかということに関してはてめぇで勉強しなくちゃできない。だから、このあたりからおもしろくなってくるというのである。そうだろうなぁと思う。
資料やデータの誤読もおおいに結構であるそうだ。なにしろ結論が出ているんだから、ある意味引き込みである。オノレの結論への。
笑ったね。
おおいに笑った。
そうかもしれないと思ったからである。
最初にあげた外国のしおりを作っているのと一緒だからだ。バカみたいですな。バカ。
ま、これでもって人畜無害なジジイであるから、誰にもご迷惑はかけていないからいいのか。
こんな程度のジジイでございますから。
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今日は、Gymも図書館もやっていない。
休館である。
だから、今日もまったくやることがない。暇すぎる。Walkingくらいしかない。後は、読書でもしているしかない。
人畜無害であるけれども、これじゃぁアカンですなぁ~。
しかし、それでもボキは生きている。
この世に対する恩返しになることでも考えていきましょうかなぁ~。でないと罰が当たりそうだから。
生産性がないってぇことは、価値がないんでしょうから。
しょうもないことですが。
苦笑
Bye-bye