「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから」という台詞に考えさせられた。
人間の死体が犬に食われている写真というのを、初めて見た。「メメント・モリ」(藤原新也著 三五館)である。これも鎌田實先生のエッセーで知った。さっそくAmazonから買った。古本であった。昨日ローソンに来た。で、昨夜読んでいた。写真集なので、読んでいたというより眺めていた。考えながら眺めていた。
おどろおどろしい写真が並んでいた。短いコメントもついていた。それが秀逸であった。
犬に食われている死体のページには「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とあった。このコメントにあっと思った。この写真を見て、惨状だと思ってはならない。たぶんガンジスの川であろうから。
別のページに「ありがたや、一皮残さず、骨の髄まで」とコメントがあった。写真は、鳥に食われているニンゲンの死体であった。骨だけになっていた。
さらに別のページには、「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから」とあった。これもまたガンジスの川辺であろう。完全な白骨であった。
ここまで眺めてきて、藤原新也さんが、生と死をどう考えているのかがちょっとだけわかったような気がした。
いのちが見えないということである。生きるということと、死ぬということは厳然たる事実としてあるのに、現代はまやかしで生きている。死も隠蔽されている。病院で死んで、そこから火葬場に運ばれてそっといなくなてしまう。死んだ方々は、最期に周囲のニンゲンたちにいろいろなことを教えてくれるのだが、それもまた隠蔽されている。テレビドラマも小説も生きることに忙しい。不倫だの恋だのと寝るヒマもないくらいに、これでもかこれでもかとボキのような庶民を騙してくる。まるで、全世界が恋愛症候群にかかっているような案配である。
この写真集は、25年以上も売れているという。本の帯に藤原新也さんがそう書いている。毒のある本かも知れない。自殺した女子高校生が、この本を片手に亡くなったとも書いてある。賛否両論あるだろうと作者も認めておられる。そうかもしれない。
しかし、この本でもって、生と死を考えるきっかけにはなるだろうと思う。その回答は簡単なことではない。一生涯かけて導き出す性質のものであろうとボキは思う。
ボロボロになるまで読んで欲しいとも書いてあった。そういう意味ではバイブルとか、仏教経典にも匹敵するのかもしれない。
それにつけても、「あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから」という台詞は、真実であろう。
まさに、「死は病気ではない」からである。
考えることが大事である。生きているうちは生きているのである。その結果、死ぬのである。病気ではないのである。病気で死んでもそれは原因であって、死そのものは厳然たる事実である。
実に良い本に出会ったものである。鎌田實先生に感謝である。