ものずき烏の無味乾燥?文

ブログ発想 LP/LD/CD コレクション作業 進行中。ジャズばっかしじゃないかと言われたら身も蓋もない。

飯嶋和一:汝ふたたび故郷に帰れず(リバイバル版)

2005-09-11 | 書籍 の 紹介
 『雷電本紀』で驚かされ、『始祖鳥記』で感心した、時代考証の綿密な飯嶋和一氏のデビュー作を探し求めました。リバイバル版とのことで『汝ふたたび故郷へ帰れず』と『スピリチュアル・ペイン』、『プロミスト・ランド』の3作の編成になっています。

汝ふたたび故郷へ帰れず
 時代小説の作家と思っていたのですが、ボクシング小説です。考証の綿密さはボクシングについても同じようになされています。プロ・スポーツでボクシングの置かれた環境について、切実に書かれています。
 主人公のボクサー新田駿一も、一旦はボクシングを離れますが、離島に帰省し再起を図ります。その再起戦の結果は...( → あえて書きません )
新田駿一と雷電為右衛門とでイメージがダブります。新田は、リゾート開発や地上げで疲弊した民衆の希望。雷電は飢饉で疲弊した民衆の希望。そしてどちらも格闘技。
デビュー作の新田駿一を、『雷電本紀』の雷電為右衛門に結びつけるのは、わたしの読了の順序からみて、当然の成り行きなのでしょうね。違うところは時代の設定なのですが、なんか筋立てが同じと受け取りました。
スピリチュアル・ペイン
 前作と違って、わたしにはこの作品についての予備知識がなかった。軍用供出馬の話である。不肖の息子が、父親が子供の時分に軍に徴用された農耕馬の思い出に浸る。
『雷電本紀』以降の作品は、何についての小説か、表題で窺えるのですが、秀作らしいタイトルの付け方である。
プロミスト・ランド
 マタギの話。これもタイトルからは類推できません。時代設定としては現代ですので、マタギの残党という事になります。主人公ともう一人の人物で、環境保護で捕獲が禁止されている冬眠明けの熊を仕留めるのですが、この後、このマタギの行く末は...

 一編づつ読んで、読後感に浸りながら、このブログ文をポロポロと少しづつ書いているのですが、『汝ふたたび故郷へ帰れず』を読み終わって6日ほど経ちますが、ふと、わたしの貧しい読書体験で、シリトーの『長距離ランナーの孤独』と同じ世界ではないのかと気が付きました。感受性の高い青年期の読書でしたから、いまだに覚えているのですが、主人公の希望を見出せないまま、スポーツに打ち込む世界です。作者もわたしと同年代。きっと『汝ふたたび故郷へ帰れず』は『長距離ランナーの孤独』の影響を受けて作品にしたようですね。このリバイバル版として出版したこの書籍は、作者が時代小説を手がける前の、純文学に入りそうな秀作集ということになりそうです。
 次は、『神無き月十番目の夜』(文庫)を購入しましたので、じっくりと読んでみたいと思います。
汝ふたたび故郷へ帰れず(リバイバル版)』 飯嶋和一  
                                     集英社 2000/11/10
2005/09/11 ものずき烏

檀一雄:夕日と拳銃/胡桃沢耕史:闘神

2005-07-16 | 書籍 の 紹介

『夕日と拳銃』 檀一雄
『闘神 伊達順之助伝』 胡桃沢耕史

 胡桃沢耕史の『闘神』が出版された頃、同じテーマで書かれた小説がありテレビ放映された事の記憶があって、二番煎じかと、手を伸ばさなかった。いつでも読める、どこの本屋にも文庫であると思っていたのが檀一雄という作家であった。いざ読んでみようと探したのだが、あるのは令嬢の檀ふみの作品ばかりとなっていた。神保町で探せば、簡単に見つかるものかも知れないが、そこまではと考えていた。ぶらっと立ち寄ったBで、全集本の片割れの1冊で『夕日と拳銃』を見つけました。百五円。すかさず書物の価値を知らぬバカな古本屋だと、ほくそえみながら購入しました。
 主人公は伊達宇和島藩の三男坊で、実在した伊達順之助。「狭い日本に住み飽きた」と満州へ渡り、馬賊となった人物。現代の刑法なら銃刀法違反で即座に、逮捕されるのであるが、満州であろうが日本国内であろうが、平気で拳銃を持ち歩き、標的を描きぶっ放すという、危険極まりない人物で描かれている。西部劇が流行った時代の影響か? まさに無頼派といわれた作家の、作品である。考証は、無視はしていないのであろうが、文体とともに、自由奔放。新聞に連載されたとの事。この時代は、娯楽の一つとして新聞の連載小説が存在したようである。片手間で3日ほどかけて、面白く読了。
夕日と拳銃』 檀一雄全集Ⅴ 新潮社 1977/8/25
 次は、きっかけとなった胡桃沢耕史の『闘神』を読んでみようと、探しましたが見つかりません。作家が故人になった当初は、沢山書店に溢れるのですが、時とともに、その書籍も消えるようです。書店には、読んでくれよと、沢山の本が溢れているのですが、読みたい本が欠けている。現役作家を大事にする、出版社の意向も判らないではありませんが、名作は途切れないように、出版して欲しいものです。


 見つけましたが、背表紙が割れてバラバラになりそうな文庫です。さっそく、わたしなりの文庫の補修をデジカメで撮影しながら行いました。補修方法をブログで投稿しようとしたのですが、ブログでTABLEを使うと、意図した表示になりませんので、別途ホームページに開示しました。古本を利用する方は参考までにご覧下さい。
無線綴じ文庫本の補修

 さて、胡桃沢耕史『闘神』ですが、伝記となっております。出自が宇和島伊達の六男坊のようですし、九州で育ったことになっているのが東京だそうです。馬賊にはならなかったなど、実像を描き出そうとしている記述です。喧嘩で殺人事件を起こしたとか、戦犯で処刑されたなど、大筋では共通しておりました。
 活躍した舞台が、中国の近代史ということで、歴史教育では取り上げられることが少ない、複雑な時代背景(辛亥革命から日本敗戦までの中国)です。大筋では知っているつもりですが、主人公の置かれた状況を把握するのは非常に困難でした。実在の人物であるが、政治の表舞台に登場したわけではないので評伝がない、子息が存命である...などの事由で、描き難い人物なのである。
闘神 伊達順之助伝』 胡桃沢耕史 文春文庫 く3-12 1993/7/10
 一読者としては、細部にこだわらず、主人公の自由奔放さを作品にした『夕日と拳銃』が面白い

2005/07/16 ものずき烏

飯嶋和一:始祖鳥記

2005-07-15 | 書籍 の 紹介

飯嶋和一『始祖鳥記』 小学館文庫

 『雷電本紀』で、その時代考証の詳細さに、興味を持った作家です。
始祖鳥記』は、幸吉と云う伝説的人物が凧に乗って中を舞う話が本筋です。初めのフライトは岡山。時代のなせる事か、幸吉は民衆を扇動したと判決を受け、所払いとなってしまいます。その幸吉を助けたのが、竹馬の友である海運業の源太郎で、しばらく船員として暮らします。航海士の杢平が老いを感じ船を降りるタイミングで幸吉も陸の人となり、駿府で生活を始めます。その駿府で再度のフライトを行います。
この筋立てだけでは、単なる技術史に一行だけ登場する人物になってしまいますが、そこは時代考証に細密な作家ですから、史料を読み解く時代背景まで教えてくれます。もちろん登場人物はこれだけではありません...登場人物は、みな誠実で善良な人々で、悪いのは権力をかさに利益をむさぼる輩と云う構図は『雷電本紀』と同様です...いつの世も同じと感じる、わたしです。
 この飯嶋和一氏は、デビューして20年近いのですが、発表した作品が極わずかで、わたしが知ったのも、ここ数ヶ月。なぜかは、一冊でも読んでみれば判る。手抜きがまったく感じられないのである。例えば日付、時刻の表記など、読者が突っ込みを行おうと目論んでも、矛盾が見つけられないのである。あたかも、本職は古文書の研究家で、余技で時代小説を書いているような記述である。また『始祖鳥記』各章の表題には、年号と月(旧暦)を使っているのが趣向として面白く感じた。内容を類推する章タイトルでなく、事務的に年号と月を記載することにより、読んでみろと訴えかけている。わたしは前章のタイトルと比較し時間の差を踏まえてから次章を読み出す。面白い。
始祖鳥記』 飯嶋和一 小学館文庫 い25-1 2003/01/01 2刷

2005/07/15 ものずき烏
(参考)
2005-04-19 飯嶋和一:雷電本紀

松枝茂夫(編訳):「水滸伝」

2005-06-21 | 書籍 の 紹介

少年文庫版『水滸伝』

 宮崎市定の「水滸伝」(中公新書・文庫)を読んで以来、そんなに意気込まなくても読めそうな「水滸伝」をチェックしていまして、遅まきながら「水滸伝」を読みました。それも昭和35年の岩波少年文庫(2分冊)です。すべての漢字にルビが振ってありまして、各ページは大小の活字が盛り沢山で、書物としてはエレガントではありません。中学生向けとして刊行したようなのですが、すべてにルビを振る事もなかろうにと思いますが、ルビの判断基準が執筆や校正の段階で揺れるものであろうと推定しますので、仕方がない。
 一般向けの岩波文庫本なら10分冊で、108人という登場人物の多さと、その分量で読後の満足度は相当にあると思うのですが、なにぶんにも「水滸伝」の内容が、山賊を主人公とした通俗小説で、最終的には体制側に寝返ってしまうヤクザ物であるので購入には躊躇していました。
 娯楽の読み物として「水滸伝」は歴史があり、漢字文化圏での影響は未だに続いている。一度読んでみたいとは思っていたのですが、分量に圧倒されていました。この本は、2分冊と適量で、210円という安さにより入手し、4日ほどかけて、読んでみました。
 筋書きは、多くの読者を持つ「水滸伝」であるから書きません。感想を述べてみると、中国の歴史に数多く登場し、腐敗した体制を変革する民衆のエネルギーと云ったものが下地になっているのだろう。そのキーワードは、好漢、義侠心なのだが、易姓革命の中国を観るヒントになり、またその影響下にある日本の大衆娯楽を考える、良い読み物であると思います。気が向いたら全訳の「水滸伝」に、手を出して見たいと思います。
水滸伝』上 施耐庵(作) 松枝茂夫(編訳)
          岩波少年文庫 187 1974/06/20 12刷
『水滸伝』下 施耐庵(作) 松枝茂夫(編訳)
          岩波少年文庫 188 1974/06/20 10刷
 「弱きを助け、強きを挫く」のが好漢のようですが、「強きを助け、弱きを挫く」のが役人で、北宋の時代でも、今の時代でも変わりません、庶民が好漢に、やんやの歓声を挙げるのは、いつの世も変わりません。法治国家で好漢は、現れ得ないような気がします。

2005/06/21 ものずき烏

植草甚一:(自叙伝)

2005-06-02 | 書籍 の 紹介

『植草甚一読本』

 長い本のタイトルをつけるのが、植草甚一らしさなのであるが、これは、そのものずばり『植草甚一読本』。
存在そのものが国宝級のJJが、自分自身をテーマとして、ファンのために出版してくれた本である。なぜ、わたしが植草甚一に興味をもったかを考えてみると、ジャズの評論やコラムに親しんだ他に、わたしの父親と同年代という事があるのかも知れない。明治の末期にうまれ、大正モダニズムに青春を過ごした人物である。商家の後を継がず、謂わばどら息子で、ずっと子供の好奇心で物事を眺めている。
同年代の人々がやりたくてもできない人生を歩み続けた人物なのである。こんな訳だから、いくつになっても、若い世代から憧れをもって見続けらていた。

植草甚一読本』 晶文社 1975/09/30

 現在、植草甚一の本は復刊した『植草甚一スクラップブック全41巻』として読むことができると思います。政治と経済にだけは興味を示していないのが、わたしにとって救いの人物である。



2005/06/02 ものずき烏
本日 01:00~09:00 gooブログのメンテナンス、およびわたしのプロバイダーも 03:00~06:00 メンテナンスのため、この頃手薄の書籍を投稿しました。この書籍のブログは人気がないのか音楽(ジャズ)に比べアクセスが少ないようです。そもそも読書というのは人に奨められてするものではなく、自分で見つけ出して楽しむものなのですから、致し方ありません。単なる独りよがりの備忘録のようなものです。
(参考)
2005-05-22 植草甚一:(ブック・ランド)
2005-05-21 植草甚一:(コミック・ワールド)

定方晟:インド宇宙誌

2005-05-25 | 書籍 の 紹介
 須弥山儀とよばれる変った機械時計が残っている。江戸末期に僧侶であった佐田介石が製作したという。東洋の天文学史に少なからず興味を持っていたわたしは、古代中国の宇宙観と相違する、仏教の宇宙観の異様さに戸惑っていた。「金輪際(こんりんざい)なになに...」などと、日本語にまで用語が残っているのがこの須弥山宇宙観なのである。
定方晟の著作は、講談社現代新書『須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-』以来2度目である。この分野の研究者であるからして、やたらと詳しい記述が並ぶが、門外漢であるわたしは平気で読み飛ばす。そんな中で、わたしなりに考える。この本は、仏教の源流であるヒンドゥーの宇宙観まで及ぶ。

...そもそも春分の、それもとりわけ満月の日が聖なるときとされ、種々の祭りに結びつけられるのは世界に広くみられる現象である。ブッダの誕生日はわが国では四月八日とされるが、これももとインドで定められた「春分の満月の日」に由来するものである。ブッダの実際の誕生日は早くからすでに不明であったから、春のこのめでたい日がブッダの誕生日にあてられたのである。キリスト教では復活祭の復活日が「春分後の最初の満月の次の日曜日」と定められている。春の訪れが生誕や復活に結びつけられることは自然のなりゆきであろう。...
p113...ちなみに五元素説はギリシャにもある。五元素の発生する順序はインドでは空、風、火、水、地であるが、ギリシャのエンペドクレスにおいては空、火、地、水、風である。...
p132

 何を得たか、須弥山宇宙観の異様さは変らない。ヒンドゥーの創生神話は、ギリシャ神話と近いようである、多神教なのであるが、その神も堕落する。
ヒンドゥー(=インド)を理解するには『梵我一如』の思想がキーとなるようだ。
。。。『ヴィシュヌ・プラーナ』の右の思想はウパニシャッド以来(前6世紀以降)、インドの伝統となった「梵我一如」の思想を表している。「梵我一如」の思想は汎神論である。われわれが考えているような小さな「自我」は真の自我ではではない。真の自我(アートマン)は宇宙と同一であり、存在すべて(梵、ブラフマン)そのものである。このことを知らないかぎり、人は迷い続け、己に執着し、苦しみをくりかえす。...
p156
 ヒンドゥー教の宇宙観の第二章「タントリズムの宇宙観」を読んでいたら、この宗教儀式は、地下鉄で毒ガスを撒いた犯罪集団が参考にした儀式ではと思ってしまった。性交を宗教儀式に取り入れた真言立川流といった邪教も存在したのだが、ときの幕府の良識により葬られた。毒ガスを撒いた団体は名前を変えて未だに存在している。ヒンドゥー教の一面をカルト教団が取り入れることが可能な、ある意味では危険な著作なのかもしれない。
インド宇宙誌』定方晟 春秋社 1994/05/30 10刷
                               1985/06/30  1刷
 古代人の宇宙観に興味があって、だいぶ前に古書市で購入しておいたものを読んだ。天文学史の宇宙観であればこの書籍は不適当である。著者もこの件については熟知していて、プロローグに
本書は自然科学書コーナーにおかれるような書物ではない。むしろ、宗教書コーナーにおかれるべき書物である。
と断ってある。そのとおりの結果で、わたしの好奇心が踏み外したといえる。
キリスト教で地動説の成立に危機感を持ちガリレオを裁判にかけた事とか、浄土宗の佐田介石が仏教の須弥山宇宙観に固執した事とかの歴史を考えると、宗教の持つ宇宙観が科学の発展によりその都度、改変されていることになる。宗教の本質が宇宙観にあるのでは勿論ないが、異様なものを信ずることが宗教となっている側面があると認めないわけにはいかない。

2005/05/25 ものずき烏

植草甚一:(ブック・ランド)

2005-05-22 | 書籍 の 紹介

植草甚一『こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』
植草甚一『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』



 ファンの心理というのは、不思議なものである。ミステリは読まないのに(その昔、ホームズ物でないコナン・ドイルは文庫で読んだ記憶がある)、植草甚一が書いた本となると読んでしまう。内容は、既にきれいさっぱり消えている。しかし、植草甚一の文体?のようなものは、いつまでも残っている。本のタイトルから、それらしき文体が垣間見えるではないか。
こんなコラムばかり新聞や雑誌に書いていた』
                               植草甚一 晶文社  1974/05/30
『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』
                               植草甚一 早川書房 1978/11/15

 この2冊、ほとんどが海外小説の紹介コラムである。植草甚一が映画評論を行っていたので、ミステリの読書は、ヒッチコックの延長で考えれば頷ける。
 その中で、「中間小説研究」と題して東京新聞に連載(1971/9~1973/12)ものが興味深い。当時の読者であったわたしが、純文学嗜好であったため、たぶん読み飛ばしたと思うのだが、日本の小説家が発表した作品を、すさまじい速度で次々に読破する。たぶん読んだ小説は、通過するだけだろう、このスピード感が読書の楽しみだと自認する植草甚一であるが、仕事であるから疲労も見え隠れする。通過するといっても、わたしと違い、なにかしらのエッセンスは残っているようである。それが、植草甚一の好奇心となるのだろう。
 ファンというのは、その対象の人物の守備範囲が広ければ広いほど、未知の分野に興味をもつチャンスが得られるということのようである。

2005/05/22 ものずき烏
(参考)
2005-06-02 植草甚一:(自叙伝)
2005-05-21 植草甚一:(コミック・ワールド)


植草甚一:(コミック・ワールド)

2005-05-21 | 書籍 の 紹介

植草甚一『ぼくがすきな外国の変った漫画家たち』

 植草甚一の本のタイトルは、やたらと長いのが特徴であり、それが他の本と分け隔て、書店で一度は手にとってみることになっていたようだ。しかし、購入するのはファンに限られていた。
 わたしが、植草甚一の名前を知ったのはSJ(スイング・ジャーナル)の誌上である。他のジャズ評論家とは、明らかに違う観点から評論したり、コラムを発表したりしていた。この『ぼくがすきな外国の変った漫画家たち』は、わたしが最初に手にした植草甚一の単行本となった。ジャズではないが、海外の漫画をみる視点が同じではなかったかと今にして思う。
 後、この本を刊行した青土社の月刊誌(「ユリイカ」詩と評論)を定期購読するという、ある意味では無駄な消費に走らせたのも、この本がきっかけだったのかも知れない。
植草甚一『ぼくがすきな外国の変った漫画家たち』 
                                       青土社 1971/12/05



 これは、イラストレータとして「ユリイカ」に連載したものなのであろう。コラムニスト、映画評論家、中間小説評論家、ジャズ評論家、コラージュ作家...すべてでもあるし、どれでもない。没後20年をすぎても、今だに捕らえどころのない植草甚一なのである。

2005/05/21 ものずき烏
(参考)
2005-05-22 植草甚一:(ブック・ランド)
2005-06-02 植草甚一:(自叙伝)


塩見鮮一郎:浅草弾左衛門

2005-05-12 | 書籍 の 紹介

塩見鮮一郎:『 浅草弾左衛門 』




 ”興味本位で読んでいる”その選別の基準を考えてみた。この時代小説、テーマは幕末から明治にかけての被差別のいきいきとした生活が描かれている。生まれ育った地域性もあるのであろうが、わたしはこの問題に関して無知であったし、今でも無知のままなのかも知れない。美濃部都知事が誕生したころ同和問題としてとりあげたのが、この被差別の問題であったと記憶している。この時期、関連する本「の歴史?」も読んだことがある。
 謂れなき差別というが、謂れがあろうがなかろうが、差別というものは、個人の自己保身から発するものであると、理解し認識した。人間の弱さが、自分や自分の家族を優先するため、かれらとは違うのだと強調した結果が、差別となる。いびつな組織であれば、いたるところ未だに存在する、大きな問題(諸悪の根源)である。

 この文庫本の親本(批評社)は、4分冊で刊行していた。高価であり、いくら興味本位といっても手は出しかねた。文庫で出ていても、まとめて買えば負担がおおきい。かといって1冊づつ読むかというと、何か事情で続きが読めないのでは面白くないから手を出さない。古書店で誰かが読んだ後に、売り払ったものを入手し読んだ。
浅草弾左衛門(1)天保青春篇(上) 塩見鮮一郎 小学館文庫552 1999/01/01
浅草弾左衛門(2)天保青春篇(下) 塩見鮮一郎 小学館文庫600 1999/03/01
浅草弾左衛門(3)幕末躍動篇(上) 塩見鮮一郎 小学館文庫657 1999/05/01
浅草弾左衛門(4)幕末躍動篇(下) 塩見鮮一郎 小学館文庫657 1999/05/01
浅草弾左衛門(5)明治苦闘篇(上) 塩見鮮一郎 小学館文庫676 1999/07/01
浅草弾左衛門(6)明治苦闘篇(下) 塩見鮮一郎 小学館文庫676 1999/07/01

 感想としては、時代の転換期に生きるための経済を重視する、主人公である...ということか。まあ、真宗の本願寺に多額の寄進があったという事実は、他の本でも読んでいたので、身分差別という割には、経済的には相当に裕福なんだと想っている。


 6冊の文庫本の書誌事項らしきものを並べてみました。(3)=(4)、(5)=(6) と文庫のシリース番号が重複しているのに気がつきます。決して転記ミスではありません。親本が、天保青春編、幕末躍動編、明治苦闘編、資料編(→未文庫化)、となっていましたので、そのままの分冊で発行すればと考えるのですが、これは現在の文庫の製本技術を配慮して小学館は分冊したと思うのです。

 1970年代ころまでの文庫・新書は背中の部分が通常の製本と同じように糸で綴じられていました。現在のものは背中を接着剤で固めた無線綴じとなっています。古本をよく購入するわたしは、背中が割れてしまい読でいるとバラバラになってしまう文庫に遭遇します。はっきりと背表紙が割れてしまったのは古書店主が商品価値がないと判断し処分するのでしょう、出会う確率は極めて少ない。本の価値は中身と思いますので分解しないよう再製本をして読みます。
(わたしの再製本の方法は、そのうちに機会があったらデジカメで撮って紹介します。)
 背割れを起こす文庫本は、ぶ厚くて、接着剤層も厚いものです。接着剤の乾燥と劣化によって、書物が分解してしまう運命を背負っています。こんなことを考えながら、後発の文庫ながら分冊数を増やした小学館の姿勢に敬意を表しておきます。

2005/05/12 ものずき烏

2005-06-27 わたしの、背割れ文庫本の補修方法を紹介します。
 ホームページにのせました。こちら→ 無線綴じ文庫本の補修

[復刻]軍隊調理法

2005-05-10 | 書籍 の 紹介

『[復刻]軍隊調理法』小林完太郎(解説)


 平和な時期の軍隊なら、専任の料理兵?なるものがおって食事は賄っていると思う。事実、自衛隊の経験者で料理好きがみられる。元の本は、昭和十二年七月二十六日陸軍省検閲済「軍隊調理法」という。

 衣・食・住の3つが生活に不可欠なものである事は、論ずるまでもない。ファミレス、コンビニが、至る所に店を開き、何がしかの金銭をもちあわせていれば、事は足りる現在であるが、昭和初期の衣・食・住を考えると、この本の存在価値が判る。

 食材は、日本に根付いているもので、ハイカラな現在の料理好きが使用するものは少ない。この本まさしく実用書。ホームレス生活で自炊するための指導書であるような気がしている。この本を利用したかと、問われれば...多少利用しました! 似たような本で『聞き書 ○○の食事』農文協 (○○は都道府県名)というシリーズも、出身地と東京の2冊を持っているが、これも昭和初期の食材での食事である。現在からみれば貧しいのかも知れない。
ただぁーし、これらはわたしが母親から与えられた食事の食材なのであーる。(感謝ぁ!)

元祖男の料理 復刻「軍隊調理法」 講談社 1982/01/20

 女は料理をするものであったが、TVバラエティを垣間見ると、料理に関して現在の女性は、昭和初期の男レベルなのかもしれない。
「娘が嫁に行くときに持たせたい」と帯にありました。
残念なことに古書店でしか求められないと思いますが、見つけたら買っておいたら。
発行時点で1200円ですが、いまなら、古書店にもよるが、2000円?でしょうか

2005/05/10 ものずき烏

(2005/05/10) 復刊ドットコムへ印刷所情報を提供。



藤枝晃:文字の文化史

2005-05-01 | 書籍 の 紹介

藤枝晃『文字の文化史』 岩波書店 1972/12/30 2刷

 敦煌学の権威と言われた藤枝晃が遺した書籍である。暦法計算との関わりで敦煌学の存在を知ったのであるが、門外漢のわたしには権威と言われてもよくは判らなかった。古書店でみつけたのがこの『文字の文化史』である。文庫も岩波同時代ライブラリーが出て、現在は講談社学術文庫となっている、その親本である。
 この本は文庫本にすべきではないと力説しておく。理由は、插図が102枚と豊富なことである。すべての插図が著者にとって重要な意味を持つ。文庫版ではサイズが縮小されて著者の意図がその分半減してしまうと考える。

 藤枝晃氏の遺した書籍はこの一冊だけのようである。(他に『敦煌学とその周辺』というブックレット?が出ているようだ) なるほどと思うほど文章がよく練られている。この一冊だけが一般向けとして刊行されたのであろう。それまでは学者さんですから、学協会誌の論文となるのであろうが、残念ながら国会図書館あたりでしか読めない。藤枝晃の名を知ってから、薮内清『支那の天文学』(恒星社 1933/10/15)を再読した。薮内の本で藤枝学士として登場するのが、この藤枝晃のようである。
 いい本です。わたしの不詳分野(書道、金石文など)が含まれるために、目次を転載して紹介とさせていただきます。


目次
  1. 殷人の絵文字
    象形から文字 部族標識 動物の図象 組み合わせ図像 原始的象形文字
  2. 神々との対話
    甲骨の出土とその解読 亀の甲の占い 神への問いかけと返答 神と人との間柄
  3. 饕餮(トウテツ)の背面
    饕餮文様 殷周の青銅器 金石古文学 殷の金文 周の金文
  4. 皇帝の文字
    始皇帝の天下統一 文字改革 篆書 石刻 度量衡 篆書のその後
  5. 政治の文字
    木簡の発現 木簡の現状 木簡のかたち 隷書 居延筆 木簡の内容 木簡の年代 木簡の出土地点 長城のまもり 破磔の権威 刀筆の吏 政治の文字
  6. 印章
    印の古さ 古璽 漢印のかたち 綬 印の使い方 印の遺品 後代の印章

  7. 絹の書き物 文字を書いた絹布の発見 楚の帛書 「楚の帛書」シンポジウム 帛書の展観
  8. 紙の出現
    偉大なる発明 楼蘭文書 木簡と紙との接点 李柏文書 李柏文書の解釈 李柏文書の用紙 敦煌烽ホウ址出土のソグド語文書
  9. 巻物の尊厳
    木簡から巻子本へ 巻子本の遺品 巻子本のかたち 巻物の尊厳 楷書 隷から楷へ 北鹿南兎の説 楷書の極相 秘書省
  10. 古文書
    古文書と古文書学 敦煌文書 トルファン文書 唐の公文書
  11. 新しい書物のかたち
    折本と貝葉 冊子本 敦煌におけるペン書き
  12. 漢字の周辺
    中国の周辺 突厥文字 ウイグル文字 チベット字 日本の仮名 契丹文字 西夏文字 女真文字
  13. 印刷のはじまり
    書物の革命 印から印刷へ 百万塔陀羅尼 東大寺のおふだ 敦煌の印刷物
  14. 不滅への願い
    石刻 碑誌の文書 石碑の文字 拓本 石経
  15. 木版印刷
    石経から印刷へ 一切経の印刷 宋版 明朝体の実現
  16. 活版印刷
    畢昇の活版法 王禎の『農書』 木活字 現存最古の活字本 洋式の活版
あとがき

(参考までに)
 ブログにしては、目次の打ち込みに難儀しました。表示を見易くするために、ソースは相当に詰まって見難い状態です。
 「おれは、カリスマだ、権威者だ」と自分から言い出す、お年寄りが見受けられますが、顰蹙を買うだけです。明晰な頭脳と、確固とした業績を持ち、廻りから尊敬を得て、権威となるのでしょう。
そんなことを考えながら...藤枝晃は敦煌学の権威と想います。後の研究によって、だったが付くのは、世の習いで致し方ないのですが、現在の敦煌学ではまだ、だったは付いていないようです。

2005/05/01 ものずき烏

全相運:韓国科学技術史

2005-04-30 | 書籍 の 紹介

全相運『韓国科学技術史』 高麗書林 1978/11/20

 渤海国から受け入れたという(唐)宣明暦のながい施行を経て、渋川春海の貞享暦で我が国は、中華文明の正朔(*)から解き放たれた。そして寛政暦・壬寅天保暦により中国を追い越し、世界情勢の認知において東アジアので最初の太陽暦採用国となった。この暦法の推移は科学技術の典型とみることができる。
 有人宇宙船で中国はアジア初となったのだか、これをどうみるかは将来の史家が判断するであろう。

 おなじ中華文明の周縁で隣国の韓国では、すこし事情がことなるようである。日本の暦法の推移を調べ中国の史料まで踏み込んだわたしであるが、すこし周りをみてみようと求めたのがこの全相運『韓国科学技術史』である。研究機関なら蔵書となっていて、いつでも参照できる書籍であろうが、無学無縁で一般庶民のわたしは、なかなか見れない。みつけたのが明倫館書店で比較的割安(¥3000)であった。もちろん古書であるからして一点ものと云う市場価値を持つ。

 暦法史に関しては、(唐)宣明暦の時代がながいのは本邦と同様であるが、その後も(元)授時暦、(明)大統暦、(清)時憲暦と中国の影響から抜け出していない。関連して元号というものがあるが、これも朝鮮では独自の元号は継続してたてられなかった。暦法の史料としては中国、日本の欠を補うものが存在するようである。
 中国で木刻活字が使われているのに、朝鮮で金属活字を採用したのはすばらしい。ただ多くの種類をもつ漢字という問題で、アルファベットにくらべ印刷技術で活字の使用が普及しなかったのは、東アジアの不利な条件であった。印刷物の多量普及という情報面で欧米に遅れをとったかもしれないが、現在この障害は解消されたと思っている。
 秀吉の侵略で活躍した亀甲船は、時代小説で登場するが、その構造なども解説してある。

 この書籍、所有しているからしてざっと読んだだけである。なにか気になることがあるとページを繰ることができるという安心感が購入代金となっている書籍である。


(*)中華文明の正朔
 単に日にちを記すのにつかわれているだけではなく、"正朔を奉じる"というのは支配下に入ることなのである。杓子定規に考えればの話であるが、中国暦であれば中国の支配下に、西暦であればローマ法王の支配下となるのである。似たようなのが、現行の祝日で国が毎年決めている春分と秋分の日。これは天文台と海上保安庁で計算することなっているが、天体観測データのおおもとが米海軍の機関であるから、この祝日は「アメリカの正朔を奉じている」と国粋主義者が叫んでもあながち間違いではないと煽っておこう。と言うのは冗談で、合理性(=簡便性)から春分・秋分の日にちは固定すべきと考える。

2005/04/30 ものずき烏

丸谷才一:鳥の歌

2005-04-27 | 書籍 の 紹介
 前回の『犬だつて散歩する』は軽快なエッセイ集と云う印象が強かったのだか、軽快で読みやすい文章は大事なことを読み飛ばすという、わたしの軽薄さに気付かせてくれた。今回の『鳥の歌』は前回とことなり評論集である。この本は、近所のBで矢沢永一『人間通』、『犬だつて散歩する』と一緒に3冊まとめて三百十五円で入手した。Bの価格設定は従来の古書店と違い、中身ではなく外観と発行日で設定しているので、得した気になるものもある。古書店の持つ書籍の知識が皆無であるのが危うい、でもわたしは、自分の趣向や感性から利用している。

丸谷才一『 鳥の歌 』 福武書店 1987/08/15


Ⅰ 「楠木正成と近代史」

 「太平記」はよんだことがない、将来も読まないと想うのだが、楠木正成は丸谷氏の東洋史の先生であった植村清二『楠木正成』中公文庫で読んでいた。(参考までに植村清二は、だれでも知っている文学賞である直木賞。その直木三十五の実弟である)。
わたしは東北生まれでかつ、戦後の教育をうけているので忠臣の楠木正成は知らない。籠城して城から下肥を煮沸して敵勢にぶっかけたというエピソード程度は父親から聞いたことがある。中国の南北朝時代なら多少、暦法計算の延長で中国史の本を読んでいるのでなんとなく判るつもりでいる。本邦の南北朝に登場し南朝の忠臣で活躍するのが楠木正成である。現在の皇室は北朝の系列であるのに、なぜ皇居前に騎馬姿の正成の銅像が立っているか、さして考えもしなかったが怨霊封じの意味で明治に作られたもののようである。上野の西郷隆盛も西南の役で中央政府と戦ったのに犬を連れた銅像として立っている。この意味を御霊信仰というキーワードで解き明かしているのがこの評論である。

 同時に関西人が自分の祖先は楠木正成のどうのこうのと云う、先祖がつくりあげた法螺話をいまだに受け継いでいるルーツが知れた。関西なのに、なんで豊臣秀吉でなくて正成なのかという意味でである。秀吉の末裔なら嘘がばれるが、正成なら史料も少ないし、正成自体の出自がいい加減だし、庶民の人気も高いしで好都合だったんだね。

Ⅱ 「お軽と勘平のために」「文学の研究とは何か」

 丸谷『忠臣蔵とは何か』の諏訪春雄(學習院:浄瑠璃、歌舞伎)批判に対しての反論。いつになく過激な論調で、「仮名手本忠臣蔵」を諏訪は字面しか読んでいない、時代背景とか想像力が欠けていると丸谷は反論している。さて、この丸谷の反論に諏訪はどう答えたか。諏訪春雄の方はIT化が進んでいてホームページを公開しているから覗いて見よう。(ハッハッハ、自著を読んでくれとの事。どっちも著述業なんだね。)わたしは観客で、横綱と十両の相撲見物みたいな勝負だね。もちろん丸谷が横綱なんだけど、古いVTRをみているような20年近くも前の論争である。丸谷の論調から本を売るための"やらせ"ではないと思うよ。
...定説はやがて改められるためにある。新説によつて刺戟を受け、影響され、補強されたり整へられたりすると言つてもよかろう。そして昔から文藝評論はさういふ形で文学研究に協力することが多かつた。これは、批評家は学界の権威に気がねせず、申し合せなんか無視して、自由に発言できるからに相違ない。もちろん学問の伝統は尊い。しかしそれが過去の学説を墨守するための根拠、在来の研究者の考への足りなさを防衛するための障壁に用ゐられてはならない。いはゆる定説なるものは、ここからさきへ行つてはいけないといふ禁止の信号ではなく、われわれはここまで達した、もつとさきへ進んでくれと促したり励ましたりする合図だとわたしは思つてゐる。
p80
...そのときわたしは、解釈力と想像力と思考力を用ゐた。それが文学研究の大道だからである。言ふまでもないことだが、一般に文学研究には想像力が不可欠だし、文献の乏しさによつて制約されてゐる場合はなほさらだろう。それなのに今の日本では、想像力と仮説とを排撃する風潮が支配的で、しかもそれは、研究者たちの怠慢を正当化する口実に使はれてゐるのである。わたしは、想像力の持ち合せのない学者たちが調べものの専門家であることに自足し(本来ならそれは文学研究の補助学にすぎないだろうに)、さつぱりものを考へようとしてゐない傾向を、われわれの文明のために憂へてゐる。
p111

Ⅲ 「ある裁判小説の読後に」「鴎外の狂詩のことなど」「白い鳥」「茨の冠」「荻生徂徠と徳川綱吉」


...マカロニ・ラテン語とは近代語にラテン語ふうの語尾と格変化を与へたもの、あるいはラテン語と近代語との混淆を言ふ。この奇妙な文学用語はどうやら、例のイタリアの麺が下等な粗粉と卵とチーズとをまぜることに由来するらしい。そしてこの命名にはもちろん、格の低いものへの軽蔑と、それから思ひがけない美味への賞讃がこめられてゐるだろう。...
「鴎外の狂詩のことなど」p146
ふむふむ、マカロニ・ウエスタンと名付けたイタリアの西部劇は、由緒ある命名だったんだ。


 軽快なエッセイ集『犬だつて散歩する』と同時期の、本格的評論集である。たぶん丸谷才一のファンがBに2冊同時に売り払ったものなのであろう。文体は同じなんだけど、とても難解な内容でした。一冊の書籍を評論するのに敷衍されるものが30冊くらいあるのではなかろうか。英文学も含めての読書量の豊富さが、薀蓄として語られる。とてもじゃないが論争で勝てる人物はいない。
 この難解ともいえる評論。わたしの記憶が蘇りました。その昔、若気の至りで岩波講座「文学」を毎月届けてもらって読んでたんです。小説家になってみたいという憧れがあったのかもしれません。その講座「文学」の読書感と同じなんだと想います。評論の技術的なものを確認しました。当時のメモ・ノートがありますので、脳みそと感性のリフレッシュをしてみます。

やはり丸谷才一は10年ごとの書き下ろしの文藝作品だけを楽しもうと思います。

2005/04/27 ものずき烏

『臨済録』はこう読んだ

2005-04-25 | 書籍 の 紹介
 玄奘について書いたから読んでくれと云う意図のトラックバックを(2005-04-20)に拙文の神田喜一郎:敦煌學五十年に受けた。覗いてみて、驚いた。
ひとりで3つのIDを持ちそれぞれネタ別にブログを運用しているのである。すべてが、長すぎる文章で記述され読む気になれないし、あるものはブログ設計上のページ長を超えてしまったのか、文末まで表示していないものまである。開設が本年2月初旬であるから、余程の暇人。

 4月になって起こったgooブログのレスポンス低下の原因には、このような非常識ともいえる会員の増加があるのではあるまいかと考えてしまう。ひとりで一つのブログで、カテゴリー別けを持たせるように、ブログは設計されていると想像するのであるが、会員管理の盲点を潜り抜けて一人で3つ、まるで隠し帳簿で会計管理をし脱税をしているのと同じではないのかね。わたしが始めた2月24日以降でgooブログの会員増加数は毎日1000オーダーとなっているのに驚いて、そのうちシステムがパンクすると恐怖したのであるが、4月に現実になってしまった。25日に機器の増強とシステム改造があるようだが、このままの会員管理を続けると、また再びのレスポンス低下障害を起こしgooブログの信頼が損なわれることが懸念される。
 
わたしが非常識と見た、3つものブログを長文で平気で公開しているブログ作者の素性は?
  1. コメントの応答文末尾に"合掌"などと抹香くさい単語を記述しているので、僧侶である。
  2. ブログの一つは、海外観光旅行の感想文である。そうとうに裕福なお寺を持ち、あがりが沢山ある。
  3. 地方自治や国政の批評が長文でつづられているが、読む気にはなれない。福島県とある。
呼び込まれたブログのネタは法話とのことである。玄奘の「大唐西域記」を素人向けにブログ記事にしたものらしい。
マリリン・モンローまで登場させる下らなさが目についた。檀家なら、下らぬ法話でも30分程度なら法事で故人の追悼の気持ちとか、自分が埋葬されることもあろうから、我慢して聞くのだろが、わたしは、その場から立ち去る。

わたしが投稿した神田喜一郎:敦煌學五十年にトラックバックがあったのだからと、補足の意味でわたしの中国史なり仏教の考えをコメントで返した。わたしのコメントで7~8人目にもなろうか、稚拙な作文を褒め称えるのが習慣(ネチケット?)のようであるが、単刀直入に裕福な坊さんで結構ですね、玄奘はいいから梁の武帝を書いたらなどとコメントをいれた。即刻、「正法眼蔵」は12巻本を読むといいなどと応答が書いてあった。昔の岩波文庫は、3分冊だったけど、わたしが読んだのは現行の4分冊のだから12巻本は入ってんのよ。これでブログ破戒僧の年齢が想定できる。

 お金持ちの坊主というだけでも嫌悪感があるので、わたしが面白く読んだ『 臨済録 』の貧乏坊主を、ブログ記事にして爽快な気分になろうとしていたら、また(2005-04-23)トラックバックが入った。これではSpam としか言いようがない。ブログで辻説法のつもりか、いたるところにトラックバックをしていてコメントを書き込ませている。わたしも儀礼的にコメントで応答したのだが。これで僧侶仲間には、「拙僧のホームページにはこんなにアクセスがあって読んでもらっているんだ。」と吹聴するのであろう。聞いた僧侶仲間は内容が優れていると大きな間違いをする、それでブログ破戒僧の教団での地位が昇進したら、世の中不幸だわな。名優に登場してもらいましょう。

つまらん! おまえの話はつまらん。」

大滝秀治さんに、ゲストで出演してもらいました。

宗教観

「三宝(仏・法・僧)を敬え」と聖徳太子は言った。このとき国家は仏教を容認し、利用した。
人間の弱さを熟知した親鸞教団以外は、肉食妻帯を禁ずるという戒律がある。これを明治政府は仏教を体制に組み入れるために妻帯を公認した。以降仏教は国家に文句は言えなくなった。仏教の政教分離というか、バーター取引だね。
寺院は私有財産として資本主義下で世襲相続されることが当たり前になってしまったのである。
お布施や檀家料と云う無税の収入を得て、檀家の寄付で立派な家屋に居住し、戒名料で高級車を乗り回し、法事や盆・彼岸の読教料で海外へ観光旅行をし、ブログで"精神脱腸"と言っても過言でもない、低レベルの知識をひけらかす。一般庶民の生活が窮していても、坊主は、優雅で奢侈な、生活を楽しむ。
三宝の最後の一個が問題なんだね、腐ってんのよ。だから、ブログ破戒僧の批判するおかしな宗教・宗派が発生するんじゃないかね。まずは貴僧の身を処すことから始めないと、人に説教をたれても説教にならぬ、話芸で身を立てるなら話は別だから、そのときは僧籍を離れなさいよ。

 由緒のある大企業でも資本主義下では後継者が育たなければ消滅する。勿論、由緒のある寺院でも資本主義下では後継がなければ廃寺となる。江戸期まではこのとおりだった。明治政府と仏教のバーター取引は、大師号の乱発や、妻帯という戒律破り、所得の非課税にまで及んで、寺院を腐敗し世襲させている。
「正法眼蔵」で伝授される"法衣"というのは、生物学の遺伝子とは明らかに違う。カトリックだってイスラームだって、ブログ破戒僧の好きなチベット仏教だって、小乗とよばれている東南アジアの仏教だって、生物学の遺伝子(世襲)で後継者は決めていない。世襲できめたらジョンイルの国と同じじゃねえか。

 社会的地位が安定すればするほど、偉そうに低レベルの知識をひけらかす。裕福だから営業経費で高価な書籍も購えるだろうが、それにしては読解レベルが浅すぎて、貧乏人が食事を減らし肌身に感じて読んだ深さとで、差異があると思えて仕方がない。地位に安住し低レベルの知識理解度をひけらかして、無知な庶民を騙すか、飼いならして、銭をまきあげる。
教団に所属するのが宗教ではない。ひとりひとりが誠実に生きる。その指標の一つが宗教ではないのかと想う。

 『 臨済録 』の再読は予定していないが、こんな意見(宗教観)を持つ修行僧が切磋琢磨しているのが臨済録の話であると、わたしは読んだ。ブログ破戒僧の嫌いな、チャイナ仏教の代表的「語録」である。
わたしは音楽の紹介でジャズをネタにしているが、臨済録はジャズ小説として読んでみると楽しいかもしれない。タイトルが宗教チックであるのが難点であるが、通俗な宗教本とはまるでちがう。本好きはぜひ、ご一読を。
Spam は"しかと"するのがベターらしい。よって本文は、ブログ破戒僧の記事へはトラックバックはしません。
合掌などとは書かぬわ塩を撒いてから

臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前

2005/04/25 ものずき烏

丸谷才一:犬だつて散歩する

2005-04-24 | 書籍 の 紹介
 丸谷才一は好きな作家である。書き下ろしの『たつた一人の反乱』から最新の『輝く日の宮』まで、一応初版で読ませてもらっている。新刊が待ち遠しい現代作家は、ぞっこんだった安部公房の亡き後、村上春樹も楽しんだが飽き、今は丸谷才一だけとなった。
この本『犬だつて散歩する』は、Bで例によって百五円。投資効果は次のとおり。

 雑文の書き方はこんな風に書けばよいと思ってしまった、軽快な文章である。10年ごとの周期で書かれている主要作の小説にも見え隠れする軽快さである。「小説現代」に1985~6年に連載されていたエッセイとの事。わたしにとっては、どうということもない事柄を、独自の文体で綴っている。このテーマの一つ一つが小説に結晶するのであろう。

 ブログを始めてから、文章を綴るのに四苦八苦しているわたしであるが、ブログという雑文を気負わずに軽快に書く参考書となるのではと感じた。
文体をまねてみようとかねがね思っているが、IMEの変換がネックでねぇ。

文章が上手というのは、すらすら読める文章という事らしいが、吉行淳之介もすらすら読めた。でもね、何も残らないんだよ。
(この件、考えてみました。
  読みやすい文章ほど、
  メモを取ることが必要という事のようである。)

丸谷才一 『犬だつて散歩する』 講談社 1986/09/25


...李朝のころ、儒教の徳目(忠、信、孝、悌、礼、義、廉、恥)
...『里見八犬伝』の八犬士(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌)
...ここでふと気づくのは、滝沢馬琴が八犬士で表はした儒教的徳目と朝鮮の徳目とでは、部分的にちがふことですね。諸橋さんの大きな漢字辞典で「八徳」を引いても『八犬伝』と同じ。向うの廉と恥とが、こつちでは仁と智になつてゐる。これは、李朝の支配階級である両班(文官)と徳川期日本のそれである武士との差でせうね。と言つても、両班が清廉で恥を知つてゐたか、武士が仁に厚く智慧の持合せが多かつたか、かなりあやしいけれど。足りないと自覚して、めいめい二つのものを強調したのかもしれない。まあこのへんのことは、立入ると厄介なことになりさうだ。
儒教の研究 p220

2005/04/24 ものずき烏