ものずき烏の無味乾燥?文

ブログ発想 LP/LD/CD コレクション作業 進行中。ジャズばっかしじゃないかと言われたら身も蓋もない。

『臨済録』はこう読んだ

2005-04-25 | 書籍 の 紹介
 玄奘について書いたから読んでくれと云う意図のトラックバックを(2005-04-20)に拙文の神田喜一郎:敦煌學五十年に受けた。覗いてみて、驚いた。
ひとりで3つのIDを持ちそれぞれネタ別にブログを運用しているのである。すべてが、長すぎる文章で記述され読む気になれないし、あるものはブログ設計上のページ長を超えてしまったのか、文末まで表示していないものまである。開設が本年2月初旬であるから、余程の暇人。

 4月になって起こったgooブログのレスポンス低下の原因には、このような非常識ともいえる会員の増加があるのではあるまいかと考えてしまう。ひとりで一つのブログで、カテゴリー別けを持たせるように、ブログは設計されていると想像するのであるが、会員管理の盲点を潜り抜けて一人で3つ、まるで隠し帳簿で会計管理をし脱税をしているのと同じではないのかね。わたしが始めた2月24日以降でgooブログの会員増加数は毎日1000オーダーとなっているのに驚いて、そのうちシステムがパンクすると恐怖したのであるが、4月に現実になってしまった。25日に機器の増強とシステム改造があるようだが、このままの会員管理を続けると、また再びのレスポンス低下障害を起こしgooブログの信頼が損なわれることが懸念される。
 
わたしが非常識と見た、3つものブログを長文で平気で公開しているブログ作者の素性は?
  1. コメントの応答文末尾に"合掌"などと抹香くさい単語を記述しているので、僧侶である。
  2. ブログの一つは、海外観光旅行の感想文である。そうとうに裕福なお寺を持ち、あがりが沢山ある。
  3. 地方自治や国政の批評が長文でつづられているが、読む気にはなれない。福島県とある。
呼び込まれたブログのネタは法話とのことである。玄奘の「大唐西域記」を素人向けにブログ記事にしたものらしい。
マリリン・モンローまで登場させる下らなさが目についた。檀家なら、下らぬ法話でも30分程度なら法事で故人の追悼の気持ちとか、自分が埋葬されることもあろうから、我慢して聞くのだろが、わたしは、その場から立ち去る。

わたしが投稿した神田喜一郎:敦煌學五十年にトラックバックがあったのだからと、補足の意味でわたしの中国史なり仏教の考えをコメントで返した。わたしのコメントで7~8人目にもなろうか、稚拙な作文を褒め称えるのが習慣(ネチケット?)のようであるが、単刀直入に裕福な坊さんで結構ですね、玄奘はいいから梁の武帝を書いたらなどとコメントをいれた。即刻、「正法眼蔵」は12巻本を読むといいなどと応答が書いてあった。昔の岩波文庫は、3分冊だったけど、わたしが読んだのは現行の4分冊のだから12巻本は入ってんのよ。これでブログ破戒僧の年齢が想定できる。

 お金持ちの坊主というだけでも嫌悪感があるので、わたしが面白く読んだ『 臨済録 』の貧乏坊主を、ブログ記事にして爽快な気分になろうとしていたら、また(2005-04-23)トラックバックが入った。これではSpam としか言いようがない。ブログで辻説法のつもりか、いたるところにトラックバックをしていてコメントを書き込ませている。わたしも儀礼的にコメントで応答したのだが。これで僧侶仲間には、「拙僧のホームページにはこんなにアクセスがあって読んでもらっているんだ。」と吹聴するのであろう。聞いた僧侶仲間は内容が優れていると大きな間違いをする、それでブログ破戒僧の教団での地位が昇進したら、世の中不幸だわな。名優に登場してもらいましょう。

つまらん! おまえの話はつまらん。」

大滝秀治さんに、ゲストで出演してもらいました。

宗教観

「三宝(仏・法・僧)を敬え」と聖徳太子は言った。このとき国家は仏教を容認し、利用した。
人間の弱さを熟知した親鸞教団以外は、肉食妻帯を禁ずるという戒律がある。これを明治政府は仏教を体制に組み入れるために妻帯を公認した。以降仏教は国家に文句は言えなくなった。仏教の政教分離というか、バーター取引だね。
寺院は私有財産として資本主義下で世襲相続されることが当たり前になってしまったのである。
お布施や檀家料と云う無税の収入を得て、檀家の寄付で立派な家屋に居住し、戒名料で高級車を乗り回し、法事や盆・彼岸の読教料で海外へ観光旅行をし、ブログで"精神脱腸"と言っても過言でもない、低レベルの知識をひけらかす。一般庶民の生活が窮していても、坊主は、優雅で奢侈な、生活を楽しむ。
三宝の最後の一個が問題なんだね、腐ってんのよ。だから、ブログ破戒僧の批判するおかしな宗教・宗派が発生するんじゃないかね。まずは貴僧の身を処すことから始めないと、人に説教をたれても説教にならぬ、話芸で身を立てるなら話は別だから、そのときは僧籍を離れなさいよ。

 由緒のある大企業でも資本主義下では後継者が育たなければ消滅する。勿論、由緒のある寺院でも資本主義下では後継がなければ廃寺となる。江戸期まではこのとおりだった。明治政府と仏教のバーター取引は、大師号の乱発や、妻帯という戒律破り、所得の非課税にまで及んで、寺院を腐敗し世襲させている。
「正法眼蔵」で伝授される"法衣"というのは、生物学の遺伝子とは明らかに違う。カトリックだってイスラームだって、ブログ破戒僧の好きなチベット仏教だって、小乗とよばれている東南アジアの仏教だって、生物学の遺伝子(世襲)で後継者は決めていない。世襲できめたらジョンイルの国と同じじゃねえか。

 社会的地位が安定すればするほど、偉そうに低レベルの知識をひけらかす。裕福だから営業経費で高価な書籍も購えるだろうが、それにしては読解レベルが浅すぎて、貧乏人が食事を減らし肌身に感じて読んだ深さとで、差異があると思えて仕方がない。地位に安住し低レベルの知識理解度をひけらかして、無知な庶民を騙すか、飼いならして、銭をまきあげる。
教団に所属するのが宗教ではない。ひとりひとりが誠実に生きる。その指標の一つが宗教ではないのかと想う。

 『 臨済録 』の再読は予定していないが、こんな意見(宗教観)を持つ修行僧が切磋琢磨しているのが臨済録の話であると、わたしは読んだ。ブログ破戒僧の嫌いな、チャイナ仏教の代表的「語録」である。
わたしは音楽の紹介でジャズをネタにしているが、臨済録はジャズ小説として読んでみると楽しいかもしれない。タイトルが宗教チックであるのが難点であるが、通俗な宗教本とはまるでちがう。本好きはぜひ、ご一読を。
Spam は"しかと"するのがベターらしい。よって本文は、ブログ破戒僧の記事へはトラックバックはしません。
合掌などとは書かぬわ塩を撒いてから

臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前

2005/04/25 ものずき烏

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2 コメント

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経営者が坊さんになることの意味 (読書ジャンキー)
2005-04-28 00:22:02
こんばんわ。さっそく読ませてもらいました。

まあ、私の場合も、トラックバックしまくったり、仕事にブログを活用しようと考えている不届き者なので、あまり、この坊さんと変わらないかも(笑)



話は少々変わりますが、まだ新米の編集者になりたての頃、ある坊さんの編集担当を任されたことがありました。

この坊さんは、有名な大企業の副社長まで務めたことのある人で、出家して坊さんになり、托鉢の日々を送っているということで、注目され、本や講演の依頼が殺到。

で、私のいた会社でも、さっそく書いてもらえということで、私が担当になったのですが、これが出家などとは名ばかりの、とんでもない俗物人で、いまだ会社に顧問の肩書で個室はあるわ、人を肩書で差別して態度を使いわける、印税をもっと寄越せ、車の送迎にはハイヤー、ホテルでの打ち合わせに食事は当然。万事がこの調子。人物の裏表が実に激しい。

ところが、こんな人でも、表向きは物腰が低くて、愛想がいいものですから、講演をすれば大勢の人が集まり、本も売れるわけです。別に立派なことを述べたものではなく、よくある自己啓発本ですよ。

で、私はその坊さんの印税生活をより裕福にするために、結果的に加担しているわけです。

まだ、社会人になりたての頃だったので、少なからぬ矛盾を感じたものでした。
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処世術というもの (ものずき烏)
2005-04-28 00:42:38
ビジネスで入るトラックバックは覗いてみて画像をクリックすると、それらしきとこへ飛んでいくから判るんです。

ブログ破戒僧の場合はそれがなくてながーい文章を読ませようというのが、時間を奪われそうで腹立ちました。

読書ジャンキーさんは処世術を身に付けたようでようございました。

わたしは未だに、身に付いていませんです。
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