ものずき烏の無味乾燥?文

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神田喜一郎:敦煌學五十年

2005-02-27 | 書籍 の 紹介
神田喜一郎『敦煌學五十年』1960年5月31日 發行 定價580圓 二玄社

とてもとても味わいのある書籍である。旧仮名遣い旧字体で印刷してある。
表題の敦煌学50年とは、敦煌の石窟で古文書が発見されてから50年ということである。
今年は2005年だから45年も前の出版である。
昔のひとはこんな字画の多い漢字を日常平気で遣っていたかと思うと尊敬してしまう。
著者は東洋学者なのだろうが、旧仮名遣いの文体を読んでいると鴎外の初版本に接しているような読書感がある。
読みきれるのか?と問われれば6~7割程度は理解できる。
難しい漢字が読めるのか?と聞かれれば、読める。
なんでそんな難しい漢字が読めるのかと?言われたら、中国の暦法をしらべるのに史書の律暦志をむりやり読んだからと答える。
そんな漢字が書けるのか?と問われたら...書けません。簡略化した常用漢字も危うい。
こんな味わいのある本持ってないだろうというコレクターの自慢なのかもしれない。
それにしてはあまり高価ではなかったと記憶している。(2000円前後?)
なんでそんな本買ったのかと聴かれたら、きっかけがあったからと言っておこう。
(このブログを遡っていただければ敦煌という地名がでてくる筈である)

多少内容に触れておこう。
中国から西域への出口。西域から中国への入り口が敦煌である。
実際は玉門関と陽関が古代中国の長城の関所であったらしい。
その中国側の最初の都市が敦煌である。
印度で起こった仏教は東伝し各所に遺跡となって残った。
敦煌には鳴沙山の麓に石窟寺院が築かれ莫高窟の千佛洞として残った。
20世紀の初頭、その洞内から多量の古文書が発見された。
易姓革命といって何度となく支配王朝が交代した中国であるから、中原と呼ばれる中国の中心部では古文書は散逸しているのであるが、敦煌から発見された古文書は歴史の貴重な原資料として中国はもとより、日本、英国、仏国、米国で研究が始まった。
この研究を敦煌学と呼ぶのである。
その敦煌学の黎明から50年を要約したのがこの本の3分の2。
残りは学者さんの交友エピソードとなっている。

この本は旧仮名遣い旧字体で、コレクターには持っているだけで嬉しいのであるが。
この二玄社版の他に、筑摩叢書(169)版を古書でみたことがある。文庫でもあるのかも知れない。
知識を重視する読書人には新仮名遣い新字体の新版が読みやすい筈ですが、
ちょっとだけですが旧仮名遣い旧字体を載せておきます。



2005/02/27 ものずき烏

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