つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信2055号 子どもたちから そして子どもたちへ(研究所風の便り2023年2月号を転載)

2023年05月06日 | 抱っこ通信
 今日(6日)は朝から病院で、月一の診察と処方箋をもらってきました。連休中だったのでまだ休みかと思っていましたが、今朝、薬が切れたこともあって、電話で開いていることを確認して行ってきました。いつもより混んでいたようです。

 来週(10日)の福島県人会懇親会では、久しぶりに『元気行こう ソヤソヤ』を歌おうと譜面づくりをしました。子どもたちがバチを持って踊れるようにと和風な曲調にしてありますた。県人会では手拍子と合いの手を入れてもらいながら賑やかに歌おうと思っています。みなさんそれぞれが、いろいろな事情を抱えながら故郷を旅立ってきて、今は東久留米にお住まいなっているのでしょうが、この間、元気で、笑顔で、生きて、幸せになろうと精いっぱいに頑張ってきたことには間違えないですからね。
 改めて歌詞を書きだしたら、1番から4番まで、最初の8小節だけの歌詞が変わっているだけであとは同じで、繰り返しでした。なんだか可笑しかったというか、あきれてしまったというか・・・。ま、今もそうですが、私の歌はそういう繰り返しが多い歌です。 

『元気で行こう ソヤソヤ』の歌詞です。
1.♬春夏秋冬 季節はめぐる ぼくらもきっと 春がめぐる
    *元気で行こう 笑顔で行こう 生きてゆこう 幸せになろう
     そやねん(ソヤソヤ) そやねん(ソヤソヤ)
     そうや そうや ソヤソヤソヤソヤ♬
2.空があければ 海がそまる ぼくらもきっと 夢がそまる
3.今日があるから 明日がくるさ ぼくらもきっと 未来がくるさ
4.喜び悲しみ 出会いと別れ ぼくらもきっと 人生(とき)を重ねる



つながりあそび・うた研究所風の便り2023年2月号
子どもたちから そして子どもたちへ

 2月24日、ロシアによるウクライナ侵略戦争がはじまって1年を迎えます。ウクライナはより攻撃力が大きい戦車を求め、欧米の国々はその求めに応じるようです。さらにより攻撃的な戦闘機も、という話も伝わります。戦争は拡大の一方です。いつ終わるのでしょうか。なにごとも、はじめることより終えることの方が難しいのですね。
 そして、自公政権はウクライナでの戦争や中国の動きを好材料に、憲法九条を踏み躙り、専守防衛から敵基地攻撃能力を有するなど、この国の安全保障政策を根本から変えることを国民の声を聞くことなく閣議で決定してしまいました。ここ3年間は国政選挙がないという状況からでしょうか。「相手国より強い軍事力を持てば戦争(侵略)は抑止できる」という考え方では軍拡競争を招き、より緊張を高め、戦争へのリスクを高めます。対話することで、協力関係を築くことでこそ平和をつくることが出来るのです。それが憲法九条なのです。

 と、この一年間は、風の便りで同じようなことを書き続けていたと思いますが、コロナウイルスの行方も気になりますが、少しずつつながりあそび・うたが楽しめる環境も戻ってきているようにも感じられます。先日、地元での保育者の集まりでは、保育現場でのマスク生活の悲喜こもごも聞けて、泣き笑ってしまったのですが、すぐにはマスク無しの生活は考えられないという保育者の話に現実の厳しさを感じざるを得ませんでした。それでも、子どもたちと楽しい生活をつくりだしたいと奮闘する姿に感銘を受けました。

 保育応援団の自分として、今、出来ることを考えた時に、やはり、子どもたちと楽しめるつながりあそび・うたの創作をもっとしなければと思いました。おかしな話、おかしな話ではないか、「戦争反対!」と声を出し歌える集会ソングをいくつか創作して歌ってきましたが、このコロナ禍の中でのつながりあそび・うたの創作は数えるしかありません。言い訳になってしまいますが、子どもたちの中にいなかったのですね、子どもたちと遊んでいなかったのです。嬉しいことに、今月から少しずつ現場から遊びに来てほしという声もかかっているし、サマー・カレッジもリスタートする会場もあるし、もう少しつながりあそび・うたをつくったり楽しんだりしてみようかなと思っています。


夢わかばコンサート~あの日を忘れない~
 今年の夢わかばコンサートを3月11日に開きます。夢わかばコンサートは、東日本大震災を私たち一人ひとりが忘れないために開いてきました。今回で13回目です。今年は、ウクライナ戦争などで危機をあおって戦争する国へと前のめりする自公政権。専守防衛から敵基地先制攻撃へと安全保障政策を転換、倍増する軍事費には社会保障費の削減などに加えて復興特別所得税の一部をまわし、期限も延長するのです。こういう情勢に不安を覚えながらも、戦争反対! 子どもの未来を守れ!暮らしに安心を!となかなか声を上げずらい状況の人々に寄り添うコンサートをできれば考えています。なにせ、まずは、歌うこと、集うことは楽しい!がみんなでつくります。

 ゲストには、今、私がいちばんに聞きたいシンガーソングライターの大熊啓さんをお迎えしています。大熊啓のいるところにうたごえあり。人間としての戦いがあるところに大熊啓ありと言われ、今、いのち・平和・人権を輝かせる大熊啓のうたごえが各地で求められています。コロナ禍でもオンラインでライブを続け、地元狛江でのささやかにうたう会のみならず各地でのうたう会や平和集会などで司会・うたごえで活躍中です。コンサートを開いてくれるのを待つのではなく、自分からいろいろ仕掛けてみんなで歌う場をつくっているところが彼の素敵な所でもあるし嬉しいのです。元東京のうたごえ協議会事務局長・狛江ぞうれっしゃ合唱団指揮者です。
 たくさんのみなさんにコンサートに参加していただきたいと思います。コロナ禍でのコンサートですので参加人数を限定しています。そのための整理券もあります。電話。メール、メッセージをお待ちしています。多くの仲間に宣伝してください。チラシあります。お願いします。

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抱っこ通信2054号 子どもってわかりやすい存在?(研究所風の便り2023年3月号を転載)

2023年05月05日 | 抱っこ通信
  今日(5日)は、開店直後の某スーパー内の書店に絵本を探しに行ってきました。店頭には、その絵本シリーズの1巻目はありましたが、新刊の4巻目は見当たらず残念でした。この連休中にこの絵本の歌読みの曲づくりを考えていたのです。
 曲づくりと言えば草加市の某保育園20周年記念曲をプレゼントしようと考えていたので、これまた、この連休中にと考えていたのですが手つかず。あと2日間でできるかな。
 春の連休と言えば、全レクの春のレクリエーション学校。75年から99年まで毎年のように参加していました。多くの人たちの出会いが私を育ててくれました。いつか春レクを、人との出会いを思い出しつつ書こうかな。


つながりあそび・うた研究所風の便り2023年3月号を転載)
   子どもってわかりやすい存在?
 もう3月だ。と言っても年間を通しての仕事や活動、ましてや月ごと、週ごとの定期的な仕事や活動、さらに言えば、朝、顔洗うように仕事があるわけでもない私が、「もう3月だ」と言うのもおかしなものです。この国で生きているからか年度にはなにか囚われてしまっているようです。

 週一に戦争反対!と声を上げることは、昨年の3月から1年間続けてきました。毎月のように風の便りの中でも書いてきました。ウクライナへのロシア侵略後、東久留米駅西口で10人前後の市民のみなさんの仲間に入れていただいて、その時々に抗議の声を上げ続けてきました。私の役割は、と勝手に思っているだけですが、音楽係として仲間たちのスピーチ間にBGMを流したり、スピーチにリンクするように歌っているだけです。約60分間の活動の中では数曲は歌っています。この活動の中から、昨年度は『戦争反対~ちいさいひとみが~』『どこまで飛んでも~ストップ!戦争~』『誰もが持っている~平和のねがい~』などが生まれました。新曲2曲をレコーディングして、CDもつくっちゃいました。但し、マイパソコンで、ですが。

 もう一つ、これは3年目に入っていますが、月一に『日本政府に核兵器禁止条約に署名と批准を求める署名』活動を行っています。歌っていない時はちゃんと署名用紙を持って署名をお願いしています。


 人間、誰もが死にたいとは思っていないし、他人を殺したいとは思っていません。これは、人間として、命として、基本というか、普通のことというか、当たり前のことというか、まっとうなことというか。ですから、戦争反対!と声に出すことは、人間らしく生きたい、人間らしく生きさせろということなのです。なかなか世間では声を出すことが難しくなっているようで気になりますが、そういうことを声に出すこと、表現することは決して人間として恥じることではないですね。そんなに力をこめなくてもいいですが・・・。ただ、それだけの活動です。
 オーバーな言い方かもしれませんが、人類のその活動の到達点というか、人類が創造してきたものとして、一つは国連憲章であり、一つは日本国憲法であり、人間のさまざまな営み、文化があるのではないかと考えます。そして、これからもまだまだ変わるというか、進歩、発展していくのだろうと思いますが。


 今、全国の保育の仲間や保護者に広がっている「もう一人の保育士を」の声も、子どもが子どもらしく保育生活を送るための当然のまっとうな声であり、子どもたちには最善のものをと願う保育士としての当然のまっとうな声なのです。
 もちろん、なにが当然で、まっとうであるのか、そうでないのかはだれかが決めるのではなく、個々の毎日の生活の中から、自らが考え、仲間たちとの話し合いというか、暮らし合いの中から見つけ、育てていくものだと思います。私にとっては子どもたちがいつもその答えをもたらしてくれるのです。ちゃんと表現してくれているのです。よく見てください、子どもってわかりやすい存在と思いませんか。素直だし、単純だし・・・。え、そんなに簡単な話ではない? 得体のしれない難しい存在ですか? 
 子どもたちをそういう難しい存在にしてしまっているのが、どうも大人、社会、保育、保育、子育て、諸々なのではないかと考えてしまいます。


 さて、その子どもたちの答えを見つけるというか、答えを見つける方向を見つける一つの機会と場が、今年度のサマー・カレッジなのです。そういう機会と場になれば嬉しいです。
 きっと子どもだけでなく大人も、自らが楽しいと思える時は、自分の存在さえ忘れくらい自由で体も心も動き回っている時ではないかなと思います。自由なんてことさえ忘れていたりしてね。
 自分は自分だと。もちろん、ある面では仲間を、集団を、自分を映し出す鏡としてですが。みんなが、一人ひとりが、楽しんでなければ、決して自らも楽しめないのが人間という存在だと考えています。もちろん、その楽しさは一つではないのですし、一人ひとり違ってもいいのです。
 サマー・カレッジで、ある時は子どもになって、ある時は保育士になって、ある時は大人になって遊んでみませんか。「あ~あ楽しかった」だけでいいのですね。

 今、分かっているだけでも開催地のよって内容も少しずつ違ってきています。それがいいのですね、楽しいのですね。実行委員の仲間たち自らが話し合い、選択し、決定し、準備をしているのが素敵です。やはりこのコロナ禍の3年間は無駄ではではなかったのですね。嬉しい年度末です。




   たんぽぽによせて
 先月に書きましたが、第13回目の夢わかばコンサートを3月11日に開きます。その中で歌う予定の1曲『たんぽぽによせて』の歌詞を紹介します。日頃、歌わないというか、歌う機会が少ないので、知っている仲間が少ないと思いますが、結構、自分では気に入っています。夢わかばコンサート、お持ちしています。


   たんぽぽによせて 
         作詞・作曲 二本松はじめ

1.頬を叩く風さんが 遠くの山へ帰ったよ
  髪をくすぐる風さんが ほんわか春を連れてきた
  新しい葉を少し広げて たんぽぽたちが立ち上がったよ
  土に深く抱っこされて 夢見ていたんだね
  踏まれても 摘み取られても 何度でも 葉を伸ばします
  いのちの花を咲かすため その日のために

2.たくさん花びらが集まって 小さいいのちが集まって
  一つのたんぽぽという花の 笑顔をつくってるんだね
  一つひとつの花びらが かけがえのないいのちだから
  競争でなく協力が たんぽぽには嬉しいんだね
  踏まれても 摘み取られても 何度でも 葉を伸ばします
  いのちの花を咲かすため その日のために

3.綿毛になってその時に 笑顔を広げに旅に出ます
  山の向こう町のこちら 春の光届けます
  生まれも育ちも違っていても いのちを歌うこと同じだね
  人間だって同じだね いのちを歌ってるんだね 
  踏まれても 摘み取られても 何度でも 葉を伸ばします
  いのちの花を咲かすため その日のために

4.ルンルンルンルンルルルルルル・・・
 新しい葉を少し広げて たんぽぽたちが立ち上がったよ
 土に深く抱っこされて 夢見ていたんだね
 踏まれても 摘み取られても 何度でも 葉を伸ばします
 いのちの花を咲かすため その日のために



踏まれても 摘み取られても 何度でも 葉を伸ばします
いのちの花を咲かすため その日のために
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抱っこ通信2053号 ゆっくりいこう!(研究所風の便り2023年4月号)

2023年05月04日 | 抱っこ通信
今日はのんびりと来週の福島県人会総会で何を歌うかを考えています。この時間が楽しいのです。三人参加する全レク一座の仲間は、ニューアルバムの中から『落合川』を歌います。私たちは東日本大震災で、郡山に避難していた富岡町の保育の仲間の話を聞いてもらいながら『ねがい桜』を歌う予定です。今年も夜ノ森桜は見られなかったですが・・・。時間があればもう1曲『海・・・ふるさと』。故郷を出ていく仲間も故郷に残る仲間も元気で達者でいようという演歌です。もう1曲は手拍子賑やかに『元気で行こうソヤソヤ!』を歌いたいです。みんなで歌う歌は福島出身の作曲家と言えば古関裕而、『高原列車は行く』『長崎の鐘』などはどうでしょうか。『ふるさと』と手遊びで『四季の歌』は歌いたいです。ところで時間はどのくらいいただけるんでしたっけ。確認しなければね。

研究所風の便り2023年4月号原稿
      ゆっくりいこう

 最近、週一の戦争反対!活動の他につながりあそびの活動もほどほど増えてきて、なにか良い感じです。自分ごとですが、体調などを考えれば、月に2~3回つながりの活動があれば十分なのかな、などと思ったりしています。せっかく地元でのつながりあそびを基調とした活動もみえてきたので、その芽も摘みたくないしね。ま、そういうお年頃になったということでしょうか。地元には、職場や地域の最前線で奮闘してきた、素敵な先輩がたくさんいます。ありがたいです。人生の学びになっています。


 さて、以前、この風の便りでつながりあそびの耕しと、種蒔きについて書きましたが、先月、遊びに行った豊岡市但東町で、つながりあそびの根づき? ま、30年ちょっとでは根が付くとは言えないかもしれませんが、そんなことを考えさせられました。

 3月25日に、豊岡市立高橋小学校閉校式と高橋こども園閉園式に続いての、PTA主催の記念行事「ありがとうコンサート」に出演してきました。高橋地区のある但東町とは、1989年の但東健康と医療を守る会の健康リーダー養成講座の依頼からのお付き合いです。これは全レク(全日本レクリエーション・リーダー会議)の活動でした。約10年後からは、但東町3地区にある各保育園、幼稚園、小学校まわりや子育て講座、親子遊び等々の但東レクカレッジとして継続、さらに、つながり仲間の「はっぴーふれんず☆たんとう」が主催する研修会等で、2016年の人権教育推進協議会但東支部と但東子育て応援団共催の親子つながりあそびまで、何年も、何回も但東町には通いました。コロナ前のつながりあそび最後としては、2017年のまっちゃんの親子つながりあそびでした。その間には、ゆずりんコンサートや、まっちゃんの親子つながりあそび、そして、つながりあそび研修会などが開かれていました。行政にも助けられましたが,つながりあそび仲間や地域のみなさんのお力がなければ続けられなかったです。


 今回の「ありがとうコンサート」出演は、2004年に子育て中のママさんたちとのおしゃべりから生まれた『あなたと生きるまち~ふるさと但東~』が保育所・幼稚園・小学校のみならず、各地の振興対策協議会の行事などで歌われ続け、多くの町民に親しまれているという理由から出演がすんなりと決まったそうです。嫁ぐ娘に『あなたと生きるまち~ふるさと但東~』のCDを持たせたという話もあるくらいですからね。
 町の健康リーダー養成からの出発でしたが、私のできること「遊んだり、歌ったり、また、遊んだり」をしていただけですが、但東という地域に、但東に住む人たちになにが残っているのでしょうか。それ以上に、但東を故郷とする人たち自らが、つながりあそびを楽しむ中でどんな花を咲かしているのでしょうか。そんなことも考えさせられました。


 25日の夜に「はっぴーふれんず☆たんとう」の仲間とその仲間(今回もお手伝いしてくれた『あなたと生きるまち~ふるさと但東~』が出来たときの子育て中のママさん)と食事会を開きました。その中の、但東町に根づいている仲間たちだからこそ、つながりの花を咲かしているのではないか、という話が出てきました。まちに根づくとはどういうことなんでしょうか。つながりの花とはどんな花なんでしょうか。

 仲間たちがそのまちに生まれ育ったからだけではないのですね。「せっかく地域でのつながりあそびを基調とした活動もみえてきたので、その芽も摘みたくないですしね。」ということにつながるような気がしています。住み、働く、息づく、暮らす。そのまちでつながりの花を咲かすためには地域に根づいていなければならないのです。また、地域に根づくためにも、つながり花を咲かすための土づくり、種蒔きをコツコツ続けていかなければならないのです。そんなに気張らなくても呼吸をするようにで、良いのでしょうが。やはり「遊んだり、うたったり、また、遊んだり」が良いのですね。
 「婆さんと熊さんが競争するまち」、それが但東町です。自宅の庭の柿の実を、熊に食べられる前におばあさんちゃんたちが収穫するそうです。年によっては熊さんのほうが早いこともあるそうです。その話を聞いて笑っちゃいましたが、そんなまちを出ていく人もやっぱりいます。出ていきたくても出ていけない人もいます。もちろん、積極的にまちに残る人もいます。それぞれがそれぞれの花を咲かすために、ただひたすらに生きているのです。土を耕し、種をまき続けているのです。一生懸命といえば一生懸命で、それがどうということもない日常といえば日常なんです。そんなごくごく普通の当たり前のことが分かったような気がしています。わかったような・・・。
まちに根づくための応援としてつながりあそび、職場に根づくためのつながりあそび。うーん、難しいし、少しは続けさせてもらってきたかな。わかないけど、いまは、ゆっくりいきましょう。

   ゆっくりいこう
         作詞・作曲 二本松はじめ

ゆっくりいこう 歩いていこう
一緒にいこう その日まで
 向かい風にあおられて ふらつくこともあるけれど
 たまには空をみあげて 深呼吸

ゆっくりいこう 歩いていこう 
一緒にいこう その日まで
 真っ暗闇につかまって 立ち止まることもあるけれど
 どこかで鳴いてる虫たちが 背中押すよ

ゆっくりいこう 歩いていこう 
一緒にいこう その日まで
 時間(とき)の速さにつまづいて 寄り道することあるけれど
 のどを潤し靴ひも 締めなおそう

ラララララララ ラララララララ
ラララララララ ララララララ
 人と人にぶつかって むしゃくしゃすることあるけれど
 たまには下手なうた歌え 自分の道(人生)を

ゆっくりいこう 歩いていこう
一緒にいこう その日までその日まで その日まで



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抱っこ通信2052号 抱っこ通信再開

2023年05月03日 | 抱っこ通信
 なかなか抱っこ通信をアップできませんでした。書くことがあまり好きではない、得意ではないということが一番の理由です。それでも、「最近、アップされないね」、「楽しみにしているのに」、「フェイスブックやっていないし」「げんきでいるの?」などなどの声が届いて、書かねば、と思っているのですがなかなか・・・。「ねばならなく」なっちゃう、と苦しくなってしまうので今まで通り長期お休み、短期お休み、ひと休みありで再開しますね。
前号(2051号)がつながりあそび・うた研究所の月一の連絡帳ならぬ通信「風の便り2023年1月号」の私の原稿を掲載したので、続きということで、風の便りの原稿の5、4,3,2月号を連休中転載します。

 研究所風の便りは、コロナ禍でつながりあそび・うたがなかなか実践できなくなってしまった仲間たちの「何もできなくて困っていること」なども含めた交流の場づくりとして始ようと考えました。実際は実現できていません。もう一つは、ゆずりんとまっちゃんからの活動やメッセージも加えながらつながり仲間たちへ「ひとりじゃない」と励まし合いたいと考え2020年6月から続けています。
最近、少しずつサマー・カレッジをはじめ、現場でのつながりあそび・うたの実践が見えてきていますが、これからも、かつての研究所機関紙『手と手と手と』のように続けていけたらと考えていますが・・・。


つながりあそび・うた研究所風の便り5月号
       自分の心を言葉にしよう!

 4年に1回の統一地方選挙が終わりました。前回より0.61%下がった44.09%の投票率だった東久留米市議会議員選挙。誰でもが住みよい町に住みたいと願っているはずですから、市民は心のどこかで投票という権利を行使したいと思っているはずです。でも、なかなかその行使までは至らなかったのはどうしてなのかなと考えてしまいます。自分の住む町の未来図を描く一番身近な議員選挙だったはずなのにね。みなさんのお住いのまちではいかがでしたか。
 社会全体に生きづらさが増していく中で選挙どころではなかったのが現実だったのでしょうか。もし、物理的、空間的に見える問題で投票率を向上させることができるのなら改善させたいですね。例えば、期日前投票が増えているのですが、投票所が市役所だけですので、もう少し増えればさらに投票率が上がるのではないかなんて考えますが・・・。

 ロシアによるウクライナ侵略が始まってから、週一に駅前で「戦争反対!」と歌い続けて1年以上経過していますが、駅改札口から階段降りてくるほとんどの人たちが、疲れきっているようで、無表情に私たちの前を通り過ぎていく感じがします。でも、誰でも心の中では「戦争反対!」と思っているはずだし、人間らしい暮らしに「変わりたい」「変えたい」と思っているはずですし、それぞれの描く「幸せ」な生活を願っていることを信じたいですね。きっと、人がこの地球上に誕生してからずっと願ってきたのですからね。その信頼があるからこそ歌い続けられてきているのです。ちょっとオーバーですが。

 先月、4年ぶりの奈良レクリエーション学校を楽しみました。その中で絵本『オレ、カエルやめるや』をみやちゃんと一緒に歌読みしました。2018年7月28日に大阪のつながり仲間たちが開いてくれた小さな研修会『絵本の中に飛び込んじゃえ』が初演でした。大阪の仲間たちでしたから反応がおもしろかったというか、笑いが嬉しかったです。それ以来、各地のサマカレをはじめ、何回も歌読みしました、数え切れません。初演で「受けた」と勝手に思い込んでいるだけかも知れないですが、いい気なもんです。ま、歌も絵本とピッタリで楽しかったんだと思います、自分で言うのですから間違いありません、はい。

 最初の頃は取り上げた絵本が何を伝えようとするのかとか、どんな意味をもつのかとか考えながら歌読みしていたような気がしていますが、最近では、ただおもしろがっているだけです。その中で気がついたことがあるのです。というか引っかかったところがありました。絵本の中で子どもカエルが「オレ、カエルやなんだよ」と言いつつ「○○になりたい」と言うところです。もちろん、お父さんカエルは「できないよ」とそれを否定するのですが。この繰り返しが絵本の中身です。この子どもカエルが「○○になりたい」と自分の思いをすぐに口に出すことが子どもらしいし、お父さんカエルに否定されても、すぐに違うなりたいものを口に出せるのがすごいというか、子どもらしいというか、無邪気というか、いい加減というか、無責任というか、どうでもいいというか・・・。そんなところにうなずいたり、感心したりしているのです。引っかかっているのです。

 昨年、『どこまで飛んでも~ストップ!戦争~』を創作して駅前で歌っていますが、この中で♬どこまで涙こらえたどろう どれだけ言葉のんだだろう どれだけ愛がさかれただろう いつまで夜がつづくだろう🎵とウクライナの子どもたちの声にならない声を歌っていますが、これは、戦争は子ども、だけでなく人の感情を、言葉を、心さえも圧し潰し、奪っているという私の、子どもたちの怒りでもあるし告発なんです。
ところが、戦争中でもないのに、この国の子どもたちは、この国の人たちは自分の思いや願い、心を言葉にすることを忘れているというか、躊躇いがあるような気がしています。言葉にすることをできなくされてきているのでしょうか、言葉にすることを奪われてきたのでしょうか。子どもカエルのように好き言ったらいいのに。お父さんカエルのように子どもに忖度なしに言ったらいいのにと思うのですが・・・。

 ♬おいらカエルやめる おいらカエルやめる おいらカエルやめるや
 おいらカエルやめる おいらカエルやめる おいらカエルやめるや♬

5月21日に全レク一座コンサートがあります。
 全レク一座の仲間たちが、今の自分の心を言葉にしたオリジナル曲がCD『大好きだよ』になりました。その発売記念です。多くの仲間たちに参加してほしいです。

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