先週(9月18日)、東久留米市市民大学中期コース『学びを通して夢と希望のもてるまちづくりを』で、講義・交流「ふれあいからつながりあいへ」をテーマに、50人の市民のみなさんとおしゃべりと歌ったり、遊んだりしました。
15回の講座の中で、少しでも参加者同士の交流が盛んになり、なごやかな雰囲気で学習が進められたという企画・運営側のねらいから講師を依頼されたのです。たまたま私が教育委員会社会教育課で、いろいろやっていたことを知っている市民大学の運営委員さんがいたのです。
まずは、みんなで『おはよう!』の挨拶歌とその合間での自己紹介、東久留米年齢(市内に住んでいる年数)紹介をテーブルごとの4人の間でしてもらってから、最初におしゃべりをしたのが、なぜ、私が東日本大震災復興支援夢わかばプロジェクトで毎年、岩手に行くようになったのか、でした。
もし、市民大学で学んでまちづくりに興味が持てたら、まずは自分から、一歩でも半歩でも一市民として町に踏み出すことが大事です。人とつながっていくこと大事です。今回は、そのための交流です。そんな思いで被災に出かけている話をしました。
2011年、地震があったあの年の6月、岩手県保育連絡会や全国保育団体連絡会の仲間から、大槌町の保育園の先生がピカリンに会いたがっているという連絡入りました。
岩手県保育連絡会の仲間が、大槌町の安渡保育所(保育所は被災したため、小学校の空き教室で保育をしていた)などに物資などを持って行った折に、ある先生さんが「合研の方ですよね?私『ぴかりん』にどうしても会いたいんです。こんなところにもピカリンは来てくれるでしょうか。子どもたちのためにも是非と頼まれました。」(岩手県保育連絡会NEWS23号より)。
その話を聞いて、正直、6月から8月いっぱいまでは、全国の保育士・教師の仲間たちとサマー・カレッジという実技研修会を毎週末開いていることもあり、火・水・木曜日しか自由になる時間がなかったのです。また、9月13日から20日は岩手に入る予定になっていたので、少し考えてしまいました。
でも、何らかの支援をしなければ、したいと思っていたところでもあり、相手が「会いたい」という時に会わないでどうするのだと思い、7月20日に大槌町のある安渡保育所、吉里吉里保育園、おおつち保育園に遊びに行ってきました。車で行きますから片道1日かかりますが。
そこで出会ったのが岩手県保育連絡会副会長の渡辺さんでした。渡辺さんの被災の話や支援の話の中に、毎年の岩手行きを決めるものがあったのです。
その話というのが、内陸部の保育園の先生たちが、毎週末、沿岸部の被災した保育園の先生たちの話を聞きに行っているということだけなのですが・・・。
被災当時は、内陸部の先生たちは園内の片づけなど肉体労働が主だったのですが、少しずつ片付けが進む中で、沿岸部に出かけては、ただ話を聞くという活動を続けたそうです。もちろん、沿岸部の先生たちがすぐに話しはじめたわけではありません。話し始めるにも時間が必要だったし、毎回毎回というわけではなかったようです。
また、震災の話だったり、保育の話だったり、暮らしの話だったりと特別な話をするのではなく、また、それを聞き出すのではなく、沿岸部の先生たちが話しはじめるのを待って待って、やっとなにげないつぶやきだったり、世間話だったり、愚痴だったり・・・。そういう話をする、聞くという関係ができるまで多くの時間を必要としたのです。
同じ保育仲間だったということもありますし、岩手県保育連絡会の活動(保育のつどいや前年の全国合研岩手大会など)で顔見知りかもしれません。しかし、それ以上に、沿岸部の先生にとっては、毎週、足を運んでくれることによって、もしかしたら、自分の側にいてくれる人、一人の人間として手を差し伸べてくる人、自分を受け容れてくれる人、同じ時間を共に生きる人などを感じられたのかもしれませんね。ひとりじゃないを実感できたのですね。
支援というと何かを送る、何かをしてあげる、だけでなく、話を聞くだけでもいいのかと思ったのです。そういう聞く、話す関係をつくるということが大事なんです。同じ時間を生きる仲間として、人間として、です。
被災地に、被災者に寄り添うとはそういうこと。自分を受け容れてもらえる、相手を受け容れることができる。そのためには、思うだけでも良いのですが、一歩でも半歩でも相手の近くに出かける、踏み出すことが大事です。そんなことを渡辺さんの話の中から学びました。
私だったら保育園で子どもたちと遊ぶことはできるかな、それが何のためになるのかはわからないけれど、もししたら、自己満足かもしれないのですが、ともかく毎年岩手に出かけています。
さて、来月は6月に続いて今年2回目のの岩手入りです。
4日陸前高田市の横田保育園。今年度、新園舎になりました。そのお祝いも兼ねています。被災した年のプレハブ園舎時代、昨年の仮園舎時代に続いて3回目です。
午後は、宮城県三陸町の志津川保育所の初めて遊びに行きます。新園舎になっています。毎年、送っている夢わかばカレンダーのお礼が届く保育所です。
南三陸町のすべて保育園には、被災した年、『夢わかば』の紙芝居を、夢わかばプロジェクトに賛同してくれた山梨県の若い保育士さんたちが届けてくれました。
ちなみに、陸前高田市のすべての保育園には、同じく夢わかばプロジェクトに賛同してくれている栃木県高根沢町の「陽だまり保育園陸前高田を応援させていただき隊」の仲間たちが、被災した夏に紙芝居を届けてくれています。
7日は釜石市の鵜住居保育園(新園舎になって2回目)、かまいしこども園(保育園時代から3回目)。
8日は宮古市の田老保育所(2回目)と津軽石保育園(2回目。新園舎になって初めて)。
9~10日は盛岡市のうえだ保育園(初)、本宮保育園(7回目)、わかば保育園(8回目)、北松園風の子保育園(9回目)。ここ4園は同じ社会福祉法人わかば会が運営していて、岩手県保育連絡会の中核保育園です。正直なところ、これらの園からの謝礼で岩手ツーが続けられています。
11日は大槌町の吉里吉里保育園。2度目ですが被災した年には山の上の吉祥寺さんの集会所で保育をしていました。新園舎になっています。
午後は南三陸町の新園舎になった伊里前保育所で初めて遊びに行きます。
毎年、出かけていると、町の姿の変遷がわかります。それだけでなく、やっと沿岸部の保育士さんたちとも顔見知りになってきました。昨年の陸前高田では、何人かの先生が心の内も少し話してくれるようになってきました。やっと自分の家を建てられたとか、そこまでの過程というか、苦労というか、「なんで私なの」なんて愚痴ってもくれました。
渡辺さんが言っていました。「ピカリンさんとみやちゃんが毎年、岩手のどこかに来てくれていることが、私たちは忘れられていないということ、それが嬉しい、励みになっている」と。ま、私たちは子どもたちと先生たちと遊んでいるだけですが・・・。
さて、宣伝です。来年の東久留米での「東日本大震災復興支援夢わかばプロジェクトコンサート」は3月1日に、地元、東久留米に住むシンガーソングライターでもあり、元デュークエイセスのトップテナーでもあった大須賀ひできさんをゲストお迎えして開きます。今から3月1日を空けておいてください。その時も岩手ツアーの話をします。
「Hand & Heart」は岩手県保育連絡会の機関紙のタイトルです。2011年から手だけではなく心もつないでゆこうとタイトルを変えました。素敵なタイトルに2013年、曲をつくりました。