北海道は今、やっと「おたまじゃくし」が卵から孵化し泳ぎだしています。
そこで今日は「おたまじゃくし」について考えてみようと思います。
先ずは語源から探っていきましょう。
【御多賀杓子】(おたがじゃくし) イザナギ・イザナミを祭る滋賀県犬上町の多賀大社滋で、お守として出す柄の曲がった杓子 のことです。杓子のなかでも、滋賀県多賀大社がお守りとして出している杓子が、杓子を代表するもので「御多賀杓子」と呼ばれるようになります。
長寿と縁結び、厄除けの神様として古くから信仰を集める社。伊勢神宮の祭神、天照大神の親にあたる伊邪那岐命と伊邪那美命を祭る。お多賀杓子は、無病長寿のお守りとして親しまれています。養老年間(717-724)元正天皇が病の際にシデの木で作った杓子を神供の飯に添えて献上したところ、病がたちまち回復したという故事にちなみ、これが転じて「おたまじゃくし」「おたま」になったとする説があります。
ちなみに、カエルの子のおたまじゃくしの語源もここに由来します。それ以前は「かえるのこ」、と呼ばれていたそうです。 音符の「おたまじゃくし」はかえるの子のおたまじゃくしから転じたものです。
【杓子定規】 誤った基準でものをはかること。あるものにしかあてはまらない規準をむりにあてはめようとすること。きまりきった考えや形式にとらわれて応用・融通のきかないこと。 語源的に言えば「御多賀杓子」から来ており、杓子の様に柄が曲がっているものを「定規」の代わりに使うということで、無理に道理を合わせてしまうということが本来の意味らしいです。人間こういうことって結構やっていますよね。 現在は、決まりを絶対に曲げないというような意味で使われていますが、間違いです。お役人の方は「お前は杓子定規で融通が利かない・・・。」などとよく言われるのではありませんか。その言い方は間違いです。御安心下さい。 でも、決まりは曲げなくても、その隙間を使って融通の利かせるお役人、居るといいですね。
滋賀県は一度修学旅行で大津に降りて、貸切バスで比叡山に向かったくらいで、あまり御縁がない土地なのですが、記事を拝読しまして、「木の文化」の起源にいろいろ所縁のあるところなのだな。という印象を受けました。といいますのは、昔東北地方の「こけし」に関心の高かった時期がありまして、こけしといえば挽きものの製品で、轆轤で木を挽いて生業とする人たちを「木地師」といいますが、その起源が滋賀県にあるって読んだことがあるので、、、。木地師は椀や盆に限らす、杓子とかも作ったというからには、この多賀神社とも関係あるのかなあ、、?この「多賀」という名前の場所は茨城にも宮城にもあるし、たらいの「たが」とも関係かるのですかね?