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松本市の広報をデジタル化報道について

2022-01-16 23:29:37 | 地域から学ぶ

 信濃毎日新聞デジタル版に「松本市の広報をデジタル化 市議から異論も 希望する町会は紙で」というものが掲載された。松本市では「広報物」を原則デジタルにするという。「物」とあるから広報だけではないのだろう。ただし、希望する町会には紙で配布するという。デジタル化について「昨年4月時点で、市内の町会加入率は76%。市は、紙の広報は全世帯に届いておらず配布する町会役員の負担も大きい」とした上で、「紙資源や経費の削減にもつながる」ともいう。議会から異論があって、4月から始めようとしていたのは、再検討だという。

 先日広報「物」ではないが、神社のお札が回覧で回ってきた。「1枚ずつお取りください」とあったので、1枚取って回覧板を回した。お札を回覧で回してこのように1枚ずつ取ってもらう、という例は今までにもなかったわけではないが、隣組の戸数がそれほど多くないので、通常は直に組長が配って歩いている。しかし、その方法は組長の考えだから、それで由と組内で異論が出ることもないし、そもそも組の者が全員集まる機会がほとんどないから、議論にもならない。松本市の広報物に関して、「町会役員の負担」に触れている。そして、そもそも全世帯に届いていない、というあたりもデジタル化への根拠になっているようだ。住民であるから、広報は全世帯、というよりは全員の目に届くのが本来だろう。とはいえ、我が家のある地域もそうだが、全ての家が自治会に加入してるわけではなく、いわゆる自治組織によって配布するのには限度がある。したがって、わが町では自治会に入っていない家には郵送しているのだという。すべて郵送したらその料金が大きくなってしまうから、頻繁に配布される広報「物」は、自治会を通して配布するのは、確かに理想かもしれないが、世の中はさまざまで、これは役所の怠慢だという人もいる。ようは自治組織に投げているというのだ。世の中はいろいろだから、自治組織に投げても、自治組織が取り合わなければ、配布物は配布されないことになる。ようはいろいろなことが信用の上に成り立っていて、本当のところはどうなっているのか、チェックなどできない。確実なのは金をかけて委託するのが確実なのだろうが、それがベストとも思わない。

 お札が1枚残って組長のところに回覧板が戻ってきたという。最後の1枚は、回覧順の最後の家だったようだ。実は最後に回る家は、この春で自治会から抜けられる。高齢で一人暮らしになったため、自治会を抜けられる。最近そういう例が多い。高齢でなくとも、女性一人世帯になると抜けられるケースも見受けられるし、いっぽうで90歳を過ぎても同じ境遇の方が自治会に加入されている方もいる。それぞれの自由だから仕方ないが、そもそも「なぜ抜けられるのか」についての議論がされず、そしてその対応をしない自治会の現状もある。にもかかわらず、行政は自治会の意向にも沿っているのだろうが、自治会加入を助言する。

 松本市の例では、希望する町会には紙ベースで今までどおり配布するという。それもサービスとして差が生じる。そもそもデジタルにしたら、広報を見る機会は確実に減り、おそらく市民の数パーセントレベルとしか目にしなくなるかもしれない。意向調査だけではなく、その主旨を重視するのなら、試験運用のような機会が必要ではないだろうか。あるいは「広報が必要なのか」という議論にもなるし、たくさん配布される「物」のあり方も議論が必要だろう。


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