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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

100年に一度の水害

2017-08-14 23:34:32 | 歴史から学ぶ

 『高井』200号(高井地方史研究会 8月1日発行)において、金井晃氏は「昭和五七年飯山市木島地区、昭和五八年常盤地区の千曲川大水害」のことについて触れている。200号を記念して「昭和の自然災害特集号」を組んだ同誌には、このほか歴史上の水害を中心に報告が並ぶ。その中にこの昭和57、58年の水害に関する記事が複数あることからも、この2年続きの大水害が、地域の人々の記憶に強く残っていることがうかがえる。

 同水害については、この日記でも何度か触れてきている。具体的に記したのは「台風18号」が最初だろうか。翌日「台風とともに北上するという経験」を記した。そして再びと題して記したのが昭和57年の水害を扱った「ふたたび台風18号」である。当時の新聞記事もとりあげた。さらに、翌年の水害については「昭和58年台風10号・前編」「昭和58年台風10号・後編」で扱った。毎年9月になるたびに、わたしも思い出す水害である。以前にも触れたように、仕事が大いに多忙となったことはもちろんだが、まだ若かったわたしには災害復旧に関わるにはまだ日が浅かったにもかかわらず、多忙が故に一人前の仕事が割り当てられて、右往左往というか、人に教わりながらこれら災害の主たる災害現場の復旧に携わった。何といっても昭和57年の樽川堤防決壊のうち、下流側の戸那子排水機場脇の決壊現場を担当した。20代前半の若造に指図されて働いていた役所の方たちは、文句も言わずわたしの言うことを聞いてくれた。高井という広域エリアにおいて、人々の記憶に残る水害に、それも2年続きの災害に見舞われた際に飯山に居たという事実を、あらためて教えてくれる『高井』200号なのである。金井氏はこうも記している。「私たちの仲間内の会話では「昨年は100年に一度と言っていたが、どうして二年連続となるんだ。…100年の最後と100年の最初だな」などと皮肉も言う人もいた。」と。金井氏も言うように、その後目立った水害が飯山など千曲川の岳北流域で発生したことはない。

 「ふたたび台風18号」における市報「いいやま」の災害特集号の表紙でも解るように、昭和57年の台風18号災害では、取り残された住民がボートで救出された。金井氏は消防団としてそうした救助活動に加わったといい、「あるお婆さんを抱きかかえボートへ救助した折、「こんな目に遇うんだったら早く死んだ方が良かった」とも言われ、励ましたことが思い出される。」と語っている。700戸以上の床上浸水を見ながら、一人として犠牲者がなかったというあたりが、水害常習地域である長野県内に住まう人々の常日ごろの備えなのかもしれない。そう考えると近年水害が少なく、こうした大水害から遠ざかっているこの頃でもある。


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