Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「かに」のこと

2017-06-25 23:34:52 | 民俗学
 『伊那路』5月号に掲載された数珠回しの写真に写っていた方たちにお礼の気持ちで、掲載号とレーザープリンターで印刷した写真を届けた。かつて民俗の会で夏季調査をした際にも訪れた地域だけに、思い入れは強い。そしてその際にも実際に話者としてお願いした方もいて、お詫びの思いもあった。
 
 訪れたFさんは大正12年生まれ。Fさんの家を訪れると裏の方で大きなエンジン音が聞こえる。90歳をとっくに越えている方が「まさかチェーンソーなんか使っていないだろー」そう思ってFさんの玄関先で「こんにちは」と声を掛けると、家からその息子さんが姿を現す。ということはやはりチェーンソーの音はFさんかも、そう思ってFさんの所在を訪ねると「裏にいる」とのこと。そのまさかだったのである。家の裏にまわるとFさんはチェーンソーを手に、薪を伐っている。声を掛けるとチェーンソーを止めて話を聞いてくれた。前述のとおり3月のお礼と、掲載号と写真を届けに来たことを告げ、仕事をされているのでそれらは家に置いていきます、と言づけた。「ひとつだけ」といって節分の「かにかや」のことを聞いた。もちろんFさんに「かにかや」をしているか、と。すると以前はやっていたが、今はしていないと。続けて「〇〇さんが今もしている」と紹介してくれる。驚いたのはチェーンソーを使っていたことだけではなく、ちゃんと集落内の誰が何をしているかというあたりを認識していたことだ。集落のスポークスマン的存在なのだ、Fさんは。
 
 さて、Fさんの紹介していただいた方を訪れると、確かに玄関先に「かに」の紙片が貼られていた。聞くとこのあたりでは「かにかや」ではなく「かに」のみだという。やはり数珠回しの際に会った方を訪れそのことを確認すると、やはり15年ほど前から節分に「かに」を書いて貼ることはしなくなったという。そして「かに」のみだったと。以前民俗分布図で紹介したように、「かに」のみの紙片を貼ったのは飯田以南だったが、中川村の竜東でも同様に「かに」のみだったようだ。節分には煎り鍋に大豆を入れて炒ったといい、その際に焚き木にしたのはパチパチと音のするヒノキの葉っぱだったという。音を出すことで鬼を払ったというわけである。
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