Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

ウサギコウモリ

2017-07-31 23:12:35 | 自然から学ぶ

 

 

 コウモリを常日ごろ見ることはあまりない。わたしの場合、仕事で隧道に入るとよく出くわすわけだが、そうでもなければあまり出会うこともない。とはいえ、世の中にはけっこうコウモリが飛んでいて、それなりに気を払っていればふだんでも見ることはあるのだろう。

 先日の長野県民俗の会例会において、松本市奈川入山のかつて女工も宿泊したという旅籠「松田屋」を訪れると、畳の間に何者かの糞がいくつか落ちている場所が点々とあった。案内をしていただいたTさんによると、それはコウモリの糞とのこと。いくら掃除をしてもすぐにコウモリが糞をしてしまうらしい。板の間の多い「松田屋」にあって、畳の間は高貴な方たちが泊まった間。そのひとつの間にそのコウモリがいた。Tさんによると、その小さな間がコウモリのお気に入りの部屋なのだという。その間にいることが多いという。そしてそのコウモリは「ウサギコウモリ」と言って耳がウサギのように身体の大きさに比べると大きい。比較的珍しいコウモリだと言うので調べてみると、長野県レッドデータブックによると、絶滅危惧Ⅱ類だという。好き好んで見たこともないので、ほかのコウモリをよく観察したことはないが、このコウモリの耳が大きいことは素人でもすぐにわかった。コウモリ目(翼手目)のヒナコウモリ科に属し、ウサギコウモリ属のコウモリの一種だという。主にヨーロッパに分布するコウモリだとか。

 

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堤の草刈

2017-07-30 23:58:33 | 農村環境

 朝6時から堤(ため池)の草刈だった。近年は1時間余、午前7時過ぎには終わっていた草刈だが、今年は午前8時過ぎまでいつもの倍近くかかった。車道からのアプローチが長いこともあって、歩く程度ではあるが3尺ほどの幅で約100メートルの草刈もしなくてはならない。以前は当番がアプローチ分について事前に草刈をしていたのだが、関係者が4軒しかなく、当番だけにその負担を強いるのも大変だということで、この日同時に行うようになった。そういうこともあって、以前より少し時間を要すようになった。今でこそ奥まったところにある堤に用事のある人は、堤の関係者くらいだが、かつては堤の周囲にも段々の田んぼが何枚もあった。堤だけに行くためのアプローチではなく、耕作者のための道、ようは農道だったわけである。拡幅がならなかったため、また周囲の水田の条件が悪いため、3尺にも足らないような道になっているが、かつて周囲が耕作されていた時代には、明らかに周辺の関係者がアプローチの草は刈っていたはず。荒れ放題になることによって、草を刈らなくてはならないというニーズはため池関係者だけになってしまったというわけだ。こういう事例は山間の農業空間では当たり前のように発生している事象。田んぼ1枚耕作するにしても、周囲がみんな耕作放棄してしまうと、そうした空間環境は著しく低下する。それでもって周囲の草が押し寄せてくるから、自ずと耕作しようとする人の負担が大きくなる。耕作放棄の背景には、何といっても管理されている、ようは耕作されていることによる管理の手数の問題が大き横たわっている。耕作放棄しながら畦畔にしても、水田にしても、耕作している時と同じような管理(とりわけ草刈)を実施する人はほとんどいない。

 草刈を終えた後、来週に予定されている下の堤の草刈の事前草刈を行った。こちらのため池の関係者はもう少し人数が多いこともあって、遠隔から加わっているわたしはいつも当日の参加は遠慮している。そういうこともあって事前に人数割以上の草刈を事前に行って許しを得ているというわけだ。朝方行った草刈をした堤も、そして下の堤も、いずれも堤の土手の法尻に続いて我が家の水田がある。もちろん耕作放棄しているから、いずれも丈の長い草はもちろん木々も伸びている状態であるが、前述したように我が家がここを耕作していれば、堤の管理もしやすいのだろうが、荒れ放題になっているため、我が家の土地からも草がどんどん伸びている。昨年も草を刈りながら思った「これほど伸ばしてしまう前に一度刈っておけば楽なはず」、がまったく学習になっていなかった。1年ぶりにこの丈の長い草を刈りながら、昨年同じ場所に身を置きながら感じたことを思い出していたような次第だ。繰り返すが周囲が耕作をするということは、それほどの格差に繋がるということ。何しろ3メートルはあろう丈の草は、刈り倒すと自分に向かって寄りかかってくることもたびたび。加えて丈の長い草が倒れると、まだ刈っていない場所を覆ってしまい、それらをどかさないとその下の草が刈れないという面倒なことになる。

 ため池については、草刈を年1回実施するところが多い。そしてこの草刈が行われているかどうかが、ため池への依存度の証にもなる。ようは草刈を実施ないようなため池は、「使われていない」と判断しても良いほど。最低限の管理としてこの草刈がある。

 ということで堤の草刈で今日は終わった。

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奈川へ

2017-07-29 23:26:44 | つぶやき

  長野県民俗の会第206回例会は、松本市奈川で行われた。昨夜長野で業務上の懇親会があって、業務外の会議が途中に入っていたこともあって、飲酒は避けて車で帰宅していた。このごろは通勤でも高速道路を利用しているため、高速での景色がとりわけ印象深い事項になっている。松本市内(市街地)なら一般道で向かっただろうが、そこから1時間ほど奥に入ることから、再び高速を利用して奈川へ。まったく別の道を頭に浮かべることはなかったが、例会に同じ伊那から参加された方が木曽から境峠を越えて入ったと聞いて、まったく意識しなかった道に気づいた。聞けば伊那から1時間余とのこと。もしかしたら高速を利用して松本市内から奈川にやってきても、一般道で権兵衛峠越えでやってきても、時間は同じだったのかもしれない。とはいえ、帰路も寄り道したいところがあったので、結局波田まで下って塩尻経由で帰宅した。

 休日ということもあって、平日の高速道路とは光景が違う。「車が多い」そんな印象は高速に入ってすぐに感じた。追い越し車線に入っても、走行車線を走る車がつながっていて、なかなか戻れないし、その「戻れない」という意識を生むのは、追い越し車線の速度にもあった。速度が上がる時もあれば、つながっていて100キロ以下ということもたびたびあった。速度の上下が発生すると、なかなか走行車線に「戻れない」ということになる。これだけ車が多いことを見越してのことなのか、通行量のデータがあるのだろう、先ごろまで行われていたリフレッシュのための集中工事による車線規制が終わり、車線規制による渋滞もなかった(夏休みに入ったら集中工事は行わない)。松本インターで降りて、上高地線に入っても車は多かった。そして見れば県外車ばかり。ふつうの土日でも、今や長野県内へ入り込む車は多い。

 さて、例会は「旧奈川村のスーパー林道、奈川渡ダムの開発にあたっては、開発当時から生活に与える影響について調査や記録作成が行われていました。それから半世紀ほどが経った現在、実際にどのような生活変化が起き、人びとがどのように対応してきたのか、あらためて考えなおしてみたいと思います」という意図の上で実施された。今回の会を企画していただいた土田拓氏、昨年の大町市美麻例会にも参加していただいた荒井和比古氏、そして小原稔氏より奈川を中心としたさまざまな話をうかがった。このことは別項に譲るとして、発表後に入山に入った。奈川渡ダムの建設によって集落に亀裂が発生して集団移住を余儀なくされた入山は、無住になった現在も家屋が残り、神社は今なお入山の人々の心の拠り所となっている。入山については以前「奈川入山へ」で触れた。集団移転したにも関わらず家屋が半世紀に渡って残されてきた理由について、「移転時に氏神はそのまま旧集落に残した、あるいは墓地もそのままにした、というような心の支えは置いてきたという意識」があったからではないかと、「奈川入山へ」の中で私見を述べた。

 天候がいまひとつということもあって、ブナの原生林下の独特の日差しを浴びることはできなかったが、相変わらずブナの大木が悠然と入山を覆っていた。

続く

 

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文化財と堰

2017-07-28 23:28:39 | つぶやき

 ある土地改良区より明治年代に完成して現在は利用していない堰について、文化財の指定にできないかという要望書があげられた。ふだん農業用水路に関わっているとともに、文化財行政にも少しばかり関わっている者として、意外なものが文化財の舞台に登場してきたという印象を持った。管理団体より文化財に、という要望がある場合、対象物を保存するにあたって金銭的な援助をして欲しいという意図が大きい。実はこの背景は行政によって受け止め方は大きく異なる。

 半年ほど前のこと、生まれた町のある民家を訪れた際に、古そうな民家であるもののあまり手が加えられず現在も使われていることが分かって、これほどの民家であっても行政から文化財として何らかのアプローチがなかったのか、思わず家人に聞いてしまったもの。嫁いだ娘さんが介護のためにその家に出入りされているようだったが、娘さん曰く「こんな家すぐにでも壊してしまいたい」というものだった。この家で生まれて育ったが、良い記憶は無いようだ。それだけに世代が変われば消滅してしまいそうで、文化財として残そうという意図が行政にはないのだろうか、そんなことを考えたもの。ところがかつてこの町の文化財行政にもかかわられていた方に内情を聞くと、やはり財政的な面で個人的所有物に対して文化財指定を行って保護していくことは難しいという話を聞いた。わたしのかかわっている市とは行政のスタンスがまったく違うのである。致し方ないことと分かっていても、いっぽうでは他方でまったく相手にしないようなものまで文化財の対象として検討している。その落差がとても気になったのである。そして今回の農業用水路の話。誰がどうその価値を評価するのか、そういうところにも影響するが、例えば今回の事例に対して、ふだんこうした施設に視線を当てていなかった人たちにとっては、新鮮味があって、先人の苦労という面だけでも文化財として取り上げたい気分にさせる。しかしこうした施設に関わってきたわたしには、同様の施設が県内にはたくさんあることを知っている。もし希少性という視線なら、まったく珍しいものではない。もちろん利用していないという現状から、遺構がしだいに劣化して朽ちていってしまうことは容易に解る。いずれこうした遺構が消える時がくると分かっていれば、保存することも必要なのだろうが、とはいえ文化財という枠に入れるにはいろいろ問題が多い。とりわけ歴史のある堰を、という土地改良区の意図だったようであるが、その中でも隧道に対して保存して欲しいという意図が汲み取れたという。隧道ともなれば、当時のものは小断面のもので、現在の土木技術では抵抗感のある施設で、容易に補修ができる環境にはない。もし落盤があったとき、その補修費は安くないし、もっといえば安全面から現実的に補修不能という答えが出る可能性も高い。そうした物件に文化財の冠を預けるのは他に例がないというあたりも勘案して、答えは出しにくいということになる。

 こうした物件が文化財の舞台に登場する時代になったということ、そしてどうそれを扱っていくのかということも含め、農業水利施設に業務上かかわっているわたしへの課題かもしれない。

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中央自動車道初期予定ルート

2017-07-27 23:20:13 | 信州・信濃・長野県

 もう10年以上も前、「夢の弾丸道路」においてわたしはこう記している。

 わたしはこの地図と『阿智村誌』を見ているたけで、他の資料には目を通していないので、あくまで想像ではあるが、こう考えた。実は名古屋東京間の地図を広げて見るとわかるが、八王子から山梨に入った中央自動車道は、大月から河口湖まで富士吉田線が分岐している。この河口湖と中津川を結ぶと、まさしく天竜峡や、木沢を通るルートが想定される。昔から富士吉田線は富士山への観光客のために造られた道路なんだと思っていたが、実はこの精進中津川を結ぶための道路だったのではないだろうか。

 みればそこにも記しているが、てもとにあった地図と『阿智村誌』を見ただけの想像であった。さきごろ中央自動車道のことを探っていると「南アルプスを越えられなかった中央自動車道」というページを見つけた。日経コンストラクションというところで公開しているもので、その2010年12月28日の記事である。冒頭こう綴っている。

 国土交通省の交通政策審議会で、JR東海が計画しているリニア新幹線のルートが南アルプス経由に内定した。あてが外れたのは長野県。1989年以来、迂回(うかい)しても経済効果が見込めるとの理由で、対案の伊那谷ルートを推進してきた。これが覆った。

 逆に、いったん南アルプス経由と決まったものの、後に伊那谷経由へと覆ったのが中央自動車道だ。ルート変更を巡る逆転劇があったのは半世紀前のこと。

 そのうえで歴史を振り返っている。ここに登場してくるのが田中清一(1892-1973年)が1947年に日本政府に提出した計画である。「夢の弾丸道路」にも記した田中プランのことである。南アルプス経由で決まった中央道の建設計画が覆る出来事が、1963年に起きたという。中央道の早期着工・完成を推進するため、関係する自治体の首長などが構成する「中央自動車道建設推進委員会」が1963年5月17日に開催した第6回総会において、長野県出身の国会議員であった委員長の青木一男(1889-1982年)が突如、ルートを北回りに変更する方針を明らかにしたという。周辺自治体の多くが北回りを望んだため、反対者もあったが結局北回りで建設されることに。記事はまだ中央リニアのルートが決定される前のもの。中央自動車道と同様に北回りと直線ルートの間で揺れた上で、記事にもあるように「国家的なプロジェクトでは大局に立った判断」が優先されたのだろう、直線ルートに決定した。「中央自動車道を再び」というわけにはいかなかったわけである。

 「夢の弾丸道路」に記したように、わたしの手元には印刷された財団法人田中研究所の作成した「精進中津川間縦断面図」の「第四案」というものがある。ここには現況地盤と実際の計画ラインとともに、トンネルと橋の位置や長さが示されている。かなり具体的なものを描いたものといえる。これとともに私の手元には国土地理院の図を貼り合わせた上で、手書きでルートを示した図がある。そこにはおおよそ3ルート、そのうちのひとつを少し修正を加えたもの1ルートを加えた4本の線が引かれている。縦断図に4案とあるから、手書きのもののように4ルートが示されていたのかもしれない。「夢の弾丸道路」にも記したように、ルート図の中では縦断図に示されたものは青いラインで引かれていて、とくにトンネルについては位置が示されており、長大トンネルにあたる易老嶽トンネル(8.15キロ)と神坂峠トンネル(7.65キロ)についてルート図に示されたトンネル部分を図測すると、たしかにそれに近い長さがトンネルと表示されている。このルート図は誰が手書きしたものか不明であるが、田中研究所の人なのか、それともわたしがこの図を入手したと記憶する高校のクラブ顧問の先生だったのんはわからない。いずれにしてもとうじ地域で唯一の土木科を有す高校の先生だったこともあって、この世紀の大工事プランに興味を抱いていても不思議ではないし、もしかしたら田中研究所と何らかの関わりがあったのかもしれない。

 さて、4案に示されたルートをおおよそGoogleマップに落としてみた。とりわけ三遠南信自動車道と重なる部分があることに注目である。それと、直線ルートとは言うものの、実際は大きく、そして細かい部分も曲がっているところが、当時の土木技術とリニアを建設しようとしている今の土木技術の違いだろうか。

 

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あの時代はなんだったのか!

2017-07-26 23:26:18 | つぶやき

 「もう一度平岡ダム」でも触れたが、家に帰っても食事をとって、風呂に入って、とふつうの暮らしをしていればそれなりに時間を要して寝る時間くらいしかなくなってしまうのが平日だ。そう思うと、かつてはなぜあれほどいろいろ平日にできていたのか不思議になってしまう。とりわけ忙しかったのは生業外で松本市の仕事にかかわった平成1桁時代。すでに家族もあったし、息子も小さかったから子どものためにかける時間も多かった。そして、なんといってもあの時代には、まだ家を建てたばかりだったから家周りのこともまじめにやっていた。今は見るにたえないほど、雑草がむらがっている。伸び放題にさせている生垣の枝は、よその土地にまではみ出していて、苦情を言われても仕方がないほどだが、それでもそんなことも言われずになんとか日々を暮している。やりたいこと、というよりもやらなくてはならないことがたくさんあるのに、ありすぎてどれから手を出したら、と思っているだけで時間は過ぎていく。形になって現れる妻の実家の草刈に、最も達成感を抱く。

 平成1桁から2桁にかけての時代は、生業も忙しかった。松本に赴任していた時代は、以前にも記したが平日は本当に詰まっていた。月曜の朝に松本に向かうとその日は夜11時の鍵を閉められてしまう時間まで仕事をし、それでも間に合わない分を寮に持ち帰って処理した。翌朝は鍵の明けられる午前6時に会社に入ると、同様に鍵が閉まる時間まで仕事をする。これを繰り返すのだが、実は水曜日の夜は仕事をすぐに終えて、自宅まで帰った。ようは1週間に寮に泊まっていたのは3日のみ。自宅に帰る日はよほどのことがなければ、残業せずにすぐに会社を後にした。そんな余裕のない1日を繰り返す中で、生業外の松本市の仕事をこなしていた。とりわけ原稿の締め切りが迫っていたころはどんな生活をしていたのだろう、と思い出してもそれは戻ってこない。なぜそれほどいろいろこなせたのか。ほとんど寝ていなかったのか、それとも就寝時間は短時間でも良かったのか。あの時代があったからこそ、今の自分がいるのだが、2人、いいや3人分くらいの詰め込まれた1日を暮していたように思う。今は1日が0.5日くらいしかない感じだが…。

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もう一度平岡ダム

2017-07-25 23:51:29 | つぶやき

 通常の仕事で午後10時くらいまで会社で働くなんていうことは、ここ何年もなかったこと。というかわたしの場合忙しくても仕事は持ち帰っていた。ところがこのごろは持ち帰っても、そのまま会社に持ち帰ることが多い。気分的なところで「あとは帰ってやれば…」と思って帰るのだが、ほかのこと、そして疲れて転寝してしまって何もできなかった、ということがほとんどだ。もはやかつてのように午前2時ころまでいろいろやっていて、それから床に入るというのでは身体が回復しなくなった。疲れが累積してしまって、転寝三昧になってしまう。そこへゆくと、会社で仕事をしてくると、「あとは家に帰って」と思っていたとき以上に仕事は進む。というよりも会社でやってこないといよいよ回らなくなったというところ。ずっとそんなことがなかったのに、そういう状況になっているのはいろいろ理由もあるのだうが、これをやっていると生業外のやらなくてはならないことがまったくできなくなってしまう。ますます、頭を抱えている今日この頃である。

 さて、昨日は佐久間ダムの平面図を扱ったが、今日はちょっとした一休み、でもう一度平岡ダムの図を開いてみた。堤体の上の標高を315.00mと表示している。いっぽう水叩きの高さは266.50mと表示しているから標高差48.5mということになる。さすがに佐久間ダムと比較したら小さい。堤長は258.555mと表示している。さらに見にくい図面であるが断面図も示した。

 忙しくなると、古いものを手当たりしだい取り出してきて、過去を題材に日記を「埋める」、常套手段になっている。

 

 

 

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佐久間ダム

2017-07-24 23:53:55 | つぶやき

 かつて平岡ダムのことについて触れた。高校時代に学校で手に入れた資料の中に、平岡ダムの設計図のようなものが入っていた。「平岡ダムから」に掲載した写真は平岡ダム建設時のものと想定していたが、もしかしたらそうではないかもしれない。というのも同じ資料に紛れていた図が、平岡ダムから直線で21キロほど天竜川を南下したところにある佐久間ダムのものだったからである。平岡ダムよりは竣工年にして5年ほど遅いだけの佐久間ダムであるが、実際に工事を開始した年月は15年近く佐久間ダムが遅い。ようは佐久間ダムはたった3年ほどで完成したという驚くべき仕事だった。平岡ダムの図と一緒に保管していたので、てっきり平岡ダムの図と思い込んでいたが、よくよく見てみると方位が示しているのはダムの上流側が北。ようは天竜川がほぼ北から南に流れているとすれば、ダムは北に面して川をせき止めている形。普通じゃないかと思うかもしれないが、平岡ダムは天竜川が蛇行して流れ東西に流れを変えている場所に設置されている。周囲は山に囲まれているから間違えやすいが、方位と比べてみると明らかに平岡ダムではない。ということで図に示されている等高線を読み取ると、ダム下は標高150メートルほど。天竜川で標高150メートルあたりにあるダムは佐久間ダムしかない。

 佐久間ダムの堤高は155.5メートルあるという。ダム下が標高150メートルとしたら、堤上は標高300メートルを越えるというわけだ。佐久間ダムが作ったダム湖を佐久間湖という。この佐久間湖の影響は県境を越えて下伊那郡天龍村にまで及んでいる。そもそも平岡ダムとは高さで10から20メートル程度違うだけ。親子ダムのようなものなのだ。ここにその図を紹介しよう。縮尺2千分の1という図は、B4で2枚分ほどの横長のもの。2色刷である。

 

 

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緩い会社に感謝する

2017-07-23 23:24:32 | つぶやき

 ある依頼が送られてきた。それを送られてきた方は公の施設に勤められているが、依頼そのものがその施設にかかわったことではなく、ある同好団体の代表として別の団体の代表であるわたしに依頼メールを送ってきたもの。アドレスを見ると勤められている公の施設のものとはっきりわかる。ようは業務上のアドレスで、業務外の内容を送ってきたと、わたしにはうかがえた。しかし、まったく業務に無関係か、というとご本人はそうは捉えなかったのかもしれない。どちらも文化活動の一環と捉えられなくもない。あくまでも緩く見積もった視野ではあるが…。同じようなことはわたしもけっこう言い訳に使うことがある。例えば業務上といえば、わたしは地域問題や農業問題が業務上に影響する。したがって情報として捉えれば、わたしの趣味の世界の情報は、けして業務と無縁ではない。業務上で「新聞」を購読すということも、まったく業務とは無関係ではないためだ。同じような意味で「情報源」として、個々の活動も、またプライベートな活動も同じような類のもの。人は業務上の必要事項からのみ育まれるものではなく、多様なそれぞれの生活の積み重ねから学び、育っているとも言える。そう捉えると何でも業務上と言えるかといえばそうではない。

 近ごろは仕事を持ち帰るのも容易ではない。パソコン内のデータを持ち出すこともできなければ、業務上と同じ環境を自宅で持つこともできない。手書きの時代とはまったく違っている。そういう意味では我が社の場合、まだまだ緩い環境だ。データの持ち出しはできるし、汎用性の高いソフトで行っている業務が多いから、自宅で自分のパソコンを使ってできる仕事も多い。

 話は逸れてしまったが、我が社ではネット検索に対して制約があるわけではないから、閲覧は自由にできる。したがってパーソナルなメールを会社のパソコンで閲覧することも可能だ。ようは業務外のメールを業務上のパソコンを使って送受信することができる。したがって冒頭の例のように、業務上のメールアドレスでパーソナルな内容のメールを送受信する必要はないし、どうしても業務内で連絡をとりたければパーソナルのアドレスを使って連絡をとる。とはいえそんな緩い時代もさらにセキュリティの高い時代に至らないとも限らないから、しだいに送受信も個人的に行うべき環境を整えている。例えば無線ラン環境とか…。いずれにせよ、わたしにとって業務外のメールは、すべてパーソナルのメールである。例え業務に少なからず関わるものであっても、100パーセント業務でない限り。

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下手くそな人が多い

2017-07-22 23:49:52 | つぶやき

 車道内の真ん中よりを走る車のことは、例えば「センターライン」などに記した。

 狭い橋ではあるが、大型ダンプがやってきても普通車なら行き違いができる幅はある。すでに架け替えのため近くに鏡台ができつつあるから、いずれなくなる橋であるが、これまでに何度となく渡った走であり、今後もなくなるまでは通る橋。軽トラックに乗って橋に入ると前方から車が。すでに暗くなりかけていてどちらもスモールランプを点灯していた。橋の真ん中よりを走ってきている相手の車も軽(ワンボックスの普通車だから運転手は年寄りではなく女性か)。すれ違うには余裕なのだが、時を経ても真ん中どころかむしろこちら側に向かってくる。「ぶつかる」そう思ったのは言うまでもない。橋への入りの角度が急なため、そもそもわたしの車のスピードはその車に気がついた段階で10キロか15キロほど、気がつけば真ん中を走っている相手に危険感を感じてそれ以上アクセルを踏むことはなかった。したがって停止することもすぐにできる。ということでほぼ「停止」。ぶつかると思ったものの、何事もなかったように相手の車はわたしの右手を通り過ぎていった。「何なんだ」、いったいこの頃の世の中のドライバーは何を考えているのか。本当に「ぶつかる」と思ったことはそうはない、いいや、まずないのだが、この時こそ「いよいよ」と思ったもの。何度も書いているように、車道のまん中を走っている車が多い。このごろはセンターラインの引いてない道で対向車に気がついたら、まず相手の車道内でのポジションを判断することを優先する。かつてなら車速を落とさなくてもスレ違いできたものだが、今はそうはいかない。怒りがこみ上げてもぶつかってしまってはもともない。

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祝日という休日

2017-07-21 23:40:53 | つぶやき

 「どんど焼きの火で〝焼肉〟」でも触れたが、月曜日が祝日であっても、その意図とした催しは前日の日曜日に実施されることが多い。祝日と日の関係が重要視されない時代となったということになる。1年には365日あって、節目節目に意図ある日があったものの、生業などさまざまな事情で1日の意味が薄らいでいるとも言える。しかし、そのいっぽうで「今日は○○の日」などといって定められている日を意識しないこともない。そのレベルと同等のところに祝日が成り下がったともいえる。

 福澤昭司氏は『年中行事の民俗学』(谷口貢・板橋春夫編 八千代出版 2017)において「祝祭日と年中行事」の関係に触れている。その中で「循環するはずの時間が政治の力で変容してしまうことがある」として、ハッピーマンデーという仕組みを取り上げている。とりわけ本日記でも盛んに取り上げてきたように、成人の日はこと成人という人のためだけにあった日ではなかった。小正月といわれるいってみれば前時代にしてみれば百姓の正月といわれるほど、多くの人々にとって大事な節目であった。その大事であったであろう日が、忘れ去られるほど壊滅したのは、まさに祝日法の改正によるところが大きい。福澤氏も言われているように「家庭で行う小正月の一連の行事は、ハッピーマンデーなど制定されなくともいずれなくなっただろう」。それほど小正月に限らず多くの家庭の行事は消滅した。そのいっぽうで集団で行われている行事は意外にも継続しているものが多い。もちろんこの後のそれら行事の継続性は危ういが、そうした集団の行事においても、その意味なり、実施日への執着が失われてきたことに違いはなく、とりわけ小正月の衰退は農業の衰退と比例してきたと言える。

 福澤氏は冒頭で触れた祝日のあり方についても同様に触れている。小正月の行事であるサンクローが成人の日が定められた第2月曜日ではなく、その前日あるいは前々日に実施されているという。もちろん「成人の日」に指定されているわけであって、その日は小正月と定められたわけではない。したがって成人の日に合わせた第2月曜日のある土日に実施されるというわけでもない。もっといえば成人の日が15日であった時代にあって、実際に松焼き行事が実施されたのは小正月の晦日にあたる14日が多かったわけだから、成人の日の前日に行われることはむしろかつての実施日に従っているとも言える。とはいえ、すでに祝日法が改正される以前から小正月行事の一部が小正月から分離されて前倒しされる傾向があったことも事実。これは実際に行事を担う子どもたちの休日との関わりもあったといえる。とりわけ成人の日が15日に固定されていた時代には、松焼き行事における子どもの関わりは薄くなっていたとも言える。もっといえばそもそも松焼き行事が子どもたちが担うべき行事だったのか、という過去の役割にも関係するが…。

 あえて成人の日を事例にしてとりあげてきたが、いずれにしても月曜祝日は結果的にその前日を中心にその意図たる祝日扱いへと変化してきている。体育の日の運動会などその最たるものだろう。奇しくも来年の成人の日は1月8日である。成人の日としては最も早い成人の日にあたる。

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境界域の煩わしさ

2017-07-20 23:50:48 | 信州・信濃・長野県

 基本的に境界域に生まれ、そしてずっとその界隈で暮らしてきたから、境界域の不自由さのようなものは解っているつもりだ。境界域でなくとも、例えば下伊那の山間地域も、もちろん外周部にあるから境界域のようなものなのかもしれない。そう捉えると中央という位置に暮らす人々は限定的なのかもしれないが…。会社への途上、駐車場近くまでやってくるといつも思うことがある。ラジオがよく入らない。それは会社の車で現場に行く際にもよく感じることだが、どうも伊那市周辺と言うか上伊那エリアというところは飯田近在に比較すると「ラジオが入らない」。自動で検索しても止まらずにずっと探していることもよくある。上伊那そのものが境界域だとは言わないが、郡の中心にあってもラジオがよく入らない場所がよくある。谷の中に入っているから、なんて利理由づけするが、別の地域では谷の中でもちゃんと聞こえるところは聞こえる。とはいえ、まだ伊那市のあたりはよく、とりわけ上伊那でも辰野町あたりに行くとラジオが本当に綺麗に入らない。もちろん善知鳥峠なんていうところは入らないが、辰野の町の中だって入りづらい。まさに境界域と言ってしまえばよれまでだか、これは昔から変わらない。

 いっそ入らなければそれまでのことだが、やはりわたしの行動エリアは、本当に境界域だ。住んでいる場所は下伊那だが、境界域だから飯田エリアの周波数でラジオは入る。同じことはテレビも同様だ。ところが今年のように伊那へ通うとなると、例えばFM長野は飯田の周波数は郡境を超えるともう雑音が入りだす。ということで県内でももっとも広域な周波数帯に変えることになる。それほど長い距離を経ているわけではないがへ、郡境域に暮らしていると周波数による煩わしさは日常のこと。いまどきの車載されているテレビは信号が低下すると自動的に検索してくれるが、とはいえ綺麗に入らないエリアが広い。境界域に暮らす人々の当たり前の煩わしさである。

 もっといえばラジオなんて言うものは、県境域に至るとすっかり入らなくなる。下伊那の県境域なんていうのは、「ここは長野県なのか」と思うほどそういった類のことに関して忘れ去られた地域だ。それも昔からほとんど変化がないところが良い、いいや悪いというところなんだろう。でもわたしの境界域の日常にくらべたら、どうやっても入らないからそもそも煩わしいような行動をとらないんだろう。諦めである。

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変わりゆく畦の姿

2017-07-19 23:13:56 | 農村環境

 先日、仕事である水田地帯に足を運んだ。意外に畦に草が茂り、「このあたりは草刈をしないのか」、そう思わせた。よく見ると、畦に立札が立っている。いわゆる法人が耕作しているという表示。この地域ではそうした立札がない水田でも草刈があまりされていないから、法人だからといって何かが違う、という風でもなかった。我が家の畦の草刈をしていてよく思うのは、そもそもいまだ水田に道がつながっていないような地域にあっては、他人に耕作してもらおうと思っても受け手がいないだろう。今や国の施策はこうした条件不利地に多く発生している耕作放棄地の解消を目的に農地バンクとも言われる組織に積極的に農地集約を促している。つい数年前までは作業の受委託を促していのに、今や耕作を完全な形で委託する流れだ。ますます農業の集約化が進む、ということは農業をしない人が多くなる農村。そうなったとき、果たして土地管理はもちろんだが、農業用水利施設の管理がどうなっていくのか、不安は多い。生業としての農業を目指すわけだから、これまでのようにサラリーマンをしながら、あるいは自らの食料保持のための農業は消滅していく。我が家の草刈のように、多様性ある畦を残そうとする農家もなくなっていくのだろう。そう考えると、仕事上でよく耳にする環境配慮などという単語は虚しいものに変わる。そもそも自然環境とは希少種だけ保存すれば良いというものなのか。ごくふつうの畦に展開された植物多様性は、いずれ消え去るのか、それとも畦の草管理が滞ることで、また違った世界が誕生するのか、なかなか想像できない。いずれにしても意図的に畦に何かを残そうという光景はより一層減少していくことだろう。

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迷惑な湧き水

2017-07-18 23:41:40 | 農村環境

 駅まで歩いていると宅地内の舗装の割れ目から流れ出した湧き水が、7メートルほどある道路を横切って反対側までアスファルトを濡らし、そのまま50メートルほどだろうか、反対側の路肩を濡らすと、再び道路を横切ってこちらまで濡らしながら、水は川へと落ちて行っている。流れているというほど湧き水があるわけではなく、本当に濡らしている程度なのだが、アスファルトを乾かすことなく、長~い蛇の様に乾ききった路面を蛇行する。これはずいぶん以前にも触れたことがあるが、1年中湧き水があるというわけではない。水田に水を貯めている、いわゆるかんがい期間のみ。ようは水田の漏水が、地中に潜って、下の宅地の舗装を突き抜けて湧いているというわけだ。ずいぶん昔からのことで、今に始まったことではなく、そして宅地の人は文句も言わずに今に至っている。

 5月ころのことだが、わたしの通勤途上の道で、雨も降っていないのに路面が濡れて、いいや濡れているというよりもこちらは完璧に湧き水のように流れていて、これはきっと苦情が出ているだろう、そう思うような場所があった。わたしが駅に向かう道とは違って通行量が違う。国道並とまではいかないまでも、県道並の通行量がある。そして大型車もたくさん通る。実は湧き水は路面下を横断している水路のせい。このあたりはそもそも地下水が高いということもないほど乾ききった地域。したがって用水を引くということも容易ではない地域であったが、いわゆるかんがい水路開発によって導水されて、今では当たり前のように水がやってくる。とはいえ、今は農家が少ないから、こうした路面に湧き出した水は、とりわけ車で走っている人には気に入らない。したがって苦情がけっこう多かったという。秋まで待っていられないということで、片側通行で掘り返して、結局完璧に止水することはできなかったが、漏水しているであろう場所をコンクリートで固めて修繕したというわけだ。

 わたしが駅まで歩く道も、道幅で7メートルもあるから、そこそこの道なのだが、田舎ということもあって、どうにかしろという苦情は行政に届いているのかどうか、いずれにしても昔からこの光景は続く。

 湧き水といえば、西天竜の水は段丘崖下に湧水を導く。その典型的光景だったわさび畑は、今はだいぶ衰退している。かつて「わさび畑」で振れた空間に、様子はどうだろうと足を運んでみた。無残にもわさび畑にはいまだわさびの株は残っているが、雑草がたくさん顔を出していた。もう出荷するほど耕作をしていない様子だった。清流とも見えた水は、アオコで清らかさを失っていた。

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なぜ、みんな月曜休館なのだ!

2017-07-17 21:14:12 | つぶやき

 図書館のことも何度もここで触れてきた。が、例えばある図書館に久しぶりに足を運ぶと、ずいぶん光景が変わっていた。最近思うのは図書館の窓口にいる人たちの顔が「きつい」。お役所の顔が変わったのとは対照的に、図書館は以前よりお役所的になった、という印象を拭えない。催しをたくさん開いて、開かれた図書館を目指すのは良いが、いっぽうで専門職化した人々にとって、内心はいかなものなのか、

 確認したいことがあって図書館へ、と思ったが、今日は月曜日だ。よく利用する飯田中央図書館を頭に思い浮かべると、つい先日もカレンダーを見たばかり。17日は休館だ。月曜日が休日の図書館は多い。祝日が休館という図書館も多いが、とりわけ月曜日が祝日と重なって休日となっても、開館している図書館はほとんどない。したがって諦めかけたわけだが、そういえば地元の図書館は休館日が月曜日ではない。水曜日なのだ。このあたりの図書館で月曜日以外の曜日を休館日にあてている図書館は記憶にない。ほとんどが月曜日。そう思ってネットで検索してみる。月曜日が休館日であると明言していても、「もしかしたら」と期待を持って詳細を確認しようとするが、そもそも図書館カレンダーなるものを明示していない図書館もある。これほどのネット時代に至っても、そうしたサービスが曖昧な図書館が少なくない。

 そして祝日となった海の日の今日、検索してみると駒ヶ根市の図書館が今日を開館して明日を閉館としている。検索できる周辺の図書館を調べてみたが、ふだん月曜休館で、祝日の今日開館しているのは駒ヶ根市の図書館だけだ。そして前述したように、地元の松川町図書館は水曜休館だから今日は当たり前のことだが開館している。

 図書館は自治体ごとあるからその数は多い。なぜみながみな同じ日に休館しているのか、これほど多くの図書館が相互に休館日を融通することはできないものなのか、そう思うことは今日だけではない。今までにもそう思ったことは何度となくあった。もちろん求める資料がどこの図書館にもあるというわけではない。したがって諦めざるをえないことは多い。それでも同じ蔵書を置いていることも少なくなく、月曜日が休日のたびに、地元の図書館が開館していることに感謝している。

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