〝「権兵衛峠トンネル構想」が、ことしに入ってにわかに脚光を浴びて来た〟、そう始まる記事は、昭和55年8月18日付け信濃毎日新聞の特集「道-新たなアングル」である。同特集の30回目は「権兵衛街道」(国道361号)。調査費が300万円ついたものの、記事では「調査だけで四、五年はかかりそう」と記している。取り上げられた権兵衛街道の新たな道(トンネル)は、平成5年に工事が始まり、平成18年に供用開始となった。工事だけで13年、記事に記されたように当初の調査が計上された昭和55年から26年の歳月を積み上げている。総事業費約700億円だったというが、当時の記事では峠直下で700~2000メートルのトンネルを掘る予定でその工事費は100億円程度と記している。実際に供用開始されたトンネルは4467メートルとさらに事業費を上げた。
それにしても権兵衛街道にトンネルを、という声は報道中心に以前から聞こえていたものの、本当にトンネルを掘るんだと分かったときは伊那谷の多くの人が期待をもって聞いたはず。しかし実現するまでには長い年月を要した。それまでの権兵衛峠は伊那市羽広から山道を延々と登り、木曽へ抜けた。伊那谷から西山を望むと、「とてもあの山を越えて木曽に行くのは困難」そう思うほどに高山が連なる。しかし、伊那市あたりから西山を望むと、西駒ケ岳から下ってきた稜線と経ヶ岳から下ってきた稜線が交わるあたりは、ほかのどの地域から望む稜線よりも親しみがわくほど低く見える。「あそこなら木曽への交易ができそう」、そう思わせる。まさにそんな場所を求めて道を開けたのが「古畑権兵衛」という人だったから「権兵衛峠」と呼ばれるようになった。とはいえ、当時の道は小沢川を登っていって、どん詰まりのようなところから急な道を上る、険しい道だった。近しさを思わせた稜線を見て伝えられた予兆が記録されている(『上伊那郡誌民俗編』)。
権兵衛峠がすくと天気がよくなる(富県・西箕輪・辰野西)。
権兵衛峠がくもると雨になる(富県・西箕輪・辰野西)。
権兵衛峠に夕焼けがすると天気がよくなる(富県)。