明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(641)福島を忘れないで(齋藤夕香さんの訴え)

2013年03月13日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130313 22:00)

連日、この間の脱原発行動の様子をお伝えしていますが、今宵は、3月9日に東京・明治公園で行われた「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」の動画から、福島から京都に避難している齋藤夕香さんの発言をご紹介したいと思います。
齋藤さんは、京都にこられてから、伏見区丹波橋に立ち上がった市民放射能測定所に参加し、中心メンバーとして活躍している方でもあります。僕も何度もお会いしてお話をしたり、一緒に放射能のことを学んだりしてきました。

今日、この発言をご紹介するのは、ここに私たちの脱原発の大きな原点があるのではないかと思ったからです。齋藤さんは発言の中で福島のおかれた厳しい現実を語り、福島への協力を訴えています。彼女の家は放射線管理区域に相当する線量の中。しかしそこには彼女のご両親や高校生の娘さんが今も住んでいます。
そうした状況におかれ続けている福島の人々、東北・関東の高線量地帯にいる人々を、それ以外の地域の人々は、必ず助け出さなくてはいけない。少なくとも何らかの支援をしていかなくてはなりません。
しかしその際に、私たちが忘れてはならないのは、こうした齋藤さんをはじめ、放射能で苦しみを重ねている人々の、心から絞り出すような訴えこそが、私たちの、全国津々浦々からの脱原発の声の高まり、行動の高まりを作り出し続けているのだということです。
その意味で、福島への協力を訴えている彼女たちによって、先に、それ以外の地域の人々は背中を押され、助けられ、支えられてきたのだということです。それがあってこそ、私たちの国の原発は、今、たった二基しか動いてないのです。被災地域の外の人々は先に助けられている!僕はそう確信しています。

だからこそ、私たちは被災地域の人々をどうしても助けなくてはならない。いやもうどちらがどちらを助けるということではなくして、ただただ一緒になって、苦難をシェアしあい、重荷を分け持って、そして未来を目指さねばならないと思います。
それを通してこそ、私たちは私たちの世の中を変えることができる。今は貧困な私たちの関係性を、豊かなものに転換できると思います。そのためにも、齋藤さんの訴え、ここに象徴される、東北・関東の人々の叫びを、みんなで分かち合っていきましょう。

以下、彼女の発言を中心に作られたビデオクリップと、発言の書き起こしをご紹介します!当日の東京などのでもの様子を伝えたニュースとビデオも紹介します。

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「福島を忘れないで」~脱原発集会で避難者が訴え
http://www.youtube.com/watch?v=7licUlQRJCc

「福島から京都に避難した斎藤夕香さん(3:56より)」

私は子どもが4人おりまして、震災当初は福島市飯野町というところにいました。原発から約50キロ弱の町です。今は強制避難区域になった飯館村がうちの町に来て、いろいろと、変わらない状況です。
震災が来る前は、本当に平和に暮らしていました。震災が起こって、原発が爆発して、そのときも私の中ではよくわからなかったのですけれども、毎日、新聞を見ていても、だんだん地面の高い線量の方を報道しなくなって、空間線量ばっかり報道するようになって、何かおかしいなと思いました。
その線量もよく分からない人間だったので、それからネットで調べて、もうあそこは放射線管理区域で、人が住んではいけない地域なんだと、自分で測って、目で見てやっと分かって、それからいろんな周りの生活がすっかり変わってしまいました。

当時の5月23日、20ミリシーベルト撤回交渉に文科省に行きました。そのときから本当に自分の、普通にしていた仕事も手につかなくなって、周りの家族や友だちの一番大事だと思う人に、この状況を凄く説明したのですけれども、全然、実感がわかなくて、やはり目に見えないので。それをどう説明しようかと、学校の先生のところにもしょっちゅう通っていました。
うちは子どもが多いので、中学校、小学校、保育所の先生にそれぞれに言いにいって、まだ全然除染もする前に外に出そうとしている大人がたくさんいたのです。ぜんぜんもう、本当は子どもをそんなところで遊ばせていけないと、それが分からないのです、みんな。本当に知らされてなくて。

すごく報道の人たちがたくさん福島に来て、なんで避難しないの、なんで避難しないのって言われていたのですけれど、うちは避難区域ではなくて、強制的に避難しろとは言われてない区域で、でも放射線管理区域なのですけど、指示が出ていない地区です。なので、自主的に避難するほかなくて。
でもほとんどの人が動けてないのが現状で、私はもうなんとかして動かなくちゃいけないと思って、やっと去年の1月に決断して京都に動いたので、遅い方なのです。うちは福島で高校生の娘が普通に生活しているので、やはり大きい子どもはなかなか連れて来ることができません。
自主的に、強制的になんて言っても、連れてくることができないので、悔しい思いをしているのですけれど、私が来れているのも、親が元気だからなのです。介護状態だったりしたら、私は京都にまで来ることなどできないし、地元で踏ん張っていくしかないです。
みんな本当に、顔で笑っているかもしれないけれど、心の中では凄く泣いているのですよ。そういう状況を、本当にもう、みんな終わったって、収束したって、すごい思っているみたいなのですけれども、全然そうではないのだということ、むしろ悪化しているのだということを、もっと報道の人たちに取り上げてもらいたいです。

私たちも、本当にもう忘れ去られるのではないかと、不安でいっぱいなのですけれども、動く人も決まってくるのです。私も本当に何度も、やめて帰りたいと思ってしまうこともあるのですけれども、やはり誰かが言わないと、きっと変わらないし、これから子どもたちをどうやって守っていったらいいのか、本当に自分しか信じる人がいないくらいの状況なのですけれど、
やはり大人の責任でこういう社会を作り上げた以上は、私も大人なので責任があると思って、ただ単にそういう気持ちだけで、京都に避難をしました。本当にみなさんの力が必要なので、福島の人たちも頑張っているのです、なのでどうか、みなさんの協力でなんとかこの世界を変えてもらいたい。
この国がこんな国だったなんて、最初はもう本当にがっかりしていたのですけれども、でも今、こっちを向いて聞いてくれている人がこんなにいるということを、私は今、確認できたので、どうぞこれからも協力してください。どうもありがとうございました。

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脱原発を訴えるデモや集会、全国各地で(TBS NEWSi)
http://www.youtube.com/watch?v=09LMrqB2dTc

脱原発訴え、国会周辺に4万人(2013年3月10日)
http://www.youtube.com/watch?v=XVyFU_Dsa0E

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