ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

虚構と夢

2024年02月04日 | 文学

 今日はどんよりと曇って風は無いながら底冷えのする一日となってしまいました。
 朝はいつもどおり6時には起きて、休日恒例の朝湯に浸かってハムエッグと白飯の朝食を食いました。
 外出することもなく、久しぶりに読書をしました。
 村上春樹の新作「街とその不確かな壁」です。

 ハードカバーで660ページの長編で、もう少し若ければ一日で一気に読んでしまったと思いますが、読書をするにも精神の若さが必要で、衰えた私には半分読むのがやっとでした。
 残りの半分はこれからの楽しみに取っておきたいと思います。 

 最初は村上春樹の初期の名作「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」との類似を認めましたが、読み進むうちにそれは誤りであることに気付きました。

 まぁ感想は読み終わってからのことにしましょう。

 30代半ばまではいつも読みかけの小説があって、小説を読むのは飯を食うようなものでした。
 うつ病を発症してから読書という悪癖から解放され、小説を読む頻度は減りました。
 それはなんだか爽やかな気分でした。
 虚構の世界から現実世界へと大きく軸足を移した瞬間です。

 私は今も昔も真実は虚構の中にしか存在し得ないと思っています。
 現実はつまらないことの連続です。
 虚構の中に真実があるからこそ、人々は小説を読んだり映画やドラマ、芝居を観たりするのでしょう。
 しかし真実というのは怖ろしい物でもあります。
 真実から目を背けないと人間は真っ当な社会生活を営めないと思います。
 したがって虚構の世界に浸るのはほどほどにしなければならないし、また虚構に現れる真実はオブラートにくるまれているのです。

 筒井康隆が夢日記を書いてをそれを小説のネタにしているという話を聞いて、それを真似て夢日記をつけていたことがあります。
 しかしそれは非常に危険な行為であると気付きました。
 夢日記を付け続けていると夢の記憶が極めて鮮明になり、やがて夢と現実とが交錯し、何が現実なのか分からなくなるのです。
 そのため、夢日記は半年ほどで止めました。

 ヴィム・ベンダース監督に「夢の涯てまでも」という佳品があります。
 世間的には失敗作とされているようですが、私にとっては印象深く、愛おしい映画です。

 監督お得意のロ━ド・ムービーですが、その中で、夢に溺れ、夢中毒に陥る人々が描かれます。
 とても甘美で懐かしい、ノスタルジックな夢の世界に溺れ、現実を見失って破滅していく人々の物語です。

 夢と虚構には似た部分があると思います。
 虚構に溺れるのも、夢の世界に耽溺するのも危険な行為です。

 昔、私はその双方の危険に陥りかけたわけです。
 しかし社会人になって数年経ってから、私は現実世界に確たる地歩を固めたと自覚しています。
 それは大人として正しい通過儀礼であったと思いますが、同時にとても寂しいことでした。
 私は夢と虚構を離れ、つまらない現実を生きなければならないという過酷な事態に立ち至ったわけですから。

 これからも私は虚構の世界とは距離を置いて生きていかなければなりません。
 寂しいことではありますが、それが真っ当な社会人である以上、致し方ないことです。

   

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 生存に有利? »
最新の画像もっと見る

文学」カテゴリの最新記事