ブログ うつと酒と小説な日々 その上しょっちゅうホラー映画  

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさん(とびお)の日記

眠りすぎ

2017年01月22日 | その他

 最近朝が弱くなりました。
 休みの日でも、普段どおり6時半には起きるのを恒例としていたのですが、今日は9時まで寝てしまいました。

 ここ数ヶ月、こんな感じです。

 冬の寒さのせいなのか、疲れているのか分かりませんが、眠りが長くなるのはうつのサイン、眠らなくても平気になるのが躁のサインなので、軽いうつ状態が続いているのかもしれません。

 午前中は洗濯と掃除。
 お昼は近所の中華屋でタンメンを食い、リビングで昼寝。
 本当によく眠れます。

 眠りすぎをなんとかしないといけませんねぇ。

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日本の伝統芸能展

2017年01月21日 | 美術

 今日は北風吹きすさぶなか、日本橋の三井記念美術館に出かけました。
 「日本の伝統芸能」展を観るためです。



 京葉道路から首都高速をとばすこと約40分、都営日本橋地下駐車場に到着。
 歩いて7~8分で目指す美術館に着きました。

 雅楽・能楽・歌舞伎・文楽に関する様々な面や衣装、道具などが展示されていて、圧倒されました。

 わけても、早くになくなった妻をしのんで作製したという女の能面、「おもかげ」に魅了されました。

 その艶やかな面は、職人の魂が吹き込まれたかのごとくで、まるで生きているような錯覚にとらわれました。
 その魂を思うとき、同居人に先立たれたら、私は廃人同様になってしまうのではないかという危惧を抱かせます。

 今日は同居人の48歳の誕生日。
 出会った時、彼女は23歳でした。
 もう25年も経つのですね。

 これからも、末永く一緒にこの世を冒険したいものだと思います。


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埃の如く

2017年01月20日 | 文学

   今日は大寒。
 そのとおり、雨に小雪が混じる、凍えるような寒さです。
 もちろん、事務室は暖房が効いていますが、一歩廊下に出れば、寒くてたまりません。

 大寒の 埃の如く 人死ぬる

 
高浜虚子の句です。

虚子五句集 (上) (岩波文庫)
高浜 虚子
岩波書店

 

虚子五句集 (下) (岩波文庫)
高浜 虚子
岩波書店

 俳人の死生観がよく表れています。
 人の死など、この世のおおきな流れのなかでは、埃のようなもの。
 それを大寒という寒々しい言葉とからめ、一種神々しいような、厳粛な雰囲気を感じます。

 この清浄な寒さのなか、死んで行ければどんなに良いか、という、昏い退行の欲求を覚えずにはいられません。
   ここ数年、フルタイムで働いてはいるものの、気力体力の衰え激しく、このままでは職場のお荷物になってしまいかねない、という危惧も手伝って。

 それでも私は、生きなければならないのでしょうか。

 
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怪談

2017年01月18日 | 文学

 朝、起きたら腰が痛く、ひどく体が重かったので、熱を測ったら37度2分ありました。
 ほんの微熱ですが、私は極端に熱に弱く、これでは使い物にならんと思い、急遽休暇を取りました。

 8時30分に職場に連絡し、風邪薬を飲んで、午後3時まで眠り続け、寝汗をびっしょりかいたら、変に気分が良くなっています。
 熱を測ったら36度8分まで下がっていました。

 風呂で寝汗でべとべとした体をきれいに洗い、小池真理子御大の短編集、「怪談」を読みました。

怪談
小池 真理子
集英社

 7つの短編が収録された、260ページほどの短い小説集です。

 タイトルから思い浮かべるような、ホラー小説集とは趣を異にしています。

 これと言ってストーリーらしいストーリーが無い、ちょっとだけ不思議な物語がつむがれます。
 そしていずれの短編も、怖くありません。
 どちらかというと、ほのぼのするような怪異譚です。

 御大はかつて、「墓地を見おろす家」のような、本格的なホラー小説を物していますが、今回の短編集はその系譜に連なるものではありません。

墓地を見おろす家 (角川ホラー文庫)
小池 真理子
角川書店

 一歩間違えるとエッセイのような軽いタッチで、しかも耽美的で艶やかな文体で、物語が語られます。

 なんとなく、愛おしいような、懐かしいような小説群です。

 もしかしたら小池御大が書いてきたような、華麗な小説から比べると、評価は高くないのかもしれません。

 しかしだからこそ、御大の新境地と言うべきなのかもしれません。
 
 私はじゅうぶん堪能しました。


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物語の勝利

2017年01月17日 | 文学

   今日はあの阪神淡路大震災から22年の節目。
 かかる大災害は人智を超えたものであり、私たちはただ現実の巨大さに、瞑目する他ありません。

 事実は小説より奇なり、と申します。
 まこと、この世に起こることは、フィクションを超える驚嘆すべきことばかりです。
 
 例えば9.11のテロ。
 あんなことは、どんな物語作者でも思いつかない奇想天外な事件でしょう。

 さらにはオウム事件。
 古くは浅間山荘事件。

 現代社会において、小説よりも奇妙な事件がいくつも起きています。

 小説をはじめとする物語は、あくまでも虚構であって、現実を模したものであっても、現実を超えるような、一種の怪異譚であることが、その本質であろうと思います。

 例え恋愛小説や、サラリーマンの哀歓を描いた小説であっても、そこには必ず、現実を超えるような奇妙な味がなければ、凡庸な作品になってしまうでしょう。

 現実を超えること、言わば超現実こそが、小説の真骨頂であろうと、私は確信しています。

 で、事実は小説より奇なり、という言説。
 これは、小説は本質的に現実を超えることができない、ということを端的に表したものかと思います。
 絶望的な言葉と言ってもよいでしょう。  


 であるならば、物語作者は常に、現実よりも奇妙な世界を現出せしめるべく、研鑽を怠ってはならないでしょう。
 もしその努力を怠るなら、物語は奇なる現実に敗北し、虚構の存在意義そのものがゆらぐことになりかねません。

 一方私は、このブログでたびたび、真実は物語の中にしか存在し得ない、と指摘してきました。
 その考えは今も変わりません。
 それこそが虚構世界の存在意義です。

 例え奇妙さで現実に敗北することがあっても、真実の確からしさは、自然科学などの学問ではなく、どうしても物語によって示されると思っています。

 自然科学は、どのように世界は存在するかを究明するものであって、どうして世界が存在するか、世界存在の真実は奈辺にあるかは、物語や芸術によって示されるものです。
 それは学問が得意とする証明などではなく、予感や直観によって導き出されるものであって、学者と芸術家は似て非なるものだと言えましょう。

 私はあくまで趣味で小説執筆を行う素人に過ぎません。
 しかし素人だからこそ、売れる売れないを気にせず、現実と物語との闘争に励むことができるという面もあります。

 超現実の中に真実を示すことができたなら、それこそが小説の勝利であり、物語と現実を結ぶ接点になるでしょう。


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やるべきこととやりたいこと

2017年01月16日 | 仕事

   毎週のことながら、月曜日の、特に朝は憂鬱なものですね。

 就職したばかりの頃は、ベテランになればそういうことは無くなるものと思っていました。
 しかし、就職してそろそろ丸25年になりますが、休日明けの憂鬱さ、職場に行きたくないっ、という思いは、相変わらずです。

 よく、土日もいつもどおり起きるなど、生活のリズムを崩さないとか、土日はごろごろしていないで体を動かすと良い、とか言いますが、それも焼け石に水といったところです。

 それにしても、よくも25年も辛い月曜日を乗り切ってきたものです。
 ひとえに、収入が途絶えることが怖くて我慢してきた結果です。

 そして、まだ最低13年はこれが続くわけです。
 65歳まで再雇用を希望すれば、あと18年もあります。

 気が遠くなるような年月です。

 最近、来し方を振り返り、反省することしきりです。
 もっと自分に合った仕事に就くことが出来たかもしれない、とか、もっと努力すべきだった、とか。

 そうは言っても、時をさかのぼることは出来ません。

 やりたいこととやるべきことが一致している場合、ストレス無く仕事ができるのだろうと思います。

 しかし私がやるべきことは、やりたくないことばかりで、ストレスは溜まる一方です。

 もっとも、やるべきこと=仕事が、やりたいことと一致している人なんてほんのわずかでしょう。
 多くの人は、やりたくもない、向いてもいない仕事に就き、食うために、なんとなく続けてしまうというのが実状ではないでしょうか。

 私もまた、そんな凡人の一人です。

 せめて月曜日は靴をピカピカに磨き、一番派手なネクタイをつけて、気分を盛り上げて出勤することといたしましょうか。


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成田詣で

2017年01月15日 | 散歩・旅行

 昨日は寒いながら風もなく、晴れていたので、思い立って成田山にお参りに出かけました。
 
 成田山、千葉市の我が家からでもけっこう遠いのですよねぇ。
 高速を使っても、1時間近くかかります。
 これでは東京都心に行くのと大して変わりません。

 成田山は長くて趣深い参堂が特徴。
 江戸時代から続くような旅館や土産物屋、うなぎ屋などが店を並べ、1月も半ばだというのに多くの人が訪れていました。

 私はもちろん着物で出かけましたが、着物姿の紳士淑女も少なからず。
 浅草のように着物体験でグズグズに着こなした外国人観光客とは違い、みな粋に着こなしています。
 そんな姿を見て、和装文化も廃れてはいないと、嬉しくなりました。

 的屋もたくさん出ていて、それは大層な賑わい。
 途中、小雪がちらついたのも気分を盛り上げてくれました。

 今日は昨日と違い、北風が強く吹いていたので、床屋に散髪に行ったのと、スーパーで一週間分の買出しを行った以外は、日当たりの良いリビングでのんびり過ごしました。

 明日からまた一週間働かなければなりません。

 もう正月気分からは抜け出して、きちんと働きたいと思っています。


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バチカン・テープ

2017年01月13日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は休暇を取りました。
 午前中は寝ていて、お昼に鴨南そばを食い、DVDを鑑賞しました。

 悪魔払いの映画、「バチカン・テープ」です。

 

 これまで、エクソシズムの映画はたくさん観てきました。
 どのような悲惨な結末にしても、悪魔は祓われるのが悪魔祓いを題材とした映画の定番。

 しかし、この映画では、悪魔祓いに失敗し、聖書の黙示録による預言のとおり、悪魔は救世主のふりをして、この世に現われるのです。

 バチカンを始めとするカソリックは敗れたのです。

 この世の終りが始まる、という結末。

 私はもちろんキリスト教信者ではありませんし、神様とか悪魔とかいうものを全く信じていません。

 その私にしてからが、この結末はショッキングなものでした。
 熱心な信者には耐え難い結末でしょう。

 しかもこの映画では、バチカンの高僧が自ら悪魔祓いに臨み、失敗します。
 それを見届けたバチカンの幹部は、偽の救世主がまさしくアンチ・キリストであり、この世は破滅に向かって突き進んでいくことを知りながら、それを記録し、様子を見守ることしか出来ないのです。

 現実にはありえない話だと分かっていても、震え上がるほど怖ろしい作品でした。


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正月ボケ

2017年01月12日 | その他

   明日は休暇を取ることにしました。
 これで3連休になります

 正月が明けて、仕事が始まっても、なんだか正月ボケが治まらず、続けて出勤することが困難に感じられるのです。

 先週通ったのも3日間。
 今週も3日間。

 きちんと5日間通えるよう気力の回復を図りたいところですが、なかなかうまくいかず、朝起きるのもしんどい状況です。

 べつだん精神状態が悪いわけではないのですが。

 困ったものです。


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誘拐

2017年01月11日 | 文学

 昨夜は五十嵐貴久のミステリー「誘拐」を一気に読みました。

誘拐 (双葉文庫)
五十嵐 貴久
双葉社

 示唆に富んだ、上質の娯楽小説です。

 会社の人事担当課長として、苦しみながらリストラを進める秋月。
 ある時リストラを苦に、元社員が一家心中。
 元社員の娘が秋月の娘の親友であったことから、秋月の娘も自殺してしまいます。

 秋月自身も退職し、綿密な誘拐計画を立てます。

 歴史的な条約を結ぶため韓国大統領が来日するため、警察はその警備に全力を挙げるため、極端に警察力が手薄になるのを見計らって、なんと総理大臣の孫娘を誘拐するのです。

 格差社会への憤り、それを許す政府への怒りが、秋月を突き動かします。
 息をもつかせぬ疾走感をもって、秋月の犯罪と、翻弄される警察の姿が描き出されます。

 引き込まれました。

 結末はあっと驚くもの。

 基本的に邪悪な人間が出てこない、爽やかなミステリに仕上がっています。
 それが物足りない部分もありますが、読後感は清涼です。

 まずまず、楽しめました。


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成人?

2017年01月10日 | その他

 今年もまた、大人の仲間入りをするはずの成人式で、安い、揃いの化繊の着物を着た、精神年齢13歳くらいのおバカさんたちが、自分は子供です的な、愚かなバカ騒ぎを繰り広げました。

 なんだか年中行事のようになってしまった成人式のおバカさんたち。

 真面目に参加している圧倒的多数の新成人が可哀想です。

 私は二十歳のころ、大学生で、ちょうど試験期間中だったこともあり、成人式には参加していません。
 親のスネをかじる身で、成人式でもなかろうという白けた気分が支配していました。

 でも27年前、私が二十歳のころ、成人式は粛々と行われていたように記憶しています。

 二十歳なんてまだ子供だなぁと思わせる成人式を見つつ、成人年齢を18歳に引き下げるという議論を耳にします。

 これは荒療治のようでいて、意外と効果的かもしれませんね。
 18歳といえば大方は高校生。
 高校が厳しい態度に出れば、大人しくなるかもしれませんし、そもそも成人式に参加する人が減るでしょう。

 もう荒れる成人式は見たくないものです。


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寝て曜日

2017年01月08日 | その他

 今日はなんだか寝てばかりいました。
 朝は9時半まで寝ていて、昼飯を食った後、13時半から16時半まで寝てしまいました。

 寝て曜日ですなぁ。

 私の傾向としては、過眠が起きるとうつの前兆で、早朝覚醒など、寝なくても平気となると躁が疑われるのですが、べつだんうつっぽくもありません。

 まぁ、こういう日もある、くらいに気楽に考えましょうか。

 でもなんだか、一日損した気分です。

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ラスコー展

2017年01月07日 | 美術

 今日は上野の国立科学博物館に出かけました。
 お目当ては、ラスコー展

 1940年に、フランスのラスコー洞窟で遊んでいた子供たちが偶然発見したというラスコー洞窟の壁画にまつわる展覧会です。


 
 私はラスコー壁画は一種の落書きのようなものだと思い込んでいました。
 しかし今日、展覧会を見て、それは全くの誤解であったことを思い知らされました。

 2万年も前にクロマニヨン人によって描かれた動物を中心とする壁画。
 それは巨大で、しかも力強い美しさを持っていました。

 実物大の壁画の模型は、私を圧倒しました。

 真っ暗な巨大洞窟のいたるところに巨大な壁画を描くという行為は、一人でできるものではなく、しゃもじのような形状のランプに動物の脂を浮かべ、火をともし続ける役の人、様々な顔料を作る人、そして絵を描く人々の共同作業で進められたと推測されます。

 
 上の写真がランプです。

 2万年前に、ランプを灯してまで巨大壁画を残したクロマニヨン人に脱帽です。

 それは現代で言えば、一種の巨大プロジェクトのようなものだったのではないでしょうか。

 動物の壁画を残そうとする精神、そしてまた、それを集団で行おうとする意思。
 
 まさしく、芸術の誕生であり、巨大プロジェクトの嚆矢と言っても過言ではないでしょう。

 その時代にプロジェクトに携わった人々、そして、壁画を鑑賞した人々の精神を思うとき、私は人間精神の運動の深奥を見る思いで、深い感銘を受けました。

 同時に、この展覧会を強力に勧めてくれた同居人に感謝です。

 行く前は正直面倒くさかったのですが、これほど素朴で力強い感動を与えてくれる絵画は珍しいでしょうね。

 考古学的興味で見ても楽しめるものです。

 是非、お出かけください。


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駐韓日本大使一時帰国など

2017年01月06日 | 社会・政治

 釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことを受けて、わが国政府は、

 ①駐韓日本大使と釜山の総領事の一時帰国、
 ②在釜山総領事館職員による釜山市関連行事への参加見合わせ、
 ③日韓通貨交換(スワップ)の取り決めの協議の中断、
 ④日韓ハイレベル経済協議の延期、

 の措置を取ることを決め、韓国政府に通告しました。
 
 これはなかなか強い措置です。
 韓国国民の反発は必至でしょう。

 しかし、日韓両政府は、米国の仲立ちのもと、慰安婦問題は不可逆的に解決した、と共同で声明を出したところです。

 しかしかの国は、大使館前の慰安婦像を撤去しないばかりか、新たに総領事館前にも慰安婦像を設置してしまいました。
 韓国政府は、地方にお任せの立場で、日韓合意を誠実に履行する素振りすら見せません。

 さすがに寛容なわが国政府も、堪忍袋の緒が切れたのでしょうね。
 日本国民としては、今回の日本政府の措置を支持するほかありません。

 正直、嫌な話です。

 慰安婦の話は、強制連行などの、いわゆる吉田証言なるものが1980年代に発表され、にわかに国際問題になったもので、後の検証で吉田証言は虚偽であったことが判明しています。
 吉田本人も、「本に真実を書いても何の利益もない」などと主張し、創作した事を認めています。
 そもそも戦後40年も経って、突如として国際問題になるのも奇妙ですが、吉田なる人物の嘘の話が独り歩きしたのも不思議です。

 その後何人もの老婆が現れ、吉田証言を裏付けるような主張をして、まるで吉田証言が真実であるかのごとくに扱われるようになりました。

 本来であれば、わが国政府はこの時点で事実を徹底的に究明すべきでした。

 しかし、日本国政府は不思議な行動に出ます。
 つまり、当時の宮沢首相による謝罪から、河野談話にいたる、いわゆる土下座外交です。
 当時の政府高官は、後に、謝罪すれば韓国世論は収まり、事態は収束するだろうと思ったと、不誠実極まりないことを回想していました。

 虚偽の事実をもとに謝罪するとは、いかにも不思議だし、外交上許されざる失策です。
 謝罪してしまえば、国際社会はをそれを真実だと思うでしょう。

 さんざん日本軍の悪口を書き立てた朝日新聞も、1997年にいたって、ようやく、「吉田証言の真偽は確認できない」との記事を掲載しました。
 控えめな書きぶりながら、吉田証言が真実とは認められない、ということですから、朝日新聞はもっと大々的に誤報であったことを強調すべきだったと思います。

 吉田なる嘘つきの話が元で、今日にいたるもこの問題は尾を引き、日韓が合意した後までも今回のような事案を惹起せしめています。

 嘘なのか真なのかの検証を怠り、謝りゃいいんだろ、みたいな、逆切れ気味に嘘の謝罪をした日本国政府の責任は極めて重大で、日本国民としては真にお恥ずかしいかぎりです。

 もちろん、太平洋戦争下において、公娼としての慰安婦が存在したことは紛れもない事実です。
 そこには朝鮮人の女性も、台湾の女性も、日本女性も、大勢が働いていたことでしょう。
 金目当てか、女衒に騙されたのかは不明ですが、少なくとも官憲が無理やり強制連行したという証拠は、今に至るも出てきません。
 これは重い事実です。

 もし、慰安所を設置したこと自体が罪であるというなら、世界に罪のない国など存在しないことになるでしょう。

 現在、わが国には公娼というのは存在しませんが、売春宿でしかないソープランドというものが堂々と営業しています。

 これを特殊浴場などと呼んで誤魔化しているのは、ちゃんちゃらおかしいというものです。
 売春婦は人類最古の職業と言われるほど、古今東西、どこにでも存在し続けていますし、今後も人間が人間であるかぎり存在し続けるでしょう。
 これが冷厳な事実です。
 それを無くそうというのは立派な考えだとは思いますが、それは不可能なことです。
 
 それはさておき、国と国とが、これで手打ちとばかりに合意したわけですから、今後はこの問題を蒸し返す側に一方的に非があると思います。

 この際、大使の一時帰国などと言わず、召還と言ってしまえば良いのです。

 もはや、わが国は毅然たる態度をとり続けるしか、選択肢はありますまい。


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おもへば一夜

2017年01月05日 | 文学

 門松や おもへば一夜 三十年

 松尾芭蕉の句です。

芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
雲英 末雄,佐藤 勝明
角川学芸出版

 お正月を迎えて、来し方を振り返ってみれば、一夜の夢のごとくであった、というほどの意かと思います。
 この時、松尾芭蕉は30代前半。
 ようよう、俳諧師として身を立てることになった時期で、青年らしい気概と、過去を一夜の夢に例えるような老成した感じの、双方が感じられます。

 私は今年48歳になりますので、おもへば一夜五十年といったところでしょうか。
 何者でもない私ですが、半世紀ちかくを生きてしまいました。

 ここまで生きてきちゃったという感慨と、人生うまくいかないものだという思いが交錯します。

 しかし今は、人生80年の時代。
 まだまだ人生は続くのでしょう。

 どんな辛いことがあっても、死なないかぎり人生は続きます。

 これからは衰えていくばかりでしょうが、平穏な後半生であることを願うばかりです。


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