ブログ うつと酒と小説な日々 その上しょっちゅうホラー映画  

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさん(とびお)の日記

竜が最後に帰る場所

2018年02月18日 | 文学

 今日は快晴ながら、北風が強く、ひどく寒い一日でした。
 スーパーに買い物に行った以外は、家で大人しく読書などして過ごしました。

 恒川光太郎の短編集を読みました。

 「竜が最後に帰る場所」です。

竜が最後に帰る場所 (講談社文庫)
恒川 光太郎
講談社

 5つの短編が掲載されています。

 どれもこの作者らしい、不思議で切ない物語でした。

 わけても最後の「ゴロンド」という作品には深い感銘を受けました。

 ゴロンド(考える者)という名前の竜の一生を、詩的に描いた作品で、長い年月の流れを感じさせます。

 最近、この作者の小説ばかり読んでいます。

 ド嵌まりに嵌まった感じです。

 50歳近くなって、新たな出会いがあったことを、とても嬉しく思っています。


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祝 フィギアスケート 金銀獲得

2018年02月17日 | その他

  今朝は久しぶりに早朝覚醒してしまいました。
 躁状態の頃は毎日でしたが、じつに久しぶりに4時に目覚め、もう眠れませんでした。

 まだ暗い街を1時間ほども歩き回り、朝湯につかって飯を食ったら、また眠くなり、6時から7時くらいまで眠りました。

 ぼんやりテレビなど観て過ごしました。

 そして、今日のお祝い事をライブで見つめたのです。

 ユズユズとショーマ。

 圧巻の滑りで、見事金と銀のメダルを獲得。

 ここに到るまで、二人にはどれほどの試練があったのでしょうね。

 二人が日の丸を掲げてリンクをまわる姿に、深い感動を覚えました。

 おめでとう、ユズユズ、ショーマ。

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金色機械

2018年02月16日 | 文学

  昨夜、またもや恒川光太郎の小説を読みました。

 今までは、短編か、せいぜい中編程度の分量の作品ばかりで、長い物は書かないのかなと思っていましたが、文庫本で470頁を超える長編、「金色機械」です。

金色機械 (文春文庫)
恒川 光太郎
文藝春秋

 江戸時代、極楽園とも鬼御殿とも呼ばれる山中の賊のお屋敷で育ち、門番の小僧から大遊郭を任されるまでになった熊悟朗。
 彼は人の殺意を見抜く能力を持っています。
 そして人に素手で触れるだけで安楽死させる能力を持つ女、遥香。
 さらには謎の存在、金色様。
 金色様は金属でできたロボットのような存在ですが、心を持ち、しかも無敵といってよいほど強力です。

 章ごとに時代や主人公が異なり、少々戸惑いますが、やがてそれらは繋がり、一つの物語として完結します。

 石川淳の「至福千年」を思わせるような、江戸伝奇ロマンといった趣で、読ませます。
 抜群に面白い小説で、終わりが近づくと、読むのが惜しいような気分になります。

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)
石川 淳
岩波書店

 これは熊悟朗や遥香の成長の物語であるとともに、善も悪も併せ持つ人間というものの業を描き出した作品です。

 金色様というのは月から来た、という設定になっていますが、もしかしたら未来から来たのかもしれません。

 金色様を狂言回しに、200年近い物語が語られ、神話的でさえあります。

 短編や中編に見られた詩的な感じはなく、豊穣な物語に仕上がっています。

 ちょうど、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」「海の向こうで戦争が始まる」のような、詩編に似た小説から出発して、「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」のような、物語性豊かな長編を書くようになったのと似ています。

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
村上 龍
講談社

 

海の向こうで戦争が始まる (1980年) (講談社文庫)
村上 竜
講談社

 

コインロッカー・ベイビーズ 上下巻セット (講談社文庫)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)
村上 龍
講談社

 

愛と幻想のファシズム(下) (講談社文庫)
村上 龍
講談社

 熊悟朗が成長とともに身につけるニヒリズム、安楽死させる能力を持つが故に善とも悪ともつかぬ殺人を犯してしまう遥香の苦悩、そして、自分が何者なのか分からぬまま、かつて仕えた一族の末裔である賊とともに暮らし、賊が滅ぼされると遥香と行動をともにする金色様。

 誰もが悪くないようでいて、しかし全員が悪人のようにも思えます。

 そして、涙なしには読むことが出来ないラスト。

 私はこれまで、この作者の詩的な短編や中編を偏愛してきましたが、長編伝奇ロマンもなかなかのものです。

 是非、ご一読ください。


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凡人の生

2018年02月15日 | その他

   昨日、今日と、あまり仕事がありませんでした。
 急ぎではない仕事はありますが、そういうのはやる気が起きません。
 なんとなく、過去の資料など眺めて時間をつぶしました。

 こういう日が、時折あります。

 まぁ、事務職ですから、時季により、忙しいこともあれば暇なこともあります。

 今年度が終わると、就職から丸26年が過ぎたことになります。

 新人の頃から、辞めたい辞めたいと、ずうっと思い続けていますが、今更転職など思いもよらず、ダラダラと仕事を続けています。
 木っ端役人ですから、当然給料は安いですが、同居人と共働きのうえ、子供がいないので、裕福ではありませんが、さりとて生活に困るということはありません。
 生活の安定、ということだけを考えて選んだ職ですから、生活に困るようならすぐにでも辞めたのでしょうが、なんとなく人並みに生きられるため、辞める勇気がないままここまで来てしまいました。

 もう転職を考えることも、かつてのようにプロの小説家を目指してせっせと執筆することもありません。

 このまま惰性で定年まで勤め上げて、わずかに老後を楽しみ、後は死を待つばかり。
 それが今思い描いてる私の将来です。
 客観的に言って、面白くもおかしくも無い人生ですが、主観的にはこれまでずいぶん色々あったし、これからも色々あるのだろうと思っています。

 人間革命を起こし、何か新しい運動を始める可能性は0ではありませんが、おそらくはないでしょう。

 今は堂々たる凡人としての生を全うし、凡人の王として生涯を終えたいと思っています。

 

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わが国とインドの諸行無常

2018年02月14日 | 文学

   ここ数日、暖かい日が続いています。
 おかげで体がずいぶん楽です。
 職場の庭の梅も、ずいぶんと咲きました。

 季節は着実に移ろっているのですねぇ。

 平安末期から中世のわが国の文学では、盛んに諸行無常ということが言われます。
 わが世の春を謳歌した平家が滅ぶまでを描いた「平家物語」しかり。
 隠遁の文学、「方丈記」しかり。

平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
角川書店
角川書店

 

方丈記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
武田 友宏
角川学芸出版

 権力も生命も、あらゆるものは移り変わり、いつかは儚くなってしまう、という無常感。
 そしてそういった考えは、今も日本人の多くに、心中深く、根付いている感覚でもあります。

 諸行無常は、もともと仏教用語ですが、わが国においては、仏教本来の意味よりも、ずいぶんと詩的というか、情緒的、感覚的に使われているように感じます。

 原始仏教での使われ方を見ると、わが国の文学で使われる諸行無常という語感とは異なっていることが分かります。

 諸行は、あらゆる物事、行い、と言う風に思われますが、原始仏教では、もともと存在しないものを作り上げてしまう作用、と解されます。
 つまり、諸行は、人間が自分の思い込みで勝手に作り上げている世界認識、といった意味になろうかと思います。

 そうなると、諸行無常は、自己が作り上げた世界認識は、確かなものではなく、実態が無い、というのが原始仏教に近いものと思います。

 諸行無常という語に比べると、無味乾燥というか、文学的香気が無くなりますね。

 さらに、自己が作り上げた世界認識が苦の根源であり、これを消滅させれば、苦は無くなる、と言われます。

 また、なぜ自己が勝手に世界認識を作り上げてしまうのかと言えば、その原因は無明(ありのままの世界に対する無知)にあるとされます。

 無明のままに、自分が作り上げた世界認識で世の中を見ていれば、生は思い通りに運ぶはずもなく、それゆえに苦が生じるのだから、自分が作り上げた世界を消滅させれば苦は無くなる、という。

 これに、縁起だの諸法無我だの涅槃寂静などが加わり、仏教は精緻な論を作り上げていくわけですが、ここではわが国の文学と諸行無常についての関連のみを考えたいと思います。 

 また、お釈迦様が生きた時代のインドでは、輪廻転生ということが常識みたいなもので、ですからいわゆる諸行無常は、滅することもそうですが、生じることも同様に重要視されているものと思います。

 わが国の文学では、諸行無常という語感から、もっぱら滅び行くものを想起させるように感じます。
 しかしインドでは、滅びては生じ、生じては滅びる輪廻の思想を表す言葉であったであろうと思います。

 一般に、日本語は詩歌に適した言語であり、哲学などには不向きと言われます。
 学生の頃、西洋哲学の先生が、日本語で西洋哲学を講義するのは無理があるので英語で講義したい、などと言って、大ブーイングになったことがあります。
 西洋哲学を専門とする学者からみて、日本語は厄介な言葉であったようです。

 一方、わが国の詩歌や物語を偏愛する国文学ヲタクを自認する私にとって、日本語はかけがえのない、美しい言葉です。
 その日本的美意識が、仏教用語を、知ってか知らずか、詩的な言葉に変化させてしまったようです。

 もちろん、わが国が受け入れたのはサンスクリット語の仏教ではなく、漢訳仏教でしたから、漢民族の美意識からも、相当の影響を受けたであろうことは想像に難くありません。

 いずれにしろ、本来難解であったはずの仏教用語を、わが国の文学における趣深い言葉に変化せしめた所以のものこそ、わが民族の優れた美意識であったろうと思います。

 そのことを重視して、わが国で進化を遂げた諸行無常の解釈を尊重したいと思っています。

 
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オリンピック

2018年02月13日 | その他

  平昌オリンピックが始まりました。
 雪が足りないのではないか、という不安は杞憂に終わりましたが、寒すぎる、という問題が選手を苦しめているようです。

 わが国の選手も大いに活躍しています。

 それにしても笑えたのが、韓国大統領の、北のデブの妹に対する態度。
 まるで臣下の礼を取っているかのように、滞在中、付きっきりで接待していましたね。
 あれじゃあ、文政権は持たないんじゃないでしょうか。

 北のデブの妹も帰国したことですし、政治的なことは抜きにして、競技を楽しみたいと思います。

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湯島天神梅祭り

2018年02月12日 | 散歩・旅行

 昨日は3月下旬なみの陽気で、湯島天神梅祭りに出かけました。

 車を湯島天神駐車場にとめ、いざ、天神様へ。




 

 けっこう咲いていました。

 境内には的屋もたくさん出ていて、焼きたてのお煎餅をかじりながら、偶然やっていた、纏の演技を堪能。


 

 なかなか勇壮でした。

 その後上野までてくてく歩き、昼食。

 食後は上野公園を散策しました。

 多くの人が、春をかんじさせる日曜日を楽しんでいました。



 不忍池では、ボート遊びをする人が大勢。

 少し歩きつかれて、タリーズで珈琲を飲んで帰りました。

 けっこうがっつり歩いたように思います。

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春の気配

2018年02月10日 | 散歩・旅行

 今日は春を思わせるような暖かい陽気でした。
 陽気に誘われて、午前中、2時間ほどもご近所を歩き回りました。

 まだ春愁の気配は漂っていないようです。

 夕方は精神科の診察。

 良い気分で診察を受けられそうです。

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宗教とカルトを分かつもの

2018年02月09日 | 思想・学問

 最近、おっさんになったせいか、全く声をかけられなくなりましたが、学生の頃など、都内の繁華街でよく、「手相の勉強をしています」などと言って、明らかに怪しい宗教の勧誘と思われる人に引っかかりました。
 もちろん、それに応じるような愚は犯したことはありません。

 驚くべきことに、日蓮宗の寺院である実家に、霊感商法だかなんだか知りませんが、高額の壺などを売りつけようとする者が時折訪ねてきたことです。

 住職である父は激怒し、一喝して終わりでした。
 ていうか、お寺に霊感商法を仕掛けるとは、大したクソ度胸です。

 そういうことはもう20年も経験していませんが、時折、イワシの頭でもソンシでも良いから、それは嘘だと知りながら頭から信じ込めたら、生きるのが楽になるんじゃないかなぁと思うことがあります。

 既成宗教と新興宗教を分けるものは、要するに古くからある宗教か、最近100年くらいに生まれた宗教かということで、教義上の優劣は問えないものと思います。
 時の審判を経てきたという重みはあるにせよ、仏教もキリスト教も生まれたときは新興宗教であったわけですから。

 では、カルトと宗教を分けるものは何でしょうね。
 カルト(cult)は、もともと祭祀・儀礼を意味するラテン語だそうで、現在のような意味で使われるようになってからは100年も経たないようです。

 米国ではキリスト教系の新興宗教であるモルモン教やエホバの証人を指して使い始めた言葉と聞きますが、両方とも、カルトどころか、新興宗教とも言えないくらい広く浸透しています。

 こうして新興宗教は既成宗教になっていくのでしょうね。

 おそらく、カルトという言葉が広まった最大の事件は、人民寺院事件と呼ばれる、1978年に宗教コミューンにおいて発生した918名の信者による集団自殺事件ではないでしょうか。
 この事件をモデルにした映画がたびたび作られ、そのために多くの人に知られるようになっているように思います。

 おそらくカルトと新興宗教を分けるものは、①洗脳、マインドコントロールなどの精神操作、②信者に対する虐待や殺害、③全財産の寄附を強要するなどの経済的搾取、の三つではないかと思います。
 三つともそろえば間違いなくカルトだし、2つでもカルトと言えるのではないでしょうか。

 もっと言えば、信者の倫理性が陶冶されたか否か、それだけでカルトか宗教かを測ることができるかもしれません。
 宗教と倫理は密接な関係を持っていますから。

 しかし、カルトに洗脳されている最中は、その信者は自らの倫理性が陶冶されたと言い張るでしょうから、客観的ではありません。
 
 また、面白い現象として、反カルトの団体が出来ると、そのカルトの結束が高まったり、別のカルトが生まれたりという、反作用が起きることです。
 反カルトも、心理学的に言えば逆洗脳みたいなものですから、反カルトも過激になればカルトになっちゃうんでしょうね。

 セールスの達人が繰り広げる話術や人心掌握の技術は、カルトの洗脳とよく似ているそうで、人間、騙す目的は違っても、騙す方法は似ているのかもしれません。

 宗教が宗教であるためには、倫理性が当事者に十分担保されていることが最重要でしょうね。

 もっとも、既成宗教でも、葬式仏教などと揶揄されるように、単なる金儲けのためにやっているとしか思えない坊さんや神父、牧師などが存在することもまた事実。

 我が国では道徳教育に宗教色を出してはいけないことになっています。
 それでいて、最近は道徳教育を重視しようという流れになってきました。
 これはなかなか難しいと思います。

 なんだかんだ言っても、わが国の倫理規範を牽引してきたものは大乗仏教であろうと思います。
 それにプラスして、論語や神道の精神などがないまぜになって、日本教ともいうべき空気が醸成され、わが国で生まれ育てば、自然とそれが身に付くようになっています。

 道徳教育においては、宗教教育というのではなく、さまざまな宗教の考え方を紹介する、という形でそのエッセンスを教え、もってカルトなどに走らぬように教育するのがよろしかろうと思います。

 もっとも、そんな能力を持った小学校や中学校の教師がいるとも思えませんが。


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月夜の島渡り

2018年02月09日 | 文学

 昨夜は恒川光太郎の短編集「月夜の島渡り」を読みました。

月夜の島渡り (角川ホラー文庫)
恒川 光太郎
KADOKAWA

 いずれも沖縄の離島が舞台の作品です。
 「月夜の島渡り」というタイトルの作品はありません。
 あくまで短編集全体のタイトルです。

 作者、出身は東京らしいですが、20代後半から沖縄に住んでいるそうです。

 東京出身でも、北海道や沖縄に移住する作家や芸術家が多いのはなぜでしょうね。

 都会を離れたかった?
 異界の空気に触れたかった?

 恒川光太郎はおそらくは異界への入り口があちこちに感じられる沖縄が気に入ったのだろうと推測します。

 この短編集の物語は、どれも短く、異界へと足を踏み入れるというよりも、沖縄の離島そのものが異界の香りがして、小説というより詩編のような趣を味わうことができます。

 その代り、物語としての迫力には欠けるように感じられます。
 そこは詩編ですから。

 私としては、生まれ変わりを扱って長い時間の流れを感じさせる「私はフーイー」がお気に入りです。

 いずれも短いし、不思議過ぎず、この作者特有の抒情というか切なさを感じることが出来るので、入門編に良いかもしれません。

 デビュー作にして日本ホラー小説大賞受賞作の「夜市」などは、少々味が濃い感じがしますので。

夜市 (角川ホラー文庫)
恒川 光太郎
角川グループパブリッシング


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死の季節ー右大臣の憂鬱ー

2018年02月08日 | 文学

  冬季うつ病なんて言って、冬はうつ状態に陥る人が増えるそうですね。
 寒いし、日は短いし、死を予感させる季節であってみれば、仕方ないのかもしれません。

 28歳で甥、公卿に殺害された右大臣源実朝は、父、頼朝亡きあと、政情不安が続き、兄の頼家が追放されてなお殺害された事実から、家臣に次のような絶望的な言葉を述べています。

 源氏の正統は此の時に縮まりをはんぬ。子孫敢えて之を相継ぐべからず。

 源氏の嫡流は自分で終わりにしようというわけです。
 おそらくは、そう遠くないうちに、家臣らに暗殺されるであろう運命を、かなり明瞭に意識していたのではないかと思います。
 そういう意味では、12歳で将軍になった時から、死の季節を生き続けていたのかもしれません。

 現とも 夢とも 知らぬ世にしあれば ありとてありと 頼むべき身か 

 現実とも夢ともつかぬ世の中で、生きているといってもそれを頼みにできるだろうか、といった意かと思います。

 聞きてしも 驚くべきにあらねども はかなき夢の 世にこそありけれ

 人の死を聞いても驚くにあたらないが、それにしてもなんとはかない夢のような世の中であることよ、といった意でしょうか。

 いずれも、右大臣の、厭世的というか、絶望的な死生観が見て取れますが、この人の歌は不思議と澄んで清らかです。

金槐和歌集 (岩波文庫)
源 実朝
岩波書店

 かの正岡子規が、あと20年生きていれば、どれほどの歌詠みになっていたことか、と嘆いたというのもうなづけます。

 右大臣は源氏の嫡流であるという貴種であるがゆえ、死の季節を生きなければならなかったわけですが、明治以降の戦争では、いずれも名も無い雑兵こそが、死の季節を生きる運命を背負っていました。
 誠に悲しいことです。

 欧州でも、わが国でも、中世においては戦いは日常茶飯事。
 貴種でも庶民でも、死の季節を生きなければならなかったことは同じなのかもしれません。
 人の死が、現代から考えられないくらい軽い時代だったのでしょうね。

 戦いで死ぬ可能性は極めて低い現代日本に生まれたことは、この上ない僥倖というべきでしょう。

 しかし、その僥倖をただ喜ぶのではなく、将軍にして右大臣であったほどの身分の高い人が、常に暗殺に怯えなければ生きていけなかった時代があったことを、時には思い出し、わが国及び全世界の平和を願わなければなりますまい。


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北方領土の日

2018年02月07日 | 社会・政治

  今日は北方領土の日、なんだそうですね。
 昭和56年の1月に閣議決定されたそうです。

 1855年のこの日に、日露通好条約が調印されたことにちなんでいるのだとか。

 しかし一般的に言って、実効支配している国が領土を平和的に返還するということはあり得ません。
 そのあり得ない奇跡が、沖縄返還でしょうね。

 しかしそれは、米国軍の広大な基地という副産物を残しました。
 米国にとってみれば、いざとなったら戦わずして撤退する、という選択肢も取れます。
 なにしろ沖縄は米国領から外国になったのですから。

 近い将来、北方領土問題が解決することは無いとは思いますが、万が一の奇跡を信じて、言い続けるしかありますまい。
 
 かつてソ連邦の崩壊や、東西ドイツの統一など、誰も信じていませんでした。
 しかし、それが成ってもう30年ちかくが経とうとしています。

 この世に起こりえないことなどないと知れば、北方領土返還を言い続けるのも、必要なことなのでしょう。


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おめでとう

2018年02月06日 | その他

 このブログで、過去何度か、年に2回痛飲している女友達が二人いることは紹介したとおりです。

 そのうち、目黒のマンションで一人暮らしをする49歳の女性から、このたび結婚する、というメールが届きました。
 親戚のおじさんのような心境で、私も嬉しく思います。

 ごく内輪の披露宴にお呼ばれすることになりました。

 そんな内輪の会に、新婦側友人で一応男性である私を呼んでいいのかなあ、とも思いましたが、18年来の飲み友達でもあり、出席を快諾しました。

 49歳、正直もう無理かなと思っていたのですが、出会いというのはどこに転がっているか分かりません。
 しかも、出会ったのは去年の秋とのことで、まだ1年も経っていないのですから、人生は分かりません。

 元々日本人形のような可愛らしい女性で、あまたの男性を振ってきた強者でもあります。

 私が出会ったのは30歳の時。
 私は28で結婚したので、出会ったときすでに対象外であったわけで、だからこそ友人関係が保てたものと思っています。

 これからは夜遅くまで付き合わせるわけにはいきませんね。
 
 それだけが残念です。

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痛い

2018年02月05日 | その他

 昨日、今日と偏頭痛に悩まされ、ほとんど横になっていました。

 今朝は月曜日ということで、頑張って6時半におきたのですが、頭痛やまず、結局休んでしまいました。

 週のあたまからだらしないことです。

 明日はきちんと出勤したいと思っています。

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2018年02月03日 | その他

 今日は節分ですね。

 実家にいた頃は毎年豆まきをしていました。
 実家を出てからも、申し訳程度にやっていましたが、いつの頃からか、やらなくなりました。

 恵方巻きとか言う太巻きが関東でも売られるようになったのはいつからでしょうか。

 私が子供の頃はそんもの名前も知りませんでした。

 なんでも関西のほうで、太巻きを、その年の吉方に向かい、黙って食すという一種の神事があるそうで、それをコンビニだかスーパーだかが聞きつけて関東でも一儲けしようと企んだのが始りのようです。

 今では首都圏のどこのコンビニでもスーパーでも売っていますが、買っている人を見たことがありませんし、そんなことをしているという人も一人も知りません。

 せめては鬼も含めて、実在する生き物、この世ならぬ生き物、すべてに福があらんことを願うばかりです。

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