ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

早朝覚醒

2020年06月30日 | 精神障害

 最近、早朝覚醒というか、深夜覚醒というか、とにかく睡眠が短くなって困ります。
 今日は午前2時に起きました。
 トイレに行って、また布団にもぐりこんだのですが、もう眠れません。

 今、午前4時10分。

 もやもやしながら、この記事を書いています。

 寝つきはすごく良いのです。
 午後8時ころには眠くなって、9時には寝てしまいます。
 ただ、睡眠が朝まで持続しないのです。

 年寄は早起きだと言いますが、私もその部類でしょうか。

 一方、早朝覚醒はそうは言っても眠れますが、不眠症で睡眠薬が手放せない、という人もいます。

 有名なところでは、椎名誠がそうだと聞いたことがあります。
 35年間も不眠に悩んだそうです。

 しかし、転んでもただでは起きないというか、商魂たくましいというか、不眠に関する著書「ぼくは眠れない」を書いて小銭を稼ぐとは、作家魂すさまじいと言うべきでしょうか。 

 早朝覚醒は躁のサインでもあります。

 ただし、それは起きるなりパソコンを立ち上げてものすごいスピードで駄文を書き連ねるか、あるいは真っ暗な町を何時間も歩くか、いずれにせよ過剰に行動的になる、という状態が現れた場合です。

 今はソファーでゆっくりする程度です。
 今日も深夜2時に起きて、2時間ほどぼうっとしてからこのブログを書き始めました。

 私とは逆に同居人は宵っ張りの朝寝坊で、出勤時刻の20分前まで布団から出ず、起きるや、怖ろしいばかりの形相で朝の支度を整えます。

 凸凹夫婦というべきか。

 しかし私は、最近開き直って、早朝覚醒でぼうっとする頭を熱い珈琲で無理やり覚醒させ、与えられた時間を、読書をしたりDVDを観たりといった、好きなことに使おうを考えるようになりました。
 眠れない、と嘆いても詮無いこと。
 むしろ自由時間を与えられた、と思えば良いのです。

 仕事から帰るとへとへとで早寝し、出勤間際まで布団から出られず、では自由時間がありません。

 同居人は深夜まで起きて自由時間を楽しみ、私は深夜に起きて自由時間を楽しむ。
 どちらも自由時間に変わりはありません。

 年を取ると早寝早起きになると聞きますが、まったくそのとおりです。
 人に起きることは大抵、自分にも起きるようです。

 


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貧乏旅行

2020年06月27日 | その他

 今日、貧乏旅行のTV番組を見ました。

 そこで、はるか昔の貧乏旅行を思い出しました。
 旅行先はインド。
 大学の卒業旅行で、インドを目指したのです。

 しかも一人旅。

 語学に若干の不安を抱きながら、観光英語くらいはどうにかなるだろうと思い、決行しました。

 宿泊先も決めず、完全な自由旅行。
 パッケージツアーにしようなどと、微塵も考えませんでした。

 どうしても行きたかったのは、お釈迦様が悟りを開いたとされるブッタガヤー、それに、全身をその川に浸せば極楽往生できると聞いた、ヴァラナシのガンジス川。

 10日間の旅でした。

 空港に到着して、タクシーでオールドデリーを目指した途端、カルチャーショックを受けました。
 私が乗ったタクシーに突如、助手席に見知らぬ男が乗り込んだのです。
 少し強めに「Who are you?」と問だたしたら、「No probrem」とか言いやがります。

 さらには、「お前は俺が乗ろうが乗るまいが、オールドデリーまで行って、料金を支払うのだろう」とぬかしました。
 私は日本でしか通用しない理屈をインドでかましたところで、無駄だと思い、それを許したのでした。

 オールドデリーに着いて、あまりの暑さに閉口しながら、一泊80円の宿に泊まりました。
 考えられない安さですが、インドでは当たり前。
 金が無かったわけではありませんが、私はあえて貧乏旅行にこだわったのです。

 宿の天井には、ヤモリが這っていました。
 翌日、オールドデリーとニューデリーを観光。
 オールドデリーでは馬車、車、人力車等々が走り回り、混沌としていました。

 ところがニューデリーでは、車、しかも日本車を含む外車が走り回り、近代的な都市でした。
 マクドナルドの入り口にライフルを持った警備員が立っていたのは驚きでしたね。

 高級レストランでもないのに。

 翌日、電車でヴァラナシに向かいました。
 ホームで6時間待ち、やっと来た電車に乗り込んだら、私の席にインドの紳士が座っています。
 私が文句を言ったら、24時間前のダイヤに乗ったのだとか。

 一日遅れだったのですね。
 インド、おそるべし。

 それでもヴァラナシに着きました。
 ガンジス川までは、ほとんど迷路。
 狭い路地が連なり、どこをどう歩いたのか、川岸に着きました。
 そうっと左足をガンジス川につけたら、ぬめっとしています。
 とても全身つでつかる気になれませんでした。

 私の左足だけが、極楽往生を遂げるのでしょうか。

 ガンジス川を周遊する小舟に乗りました。
 そこでは岡山から来た女子大生二人と同乗。
 日本語が妙に嬉しかったですねぇ。

 ヴァラナシの夜、私は愚行に走りました。
 怪しげなおっさんから大麻を購入。
 大麻を楽しんだその足で、売春宿に向かいました。
 大麻を吸っての性交、最高でした。

 翌朝、正気に戻った私は、昨夜の愚行を反省しつつ、ブッタガヤーに向かいました。

 人けの無い、静かな沙羅双樹。
 ここでお釈迦様は悟りをひらいたのですね。

 私がいくら沙羅双樹の下に座ったところで、悟りを開くなんてあり得ません。

 お釈迦様とはいえ、生身の人間。
 一体彼に何が起きたのでしょう。
 おそらくは、一種の神秘体験をしたのだろうと思います。

 その後一般的な観光をして帰りました。

 これ以上書くとあまりに長文になってしまいますので、これくらいにしておきましょう。

 懐かしい、貧乏旅行の思い出です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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通常勤務

2020年06月21日 | その他

 新型コロナ、まだ収束したとは言い難いですが、政府は県を超えた移動を許可しました。
 で、町には人があふれています。
 これでは早晩、第2波に襲われるでしょう。

 私の職場は時間だけは通常勤務に戻りましたが、まだ対面の会議は認められていません。
 メール審議か、リモート会議のみ。
 マスク着用が義務付けられ、消毒薬があらゆる部屋の前に置かれ、入室・退室の際は手の消毒が求められています。

 幸い、私の職場からコロナ患者は出ていません。
 仮に一人でも患者が出たなら、即日在宅勤務とし、その期間は2週間とされています。

 不謹慎ですが、死なない程度に患者が出れば、2週間職場に出勤しなくてよいのだな、と、それを望むような気持があるのは否めません。
 在宅勤務ですから、時間中はパソコンの前に座っていなければなりませんが、職場に行かなくてよいのは、気分的にずいぶん楽です。

 中学生の頃、試験前になると、学校が火事になればいいのに、とよく思いました。
 多くの人が、そんな気持ちになったことがあるのではないかと思います。

 それと変わらない気持ちを、50歳になっても持っているのですね。

 三つ子の魂百まで、とか申します。

 私の腐った精神が、昏い欲求を生ぜしめるのですね。

 反省しなければなりません。


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ペーパードライバー

2020年06月20日 | その他

 同居人は運転免許を取得してから30年も運転していないペーパードライバーです。
 それが、運転したいと言い出しました。

 義父が亡くなり、一人暮らしとなった義母の家に自力で行けるようになりたい、というのが主な理由です。
  義母が住む家は我が家から車で10分とかかりません。
 バスでも15分ほどです。

 齢80になり、足も弱くなった義母に何かあった時、駆け付けたい、という思いを強くしたようです。

 で、同居人の職場であり私の職場でもある勤務地からの帰り、同居人が運転してみる、という練習を昨夕行いました。
 職場までは約14キロ、40分ほどの距離です。

 正直、同居人が運転する車の助手席に乗るのは怖かったのですが、30年も運転していなかったにも関わらず、果然、運転を決意した同居人の意気に感じないわけにはいきません。

 職場の駐車場を一周してハンドルやアクセルの感じ、それにブレーキの遊びなどを確認するや、同居人は蛮勇を奮って一般道へと走り出しました。

 10時10分の位置でハンドルを握り、法定速度で慎重に、ゆるゆると進むその運転ぶりは、ペーパードライバーとは思えない見事なものでした。
 「怖い怖い」と言いながらも、安定した走り。


 14キロを走り切り、我が家の駐車場に無事車を収めた時、私たち二人は快哉を叫んだのでした。

 職場よりもはるかに近い同居人の実家までなら、何も心配いらないでしょう。
 同居人の次なる目的地は、17キロほどの距離にある霊園。
 最終目的地は江戸川区の私の実家です。
 距離にして、35キロほどでしょうか。

 同居人は高速道路に乗ったことがなく、80キロものスピードは経験したことがない未知の領域です。
 しかし、私の実家に行くには、高速道路を使わないわけにはいきません。

 車で実家に行くとき、運転は必ず私で、宴会などの場合、電車で行っていました。
 なにしろ酒好きの私のこと、宴会で酒を飲まないなんてあり得ないことです。
 
 同居人が私の実家からの帰路、運転してくれると、酒を飲むことができます。
 これはありがたい。
 酔って電車に乗るのはたいそう億劫ですからねぇ。 

 でも焦ることはありません。

 何回か職場の行き帰りに運転し、同居人の実家へも行き、霊園に行けるようになれば、おのずと私の実家への運転も、恐怖せずに行けるようになるでしょう。

 勇気ある同居人、おばさんなのに男らしいですねぇ。
 その男気を称えるため、魚屋で本マグロの赤身と中トロを購入しました。 
 これで酒を呷る同居人を見れば、ますます兄貴っぽくなることでしょう。
 

 

 


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スウィートホーム

2020年06月19日 | その他

 やっと金曜日の終業を迎えました。
 問題・課題は山積ですが、それでも週末はうれしいものです。
 金曜日の帰り道こそ、至福の時と言えましょう。
 
 家にいる場所がなくて、休みの日にはパチンコだとかネットカフェで過ごすお父さんも
いるやに聞き及びます。

 家庭が安らぎの場所で無いとしたなら、なぜ結婚して、子供をもうけたのでしょうね。

 我が家は子供がおらず、私と同居人だけの2人暮らしを、もう22年も続けています。
 2人は仲良し。
 大人二人の生活ですから、家が荒れるということはありません。

 子供ができるかもしれないと思い、4LDKのマンションを購入しましたが、子供部屋と考えていた二つの部屋は、私と同居人それぞれの書斎となっています。
なので、いる場所がないということはありません。


 20畳ほどのリビングダイニングでくつろぐもよし、寝室で昼寝するもよし、書斎でパソ
 コンを開き駄文を書いたり、ネットで遊ぶもよし。
 私にとって、我が家は最高に心安まる場所です。

 年老いて体の自由が効かなくなったとき、頼れる家族がいないというのは寂しいですが、
 少子高齢化の時代、配偶者がいるだけマシかなとも思います。

 最後はお金でしょうから、せっせと貯金して、老後資金を貯めないといけませんね。


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コロナ後

2020年06月17日 | 社会・政治

 コロナ騒ぎ、一応、収束に向かっているようですね。
 私の職場では、一時期、完全在宅勤務になりました。
 それが半々の出勤になり、今は週に一度、交代で在宅勤務ということになっています。

 それも今月いっぱいで終わり、7月からは少なくとも出勤だけは通常に戻ります。
 しかし、対面の会議は無期禁止で、オンラインかメール審議だけが認められています。

 コロナの一件、今後の社会の在り方に大きな影響を及ぼすかもしれませんね。

 職場にしても学校にしても。

 それがどういう方向に進むのかはまだ分かりませんが。

 世の中というもの、何も変わらないようでいて、変わる時はびっくるするくらいの速さで変化していきます。

 私がそれを実感したのは、ベルリンの壁崩壊から始まり、ソビエト連邦そのものが無くなってしまうのを目の当たりにしたときです。

 あの時も、共産主義を信じる多くの赤い国の民たちは途方に暮れたことでしょう。

 あの時は政治的でダイナミックな変化でしたが、コロナが残すものは、じわじわと、人々の生活を変えていくように思います。

 コロナ以降の社会についていけるようにしなくてはなりませんね。


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AI、恐るべし

2020年06月15日 | 仕事

 コロナウィルスは私たちの生活を確実に変化させました。

 会議は対面が無くなり、オンラインもしくはメール審議。

  そう遠くない将来、
「昔は会議ってみんなで集まってやってたんだって」
「えー信じられない」
「それに月曜日から金曜日まで毎日会社で働いて、家では働かなかったんだって」
「嘘だぁ」
 なんて会話が交わされるかもしれません。

 さらにはAIの導入で、雇用が大幅にカットされ、失業者があふれるかもしれません。 

  現在、情報革命の真っ只中。
 おそらく産業革命以上の変化をもたらすでしょうね。 

  先のことは分かりませんが、ある程度の予想はできます。
  鉄腕アトムのようなロボットが生まれるとは考えにくいですが、家事をこなすロボットや、災害時等、自衛隊も消防も出来ない救助活動を行うロボットは作れるのではないでしょうか。

 そして恐ろしいのは、AIの人間に対する反乱。
 古くは「2001年宇宙の旅」のハルコンピューター。
 さらに「ターミネーター」シリーズに「マトリックス」シリーズ。

 

 

 コンピューターが自ら意思を持ち、人間を攻撃する物語は多くあります。
 それはもしかしたら、物語ではなく、未来予知なのかもしれません。

 現にAIは自己学習を行うことで進化を遂げ続け、AIの専門家もこの先どうなるか予測できない、と聞き及びます。

 将棋は一流の棋士でもAIには勝てなくなり、AIとの対局自体止めてしまいました。

 50歳の私は、時代の変化に追いつこうともがいていますが、なかなか若い人のようにはいきません。

 現在の新人世代は、生まれた時からパソコンや携帯電話に親しんで生きてきたわけですから、敵うはずもありません。

 恥ずかしながら五十面さげたおっさんが、若い者に頭を下げて教えてもらう始末です。
 しかしサラリーマンを続けたければ、コンピューターに関するスキルは必須です。

 コンピューターが人々の生活を便利にしてくれたことは間違いないでしょう。
 その一方、あまりに進化が早くて、ついて行くのが精一杯、それが強烈なストレスになっている、という人も多いのではないでしょうか。
 特に中高年世代は。
 て言うか、まさしく今の私がそうです。

 何事も、古き世のみぞ慕はしき

 なんていう、徒然草の言葉が頭に浮かびます。

 それでも、もう算盤と手書きの書類に戻るなんてあり得ないことです。

 強烈なストレスを心中深く抱えながら、涼しい顔で平気を装い、若い者に教えを請う他ありますまい。

 


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寛解

2020年06月14日 | 精神障害

  昨日は4週間に1度の精神科への通院日でした。
 診察と言っても、最近は調子も良く、雑談をして帰りました。
雑談だけでも、15分は話を聞いてくれる精神科医は、稀有な存在と言えるかもしれません。

 私はかつて、自分に合う精神科医を求めて、4件のクリニックで診察を受けました。
 説教めいたことを言う医者、30秒ほど話を聞いて、患者が求めるままに大量の薬を処方する医者、病気を治すためには仕事を辞めた方が良い、といきなり爆弾を投げつけてくる医者、いろいろいました。

 今のクリニックは完全予約制でじっくり話を聞いてくれます。
 そのうえで、作戦会議のように薬の処方を決めていくのです。

 今の先生に出会えて、本当に良かったと思います。

 今は寛解の状態と言ってよいでしょう。
 あとは再発防止に努めるばかりです。



 


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よろづを投げ捨てて

2020年06月13日 | 文学

 我が身、五十余年を過ごし、夢のごとし、幻のごとし。
 既に半ばは過ぎにたり。
 今はよろづを投げ捨てて、往生極楽を望まむと思ふ

 今様を集めた「梁塵秘抄」に見られるものです。
 今様とは、今流行っている歌という意味で、平安時代末期の流行歌と言うべきものです。
 流行歌だけあって、恋の歌なども多くみられますが、極楽往生を望む歌が多いように感じます。

 冒頭の今様は、もっと長いのですが、後略としました。

 遊びや愛欲の世界に生きて五十を過ぎた男が発心し、極楽往生を望む今様です。

 私もまた、8月で51歳になります。
 発心を起こさぬどころか、まだまだ遊び足りない気分ですが、平安時代には50歳と言えば、老人の部類だったのでしょうね。

 人生の終わりを予感すれば、極楽往生を遂げたいと思うのは人情と言うべきで、まして仏教が人々にとって身近な存在であった平安時代には、当然のことだったのでしょう。

 現代では仏教と言えば葬式くらいしか思い浮かびません。
 私は寺で生まれ育ちましたが、仏教について詳しくはありません。

 それでも、死が訪れたなら、西方浄土に往生したいと思うでしょうね。
 もしそんな場所があるのなら。

 人生100年時代とか申します。
 そうだとすれば、私はやっと半分を生きただけ。

 まだまだ長い後半生が残っているはずです。
 その長い後半生を無為に過ごすか、発心を起こすかでは、大分異なるものになるでしょう。

 しかし今はまだ、仏道修行に励むつもりはありません。
 夢のごとく、幻のごとき毎日を過ごすより他ありません。

 それが人生を楽しむことだと思います。
 そして時が満ちたなら、よろづを投げ捨てて、仏にすがることにいたしましょう。


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憂き人

2020年06月10日 | 文学

 私が双極性障害(昔で言う躁うつ病)に罹患していることは、何度もこのブログで告白してきました。
 とは言っても、激しい躁状態は、一度しか経験がありません。
 とにかく気持ちが高ぶって、じっとしていられない状態で、最初は病識がありませんでした。
 うつ病が治ったくらいにしか。

 しかし、主治医によるとそれは立派な病気で、治療をしないと大借金を負うほどギャンブルをやるか、風俗遊びに狂うか、大酒をくらうか、あるいはその全部をやるかして身の破滅を招くと言うのです。

 いわゆる飲む・打つ・買うの三道楽というやつですね。

 それで、恐怖に打ち震えた私は、素直に主治医が処方した躁を抑える薬を飲み始めました。
 以降、躁状態は出現していません。

 考えてみれば、うつにしろ躁にしろ、元々は高貴な感情ではなかったでしょうか。

 うつは憂愁、メランコリー、などに通じる状態で、人間にのみ与えられたもの。
 ものを考えたり感じたりするとき、人はメランコリーに沈みます。
 だからこそ、哲学者はいつも難しい顔をしているのでしょう。
 憂愁というもの、過ぎなければどこか気持ちの良いものです。

 一方、躁状態にあるとき、人は立派な仕事を成し遂げたりします。
 芸術家や政治家に躁状態がよく現れると言います。
 一種の興奮状態が、創作や法案立案、選挙戦の勝利に結び付くのでしょうね。 

 それら高貴な感情を病気にしてしまったのは、文明の進歩か、あるいは医学の発展かもしれません。

 憂き人の 横目づかひや 春ともし

 小説家にして俳人でもある、猫鮫の句です。
 憂愁に沈み、物思いしながら蝋燭だかランプだかの頼りなげな灯りを横目でぼんやり見ている、といったところでしょうか。

 憂愁には、人間が持っている根源的な感情が存在し、それゆえに人はものを考えざるを得ないのでしょう。

 しかし社会生活を営むうえで、その高貴な感情は邪魔になります。
 嫌なことや面倒くさいことをするのが仕事というもので、それに耐えなければ飯は食えません。
 何事にも前向きに、余計な感情に惑わされず、仕事に精を出すことが自然に出来る人こそ、社会は求めています。

 憂愁に浸ったり、芸術的興奮に酔いしれるなどということは、ごく一部の天才にのみ許された贅沢と言えるでしょう。

 私は凡人であるがゆえ、そのような贅沢は許されません。

 しかし、悲しい哉、私はそのような贅沢が世に存在し、ごく一部とはいえ、その享楽に身を委ねている人が存在することを知っています。

 人間というもの、よくよく不公平に出来ているものです。

 現実を、社会を、迷いなく強く生きられる人になりたいものですなぁ


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ものうき日影落つる時

2020年06月06日 | 文学

 私が就職した約30年前、22歳の頃、体重は53キロでした。
 身長は165センチと小柄で、やせ型でした。
 その後多少の増減はあったものの、概ね体重をキープしてきました。

 ところが36歳~40歳頃にかけて、双極性障害のうつ症状で3度も半年以上にわたる病気休暇を繰り返し、その間、食っちゃ寝生活を続けた結果、20キロ以上太り、74キロにまでなり、糖尿病の治療を開始しなければならない状態にまで陥りました。

 その頃父が他界。
 そのショックで食欲が極端に失せ、酒ばかり飲んでろくに食わない生活を続けた結果、わずか1年で体重は48キロにまで減少。
 変な言い方ですが、飲酒ダイエットみたいな感じです。

 やたらと寒がりになり、力が入らなくなりました。

 これではまずいと思い、無理をして食うと戻してしまうの繰り返し。
 体重はなかなか戻りませんでした。

 しかし、人間というもの、どんなショックを受けても、時の流れとともにそれは和らぐようにできているようで、少しづつ体重は増え、今は53キロに戻りました。

 それとともにすこしづつ、嗜好が変化してきました。
 まず、珈琲を好むようになったこと。
 前は珈琲を飲むとドキドキするので、味は嫌いではなかったのですが、飲まずにいました。

 しかし、父を亡くして落ち込み、酒ばかり飲んでいた頃、しじゅう二日酔いになって、頭をしゃっきりさせるために珈琲を飲むようになりました。
 わざわざ珈琲問屋という店から色々な珈琲を購入しては味を確かめ、今はエメラルドマウンテンしか飲まなくなりました。
 それも濃いやつをブラックで。

 珈琲王という珈琲メーカーを買い、せっせと飲んでいたら、カフェインが切れると不快になるという中毒のようなことになってしまいましたが、酒は大幅に減って、体調がよくなりました。

 次に、少しですが甘い物を食すようになったこと。
 以前は甘いものは一切口にしない、辛党だったのですが、今は辛党寄りの二刀流になりました。

 三つ子の魂百までと言います。
 それは嘘ではないと思います。
 私は幼いころから怖いお話が大好きで、今もホラー映画のコアなファンですから。

 しかし、時間とともに変わっていくことも確かで、体重の変遷、嗜好品の変化がそれを物語っています。

 変わらないものもあれば変わるものもある、最近、そう実感します。

 そしてまた、まだ現役バリバリでなければならない50歳の私は、日ごとに過去の、元気に遊び暮らしていた20代の頃への追慕の念を深くします。

 ああ、やるせなき追慕の是非もなや。
 衰え疲れし空に鵯(ひよどり)の飛ぶ秋、
 風そよぎて黄ばみし林に、
 ものうき日影漏れ落つる時なりき。

 永井荷風がお気に入りのフランスの詩を文語調で訳した「珊瑚集」に見られる一節です。

 私はもはや若くはなく、かと言って老人でもない、人生の秋にさしかかったようです。
 まさに、ものうき日影落つる時、です。 

 気力・体力の衰えは隠しようもなく、最近、老眼鏡を作りました。

 山田風太郎は自らの老いを、老いると言うことは昨日できたことができなくなるのではなく、さっきできたことができなくなることだ、と書いています。

 長生きすれば、山田風太郎の言葉に納得する日がくるのでしょうね。

 私は衰え行く自らの精神と肉体を冷静に観察し、それに対処しなければなりません。

 結局私は、何をも為さず、ただ時を無駄に過ごしてきました。

 君過ぎし日に何をか為せし、
 君今ここにただ嘆く。
 語れや、君、そも若き折、
 何をか為せし。

 私はただ、憂色濃く、死と悪に惹かれる「珊瑚集」の残酷な一節を口ずさみながら、カフェインが切れた頭に酒を注ぎ、少しばかりの安寧を求めるばかりです。

 

 

 


  


 


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