土曜日の晩酌はつい過ぎてしまうようで、今朝は10時まで眠ってしまいました。
平日には絶対にあり得ない、日曜日の贅沢です。
さすがにそれだけ寝るとしゃっきりして、洗濯や掃除、買い物と、家事に励みました。
義母が施設に入所してから、同居人は日曜日、必ず義母を見舞うため、私が家事をやることになります。
20代の頃、独り暮らしを3年間していたので、大抵のことはできます。
面倒くさいことこの上ないですが。
そうやって午前中を過ごし、昼は近所の蕎麦屋で鴨せいろを食しました。
私はこれが好物で、休日の昼などよく食います。
しかも私が通う蕎麦屋の鴨せいろはしっかりとした歯ごたえと野趣あふれる鴨肉が楽しめ、しかもたくさん入っているうえ、鴨のつみれまで入っています。
値段は1,500円と少々お高いですが、その価値はあると思います。
午後はスバルに行きました。
私は半年に一度定期点検を受けられるコースに入っており、車購入の際にその分の金を払っているので、無料感覚です。
私は18歳で免許を取り、すぐに実家の車を運転し始めたので、もう35年のベテランドライバーですが、車のことはよく分からないので、バッテリーの交換さえ出来ず、雪の日なんかにチェーンを巻くこともできません。
そんな私にとって、定期点検は強い味方です。
そんな風にして、私の日曜日は慌ただしく過ぎてしまいます。
これから風呂に入って晩酌ですが、明日は仕事なので飲みすぎないようにしないといけません。
アルコール依存症の患者はみりんまで呑んじゃう人や、それどころかアルコール依存症のために入院しているのに、医療用のアルコールまで呑む人がいると聞いたことがあります。
私も酒飲みですが、みりんを呑むなんて絶対に嫌です。
それでも、日本酒や焼酎、ワイン、ウィスキー、アルコールが入っているものは大抵好みます。
酒飲みなんて愚かなものです。
もちろん、私もそんな愚か者の一人です。
依存症にはアルコール、薬物、ギャンブル、性、買い物など多くの種類があります。
私は博打は一切やらないので、ギャンブル依存症の気持ちは分かりませんが、勝つと大量の脳内麻薬が放出されるものと思います。
躁状態になると金遣いが荒くなります。
依存症のなかで最も金を遣うのはギャンブルであろうと思います。
ギャンブルを好まないのは本当に良かったと思います。
私は躁状態の時、酒や合法ドラッグにはまり、躁から醒めた後、同居人から離婚されるのではないかと恐れましたが、同居人は病気を憎んで人を憎まず、という態度で、私を許してくれました。
うつから躁に転じると、自分はうつを克服したと思い込みます。
そしてまるで神様にでもなったかのような錯覚に陥り、多弁になり、攻撃的になり、金を浪費するようになります。
さらにはろくに眠らなくても平気で、活動的になります。
私は徹夜で小説を書いたりしましたが、頭がおかしくなっているので、まともな物は書けません。
躁状態で借金までしてギャンブルや風俗にはまり、破滅していく人もいます。
生活を壊す恐れがあると言う意味で、うつよりも怖ろしい状態です。
主治医は私が躁転したことをすぐに見抜き、躁を抑える薬を処方しました。
薬のおかげで躁状態は半年も続かず、冷静さを取り戻しました。
以来15年くらい再発していません。
現代医学に感謝です。
ただ、時折もう一度躁状態になってみたいという欲望に駆られます。
あの万能感はとてつもない快感ですから。
でも薬を自己判断で止めることは出来ません。
そのくらいの冷静さは保っていられるようになりました。
世の依存症の皆さんが冷静さを取り戻してもらいたいと、切に願います。
コロナが5類に移行されるのが5月8日に迫りました。
この時期になって、6回目のワクチン接種券が届きました。
私は高コレステロールという基礎疾患を抱えているため、早く届くようです。
無料ですので、近いうちに接種しに行こうと思っています。
それはともかく。
コロナが収束に向かいつつあるということで、4月8日に3年ぶりに江戸川を渡って、都内、新小岩辺りを散策したことはすでにこのブログで報告したとおりです。
今日は少し風がありましたが、晴れ時々曇というまずまずの陽気に誘われ、散歩に出かけました。
遠くに行くのは面倒だし、かと言ってご近所散歩も飽きてきたので、車で20分ほどの、西千葉を目指しました。
ここは千葉大学、千葉経済大学などが立ち並ぶ、千葉県一の文教地区です。
車を西千葉駅近くのコイン・パーキングに停め、漂い出しました。
まずは西千葉から南に向かって歩きました。
この辺りは千葉市のなかでも豪邸が立ち並んでいて、お屋敷を観るだけでも面白いものです。
西千葉駅近くの住宅街や公園を歩き、西千葉駅前に戻ってパスタとサラダの昼飯を食し、濃い珈琲で疲れを癒しました。
長時間に及ぶ散歩は3年もしなかったので、思ったよりも疲れます。
次に駅前にある千葉大学構内へ。
国立大学はどこもそうですが、やたらとだだっ広くて木々が生い茂る、広大な公園のようになっています。
入試の時だけは部外者絶対立ち入り禁止ですが、普段はほぼ開放されていて、犬の散歩をしている人を見かけました。
土曜日で、しかも祝祭日という今日、学生も教職員もわずかで、猥雑な都会を歩くのとはまた違う趣があります。
構内にはつつじが見事に咲いていました。
この時期、文京区の根津神社ではつつじ祭りが開催されていて、コロナ前はよく出かけたものです。
根津神社は適度に勾配があり、咲き乱れる様が見事ですが、千葉大学のつつじもなかなかのものです。
ゴールデンウィークというと、日帰りできる範囲の横浜や鎌倉、八王子や川越などに軟弱にも宿泊し、散歩を楽しんだりしたものですが、コロナということで控えてきました。
そろそろ大丈夫かという今年、義母が施設に入所していることもあり、それは極めて困難なことになってしまいました。
わざわざ遠くへ行かなくても、近場でも歩いて面白い場所は点在しています。
これからはそういう所にばかり行くのでしょうね。
なんだかんだで14,000歩も歩いてしまいました。
こうやって普通の日常が戻ってくるのは喜ばしいかぎりです。
もう20年も前のことになるでしょうか。
田舎の某市長が、市役所で夫婦共働きをする者は給料を半分にする、と言いだしました。
某市役所で職場結婚すると、二人で一人分の給料にするということです。
これは明白な法律違反です。
当然、総務省からの指導により、この愚かな政策とも言えない制度はオシャカになりました。
それでも某市長、「市民の理解は得られると思う」と嘯いて見せました。
市民を馬鹿にした発言です。
もしもこのような制度があったなら、市役所職員同士の結婚は無くなるでしょうし、すでに婚姻関係にある夫婦は片方が退職するか、偽装離婚するでしょうね。
労働の対価としての賃金の意味が分からないお馬鹿さんです。
このニュースに触れた時、役人の賃金は安ければ安いほどよく、生きぬように死なぬように遇するべきだとする考えを持つ者がいることに驚愕を覚えました。
誰もがお金を稼ぐために労働しています。
公務員の給料は生活保護みたいなものなのでしょうか。
後日、首都圏とは異なり、田舎の役所は同じ地域の企業よりもずっと良いお給料をもらっていることを知りました。
それでそんな発言が飛び出したのでしょうか。
今、年金の支給は65歳からとなり、役人の世界では60歳でいったん退職して退職金をもらい、本人が希望すれば65歳まで再雇用しなければならないことになっています。
ただし、現役時代と同じ仕事をしていても、給料は半額になります。
それでも多くの人が再雇用を望むのは、年金支給まで食いつなぎたいと考えるからだと思います。
今後段階的に定年年齢は上がり、私の定年は65歳になります。
しかし61歳になると、給料は7割に減額され、役職も降格となるんだそうです。
年を取ると使い物にならなくなるから、という理屈でしょうか。
今後ますます少子高齢化が進み、現役世代が減っていき、高齢者の労働力に頼まなければならないというのに、高齢者の勤労意欲を削ぐようなことをするのですね。
40年ちかく勤めて、まるで姥捨てのようなことになるなんて、わが国は貧しくなりました。
これからますます貧しくなるでしょう。
筒井康隆の小説に「定年食」という短編があります。
「メタモルフォセス群島」という短編集で読むことが出来ます。
食料不足対策のため、定年を迎えると家族親族に食われなければならない世界を描いた気色の悪い作品です。
また、藤子・F・不二雄に「定年退食」というSF漫画があります。
こちらは定年を迎えると、ありとあらゆる行政サービスが受けられなくなり、食料が配給となった世界で、配給も受けることが出来ず、老人は見殺しにされていくというお話。
現代を生きる高齢者は身につまされるかもしれません。
老人を遺棄する姥捨山を描いた「楢山節考」は2度映画化され、後に制作された今村昌平監督の作品はカンヌでパルムドールを受賞し、世界に衝撃を与えました。
昔から老人を邪魔者扱いする思考は延々と続いています。
それは今も変わりません。
さすがに食うとか捨てるとか極端なことはありませんが、老いの先に何が待っているかを思うと慄然とします。
今は生涯独身の者も多く、私たち夫婦のような子供がいない者も多くいます。
家族が老後の面倒を見るのが当たり前という時代はすでに終わっています。
私は53歳で、まだ高齢者のうちには入りませんが、長幼の序などというのは絵に描いた餅だと思わざるを得ません。
これから高齢者をめぐる環境がどう変化していくのか、真剣に観察しないといけないようです。
今日は一日部屋に籠り、Netflixで寅さんを観たり、You TubeでBABY METALやSEKAI NO OWARIの動画などを観て過ごしました。
昨夜は土曜日ということで少し酒が過ぎたようで、動く気が起きなかったのです。
寅さんは第1作と第2作を続けて鑑賞しました。
寅さんシリーズは全て観ていますが、第1作と第2作は特に優れているように感じます。
寅さんは若くて元気だし、物語が第3作目以降よりも重層的だと思います。
基本的に寅さんが片恋をし、ふられて的屋の旅に出る、というのが物語の根幹をなすわけで、第1作目も第2作目もそれは同じです。
ただ、第1作目ではさくらの結婚があったり、第2作目では生き別れになった産みの母親に会ったりして、物語に厚みが感じられるのです。
寅さんは葛飾柴又の生まれ育ちということで、たびたび江戸川土手でくつろぐシーンが出てきます。
私はお隣の江戸川区で生まれ育ち、江戸川土手は懐かしい景色であり、江戸川土手の少し田舎臭い風情が、郷愁を誘います。
登場人物たちが操る爽やかな下町訛りもまた、私にとっては心地よい語感です。
ただし、葛飾柴又は下町というよりは郊外と言ったほうが良い立地で、駅前から少し離れると小松菜畑が広がったりしており、それは江戸川区も同じです。
しかし寅さんシリーズではそういった本当の柴又は描かれません。
あくまで下町の一角という設定です。
そこに少し違和感を感じます。
私の後輩に、寅さんを観ると腹が立つから観ない、と公言している者がいました。
寅さんのあまりの感情の起伏の激しさや、我儘なところが後輩にそう言わしめるのでしょうね。
ヤクザというもの、感情の起伏が激しい人が多いと聞いたことがあります。
怒った時は激しく、笑う時は腹の底から、悲しい時には人目もはばからずに泣いたりするそうです。
寅さん映画は一種のファンタジーみたいなもので、現実を描いたものではありません。
惚れっぽいくせに恋が成就したことはなく、毎晩酔っぱらっています。
そんな寅さんを観ていると、裏の顔というか、ヤクザの本性みたいなものが描かれていないことが、寅さんを奥手で純情な中年男に見せていると感じます。
しかし私は、裏の顔を描いた寅さん映画があったら興味深いと思います。
おそらくは博打もやるでしょうし、女も買うでしょう。
ヤクザ同士の紛争みたいなものもあるかもしれません。
そういったダーティーな面を描かないところがこの映画がファミリー向けのファンタジーになった所以でしょうね。
しかし人間には、どんな真面目そうに見える人でも、必ず裏の顔があるものと思います。
人間の本性はどうしようもなくドロドロしたものです。
そのドロドロを描くと文芸作品と言われ、描かなければエンターテイメントと捉えられるように感じます。
好悪は分かれるところでしょうが、どちらも興味深いものです。
寅さんは生まれ持ったヤクザな気性から的屋となって旅から旅の生活を送り、それは勤め人の憧れです。
毎日職場に通い、真面目に働いて給料をもらうという生活は堅実なもので、世間では人はそうあるべきだと言われています。
私は自身が真面目な勤め人であるにも関わらず、いやそうであるからこそ、寅さんのような生き方をしてみたいと感じます。
もしかしたら、そういう生き方こそ、人間の本能に従った正しい在り方なのかもしれません。
人間の本性が垣間見えると言いましょうか。
そうでなければ、寅さんがこれほどまでに人気が出るはずがありません。
日曜日の夕方は明日からの仕事を思い、憂鬱に沈むものですが、今日は「男はつらいよ」の第1作、第2作を鑑賞したせいか、少し、憂鬱が和らいだように感じます。
今日はよく眠りました。
朝は8時まで眠り、予約していた理髪店に9時15分に行き、散髪の間、11時までうつらうつらしていました。
帰宅して、近所の中華料理屋でランチのコースをいただき、買い物をして帰ってきたのが14時。
ソファに座ってテレビを眺めていたらまたもや眠ってしまい、起きたら16時。
うつ病の人の多くは不眠に悩まされるそうですが、私は過眠になります。
こんなに眠るなんて妙です。
うつのサインでなければ良いのですが。
目を覚ました時、同居人も隣で眠っていました。
その寝顔を見ていたら、この人が永遠の眠りについたなら、自分は耐えがたいほどの孤独感に襲われるのだろうなと思って、その若いとは言えない容姿もまた、年を経たなりの美しさを保っていることに気付き、ぼんやりとした不安を感じました。
SEKAI NO OWARIの「眠り姫」という曲のメロディが自然と私の頭に浮かびました。
近しい人や同僚が亡くなるというのは本当に深い喪失感を感じるものです。
それがパートナーならなおさらでしょう。
起きてもいない同居人の死という事態を思って感慨に浸るなど、ある意味残酷なことかもしれません。
先般、職場の同僚が56歳という若さでがんで亡くなったことはこのブログでも報告したところです。
多忙な毎日を送る私のまわりで起こる様々なことが、私を弱らせているような気がします。
木っ端役人生活を続けて32年目。
給料は涙が出るほどわずかだと思っていました。
しかしそれは客観的に見て間違いであったようです。
世代にもよりますが、概ねサラリーマンの平均的な年収は500万円程度だとか。
年収1,000万円を超えるエリートサラリーマンは1割にも満たないそうです。
私たち夫婦、一人一人は低収入ながら共働きなので、世帯年収はエリートサラリーマンと呼ばれる人の1.5倍ほどになります。
これはわが国の勤め人のなかではかなり多い方らしいのですが、ずうっと自分は貧乏だという感覚が抜けません。
小遣いは平均的なサラリーマンの何倍も多いようですし、へそくりというか、家計費とは別の自分の口座にもそこそこの金が貯まっています。
それなのに、どうしても自分は最底辺を彷徨う貧乏人だという思い込みから脱することが出来ません。
一つには、私が提供している労働の対価としては収入が低すぎるという実感が新人の頃から続いていることがあるでしょう。
さらには10数年前の躁状態の時に無駄遣いをして私個人の貯金を半減させてしまったということもあるでしょう。
しかし根源的な理由は、自由になる時間が平日はほぼ皆無だという、社畜と言うのでしょうか、奴隷のように働いているという感覚が強いことが挙げられるかと思います。
奴隷が高い収入を得たところで、使う自由がありません。
私たちはそういう世界で生きています。
時間と生活を天秤にかけて、生活を選び、自ら望んで奴隷となり、奴隷として生きてきたのですから、それは自業自得と言うしかありません。
時間を捨てたことが、貧乏感が抜けない最大の理由だと思います。
しかし、奴隷根性にどっぷり毒されてしまった私は、生活を捨てて時間を取るという決断がなかなか出来ずにいます。
答えは簡単なのです。
早期退職すれば良いのですから。
その簡単なことがなぜできないのか。
話は戻って生活を捨てることが出来るのか、という話になり、永遠のループに陥ってしまいます。
多分、私は生活水準を落とさないために奴隷として生き続け、引退後、そのことを後悔し続けるのだろうと思っています。
でも仕方ありません。
30年以上奴隷を続けた私には、もう奴隷しか出来ないように思います。
中国の諺、習い、性となる、とは、誠にそのとおりだと思います。
昨日ほどではないですが、今朝もなんとなく落ち気味でした。
しかし出勤しなければずるずるいってしまうと思い、蛮勇を奮って車に乗り込み、職場に向かいました。
職場の玄関を見た時、恐怖に駆られるような気分でしたが、ぐっと堪えて顔を検温器に近づけました。
この時ほど、熱があって入館できないという結果が出ることを切望したことはありません。
しかし検温器は無情にも、「正常な温度です」と声を出しました。
私は絶望に近い気持ちを持って、自分の机に座り、パソコンを起動しました。
メールチェックをしたら、40通のメールが届いていました。
1件づつ確認し、返信すべきものには返信し、単なる連絡メールは連絡メール用のフォルダに保管しました。
それだけでも午前中いっぱいかかってしまいました。
職場のメールは家のパソコンからも見られるように設定してあります。
というか、リモートデスクトップを導入しているので、職場のパソコンの電源を付けたままにしておけば、家で職場のパソコンにアクセス出来るように設定してあります。
コロナの影響で家にパソコンやタブレットがある者にはその設定をするよう指示があり、パソコンを持っていない者にはノートパソコンもしくはタブレットが貸し出されました。
また、オンライン会議に家から参加できるよう、マイク付きUSBイヤホンとウェブカメラが支給されました。
これらが、どこまでも追いかけてきて心を急き立てるので、平日に休んだ時は決してリモートデスクトップに繋げることも、職場のメールをチェックすることもしません。
もしかしたらコロナ禍に伴う在宅勤務のための措置が、休暇を取った日にも気になってしまうことが、心の平安を乱し、朝起きた時よりも昼過ぎのほうが余計に不安感を強め、ODをしてしまったのかもしれません。
5月8日から政府の方針に合わせ、在宅勤務も時差出勤も無くなります。
私は在宅勤務も時差出勤もしませんでしたが、在宅勤務でほとんど出勤しない者もいました。
そういう人にとっては、厳しい措置でしょうね。
今日も出勤することが困難かと思われました。
しかし不思議なもので、少しづつ働くことで、出勤できた、仕事もやっている、ということが自信に繋がるのか、精神が落ち着いてきました。
出勤したこと自体が最大の良薬であったようです。
今朝はなぜだか激うつに襲われて朝起き上がることが出来ず、やむを得ず、職場に連絡して休暇を取りました。
時々訪れる、あれです。
原因を探しても無駄です。
精神のバイオリズムというか、時どき躁状態に陥ったり、うつ状態になったりするのです。
そんなことに耐えながら、精神病薬を頼りに、職場に完全復帰して、もう14年になろうとしています。
それでも、かつて精神病で長期の休暇を取ったことは、今も私の職場での立場を危うくしています。
同世代のなかでは出世が遅れに遅れ、万年係長を続けています。
多分定年まで、これ以上は立場が上がらないでしょう。
肉体の病気による病気休暇を取った人は、そんなに影響しません。
私の職場では、精神病差別は根強く残っています。
現代を生きる私は、差別のなかで生きていくしかありません。
誰でもある程度年を取れば、どこかにガタが来ます。
それが私の場合精神病だったというだけです。
今日はひどく落ちて、朝飯も食いませんでした。
あまりに不安が大きくて、抗不安薬をOD(overdose)してしまいました。
ODとは薬物の過剰摂取のことで、処方の3倍飲んでしまいました。
そのせいで頭が朦朧としています。
ただし、不安はきれいに消えました。
ODを繰り返すと薬に耐性ができて、効かなくなってしまうので、禁忌とされていますが、処方量では効かないほどの、強い不安と焦燥感に襲われたのです。
ぼうっとした頭で、一日中、Netflixで様々なゾンビ物を観て過ごしました。
村上春樹の新作を買ってあって、それを読もうかと思っていたのですが、そんな気力は湧きませんでした。
ゾンビ物なら馬鹿々々しくて気楽に観られるので、ほとんどコメディを観ているような気分でした。
今夜は睡眠導入剤を早目に飲んで、眠ってしまおうと思います。
睡眠は何よりも効く良薬ですから。
そして明日は空元気を出して出勤したいと思います。
今日は初夏を思わせる晴天に恵まれました。
同居人は毎週土日の午前中は施設に入所している義母のお見舞いに出かけます。
その間に一週間分の洗濯をし、掃除を済ませます。
その後、加入したばかりのNetflixで米国の一話完結のゾンビ物のドラマを鑑賞。
先般私のマンションのすぐ隣にあるDVDのレンタル店が廃業しました。
なるほど、ネットで簡単にドラマや映画が視聴できる時代、実店舗が潰れるのもやむを得ないことなのかもしれません。
お昼前、同居人が帰宅し、近所のちょっと高い中華料理店でランチのコースを堪能。
大連からやってきた料理人が腕を奮う料理はなかなかの美味です。
ただし、お酒はなし。
せっかくの晴天だし、食後、近所を散歩しようと思ったからです。
ご近所を1時間ほど歩き回りました。
私が住むマンションはJRの駅に至近であるため、まわりは雑居ビルや集合住宅ばかりで、一軒家というものがありません。
そこで、少し離れた住宅街を歩きながら、あの家はぼろくて古いだの、庭が荒れているだの、悪態をつきながら散歩しました。
駅に近いということは飲食店や病院、ジムやサウナやパチンコ屋が集まる猥雑な場所です。
しかし猥雑である分、生活するのに便利でもあります。
今さら駅から離れた住宅地の一軒家に住む気は起きず、このマンションを終の棲家にしようと考えています。
5月8日から新型コロナウィルスはインフルエンザなどと同じ5類に分類されると聞きます。
以前のような生活に戻ったら、また週末お上りさんになって都内散歩を楽しみたいと思っています。
今朝、9時半にJ:comの業者が来て、2時間ほどかけて工事を終えました。
有線LANだった我が家もWIFI導入ということで、家中を這っていたLANケーブルが全て無くなり、清々しい気分です。
工事後、すぐにNTTに電話してフレッツ光を解約し、さらには実店舗に出かけ、auとの契約も安価なものに切り替えました。
TVはネットに繋がり、Netflix を導入したことで、じつに様々なチャンネルを観ることが出来るようになりました。
映画、スポーツなんでもござれです。
YouTubeも観られるようになり、しかも検索は言葉を発することで可能というのが感動的ですらあります。
最近の若者は地上波のテレビ番組を観ないと言われますが、納得しました。
騒々しいばかりの地上波の民放はおそらくもう観ないでしょう。
時代は進み、付いて行くのがやっとですが、それでも毛嫌いせずに根気強くやれば、新しい地平が開けます。
これから現在進行形の情報革命がどこへ向かうのか、今では情報工学の専門家ですら見当がつかないと言われています。
AIは勝手に学習して進化を続けています。
古くは「2001年宇宙の旅」のハルコンピューター、時代はくだって「ターミネーター」シリーズだの「マトリックス」シリーズだの、コンピューターが人類を支配しようとする映画はたくさん作られてきました。
それがあながちあり得ないことだとは言えなくなったような気がします。
かつてSFの世界でしか起こり得ないと思われてきたことが、続々と実現しています。
怖ろしいことです。
人間が想像できることは、人間が必ず実現できると言ったのは、SFの祖、ジュール・ヴェヌルでしたか。
そうなると、いずれはタイムマシンも出来るんでしょうか。
様々なことが可能になったその先の先には出来るのかもしれません。
しかし時間というものの本質や成り立ちが分からない現在では、とても無理なような気がします。
いずれにしろ機械文明と言い、情報革命と言い、昭和育ちの私には空恐ろしくてなりません。
日曜日は家事の日。
平日にはできない掃除や洗濯、食料品の買い出しなどで一日が終わってしまいます。
今日もそうでした。
家事というのは厄介なもので、どこまでやっても完全ということはありません。
専業主婦(夫)というのは時間がたっぷりあって羨ましく思いますが、家事の最大の欠陥は評価されないこと。
働く夫(妻)から見れば、食わせてやっているんだからやって当たり前、という態度を取られることが多いと思います。
わが家は正規雇用同士の夫婦のため、家事は平等に行わなければなりません。
でも平日は何もできません。
朝は7時半に家を出て、残業もあるので帰宅は20時ちかくになります。
帰ってきたらもうヘトヘトで、風呂に入る気も起きず、簡単にシャワーを浴びて、冷凍食品をつまみに一杯やったら、もう眠くなってしまいます。
平日の私は、生きているというより死んでいないと言ったほうが良いかもしれません。
私自身がそんな生活に耐えながら、よく世間のサラリーマンは平気な顔で生きていられるな、なんて同病相憐れむの感慨を毎日感じています。
サラリーマンは現代の水呑百姓。
例え高い給料をもらっていたとしても、時間を切り売りしてやっと生活が保たれるだけです。
わが家は共働きなので収入は多いほうだと思いますが、世間の最底辺を彷徨っているような気分がどうしても抜けません。
マンションのローンは繰り上げ返済を何度か行ったおかげでとっくに終わっており、買い物に行って値段を確認するということもなく好きな物を買って、クレジットカードの明細はほとんど見ずに捨ててしまいます。
世間はこれを贅沢と呼ぶのでしょう。
しかし、収入が安定していても、豊かな生活を送っているなんて、1ミリも思いません。
損な性分というか、怠け者というか、働いているというだけで、貧乏な気持ちが抜けません。
大地主にでもなって、土地のあがりだけで食っているような人を、豊かな生活を送っているのだと感じます。
その時々で最良と思われる選択を続けて今に至りますが、もしかしたら私は最悪の選択をし続けてきたのかもしれません。
そんな後悔と反省の日々を送って一生を終えるのでしょうね。
50代も半ばちかくになって、先が見えた私は、それでも働き続けなければなりません。
今朝は良く晴れて、天気予報では夕方までもつとのことでした。
コロナ禍も少し落ち着ついてきて、私の職場ではマスクの着用が自己判断となりました。
そろそろ好きな都内散歩に出かけようと、京葉道を車で西に向かいました。
聖地巡礼というんでしょうか、私が好きな「きのう何食べた?」で良く登場する新小岩のアーケードにある中村屋というスーパーを目指しました。
作品の中で登場する中村屋、実際の店名も中村屋です。
しかし、アーケードを歩き回っても中村屋はありません。
不審に思ってスマホで調べると、すでに閉店し、跡地には別のスーパーが建っていました。
それでも、狭いスーパーの雰囲気は味わうことが出来ました。
「きのう何食べた?」は料理好きの弁護士と、彼が作る料理を食べるのが大好きな美容師のゲイカップルの日常を淡々と描いて、じんわりと心に響く名作です。
中村屋を見られなかったのは残念ですが、昼にパスタとサラダ、珈琲を食し、散歩に出ました。
私は20代後半の頃、不本意ながら都内の機関への出向を命じられ、実家に戻っても良かったのですが、千葉での一人暮らしの快適さを知ってしまったため、高い家賃を払って新小岩に住みました。
6畳と4畳半の部屋と風呂、トイレ、キッチンが付いた間取りで、一人暮らしにはやや広かったのですが、千葉では6畳二間に6畳のダイニングキッチン、風呂が付いてわずか5万円でした。
新小岩はそれよりだいぶ狭いですが、家賃は9万円。
痛い出費ですが、どうしても寝る部屋と食事を摂ったりテレビを観たりする部屋を分けたかったので、身分不相応な物件に入居しました。
千葉の職場に復帰するまでの3年間、新小岩での生活を満喫しました。
駅まで徒歩10分ほどで、近所を親水公園が張り巡らされ、そこには桜もたくさんあって、住みよい場所でした。
それでも、人込みと、何でも並ばなければならない不自由さに閉口した覚えがあります。
かつて住んでいたアパートを見に行きました。
天気予報は外れて早くも13時半頃から小雨がぱらつきましたが、よく使った蕎麦屋や中華屋、大衆割烹など、多くの店がまだ頑張っていて、嬉しくなりました。
それらの街並みを歩いていると、タイムスリップしたかの如く、私の精神は20代後半の頃に飛んだのでした。
歩いたり泳いだりして体を動かした記憶。
若い同僚としこたま飲んでカラオケに繰り出した記憶。
職場での評価が上がっていった記憶。
欲望のままに悪行を繰り広げた記憶。
どれもが、精神障害発症前の、健全で、愛おしい記憶です。
今、私はどうしてこんなに疲れやすくて勤労意欲の無いおじさんになってしまったんだろうと思いながら、雨中の散歩でメランコリーに浸りました。
都内散歩を楽しんだり、少しづつ日常を取り戻しつつあります。
そんな中に感じるメランコリーは、どこか心地よくさえありました。
前回都内散歩を楽しんだのは、2020年の10月14日。
随分時間が経ってしまいました。
これからコロナが収まって、元気に散歩を楽しめるようになると嬉しいのですが。
先週、桜が満開だというのに、週末は本降りの雨で花見を楽しむことが出来ませんでした。
もう葉桜になっているかもしれないと思いながら、昨日、千葉城桜祭りに出かけました。
葉桜になっている木もありましたが、多くは散り始め、もしくは散り乱れていました。
満開の桜も良いですが、散り乱れる桜も狂気じみていてそれはそれで風情があります。
桜祭りは多くの人で賑わい、的屋もたくさん出店していて、太鼓の演奏などもあり、楽しく花見をすることが出来ました。
例年花見ではワンカップを飲むのですが、16時半から精神科の診察があったため、ペットボトルのお茶で清らかに桜を楽しみました。
これで今年の桜は見納めでしょうね。
寂しいかぎりです。
近頃週末に外出する機会が無かったので、久しぶりに良い土曜日となりました。
今日から4月。
令和5年度の始まりです。
特別の感慨はありませんんが、就職して丸31年が経ってしまったのかと、自分でも驚いています。
飽きっぽい私が生活のためとはいえ、ここまで続くとは。
午前中、J:comの工事がありました。
5つあるテレビの端子を更新するためです。
今まで私のマンションは4Kに対応していなかったのですが、これからは4Kも観られるようになります。
工事の人と営業の人が来て、工事中、延々と営業をかけられ、フレッツ光からJ:comに乗り換えることにしました。
月々の料金が半額以下になるためと、通信速度が100メガから1ギガになると聞いたので。
それとネットフリックスが観られるようになるのも魅力です。
4月15日(土)に工事が入ることになりました。
テレビ、パソコン、スマホ、全て初期設定をやってくれるとのことで、気楽です。
自分でやらなければならないのはは、フレッツ光とauのポケットWi-Fiの解約することだけ。
これも電話1本で済むようです。
このマンションも築20年を超えて、色々と古くなっているようです。
快適なネット生活が送れそうです。