台風、首都圏ではたいした被害はありませんでした。
それでも、昨日はそこそこの雨で、家に閉じ込められました。
今日は暑くて外出する気が起きず、テレビを見たり昼寝をしたり、一週間分の買出しに近所のスーパーに行った以外は、ごろごろしていました。
家でのんびりするのも良いかとおもったら、そうでもありません。
思考が悪い方に向かいます。
最近特に、過去の自分の行動を考えて、自分は人生の選択をする時、ことごとく間違ってしまったのではないか、と。
具体的に何が、と問われるとうまく答えられませんが、なぜかそういう気分になって、気持ちが沈みます。
明日からはまた一週間、つまらぬ仕事が待っています。
早く引退したいものです。
私は昔から、高校野球、特に夏の大会が嫌いです。
勝っても負けても泣くし、なんだか根性論みたいなことをほざく解説者は出てくるし。
今年の夏は記録的な猛暑で、熱中症などで多くの死者が出ています。
テレビのニュースでは、小まめな水分・塩分補給と冷房の活用を繰り返し呼びかけています。
そして何より、野外での運動を避けることを強調しています。
ところが高校野球。
続々と各都道府県の代表が決まっていますが、この酷暑のなか、選手も、応援する人も、へとへとだろうと思います。
いくら若いとは言っても、死人が出てもおかしくない状況で大会を強行しようとするのは、無謀とさえ言えるかと思います。
中止するか、延期すべきでしょうね。
ていうか、春の大会だけやって、夏はやめてしまったほうが良いと思います。
夏に無理やりやるのは、教育上もよろしくありません。
無理して頑張るやつが偉い、みたいな誤った考えを子供たちに植え付けてしまうでしょう。
時代錯誤というか、旧日本軍っぽいというか。
同じことは、2年後に迫った東京オリンピックにも当てはまります。
今からでも、東京近郊の暑さを世界に訴えて、10月開催とかにすべきです。
大人の事情があるのでしょうが、夏にやるなんて馬鹿げています。
どんな暑さ対策を打ったところで、高が知れています。
前の東京オリンピックも10月でしたし。
マラソンなどで死人が出たり、死なないまでもバタバタ倒れる選手がでたりしたら、もう東京オリンピックは失敗です。
おそらく、死の大会とかなんとか言われて、国際社会に恥をさらすでしょう。
首都圏近郊に住んでいる者なら、8月に首都圏で大運動会をやるなど狂気の沙汰だということくらい、誰だって分かっています。
政治家のセンセイだって、オリンピック委員会のお偉方だって。
分かってて声を上げないのは、夏の高校野球は健康に悪いから止めようと誰も言い出さないのとよく似ています。
高校野球の夏の大会の中止と、東京オリンピックの開催時期を秋にずらすことを、強く求めます。
最近お気に入りの、「チコちゃんに叱られる」という番組で、大人になるとなぜ1年が短く感じられるのか、ということが話題になっていました。
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子供の頃は、毎日新たな発見や疑問があり、楽しいことも多く、ときめきながら生きているため、1年が長く感じられるそうです。
年とともにときめきは薄れ、早くも19歳くらいから、時間の流れが速いと感じるようになるそうです。
大人は惰性で毎日の繰り返しを生きている、ということでしょうか?
しかし、私は1年があっという間に過ぎる、という、よく聞く言説が理解できません。
1年どころか、一か月だって、地獄のように長く感じる、というのが私の偽らざる実感です。
ときめきなんて言うものがあるわけではありません。
惰性の繰り返しだからこそ、長く感じるのだと思います。
1年前なんてはるか大昔だし、1年後は遠い未来です。
もちろん、過ぎてしまえばあっという間、というのは理解できなくもありませんが、今を生きる私たちは、常に過ぎ行く月日を生きているのであって、過ぎてしまった過去を生きているわけではなく、過去は後悔の対象だったり、甘美な思い出だったりはするものの、もはや過去を生きることはできません。
だからこそ、タイム・トラベルを扱ったSF作品が数多く作られるのでしょう。
絶対に不可能なことだからこそ。
未来に向かって生きることは、とりもなおさず死が近づいているということでもあります。
最後は必ず死ぬのであり、未来は絶望的です。
それでも、生物は生きなければなりません。
生まれてしまったものは、生きるほかありません。
そんな貴重な時間を、やれあっという間だの、1年が短いだのと、嘆いている場合ではありません。
地獄のような生を全うすることを、私たちは義務付けられているのですから。
今日はお昼から、実家の寺で祖母の法事があります。
早いもので、23回忌。
もうあれから22年が経つのですねぇ。
その時私は26歳で、一人暮らしをしてやりたい放題やって、天下を取ったような気でいました。
しかし、流れる月日のなかで、様々なストレスにさらされ、精神病の世界にどっぷりと浸かって生きるほかなくなりました。
月日の流れは残酷でもあります。
祖母は最晩年、自ら望んで施設に入りました。
見栄っ張りな江戸っ子気質で、家族に面倒を見てもらうことを潔しとしなかったように感じられました。
美人ながら気が短くて喧嘩っ早い、それでいて後に残らない、さっぱりした、どこかドライな性格で、それは私にも受け継がれているような気がして、幼い頃、私は祖母が好きでしたね。
もう23回忌。
親族の顔ぶれを見ると、ご多分にもれず、少子高齢化がしっかりと進んでいます。
そう考えると、祖母の最後の法事になるかもしれません。
はるか22年以上前の思い出を、しみじみと思い返してみようと思います。
明日の夕方、2週間ぶりに精神科の診察を予約しています。
ここ何年も、診察は4週間おきだったのですが、憂鬱感、悲哀感が2か月以上続いたため、前回、アリピプラゾール(3mm)が追加となったので、その効果のほどを報告し、さらに薬の調節が必要か検討するため、中2週間での診察となりました。
で、効果のほどはと言いますと、想像以上によく効いている感じです。
最初の2日ほどは、何かソワソワするというか、変な感じだったのですが、3日目からはそれも無くなり、朝は以前のように出勤の1時間以上前にばちっと目を覚まし、布団でぐずぐずすることなく起きて、卵と納豆の朝飯をしっかりと食えるようになりました。
午前中、いつも感じていた憂鬱感、悲哀感もだいぶ薄まり、自分の精神状態にばかり注意が行っていたのが、仕事に意識が向くようになりました。
なので、今回の薬の追加は成功だったと思います。
てなことを精神科医に言うつもりです。
事実、大分気持ちが楽になりましたから。
その後もう1回、2週間後に診察を受け、それで大丈夫なら4週間おきに戻そうかと思っています。
世の中には精神科に通いながら薬を拒否する人や、甚だしきに至っては、薬をもらいながら飲まずに捨ててしまう人がいるやに聞き及びます。
そういう人は、自身が患者でありながら、精神病患者を差別しているようにしか思えません。
苦しいのだったら、良くなりたいのだったら、薬なんていくらでも飲んだら良いものを。
今の薬は総じて安全で副作用も少ないし、精神科医だっておかしな処方はしないと思うのですがねぇ。
現代の精神医学の恩恵に浴することが出来て、本当に良かったと思います。
今日は東京駅近くの貸し会議室で会議。
直行直帰できるのは嬉しいですが、上司から、会議後、八重洲で慰労会をやろうと言われています。
それが面倒です。
おまけに今朝、私の携帯に、東北大学の教授で議長を務める先生から、面倒なオーダーが入りました。
今日の今日でそれはないでしょう。
もはやお手上げです。
議長の手腕に任せるしかありません。
世の中、面倒なことばかりです。
今日は海の日なんだそうで。
この暑さですから、各地の海水浴場は大賑わいになるでしょう。
私も子供の頃から20代までは、毎年のように海水浴に行きました。
房総の海、神奈川の海、伊豆や新島。
大学生の時は、沖縄出身の友人を頼って、沖縄まで出かけたこともあります。
最後に海水浴に行ったのはいつでしたっけ。
確か結婚した年だったと記憶していますから、28歳の時。
館山に行きました。
あれからもう20年、海水浴には行っていません。
子供でもいれば別なのでしょうが、いい年のおっさんが、海水浴でもないでしょう。
日焼けして泳ぐことに喜びを感じなくなりました。
そうはいっても、一日中自宅にいると気持ちが腐るので、昨日も一昨日もデパートや大型のショッピングモールなど、冷房の効いた施設に出かけ、商品を冷やかしたりして遊んでいます。
それと、愛用のガラケーが完全にぶっ壊れ、auショップでもう修理は不可能と言われたので、ギャラクシーS9プラスという、わりと画面が大きめのスマホを購入したため、あまり使っていなかったiPad miniをアップルの携帯やタブレットを専門に扱う中古屋に売りに行きました。
5万円で購入して、売ったら2千円。
そんなもんでしょうねぇ。
昨日は本屋で偶然見つけた「ゼロからはじめる au Galaxy S9/S9プラス スマートガイド」という解説書を、1,598円で購入。
ゼロからはじめる au Galaxy S9/S9+ SCV38/SCV39 スマートガイド | |
技術評論社編集部 | |
技術評論社 |
帰宅して夕方から夜にかけて、焼酎をひっかけながら全部読みつつ、スマホをいじって、大抵のことは出来るようになりました。
私は完全な文系頭ですが、パソコンが普及し始めたときも、周りがびっくりするほどしつこく学んだものです。
新しいことを覚えるのは喜びですから。
分からなければまた解説書を読めばよいだけです。
スマホというのは実に色々なことができるのですね。
今まではガラケーとiPad miniでやり過ごしていましたが、タブレットは大き過ぎて、結局持ち歩かなくなってしまうので、良い買い物をしたと思っています。
7月7日(土)に月に一度の精神科の診察がありました。
2か月前から憂鬱感、悲哀感が強まっていることを医師に相談していました。
ただ、薬を増やしたくなかったので、様子を見る、と、新たな薬の処方を拒んできました。
しかし、朝起きられない、突然休んでしまう、などが重なったため、自分から薬の調節をお願いしました。
私はこれまで、以下の薬を服用してきました。
・炭酸リチウム(気分安定剤(抗躁剤)として)
・リフレックス(抗うつ薬として)
・アルプラゾラム(抗不安薬として)
このたび、アリピプラゾール(3mm)が追加となりました。
これは不思議な薬で、元々は統合失調症による幻覚や妄想を抑える薬として開発されたらしいのですが、ドパミンの量を適切にする作用があり、躁エピソードが現れたら大量に摂取することで躁状態を抑え、うつ状態が現れたら少量を摂取することでうつ状態を抑える作用があるというのです。
で、土曜日から朝1錠を飲み始めて、今日が水曜日ですから、5日目になりますか。
明らかな効果を感じています。
まず、朝、目覚まし時計が鳴る前にばっちりと目が覚めます。
職場でも、自分の精神状態に目を向けることなく、仕事がはかどります。
こんなことなら、2か月も我慢しないで、早く処方してもらうべきでした。
いや、2か月様子を見て、もう辛坊たまらんと訴えたからこそ、処方してもらえたのかもしれません。
双極性障害と言うのは厄介な病気です。
しかし私は、一生涯、死ぬまで、じゃんじゃん薬を飲んで、元気に過ごしたいと思っています。
昨夜はいやぁな感じのする邦画を観ました。
「光」です。
光 [DVD] | |
井浦新,瑛太,長谷川京子,橋本マナミ,南果歩 | |
Happinet |
東京の離島で暮らす少年少女。
田舎であるがゆえの閉塞感が息苦しい感じです。
ある少年は15歳の頃、島の美少女と付き合っていますが、森の中で中年男に犯されているのを発見し、激怒して中年男を石で殴り殺してしまいます。
少年を慕う年下の小学生は、父親からひどい虐待を受けています。
やがて大地震が発生。
島は津波の被害にあい、ほとんどの者が亡くなってしまいますが、3人の少年少女と虐待する父親は生き残り、東京に出てきてそれぞれに暮らし始めます。
それから25年。
少年は結婚して良き父、良き夫を演じています。
美少女は女優となって華やかな暮らしをしています。
少年を慕っていた小学生は工場労働者となり、これと言った楽しみもなく暮らし、ある時あの虐待をしていた父親が転がり込みます。
工場労働者は、少年の犯行を知っており、それを基に少年と美少女を脅しに現れます。
25年ぶりの再会は、ひどく辛いものでした。
少年の殺人、父親による小学生虐待、そして究極の自然の暴力である津波。
この作品は、暴力を描きながら、どこか静かです。
暴力というものは、もともと静かな物なのかもしれませんね。
そして彼は、自分の生活や家族を守るため、再び殺人を犯すことになるのです。
後味の悪い映画でした。
井浦新演じる良き夫の静けさ。
瑛太演じる工場労働者の狂気じみた怪演。
それらが頭から離れません。
昨夜はDVDを楽しみました。
「ジグソウ:ソウ・レガシー」です。
ソリッド・シチュエーション・スリラーの金字塔、「SAW」シリーズ。
私はこのシリーズをすべて観ています。
犯人のジグソウが死んで10年。
有り得ないことに、ジグソウの手口としか思えない殺人ゲームが始まります。
混乱する警察。
観る者も、混乱します。
そして相変わらずの、「SAW」節炸裂。
意外な結末も用意されていて、私は大満足でした。
ジグソウ:ソウ・レガシー DVD | |
ジョシュ・ストールバーグ,ピーター・ゴールドフィンガー,リー・ワネル,ジェームズ・ワン | |
ポニーキャニオン |
じつは今年の6月13日は、結婚して丸20年の記念日でした。
で、昨夜、遅ればせながらお祝いの小宴を二人だけで開催しました。
千葉市で一番と言われる高級鮨店のカウンターで、来し方を振り返り、ゆっくりと、千葉の地酒、梅一輪をを楽しみました。
丸万壽司、というお店で、前の千葉県知事が贔屓にしていたところです。
鮑や平目、さらには珍しい黒むつなどの刺身、巨大なハマグリの酒蒸し、香の物などをつまみに酒を飲み、最後に5貫ほど握ってもらいました。
カウンターで良いのは、こちらの食べる速度や嗜好を素早く把握して、決まりきったコースではない、私たちのためだけのコースを即興で作ってくれること。
少々値が張っても、行く回数を減らしても、やっぱり鮨は高級店が良いですねぇ。
この店に来るのは3度目ですが、前の2回はランチだったので、夜、ゆっくりするのは初めてです。
二人ですき放題飲食して、4万円で少しお釣りがくるくらいでした。
20周年のお祝いですから、このくらいは良いでしょう。
二人の行く末が幸多いものであらんことを。
今日、オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)を含む、オウム真理教の元幹部7名を処刑したそうですね。
正直、驚きました。
処刑すれば、今も少なくない熱心な信者から殉教者扱いされてしまう惧れがあるため、死刑が確定したまま、何十年も執行せずに牢につないでおくのかと思っていたからです。
ちょうど、浅間山荘事件の確定死刑囚が処刑されないように。
法務大臣、重い判断を下しましたね。
しかも13人いる死刑囚の過半数に及ぶ7名を同じ日に処刑するとは。
私は死刑制度には絶対反対ですが、現行の法律が死刑を認めている以上、死刑が確定したならば、粛々と執行するのが、遵法精神というものでしょうね。
考えてみれば、キリストは磔にされましたし、日蓮聖人は佐渡に流されました。
新しい宗教の指導者が迫害されるのは昔から変わりませんが、オウム真理教に限っては、宗教弾圧とか言うものではありません。
そもそも新しい宗教なんてものではなく、テロ集団です。
しかし、今もその教えを信じている者から見れば、典型的、かつ徹底的な宗教弾圧に見えるでしょうね。
オウム真理教の施設に小鳥を持った大量の警察官が入っていくのをテレビで見たのは、20代後半の頃でした。
私は密かに北朝鮮が行ったテロなのかと思っていたのですが、まさかオウム真理教だったとは、と、驚きました。
当時はオウム・シスターズが象の帽子をかぶって踊ったりだとか、麻原のお面を被って踊ったりだとか、国政選挙に出たりとか、滑稽だけど憎めない、面白い連中としか見ていませんでした。
しかも高学歴のインテリが多いイメージでした。
そういう受験エリートがコロッといっちゃうんですから不思議です。
しかし、警察は知っていたのですね。
危険なテロ集団であることを。
地下鉄サリン事件からいくらも経たずに、オウム真理教の施設に家宅捜索に入ったのですから。
餅は餅屋、ということでしょうか。
今後も、宗教だかなんちゃらセミナーだかを装った奇妙は集団は現れるでしょう。
しかし、国家転覆を目指したオウム真理教ほど大規模な集団は、もう現れないかもしれませんね。
馬鹿げているというか、滑稽ですから。
文部科学省の現職局長が収賄で逮捕された、とのニュースが飛び込んできました。
私は文部科学省所管の機関で働いていますので、いやぁな気分です。
部下には綱紀粛正とかなんとか言って、自分には甘いのですね。
昔の官僚を彷彿とさせます。
しかも、収賄というのが、息子の東京医科大への裏口入学だったというから笑えません。
教育を担当する文部科学省の大幹部が裏口入学なんて。
わが子可愛さということなんでしょうか。
親馬鹿というか何というか。
裏から入って表から出れば良いとでも思っていたのでしょうか。
でもそんな医者に診てもらいたくないですねぇ。
今は捜査段階ですから、断定はいけませんが、この人、上司には従順で部下には高圧的だったそうです。
しかも、旧文部省出身者と旧科学技術庁出身者では、どちらかと言うと前者が要職に就く傾向があると言われるなか、旧科学技術庁出身ながら、事務次官間違いなし、と言われ、出世レースのトップを走っていたそうです。
出世志向で嫌なやつだったんだろうなと思います。
有罪になれば懲戒処分になりますので、高額の退職金はパーになり、天下り(最近は再就職とか言っていますが)もダメ。
身から出た錆とは言うものの、同じ業界に身を置く下っ端としては、憤慨せざるを得ません。
公務員人生の最後でつまずくとは、愚かな話です。
先ごろ、わが国はワールドカップでベルギーに惜敗し、8強進出はなりませんでした。
それは誠に残念なことですが、今回のワールドカップによるわが国をめぐる物語が、二転三転したことは興味深く感じられます。
予選リーグでは3連敗を予想する解説者もいるなか、一勝一分け。
これは物語の始まり。
しかし、ポーランド戦で、わが国はあえて1点差での負けを選び、10分にも渡って無駄なパスを続け、わが国には、フェアプレーの精神が欠けているだとか、それでも侍か、だとか批判をされて、わが国は予選突破のためにはなんでもやるダーティな国、という物語が生まれたと感じました。
ところが決勝トーナメントにおいて、ベルギーに善戦したことにより、諦めないチーム、組織力の強いチームという物語が、泣きながらゴミ拾いをするサポーターとともに、美しくよみがえったように感じます。
私は何度もこのブログで、物語の中にしか真実は存在し得ない、と指摘してきました。
ことはサッカーのような、実生活にさしたる影響を及ぼさない事柄に限りません。
大日本帝國はかつて、東亜解放の大義名分を掲げて、太平洋戦争を戦いました。
今でも、あれは聖戦であったという物語にしがみついている人々がいます。
ナチス・ドイツにおいても、国家社会主義こそ人類の幸福という物語を信じ、未だに、ネオ・ナチなどがいます。
また、米国においても、どれだけ悲惨な原爆の映像を見ても、本土決戦を回避できたために、100万人の米国の若者の命を救ったのだという物語に固執する人々がいます。
その物語が客観的な真実であるかどうかはどうでも良いことで、それを信じることで物語は真実となり、そもそも客観的な真実など存在し得ない、という結論に結びつきます。
それを信じるかどうか、あるいは信じたいと願うかどうか。
そこに、真実は密やかに入り込むものであろうと思います。