ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

ステファニー

2018年10月27日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は午前中ごろごろして、午後からDVDでホラー映画を観ました。

 「ステファニー」です。

ステファニー  [DVD]
シュリー・クルックス,フランク・グリロ,アナ・トーヴ,ジョナ・バーズ
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン

 

 森の中の一軒屋で、両親に置き去りにされ、一人、ぬいぐるみと会話しながら暮らす幼い少女。
 彼女は瓶詰めの食品を食べて命をつないでいます。

 そして森には姿の見えない怪物が潜んでおり、時折彼女を襲いますが、なんとかしのいでいます。

 そして両親が帰宅。
 母親は医師です。

 時折流れるテレビのニュースから、世界中の子供たちに奇病が蔓延していることが窺えます。
 子供のいる家にポルターガイスト現象が現われ、さらには子供たちが念力を使い、家族を殺害したり、家を破壊したりする、というのです。

 そう、怪物とは、彼女自身だったのです。

 インドで脳の一部を切除する手術が実験的に行われると知り、娘に同じ手術を施そうとしますが、失敗。

 ニュースでも、インドでの手術は失敗に終るどころか、子供の念力により、何百人もの死者が出たことが報じられ、もはや該当の子供を安楽死させるしかない、とキャスターは呼びかけます。

 しかし、超能力を身につけた子供を安楽死させようとしても、返り討ちにあうのがオチ。

 映画は、世界中が焼き尽くされる様子を紹介して終わります。

 まさに世界の終り。
 あるいは、新しい世界の始まり。

 可愛らしい女の子が病気なのか、宇宙人に体を乗っ取られたのか、あるいはもっと大きな力が働いているのか、そこらへんは分かりません。

 しかし、愛する娘を殺すしかないと悟った両親、両親に殺されようとして身を守るために逆に両親を殺す子供の姿は哀れで、人間的です。

 私はそこに、ホラー伝統の怪物の哀しみを見ずにいられませんでした。


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露の世

2018年10月26日 | 文学

  朝夕めっきり涼しくなりました。
 肌寒いほどです。

 そろそろ夜露に濡れる季節ですねぇ。

 露と言えば世の儚さを象徴する言葉。

 豊臣秀吉の辞世が特に有名ですね。

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 
         浪速のことも 夢のまた夢


 また、小林一茶は次のような句を残しています。

 露の世は 露の世ながら さりながら 

 この句は、同じ言葉を繰り返すという技法で、露のようなはかない人生を、秋の物寂しい味わいとともに見事に切り取っているように感じられます。

 はかない人生と知ってはいても、そうは言っても・・・

 後に続く言葉は何でしょうね。

 私の場合、俗っぽいですが、金の欲しさよ、でしょうか。

一茶句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
小林 一茶
角川学芸出版

 毎日が繰り返しのように見えるサラリーマン生活ですが、確実に終わりに向かって突き進んでいるのは確かで、露のようなものだと思えば、苦役のような仕事ですら、なんだか愛おしく感じられるから不思議です。

 秋の夜長に、露のような世の中を想ってみるのもまた一興でしょうか。


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渋谷ストリーム

2018年10月22日 | 散歩・旅行

 今日は職場が電気設備の点検のため、全館停電。
 そのため、臨時のお休みです。

 昨日は渋谷駅東口に出現した渋谷ストリームに行って来ました。


 
 渋谷川沿いに出来た商業施設です。

 私のふるさと、江戸川区にはあちこちに親水公園が張り巡らされていますが、ちょっとだけ、似ていました。



 もっとも親水公園と違い、川に入ることは出来ませんが。

 陽気が良かったので、渋谷ストリームはそこそこに、渋谷の辺りを散策。
 スクランブル交差点やセンター街は相変わらず多くの人で賑わっていました。

 東口の裏道をぶらぶらしながら表参道方面へ向かいました。
 青山あたりは渋谷と隣接していますが、渋谷とは違い、お洒落な雰囲気。

 途中、カフェで一服し、さらに外苑方面へ。

 天気が良くて、ついつい長い散歩になりました。

 12,000歩も歩きました。

 ふだんかなり田舎臭い職場に通っているので、たまには都会に行きたくなります。

 今はまさに散歩の季節。

 良い散歩でした。


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三度目の殺人

2018年10月20日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

   午前中、DVDを鑑賞しました。
 是枝監督の「三度目の殺人」です。

三度目の殺人 DVDスタンダードエディション
福山雅治,役所広司,広瀬すず
アミューズ

 

 是枝作品らしい、静かな映像美のなかで、一見誠実そうでいながら、供述を二転三転させる薄気味悪い殺人鬼を役所浩司が演じています。

 犯人の弁護士役を演じるのが、福山雅治。

 二人の掛け合いが面白くもあり悲しくもあり。

 ちょっと重い映画で、土曜日の朝見るには適さなかったかもしれません。

 今日は夕方、日本橋の櫻川という懐石料理の店で会食があります。
  この店は2回目です。 

 春と秋、年に2回在っている古い女友達二人と、私の3人だけの小宴です。

 楽しんでこようと思います。 


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トーナメント

2018年10月19日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜はDVDを鑑賞しました。

 大晦日の深夜から元日にかけて行われた新年のカウントダウン・パーティーからの帰り道、車をとばしていた夫婦が森の中の寂しい道で人をはねてしまったことから起こる悲劇を描いた作品で、ソリッド・シチュエーション・スリラーの亜種と言うべきものです。

 タイトルは「トーナメント」

トーナメント [DVD]
アレックス・エッソー,パーラ・ヘイニー=ジャーディン,ウォード・ホートン,ディラン・マクティー,アンドリュー・ローゼンバーグ
アメイジングD.C.



 この映画、じつにテンポが良く、飽きさせません。

 夫婦は当初携帯で救急車を呼ぼうとしますが、圏外のため、自分たちの車で、なぜか被害者を自宅に運びます。

 車中、被害者が死んだと思い込んだ二人は、鹿をはねたことにして、罪から逃れようとします。

 夫婦と同居する妻の妹で、不良少女が帰ってきて、息を吹き返した被害者を侵入者と勘違いして殺害。

 翌日には妹の恋人にして詐欺師がやってきます。
 妹に託した大金を手に入れようというのです。
 しかも轢いたのは、この男の仲間。
 なぜか何もかもを知っています。

 ここから、夫婦、妹、妹の恋人が三つ巴の暗闘を繰り広げる、というお話。

 夫婦愛が大金を前にして金銭欲に負けてしまったり、詐欺師の男がひどいサディストだったり、普通の人に見えた夫婦がとてつもなく残虐になったり、不良少女が恋人には信頼を寄せていながら裏切られたり。

 物語は二転三転します。

 まさしく色と欲がうずまくいやぁな映画です。
 

 少々安っぽい感じがしますが、逆にそれが味だったりします。

 私は十分楽しめました。

 怖くはないですけれど。
 


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過激なものへの憧憬

2018年10月17日 | 思想・学問

   10月も半ばを過ぎ、すっかり秋めいてきました。
 今年は晴れる日が少なくて、なんだか嫌になります。

 10月というと、10月事件という、はるか昔のクーデター未遂事件を思い起こします。
 錦旗革命事件とも言われ、昭和6年、満州事変の直後に起きた、陸軍の青年将校らによる秘密結社、桜会が画策したものです。

 海軍の一部とも結託し、北一輝や大川周明ら民間右翼の大物、大本教などの宗教団体をも巻き込んだ大規模な計画で、時の総理大臣をはじめとして、閣僚らをことごとく暗殺もしくは捕縛し、超国家主義的な軍事独裁政権を目指したものです。

 計画は事前に露見し、首謀者たちは捉えられますが、満州に左遷されるなどの処遇を受けただけで、特段処罰されませんでした。

 このことは、後の二.二六事件などの重大なクーデターに影響を及ぼしたものと思います。

 どうせ大した罰は受けないだろう、みたいな。

 ところが、 二.二六事件の首謀者たちは、先帝陛下の逆鱗に触れ、弁護士なし、一審のみ、という形ばかりの裁判を受けて処刑されるに至りました。


 私は国家主義者でも共産主義者でもありませんが、なぜか過激な思想や宗教に魅せられ、悪事に突き進んでいく者達の姿に魅かれます。

 近くはオウム真理教事件、さらには連合赤軍事件。

 外国ではナチなんかも、やったことはともかく、そのファッション性は単純に格好良いと思います。

 過激な思想に囚われ、悪行に突き進んでいく姿は、人間の最も純粋な精神性が現れているように感じるのです。

 それは哀れを誘うような愚かさを身にまとっているからこそ、いっそ至純に見えるということのように思います。


 オウムの連中なんか人間じゃない、と思うと同時に、あれこそ人間の本性である、とも思います。

 人間の本性をむき出しにして、他を省みず、おのれ一人が正しいとばかりに蛮行に走ることは、決してあってはなりません。

 しかし世の中、あってはならぬことが起きるのが一面の真実で、その真実を見せつけられた時、人は嫌悪感と同時に、幾ばくかの魅力を感じるのでしょう。

 酒鬼薔薇聖斗を神のように崇める青少年がいると聞いたことがあります。
 私は性犯罪者には魅力を感じませんが、極端な事件を起こした犯人に魅力を感じるという精神性は、分からなくもありません。

 かつて三島由紀夫は、

 わき目もふらず破滅に向かって突進するんですよね。そういう人間だけが美しくて、わき見をするやつはみんな、愚物か、醜悪なんです。

 と述べたことがあります。

 誤解されがちな発言ですが、私には腹に落ちます。

 うろ覚えですが、何かの小説で、自滅を美とせず、と書いたのは司馬遼太郎でしたか。
 しかしそう書かなければならないほど、人は破滅に向かう姿に美を感じる生き物だとも言えます。


 今もどこかで、極右であったり極左であったり、あるいは過激な宗教団体などが、悪の計画を立てているかもしれません。
 私はそれに心酔しているような顔を装って、会合に参加してみたい、という誘惑に駆られます。

 もちろん、いざ事を起こそうとしたならば、私は迷わず通報するでしょう。
 その姿がいくら美しくても、やってしまったら犠牲者が出て、巨大な悲劇が生まれること必定だからです。

 過激さへの憧憬を持ちながら、どこまでも小市民的な態度しか取れないとは、いかにも木端役人らしいとしか言い様がありません。

 尊敬する石川淳先生が、「至福千年」等の小説群で描き出したように、せめて私もまた、虚構の世界で、おのれが正しいと信じ、蛮行に突き進む哀れな人間の姿を創り出してみたい、と思います。

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)
石川 淳
岩波書店

 今の私にはそんな余力はありませんが、例えば定年退職して時間が出来たなら。

 そしてそれは、誰にも読まれることがなくても構いません。
 私一人を慰める、あるいは鼓舞する物語であれば十分だと思っています。



   


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激動の時代の芸術

2018年10月14日 | 美術

 今日は千葉市美術館に出かけました。
 ある方から招待券を頂いたので、たいして興味のない展覧会でしたが、もったいないので。


 
 1968年激動の時代の芸術、というのを観てきました。

 千葉市美術館は、市立にしては予算があるのか、鏑木清方展など、洒落た展示をやるので、好事家の間では有名ですが、今回のはいただけません。

 美術というより、特殊な時代を懐かしむだけの展示でした。

 がっかり。


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愚行

2018年10月11日 | その他

 昨日は東京西郊の某機関に出張。

 今週は月曜日が祝日だったので、職場に行くのは3日だけ。

 それだけに、今日という一日が長く感じられました。

 日々の移ろいの中で、与えられた仕事をこなすばかりの毎日は、味気ないものです。

 一年ほど前、肝臓の数値が悪化していることを内科医に指摘され、以来、週のうち3日か4日は休肝日にするようにしました。

 おかげで肝臓の数値は正常になりましたが、いかに自分がアルコールによる意識の変容を日々の楽しみにいていたかに気付き、愕然としました。

 この無常の世の中で、変わらぬ物などありはしませんが、私は意識の変容による快楽だけは、変わらぬ心地よさを秘めていると信じていたのです。

 今思えば愚かなことです。

 素面で過ごせば出来ることも、呑んでしまえば出来ません。

 今こうしてパソコンに向かっていることだって、素面であればこそ。

 しかしそれでも、週のうち半分は酒を楽しんでいます。

 給料とは酒に化けるものと、嘯いていた時代もありましたっけ。

 このような酒に対する考え方の変化もまた、無常を現しているのでしょうね。

 常ならぬ人生、私はこれからどう変化していくのでしょう。

 正直言って、年を取るごとに、知識は増え、肩書きは変わって、経験も豊かになりましたが、本質的なところで、私はどんどん愚かになっていくような気がします。

 堪え性が無くなって、わずかな快楽にしがみつくようになったというか。

 酒だけではなく、性的な逸脱行動もあったり、抗不安薬を処方の倍も飲んで、頭をぼんやりさせたり。

 まっとうな社会人の仮面を被って、その内実は単なる愚か者です。

 これら愚行を少しづつ改めて、本来私が欲していたはずの、創造的な欲求に従えるようになれればと、切に願います。



  


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日本橋高島屋SC

2018年10月08日 | 散歩・旅行

 昨日は新装成った日本橋高島屋に出かけました。

 今までは日本橋高島屋と名乗っていましたが、今後は、本館・新館・東館・時計館合わせて、日本橋高島屋SCと名乗るそうです。

 SCはショッピングセンターの略。

 しかしそうはいっても、ららぽーとやイオンモールのような巨大さは無いわけで、あくまで老舗のデパートとして頑張るしかありますまい。

 百貨店離れは想像以上に進んでいるようです。


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迷い

2018年10月05日 | その他

   月曜日から金曜日まで、長い長い5日間がやっと終わりました。
 明日から3連休。
 少しだけ、ほっとします。

 就職して27年目になりますが、5日間連続して勤務するということに慣れません。

 毎朝、今日はずる休みしよう、と思いますし、毎晩、明日はずる休みしたい、と思います。
 そんな気持ちをぐっと堪えて働いてきました。

 働かざる者食うべからず、と申します。

 食うべからず、というよりは、食えなくなる、と言ったほうが正しいような気がします。

 食うためとはいえ、よくもつまらぬことを続けてきたものだと、我ながら感心します。

 しかし、客観的にみれば、私はマシなほうなのでしょうねぇ。

 共働きで安定収入があり、金のかかる子供もいない。
 マンションのローンも終わったし、貯金もそこそこある。

 現代の日本社会では、マシなほうだというのは分かっています。

 しかし主観的には、最下層で貧困に喘いでいるような気分でいます。

 それというのも、仕事がつまらなくて給料が安いからでしょうねぇ。

 仕事にやりがいがあれば、薄給でも耐えられるのかもしれません。
 また高給をもらえれば、仕事がつまらなくても良しとせざるを得ません。

 つまらなくて薄給なんて、やってられない、というのが本音ですが、私も来年の8月で50歳。
 ここまで来た以上、今の仕事にしがみつくしかありません。

 今より条件の良い仕事なんて見つかるわけがありませんから。

 安定だけを求めた人生だったと言わざるを得ません。

 しかし、それも自ら選んだこと。
 後悔しても仕方ないし、それはおのれを貶めることで、限りなく高い誇りを持ち続けてきた私のよくするところではありません。

 かつて小説家志望だった私ですが、もう小説を書こうという気力も体力も残ってはいません。

 それでも、精神障害をほぼ克服した今、何か、生きるよすがになるような趣味が欲しいと思います。

 私の趣味と言えば、読書、ホラー等の映画鑑賞、美術鑑賞、街歩き、旨い肴で酒を飲む、などで、どれも楽しいものですが、もう少し能動的なことがしたいですねぇ。

 それを見つけられるかが、これからの後半生を豊かにできるかどうかを分けるような気がします。

 いつまで経っても迷いは尽きません。


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雅子妃殿下、ご快方へ

2018年10月04日 | 精神障害

  雅子妃殿下のご病状が劇的に快方に向かっている、とのニュースにふれました。
 40歳で適応障害を発症し、15年。
 一時は昼夜逆転の生活を送っておられたとか。

 適応障害というのは、ストレスの原因が明白である場合のうつ状態のこと。

 ストレスの原因とは、まさしく、東宮妃殿下というお立場にあるということそのものでしょうから、私は離婚して皇室を離れなければ快癒は難しいだろうと思っていました。

 それが、15年を経ての朗報。

 びっくりするとともに、本当に良かったと思います。

 服薬は続けるものと推測しますが、ストレスにさらされ続け、それを乗り越えたというのは、驚愕すべきものです。


 私は10年も前に、精神障害を克服して復職を目指す人々が集まるリワーク・プログラムというのに参加しましたが、適応障害の人もたくさんいました。

 彼らは、職場の理解を得て、元の部署とは異なるところへ異動する、という形でストレスを避け、復職していきました。

 そんな彼ら彼女らを見ているからこそ、雅子妃殿下の回復は真にめでたいと思います。

 しかし、近々皇后陛下におなりあぞばすことを考えると、油断はなりません。
 そのストレスは、東宮妃殿下の比ではないでしょうから。

 無理せずゆっくり、再発防止に努めていただきたいと思っています。


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