昨日、築23年となる自宅マンションのリフォームをある会社に依頼した旨、ブログに書きました。
新築で購入して23年。
その間、顔なじみになったマンションの住人たちも老いました。
妊婦の状態で入居した人の娘はもう巣立ち、50過ぎで一番面積が小さい部屋を購入した独身の元警備員は腰が曲がり、歩くのも難儀しています。
一人暮らしで、誰かが訪ねて来ることも無いので、今後どうなるのか他人事ながら心配です。
売ったんだか貸しに出したんだか分かりませんが、多くの家族が去っていきました。
そして多くの人が入居しました。
私が住むマンションは駅に至近のため、売りに出すとすぐに売れてしまうようです。
不動産会社から頻繁に売りに出せ、という内容のチラシが届きます。
売る気などさらさら無いのに。
何より感じるのは、近所の様々なお店が次々に入れ替わっていくこと。
すぐお隣のビルに入っていたモスバーガーはトランクルームになり、パチンコ屋は葬儀屋になりました。
近所にあった100円寿司屋は巨大な薬局兼スーパーマーケットに変わりました。
道を挟んで向かいにあったカラオケ屋はネットカフェになりました。
小さなお店の入れ替わりなんてしょっちゅうです。
もちろん、長年にわたって頑張っているお店もあります。
近所に今時珍しく演歌のテープばかりを売っているレコード屋と言うべきかテープ屋と言うべきかCD屋と言うべきか、分類に困るようなお店があって、驚くことに今も頑張っています。
しかも元旦も含めてお休み無し。
老人が一人で切り盛りしている個人商店ですが、熱心な客がいるのでしょうね。
蕎麦屋は代替わりして、なぜか美味しくなりました。
普通倅が店を継ぐと味が落ちると思うのですが。
お店が多い地域に住んでいると、商売というのは本当に難しいと実感するとともに、時が経ることによる変化を実感せずにはいられません。
31歳で入居した私は54歳になりました。
いつまで経っても同居人と馬鹿話したり、我が家でブームのベビーメタルやちいかわの真似を互いにやって笑いあったり、年齢相応の落ち着きが身に付かないようです。
孫がいたっておかしくない年齢に達しているというのに。
子宝に恵まれなかったせいでしょうか。
子供がいれば、正しさや優しさ、強さを演じることで教育をしなければなりませんから。
54歳の今馬鹿々々しいことをやって喜んでいるのですから、おそらくは70になっても80になっても、死ぬまで続けるような気がします。
一時は精神障害の発症で自殺まで考えたこともありましたが、今はそういうことも無くなりました。
一病息災とか申します。
私にとっての一病は双極性障害なんでしょうね。
精神障害者はそうでない人に比べて平均寿命が10年以上短いと言う医師がいます。
それなら私がその説を覆してやろうと思ったりもします。
私が20代の頃、なぜか真面目一筋で生きてきたのに、50歳を迎えて突然浮気に走ったり、風俗通いを始めたりするという先輩を見かけました。
思うに、オスとしての本能が、そろそろ生殖に適さない年齢になってしまうと、悪あがきしているのではないかと思います。
私は双極性障害で躁状態に陥った40歳くらいの頃、そういった遊びに狂ったこともありました。
今となってはどうでも良いことになりました。
今日と明日のことだけ考える、昨日のことも明後日のことも考えない、本来の意味とは異なりますが、その日暮らしをせよと、医師に言われました。
過ぎた日のことを考えても今更変えられるわけではなく、明後日のことなど分からない、そういうことは頭では分かっていても、昨日のことを悔やんだり、先のことを考えて不安になったりします。
その日暮らしをせよというのは苛烈な言い方です。
苛烈な言葉を放つ精神科医はしかし、本当にそうやって生きているのかもしれませんね。
負のオーラを放つ精神障害者と毎日接していれば、そうでも思わないとやっていられないのでしょう。
その日暮らしには程遠い、何事にも惑うばかりの私の精神は今後も変わらないでしょう。
己と同居人だけを頼んで生きていくしかありません。