ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

凶暴な夢

2018年05月24日 | 精神障害

 最近、凶暴な夢を見ます。

 それは例えば、職場で銃を乱射して、同僚を皆殺しする、とかいうもの。

 私は夢判断なんて、ほとんど信仰に近い、胡散臭いものだと思っています。
 したがって凶暴な夢に、意味を見出そうなんて気は、さらさらありません。


 それにしても、近頃の夢は何なのでしょうね?

 職場への恐怖?
 それとも嫌悪?

 そんな単純なものではないと思います。

 もっと愛憎半ばするような。

 私は今の業界で働き始めて、もう27年目に入っています。

 業界のことはよく分かっています。
 良い点も、悪い点も。

 隣の芝は青く見える、とか言うように、私は私が経験したことがない業界を、羨望の眼差しで見ているのかもしれませんね。

 だからこそ、自分の仕事がつまらなくも、しんどくも思えるのかもしれません。

 それはおそらく、どんな業種についていたところで同じなのだろうと思います。

 しかし愛憎半ばするほど、この業界にどっぷり浸かってしまったのは、私が転職という手に出なかったからに相違ありません。

 気持ちのどこかで、今の自分にこれだけの給料をくれる職場など存在しない、と思い到っていたからでしょう。

 それなら私は、この業界にしがみついて、骨の髄までしゃぶりつくさねばなりますまい。

 サラリーマンである以上、そうやって生きるしかないのです。

 あぁ、30年前、いや、20年前の私は、今の私を見たら、きっとなじるでしょう。

 夢も希望も失って、職場にしがみつくなど。

 しかし、私は知っています。

 圧倒的多数の中高年サラリーマンは、若い日の夢など忘れて、給料欲しさに職にしがみついていることを。

 そしてまた、それを恥じる必要も無いことをも、知っています。

 人間が生きるということは、一つ一つ、夢や希望を失っていくこと。

 それが大人になるということ。

 それを知ってしまったがゆえに、私は凶暴な夢を見続けているのかもしれません。

 その凶暴な夢が私の精神に均衡をもたらしているのだとしたら、その夢もまた、私を守る道具なのだと、割り切るしかありません。


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