時には、思い出行きの、
ガイドブックに任せ、
あの頃という名の、駅で降りて、昔通りを歩く。(中略)
時をさかのぼるチケットがあれば、欲しくなる時がある。
あそこの分かれ道で、選びなおせるならって。
さだまさしの「主人公」という古い歌の詞の一部です。
しつこいようですが、昨日、今日とアップした、自殺した昔の女性のことが頭を離れません。
あの頃、私も彼女も、いつも笑顔を浮かべて、きらめいていました。
それなのに私は別の女性(今の同居人)に走ってしまいました。
同居人とは結婚して20年、喧嘩一つしたことがなく、楽しい生活をおくっています。
でもそれは、別の女性の苦悩の上に成り立ったものです。
彼女は別の男と結婚した直後、報告会と称して、私と二人だけで深酒しました。
あの時はただ彼女の幸せを祝福しただけですが、今思えば、新妻が昔の男と二人だけで深酒するなんて、考えてみれば奇妙です。
その時の幸せそうな彼女の笑顔は、本物であったに違いないと思います。
しかしその中に、ほんのわずかばかりでも、私に対する対抗心めいたものがあったのではないかと、今になって、思います。
お前よりも幸せだ、みたいな。
時をさかのぼるチケットを得たなら、私はどういう選択をするのでしょうか?
何も変わらないのかもしれません。
例え私が自殺した女性を選んでいたとしても、やっぱり彼女は同じ道をたどったのかもしれません。
しかし傲慢なようですが、そんなことはさせなかったのではないか、という思いが頭を離れません。
頭が壊れてしまうような、激しい物思いに駆られます。
何も知らない同居人に、昨夜、彼女の話をしました。
生来、温厚にできている同居人は、ただ悲しげな表情を浮かべただけで、何も言いませんでした。
そのことが一層、私を苦しめます。
これが正しい選択だ、なんていう正解は、この世には存在し得るはずもありませんが、私は間違った道を、それも幸せに歩んできたのかもしれないと思うと、やり切れません。
どうか彼女の魂が、穏やかであらんことを。
昨日、20年以上前に深い縁のあった女性が自殺した記事をアップしました。
そのショックが、尾を引いています。
人の死、まして40代の知り合いの死というものは、誠に心を痛めつけるものです。
なんだか仕事が手に付かない感じです。
彼女との思い出が、浮かんでは消え、私を苦しめます。
もう10数年も会っていなかったというのに。
それでも、仕事は涌いて出ます。
勤労意欲のわかない日に、呆然とするばかりです。