地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

老人力を発揮する日々

2024年03月21日 | 身辺雑記


【昨日の投稿忘れ】
 「老人力」、この言葉を最初に使用したのは赤瀬川原平さん。著書『老人力』(1998年、筑摩書房刊)の初版の帯には大きな「?」のマーク。隣に小さく「とはなんだろう」とある。その本の「あとがき」には、「老人力というのはなかなかつかみどころのないエネルギー概念で、これまで発見されることなく人類に作用しつづけてきた」と書いている。

 いまや、「老人力」はまさしくこの世に定着している。それまでは「ボケ」などと忌諱され否定的に使われてきたが、それがある意味肯定的に使われた最初とも言えよう。私は老人力の発揮を「お茶目」と表現してきた。

 そのお茶目を昨日は遺憾なく発揮した。まずは時間、朝友人に届けるためにホーレンソウなどを抜くなどバタバタして、時計を見ると11時頃。いけない、と焦って、市役所地下のコンビニで昼食用におにぎりを買った。

 そのコンビニの隣の市役所の食堂は真っ暗。開店は11時なのに、何でだろうと思いつつ、エレベーターで9階の歌舞伎・観る会の事務局で昼食とした。その時やっと、まだ11時前と言うことに気がついた。1時間、時間を間違えていた。

 今度は、所用。その後、「俳句講座」の取材のため、岡山高齢協の事務局へ。そして、その時今日の講座は「おしゃべり会」で、「俳句講座」は来月と教えられた。

 私はもう50年近くも「能率手帳」を使い続けていて、その手帳は見開きとなっている。その手帳を開き、昨日の日付を確認した。左のページには「おしゃべり会」とあり、右のページには「俳句講座」取材と書かれている。どちらも時間は13時30分とある。そのことになんら不思議と思わずに昨日まできていた。

 そんな老人力を身につけて、遺憾なく発揮する日々。みなさんにもたくさんのご迷惑をおかけしていると思うが、「老人だから仕方ないよね」と寛大なお心でお許しあれ。

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