たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

啄木生誕地「常光寺」

2011-07-06 | 啄木歌碑
前回までは、盛岡市内の啄木歌碑めぐりをしましたが、今回からは啄木が生まれ育った盛岡市玉山区(旧 日戸村、渋民村、玉山村)の歌碑めぐりをします。
啄木は盛岡の隣村日戸村の常光寺で生まれている。当時、啄木の父一禎は常光寺の住職をしており、父が隣村渋民村の宝徳寺の住職になるまでの1年間をここで暮らした。

常光寺の境内には樹齢約300年といわれる老杉木立があり、その脇に啄木の生涯の友であった金田一京助の揮亳による啄木の「生誕の地」の碑が建立されている。また、お寺には啄木が過ごした部屋が保存されており、現在もお寺では使用している。












啄木の生誕の地である日戸村は、明治22年4月に隣村の玉山村と合併し玉山村になり、その後明治29年に玉山村は渋民村と合併し新しい玉山村になる。その後、玉山村は平成18年1月、盛岡市に編入合併のうえ廃止された。旧村域には合併特例法に基づく地域自治区が平成28年3月31日を期限として設置され、地名にも玉山区が使われ、現在、盛岡市玉山区になっている。



常光寺案内板の歌碑
常光寺は姫神の山裾、うっそうとした杉木立にかこまれている閑静な古い禅寺で、明治19年2月20日に、石川一(啄木)はが生まれました。啄木は1年間この寺で過ごし、隣村澁民村の宝徳寺に移り住みました。常光寺には、啄木が生まれた部屋が当時のまま復元されています。(案内板)











案内版の啄木の歌


 たわむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず

この歌は、明治41年啄木歌ノート「暇ナ時」(6月25日)にあり、「明星」明治41年7月号に発表、一握の砂「我を愛する歌」に掲載。




啄木が生まれた部屋