たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

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露天風呂水沢温泉

2012-09-24 | 温泉
露天風呂水沢温泉は秋田県田沢湖高原の水沢温泉郷にあります。盛岡からは国道4号NHK盛岡前の信号から秋田道を50kmほど進むと田沢湖に到着です。田沢湖は日本一深い湖で最大深度は400mを超え、この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはないということです。
水沢温泉はこの田沢湖から5kmほどのところにあり、露天風呂からは田沢湖を眺めることが出来ます。男女とも露天風呂2つ、内風呂2つがあり、露天風呂、内風呂のどちらもぬるめの風呂と、熱めの風呂になっています。源泉は60度ほどで高いため、湯量の調整で適温にしております。自然湧出ですので飲用もでき湯口にコップを用意しています。日帰り入浴が主で和室の休憩室もありますので、ゆっくり出来ます。なお、入浴料金は500円で、休憩室利用の場合はプラス500円です。





















二つの露天風呂



露天風呂から見える田沢湖





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啄木の盛岡中学時代の歌


  夢はかくて恋はかくしてはかなげに過ぎなむ世とも人の云はば云え


 明星  明治35年11月号に2首(その1)  石川白蘋 

啄木は明治35年10月に盛岡中学を退学しましたが、明治36年12月まで、ペンネーム「白蘋」で投稿していました。



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盛岡三十三観音(第十九番教淨寺)

2012-09-22 | ぶらり盛岡
第十九番 教浄寺  聖観世音   盛岡市北山一丁目
聖観世音は教浄寺の観音堂に安置されている。教浄寺は南部氏が居城を三戸から盛岡に移すのにあたり、慶長17年(1612)に現在の地、北山に移転されている。南部家第26代(初代盛岡南部藩主)南部信直公は、盛岡城を中心とした城下町の建設を始め。城から仰ぐ岩手山・早池峰山・姫神山の「南部三山」に大権現を勧請し、城の北に祖霊を祀る聖壽禅寺を建立し、京都にならって、北部丘陵を「北山」と呼んで領内の寺社を集め、聖寿寺、東禅寺、法泉寺、報恩寺、教浄寺を特に「盛岡五山」と定めました。



教淨寺山門




本堂



観音堂




宮澤賢治詩碑
賢治は盛岡中学(現盛岡第一高校)卒業後、盛岡高等農林(現岩手大学農学部)受験の為、大正4年1月~4月、教浄寺本堂の片隅で猛勉強の末、見事首席で入学し、特待生にまでなりました。観音堂の前に、賢治が教浄寺を詠んだ詩碑が建っている。






観音堂前の宮澤賢治「詩碑」






僧の妻面膨れたる 飯盛りし仏器さゝげくる。
雪やみて朝日は青く、 かうかうと僧は看経。
  寄進札そゞろに誦みて、 僧の妻庫裡にしりぞく。
  いまはとて異の銅鼓うち、晨光はみどりとかはる




文語詩   詩碑






時宗無量擁護山教浄寺は、宮澤賢治(1896ー1933)が、盛岡高等農林学校への受験勉強のため、大正4年(1915)1月から4月に入学するまで、本堂西脇の書院に下宿したゆかりの寺である。 詩碑の文語詩は、「文語詩稿 五十篇」のうちの一篇である。 賢治文語詩には、作品題名のないものが多い。したがって、この詩も冒頭詩句「僧の妻面膨れたる」をもって、題名代りによびならわしている。 作中の「僧」は、當山第53世住職の、又重琢眞和尚(1848ー1930)であり、「僧の妻」は陽夫人(1859ー1941)である。 作品は、寺における日常の「看経」(おつとめ)の様子が、朝の清澄さの中で、平静真摯な文体で描かれている。 「かうかうと僧は看経」とあるように、一心不乱な凛とした気迫が堂内に満ち、それを全身に浴び賢治の一日は始まっていたのであろう。 「僧の妻面膨れたる」も、おっとりとして豊頬な人となりが、「さゝげくる」から「しりぞく」に至る恭々しきかしずきの拳措に彷彿とする。 そうした本堂における「看経」のごとく、賢治の日々もくり返されていたにちがいないことがうかがえよう。 やがて、賢治の志望は貫徹され、
4月6日盛岡高等農林学校農学科第二部に、首席入学を果した。
平成9年6月8日
賢治碑建立有志の会 建之
吉見正信 撰文








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いこいの村岩手

2012-09-19 | 温泉
いこいの村岩手は岩手県八幡平市(はちまんたいし)にあります。八幡平市は岩手郡の西根町・松尾村・安代町の3町村が合併して誕生した市で、豊かな自然、登山、温泉、そしてスキー場などの観光資源も豊富です。いこいの村岩手は高速道路の西根ICで降り盛岡側に進むとすぐ右側に ”いこいの村”の看板がありますので、そこを右折し、順次いこいの村の看板に沿って行くと5分ほどで到着します。ここは宿泊施設ですが、プールもあり日帰り温泉施設にもなっております。日帰り客は少なく、和室の休憩室でのんびりできますので、ときどき訪れます。温泉は加水等はなく源泉100%で「美人の湯、美肌の湯」といわれています。屋上展望台は以前には回転レストランになっており食事をしながら360度の風景を見られましたが、現在は回転が止まり、そのまま展望第になっています。晴れた日には、岩手山がまじかに、見えますし、姫神山もきれいに見えます。宿泊も南部富士CCのゴルフパックなどもあるようです。









いこいの村玄関前から見た岩手山



いこいの村玄関前から見た姫神山








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啄木の盛岡中学時代の歌

  血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋


 明星 明治35年10月号 石川白蘋

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盛岡三十三観音(第十八番 正覚寺)

2012-09-13 | ぶらり盛岡
第十八番 正覚寺  無生観音  盛岡市上田二丁目

正覚寺は上田通りにあり、盛岡中央病院の近くです。観音様は聖観音菩薩で背中に「無生」の銘が刻まれていることから無生観音といわれ、本堂に安置されている。この観音様は現花巻市大迫町から嘉永3年(1626)に正覚寺に奉納されたといわれています。
この通りは奥州街道にあたり、上田組長といわれ足軽の町でした。これについては、中央病院前のバス停に案内板を立て説明しております。



















 無生観音




盛岡の秋祭り、伝統と勇姿に出会う、盛岡八幡宮の例大祭が明日9月14日~16日まで行われます。神輿市内巡行、流鏑馬は16日の13時からです。一度見ておくのも良いですよ。




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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡から)

  晚江(くれのえ)の春を霞ぞ美しきとけなばとけよ消ぬべき者か。

 小林茂雄宛 明治35年7月25日  渋民村より 白頻閣 幾山拝


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小樽駅前の啄木歌碑

2012-09-08 | 啄木歌碑

歌碑は小樽駅の、駅前広場から三角市場に上る階段脇にあります。平成17年10月に建立されています。啄木は「小樽日報」の記者として小樽に赴任してきた際、姉トラの夫で、中央小樽駅(現・小樽駅)駅長の山本千三郎の家に滞在していました。当時、駅長官舎は駅前にあり、この三角市場あたりにあったため、縁の深い場所として選ばれたようです。














子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
啄木



この歌は、一握の砂「忘れがたき人人一」に掲載。
啄木は、明治40年9月に小樽に来、当時の小樽日報社務めたが、社内での争いで退社、わずか4ヶ月足らずの小樽生活だった。翌年1月に、釧路新聞社に勤務が決定し、釧路に向かう啄木を、節子は送りに来た。その釧路へ去って行く時の駅での情景を詠んだ歌です。

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