たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

天満宮の啄木歌碑(2)

2011-03-31 | 啄木歌碑
平成4年7月に天満宮社殿横の稲荷社前に狐の石像一対が寄進され、その台座に啄木短歌が活字体で刻まれました。稲荷社に向かって右の狐像の台座に短歌、左の狐像の台座に建立の由来が刻まれています。

   


一対の狐像





狐像の台座の歌



苑古き
木の間に立てる石馬の
背をわが肩の月の影かな

啄木
(岩手日報)



この歌は啄木が岩手日報(明治38年7月18日)に書いた随筆 閑天地(20)「十一夜會の記」にあります。啄木当時の狛犬は台座がなく地面に直接置かれていたようで、啄木は上から見たので石馬に見えたのでしょうか。この歌は、狐象の台座に刻まれておりますが、狛犬の台座に刻まれても面白かったでしょう。






巖手日報 明治38年7月18日
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天満宮の啄木歌碑(1)

2011-03-28 | 啄木歌碑
天満宮には3か所に啄木歌碑があります。盛岡駅から天満宮に行くには、駅前バスターミナルから市内循環バス右まわりに乗り「上の橋」バス停の次の「上の橋町」バス停で降ります。バスはまもなく右折しますが、天満宮にはまっすぐに進むと、徒歩5分ほどで到達します。天満宮の社には階段を登って行きますが、階段が大変な方は、階段の左側の通路からも行けます。車の方は裏に回ると参拝者用の駐車場があり、そこからはすぐです。啄木の当時の中学校からは歩いて15分ほどです。
.



 
盛岡天満宮



天満宮の一対の狛犬






阿形の狛犬


夏木立中の社の石馬も
汗する日なり
君をゆめみむ

啄木
(小天地)
    




吽形の狛犬


松の風夜晝ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に

啄木
(一握の砂)




「夏木立中の社の石馬・・・」は文芸雑誌小天地(明治38年9月号)に発表された歌です。「松の風・・・」は啄木の歌稿ノート(明治41年10月10日)にある歌で「一握砂」に掲載されている。この二つの狛犬の歌碑は昭和8年に建てられた。






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

川の街盛岡(雫石川に架かる橋)

2011-03-26 | ぶらり盛岡
盛岡駅の裏(西側)を流れているのが雫石川で、市内中心部には太田橋だけが架かっており、朝晩は渋滞していましたが、ここ数年の間に太田橋の下流に杜の橋と盛南大橋が架けられ、渋滞は緩和されてきています。


太田橋
この橋は100年ほど前に架けられたといわれ、現在の橋は1986年に架けられ、長さ約500m、歩道付きの片側2車線になっています。





太田橋から見た雫石川





杜の大橋
計画4車線(両側歩道)のうち、長さ約500mの2車線(片側歩道)だけが平成18年度に完成しました。






杜の大橋から見た雫石川




盛南大橋
盛南大橋は平成13年年4月に供用開始している。










盛南大橋の下流100mほどで雫石川は北上川に合流し、新しい北上川となり、宮城県の石巻まで流れていきます。
(鉄橋の下を流れているのが雫石川、手前が北上川)




********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌  ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

  世も人ものろはじさては怨みまじ理想のくのちぎれてし今 
 
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その6)

****************************************************************************************



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

川の街盛岡(中津川に架かる橋)

2011-03-24 | ぶらり盛岡
盛岡の中心部を北上川・中津川・雫石川が流れているため、多くの橋が架けられております。このうち中津川に架かる上の橋(かみのはし)、中の橋(なかのはし)、下の橋(しものはし)は中津川三橋として有名です。上の橋は、慶長14年(1609年)、中の橋と下の橋は、慶長16年(1612年)に架けられ、このうち、上の橋と下の橋の欄干には青銅製の擬宝珠が取り付けられております。中津川三橋は洪水によってたびたび流され、擬宝珠も流されましたが、由緒ある擬宝珠のため慶長年号を刻んで幾度か補充されているようで、現存する擬宝珠のうち慶長期のものは、上の橋銘5個、下の橋銘9個が残されておるようです。




中津川




中津川は上流から、次の橋が架かっています。

水道橋→浅岸橋→山賀橋→中津川橋(歩道橋)→文化橋→東大橋→富士見橋→上の橋→与の字橋→中の橋→毘沙門橋(歩道橋)→下の橋→かわら橋(歩道橋)→御厩橋、この後、北上川に合流し、新しい北上川となって明治橋へと流れていきます。




水道橋
水道橋の50mほど下流で米内川が中津川に合流してます。水道橋の1kmほど上流には綱取ダムがあり、米内川の上流には東北電力の米内発電所、盛岡の水道の米内貯水池があります。(写真の手前の川が米内川)






山賀橋
山賀橋は現在道路拡張工事のため、取り壊し中で、すぐ傍に仮の歩道橋を渡しています。





中津川橋(なかつがわ橋)≪歩道橋≫






富士見橋≪歩道橋≫





上の橋




与の字橋
以前あった橋が洪水で流されてしまい、紺屋町消防団「よ組」がかけ直したことから「与の字橋」と言われるようです。






中の橋







毘沙門橋(びしゃもんばし)≪歩道橋≫






下の橋





川原橋(かわらばし)≪歩道橋≫






御厩橋(おんまやばし)
御厩橋は中津川の最後の橋で、橋の下流500mほどで北上に合流し、新しい北上川になります。写真の大きな建物は盛岡駅前の三つのマンションです。





手前が中津川で、奥が北上川





********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌  ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

  を枕よこよひの夢はかたらざれなうらみうれたみさてはうれしの 
 
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その5)

*********************************************************************



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

川の街盛岡(北上川に架かる橋)

2011-03-22 | ぶらり盛岡
盛岡は市街中心部を三つの川が流れておるため多くの橋が架けられております。そのうちのひとつ北上川は盛岡駅前を流れております。駅前には三つの橋があり、中央に進むと開運橋、左側の道路を進むと旭橋、右側に進むと不来方橋があります。国道4号盛岡バイパスは市街地の東側を円をえがいて進むため、国道は北上川と南北で二度交差し、南側の橋が南大橋、北側の橋が北大橋です。北大橋と南大橋間の橋を上流から並べると次のようになります。

北大橋→舘坂橋→夕顔瀬橋→旭橋→開運橋→こずかた橋→明治橋→南大橋




開運橋から見た北上川



舘坂橋(たてさかばし)
舘坂橋は国道4号と秋田を結ぶ国道46号に架かる橋で、国道4号NHK盛岡の交差点から岩手大学工学部を過ぎるとすぐです。交差点から500mぐらいです。この橋を過ぎ右折すると安倍舘遺跡があり、まっすぐ進むと厨川柵の擬定地となっている天昌寺があります。さらに進んで小岩井、田沢湖を通り、秋田に通じます。





夕顔瀬橋(ゆうがおせばし)
材木町の北側と夕顔瀬町とを結ぶ橋です。夕顔瀬側の交差点が変則的な形だったために渋滞が激しかったことなどもあり、アルペンスキー世界選手権雫石大会の開催に合わせ平成5年架け替えられたました。





下流の旭橋から見た夕顔瀬橋




旭橋(あさひばし)
この橋は材木町の南側と盛岡駅を結ぶ橋で、東北新幹線盛岡駅が開業する前年の1981年4月、開通した。全長約80m、幅約25mの橋です。






開運橋(かいうんばし)
開運橋は、明治23年の盛岡駅開業に伴い、当時の知事石井省一郎が、私費で完成させたもののようです。現在のアーチ型の鉄橋は昭和28年に架けられております。








上流の旭橋から見た開運橋



不来方橋
この橋は、平成18年3月に開運橋の混雑緩和策として材木町の南側に架けられました。











明治橋

現在の明治橋は昭和7年に架設されたものですが、それ以前の橋は明治6年に、今より100mほど下流の御蔵(おくら)の前に架けられた木造の橋でした。明治橋が完成するまでは、新山(しんざん)と呼ばれたこの地に、数艘の船を両岸の大黒柱につないで橋にした「新山舟橋(しんざんふなばし)」 によって両岸は連絡されていました。この舟橋跡は盛岡市指定史跡となっており、当時の柱が残っておりおります。




明治橋から見た北上川(写真の左側の三つのビルは盛岡駅前のマンションです




明治橋




明治橋と手前の新山船橋の三本の柱(跡)


新山船橋跡の中州。 対岸(三本の柱側)にある白い建物が御蔵です



御蔵

この地は新山河岸(しんざんがし)と言われ、御番所や船宿、御蔵などが立ち並び、舟運の要衝として藩政時代に栄えた町です。ここには蔵があり、明治橋際の御蔵(おくら)と呼ばれています。この明治橋御蔵は、藩政時代の建築とされ、往時を語り継ぐ貴重な建造物で、土蔵造り平屋建て、建物の長さは約30メートルにも及びます。この蔵は盛岡市保存建造物、同有形文化財になっております。







北上川は一関を通り宮城県の石巻まで流れていきます。石巻の歌碑のところで記した、地震の被害を受け、安否がわからなかった佐々木さんから、21日の夜にメールが届き、九死に一生を得、無事との連絡をいただきました。




********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌 ≪爾伎多麻(にぎたま)明治34年9月号≫

  ほそきほそき情(なさけ)のきづないや細く小雨さながら闇におくりぬ 
 
啄木盛岡中学4年・16歳、友人と回覧雑誌「爾伎多麻」を発行、「翠江」名で30首(その4)

*********************************************************************









コメント
この記事をはてなブックマークに追加