たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

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雫石プリンスホテルの温泉

2012-07-31 | 温泉
雫石プリンスホテルは盛岡から秋田方面に国道46号を進み東北自動車道盛岡ICを過ぎると、そこから20kmほどです。ここの温泉は露天風呂になっており、鯉のすむ池が隣り合っています。湯質が好きでときどき行きます。夕方はゴルフが終わって入ってくる人が大勢いますが、朝食の後の入浴者はほとんどいないので、鯉を見ながらのんびりするのが楽しみです。日帰り温泉もできます。



雫石プリンスホテル



手前の露天風呂と向う側の鯉の池





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啄木の盛岡中学時代の歌 (啄木の書簡の中から)

  はらはむは惜しむと 微笑む人もありや み袖の今日の 淡雪小雪。

 野村長一宛  明治34年12月31日 渋民村 石川麦洋子 名で 2首(その1) 

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盛岡三十三観音(第十一番 円光寺)

2012-07-29 | ぶらり盛岡
第十一番 円光寺 生目観音(いくめかんのん) 盛岡市南大通り3丁目 

円光寺は奥州街道沿いにあり旧川原町で明治橋のすぐそばです。円光寺の本堂は盛岡市の保存建造物に指定されており、本堂は、元禄年間中(1688~1703)に再建されたといわれている。本堂正面の夫婦カツラは推定樹齢300年で、これも盛岡市指定天然記念物に指定されています。ここには、盛岡市出身の内閣総理大臣「米内光政」の墓碑やなどもありますし、盛岡三十三観音の十一番観音堂もあります。
この観音堂については、次のようにいわれています。盛岡城大奥の奥女中「蓮子(れんこ)」は、川原町の材木商の娘であった。ある時、父は切支丹の罪に問われ鷹刑場でさらし首になった。これを知った蓮子は悲しみの余り、夜中に城を抜け出して刑場に至ると、父の首を盗み抱えて菩提寺の円光寺を訪ね、父庵の首を差し出して供養と埋葬をお願いした。円光寺住職は、微かに読経して与一郎の首を埋葬した。これが円光寺にある首塚です。南部第三十代行信公は、その孝行心に感じ入り、罪を許すと蓮子を御側女中に取り立て、さらには側室として、第三十一代藩主信恩(のぶおき)公の御母君慈恩院様となられた。この縁により元禄十六年(1703)6月、慈恩院様は、追善菩提のために首塚の隣に御堂を建て、観世音菩薩を安置した。これが眼病に霊験あらたかであるため、「生目観音」といわれている。














修復中の本堂













観音堂と首塚(観音堂に向かっての右側の石碑)







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啄木の盛岡中学時代の歌

  紅梅や羽子つく人の額(ぬか)にちりて悪(に)くゝもあらす練絹の据
 
岩手日報 明治35年1月1日  白羊会詠草 新年雑詠 石川翠江 名で 8首(その8)


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甲子園出場岩手県大会

2012-07-27 | ぶらり盛岡
第94回全国高校野球選手権岩手大会の決勝戦は26日県営球場で行われた。プロ野球オールスター第三戦が同球場で開催されたこともあり、準決勝から中5日をおいての戦いでした。盛岡大付属高校か花巻東高校か、どちらが甲子園の切符を得るのか注目の一戦です。盛大付属高は左腕出口心海、花巻東高は注目の右腕大谷翔平の両エースの先発です。打撃のチーム盛岡大付属高は3回に4番二橋のスリーランホームランでリードを広げ、9回の反撃を2点に抑え5対3で逃げ切り、出場チーム73校の代表として甲子園に出場することになった。





岩手県営球場














花巻東校 大谷翔平


盛岡大付属校 出口心海






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啄木の盛岡中学時代の歌

  のとかなる梅の小窓に小扇の歌にほゝえむ舞衣の君
 
岩手日報 明治35年1月1日  白羊会詠草 新年雑詠 石川翠江 名で 8首(その7)


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福島県の啄木歌碑

2012-07-23 | 啄木歌碑
福島県会津美里町雀林の法用寺境内に啄木歌碑があります。啄木が小樽日報に勤めていた時の先輩である中野(旧小林)寅吉は会津美里町(旧会津高田町)雀林出身で、晩年この法用寺の住職を務めました。そのような関係から、啄木生誕100年を記念して昭和60年に会津啄木会が歌碑を建立した。
法用寺は会津三十三観音の29番札所で、ご本尊は十一面観音菩薩です。法用寺の仁王門の左右には重要文化財に指定されている阿吽像があるが、現在そのパネルが置かれている。門をくぐると観音堂があり、観音堂と三重塔の間に啄木歌碑が二つ並んでいる。
法用寺まではJR只見線の会津高田駅または根岸駅から行けます。法用寺からの帰りに根岸駅まで歩きましたがかなりの距離でした。
























敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに

啄木

この歌は、スバル(明治43年11月号)に発表、一握の砂「忘れがたき人人」に掲載。







あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ

啄木


この歌は、東京朝日新聞(明治43年5月8日)に発表、一握の砂「忘れがたき人人」に掲載。








歌碑に向かって左側には福島県指定重要文化財(建造物)の法用寺三重塔が建っている。









法用寺から根岸駅までは歩いて30分ほどです






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盛岡三十三観音(第九番 法蔵院、第十番 迎接庵 )

2012-07-21 | ぶらり盛岡

第九番 法蔵院  小山観音   盛岡市東中野町

この観音さまについては、次のような言い伝えがあります。昔盛岡城が出来上がった頃、この地に美人の姉妹二人がいましたが、病気で二人とも亡くなったのを悲しみ、親は仏師に依頼して二体の立派な観音像をつくり、朝夕の供養を怠らなかった。この話が盛岡城内にまで聞こえ、観音堂が造られて一般庶民も参詣するようになった。しかし、この地は毎年のように野火や山焼きの火のため危険だということで、姉の方の一体は小山観音、妹の方の一体は新庄観音としてまつることになった。
法蔵院に行くには祇陀寺から宮古街道に出ると1㎞ほど先に中野駐在所があるので、そこを左折します。その辺で、小山観音(こやまかんのん)といえば、すぐにわかります。ここは盛岡の坂の一つで「小山坂」といわれ、自転車では大変です。













山門脇にある元岩手県知事の碑





第十番 迎接庵  白子観音   盛岡市東中野(現在、第十番は 久昌寺  盛岡市大慈寺町 )


この観音様は第九番の小山観音の近くの東中野の迎接庵に安置されていたが、明治の初めに迎接庵は廃寺になり観音像は第二番の久昌寺に移されたと言われている。









観音堂







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啄木の盛岡中学時代の歌

  居蘇の香に思ひ出うれし奈良の宿にうす黛の朝十九の君
 
岩手日報 明治35年1月1日  白羊会詠草 新年雑詠 石川翠江 名で 8首(その6)


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