たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

夜更けの森園地の啄木歌碑

2012-01-29 | 啄木歌碑
盛岡市玉山区にある「夜更けの森園地」は、東北本線好摩駅(現銀河鉄道好摩駅)から歩いて10分ほどのところにあります。好摩駅は啄木が旅をするときに利用した駅です。この歌碑は平成4年に建立されました。









公園の木の間に
小鳥あそべるを
ながめてしばし思いけるかな

啄木



この歌は、雑誌創作(明治43年11月号)および曠野(明治43年11月号)に発表、一握の砂「手套を脱ぐ時」に掲載



好摩駅は啄木が中学まで暮らした宝徳寺、すぐ傍の啄木記念から5㎞ほどあり、啄木が列車に乗る時は好摩駅まで歩いて行ったのでしょ。



正面が好摩駅・姫神山




啄木記念館と姫神山




姫神山は、盛岡市内からも玉山区からも綺麗に見ることができますが、啄木の歌には姫神山の歌は無いようです。啄木の教え子であった秋浜三郎氏は、ある時夢枕に啄木が立ち「姫神山の歌がないので、ぜひ作ってほしい」と言われたという。そこで次の歌が生まれたといわれています。この歌碑は旧啄木記念館脇にありますが、記念館を訪れる多くの方は、啄木の歌と間違われるということです。




秋浜三郎の歌碑



さわやかな小春日和の

姫神山

薄霞していともやさしく



この歌碑は、昭和57年4月13日建立された。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

盛岡の旧町名(大沢川原小路)

2012-01-25 | ぶらり盛岡

(17)大沢川原小路(おおさかわらこうじ)

盛岡城の直下を流れていた北上川は、延宝元(1673)年から切り替え工事が行われ、新土手(新築地(しんちくち))が築かれて、旧河床は古川と呼ばれた。この工事によって生まれた大沢川原に新たに大沢川原表小路・裏小路の侍町が造られると、仁王小路などとの連絡路として、古川を渡る2本の縄手道(なわてみち)が設けられた。

大沢川原小路は盛岡駅から下の橋に通じる道で、道幅が狭く、下の橋から駅方面への一方通行になっていたが、拡張工事が終了し、12月から両方向に車が通れるようになった。









工事中の大沢川原小路


大沢川原の地名は古くからあり,藩主がしばしば鷹狩りをした時代もあった。江戸前期までは北上川の本流が現在の開運橋通・大通・産業会館前を流れ,洪水の被害に度々見舞われた。
延宝元(1673)年に北上川を切り替える大工事に着手,材木町裏から中津川河口を経て,新山舟橋の辺りまで,約21町(約2300メートル)の間に高さ5間(約9メートル)の土手を築いた。中津川の河口以北を新土手と呼び,文化年間に新築地(しんちくち)と改めた。この新土手ができてから20年経っても,荒涼たる川原であったことから,大沢川原の名が一般的になった。なお,中津川の河口以南の土手は杉土手といった。



盛岡市公民館発行「盛岡今と昔」より




元禄9(1696)年,新屋敷を希望する諸士にこの地を与え,町割をして生まれたのが,表大沢川原小路と裏大沢川原小路である。両町は明治初年に合併して大沢川原小路となった。
旧北上川の西北河岸に盛岡城で使う菜園があり,御菜園前や御菜園御門前川原という地名もあった。



表大沢川原小路



裏大沢川原小路





********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌

  白桃に眉は濃かりき春の野に牧笛追ひて西に去りし人

 
岩手日報(明治34年12月12日) 白羊会詠草(三) 牧笛の歌 翠江 名で2首(その1)

***************************************************************************************






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

花巻トロン温泉

2012-01-22 | 温泉
トロン温泉は花巻南温泉峡の入り口にあります。東北高速道の花巻南で降り、7㎞ほど進むとトロン温泉に着く。この温泉は宿泊もできますが、日帰り温泉が主になっている。私は体調が悪い時にはよくトロン温泉に行くと良くなるので、行ってましたが、最近は年に数回行く程度です。以前は湯からあがると、すぐの室が床暖房室になっており、常夏の休憩室で、冬でもポカポカし、タオルを引いて横になっているのが好きでした。今は、変わってしまい、残念です。




花巻南温泉峡入口



トロン温泉





温泉には「トロンで健康ライフ」という岡山大学医学部教授山岡聖典先生監修の冊子があり、その中で先生は「トロンから放出される低線量のα線(放射線)には健康の維持、増進に役立つ」効果があることが注目されているが、その有効性の多くは、今もベールに包まれている。しかし、生活習慣病の症状緩和などに役立つ可能性があることが分かってきている。と述べています。


トロンとは、

トリウム系列・ウラン系列の鉱物⇒ラジウム(個体)に変化してα線放出⇒
   ⇒さらに、ラドン(不活性期待)に変化してα線放出(ラドンのうち、トリウム系列が変化したものを「トロン」とよぶ)






********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌

  紫を市にうる人秋の今や見ませ汝が道くれなゐのもや

 
岩手日報(明治34年12月4日) 白羊会詠草(二) 花売の歌 石川翠江 名で4首(その4)

***************************************************************************************


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

好摩小学校の啄木歌碑

2012-01-17 | 啄木歌碑

盛岡市玉山区にある好摩小学校は好摩駅から歩いて10分ほどのところにある。平成2年11月、好摩小学校創立40周年を記念して、啄木庭園を造成し、啄木像と歌碑を建立しました。 歌碑の字は妹光子の書で 刻まれている。



啄木像と歌碑









霧ふかき好摩の原の
停車場の
朝の虫こそすゞろなりけれ


この歌は、雑誌スバル(明治43年11月号)に発表、一握の砂「煙二」に掲載。





好摩小学校の玄関にもこの歌が詠まれている。












好摩小学校




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

盛岡の旧町名(下小路)

2012-01-13 | ぶらり盛岡
(16)下小路(したこうじ)

現在の盛岡中央公民館前の通りで、本町、油町から国道4号バイパスを横切り山岸町までの長い通りです。




下小路



盛岡中央公民館前の旧町名案内板






下小路の名は,愛宕山の下にある侍町の小路から付けられた。ここの武家屋敷は間口が狭く,下級武士の屋敷町でした。愛宕山は盛岡城下を一望できる景勝地で,城の東北の鬼門に当たるため,3代藩主南部重直の時代に法輪院広福寺が建てられ,城下の鎮護とした。ほぼ全山に寺社があったが,明治維新の廃仏毀釈運動によって衰退し,現在は往時を偲ぶ遺跡などはなくなっている。黒田騒動で盛岡へ配流となり客死した栗山大膳と大吉父子の墓が,愛宕山中腹の法輪院跡に残っている。

下小路の西側の中程に位置する現盛岡市中央公民館の場所は,4代藩主南部重信の時代に城中の薬草を栽培する御薬園として造られことに始まる。その後,御殿,御茶屋,能舞台,庭園などが設けられ,下小路御屋敷と称し藩主遊歩の地とした。明治維新の混乱によって,建物や庭園は取り壊され,一時荒廃したが,明治41(1908)年に南部伯爵家別邸が新築された。戦後,別邸を譲り受けて,昭和33(1958)年に盛岡市公民館が設置された。公民館の庭には,明治天皇が東北巡幸の際に宿泊所として利用した「聖風閣」、第19代内閣総理大臣 原敬(はらたかし)の別邸内にあった「田舎家」を移築した「白芳庵」、盛岡出身の俳人・山口青邨(やまぐちせいそん)が幼少期を過ごした家屋が「愛宕亭」として復元されている。





聖風閣



白芳庵



愛宕亭



現在、下小路と名のつくものには、下小路中学校があります。下小路中学校は盛岡市内にある、5つほどの小学校から集まり、盛岡市内では大規模校の1つです。






下小路中学校校歌

愛宕の山の 片ほとり
中津の川の 岸ちかく
森の都に ふさわしく
うずの学び舎 建ちにけり




下小路中学校の校歌にあるように、下小路は愛宕山のほとりで、中津川に沿った町です。中津川の北側を河北地区、南側を河南地区といいますが、中津川に沿った北側が下小路・山岸で、南側が加賀野になる。山岸と加賀野を結ぶ中津川に架かる橋が山賀橋で、下小路と加賀野を結ぶ橋が文化橋です。


下小路中学校のすぐ裏には、「岩手」の県名の起源といわれる、石に手形のある、鬼の手形「三石神社」があります。




三石神社








三つの石(裏側から撮影)




神社の壁には、鬼の手形がこう見えますよと「鬼の手形」が




現在は、この鬼の手形は、風化され?、ほとんど見えません





********************************************************************

啄木の盛岡中学時代の歌

  野の水にそとぬすみ見し水姿若きを人の花に頬ずる

 
岩手日報(明治34年12月4日) 白羊会詠草(二) 花売の歌 石川翠江 名で4首(その3)

***************************************************************************************






コメント
この記事をはてなブックマークに追加