温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

ダイハツ不正問題〜追記〜

2023-12-30 22:57:27 | ニュース
先に、以下のように、ダイハツ不正問題というタイトルで投稿したが、下の記述の部分で少し言い忘れたので追加で投稿する。
また、認証試験や生産ライン出荷時には、各部品にバラツキがあり、結果的に出力や排ガスなどの結果にある幅が生じる。その幅は±3%くらいにもなり、それを前提で出力や燃費の公表値は発表・認知されている。
上のようなバラツキがあるので、私のいた会社および付き合いのあった会社(日本及び海外の会社)では、いわゆる生産時に公表される出力、燃費や排ガス試験の数字には、開発中には開発目標値が、余裕をもって達成できるように、数%あるいはそれ以上の数値に設定されていて、生産時にバラついて規制値をオーバーするとか、公表値に達さないということにならないようにしている。開発時にこれらの数値は生産の約1年前や数ヶ月前2〜3回、品質保証部門あるいは認証部門にチェックされて、生産をむかえることになっている。
ダイハツの例を見ると、これらの開発目標が設定されていないで、生産直前に、目標値を達成できないことになっているように感じる。これも常識とはずいぶん違う。どうなっているんだろう。関係トップマネージメントの総入れ替え、開発や認証の組織体制の根本的な変更が必要と思われる。

ダイハツ不正問題〜メディアでなかなか紹介されないので、具体的にどんな不正かを調べてみた〜

2023-12-30 16:47:07 | ニュース
ダイハツの不正問題、前代未聞の全車種出荷停止となっていますが、不正の内容が一部以外紹介されていないので調べてみました。
以下のサイトに「25の試験項目で計174件の不正行為が確認され、最も古いものは1989年までさかのぼる。対象はすでに生産終了した車種も含めて64車種(トヨタやマツダ、スバルが販売している車種を含む)に及ぶ。」と一部具体的な内容が記載されている。
「衝突試験」で繰り返された不正  具体的にどのような不正行為があったのか。
4月に発覚したのは、側面から衝突された時の乗員に対する安全性を確かめる「側面衝突試験」の不正で、ドアに量産時と異なる加工を施して試験を受けていた。

 5月のケースは、電柱などのポールに斜めから衝突した際の安全性を確かめる「ポール側面衝突試験」で、助手席側の試験データを運転席側のデータに流用していた。
一般に、運転席側にはハンドルなどがあるため、衝突安全性の基準をクリアするのが難しいとされている。

 今回新たに発覚した不正は、側面衝突時に作動するエアバッグを、試験の段階で制御装置が未開発であったため、タイマーで作動させていたり、前面衝突試験の結果をリハーサル試験の結果に差し替えていたといった不正で、非常に広範囲にわたっている。
また、以下のサイトでは、ミライイースの成功体験が、このような事態を招いたとの考察が載っている。
当時はトヨタ自動車の「プリウス」に代表されるHVが有力な低燃費の技術だった。
筆者は当時、大阪府のダイハツ本社でミライースの開発責任者にインタビューしたが、「車両重量が重くなるHVは軽自動車には不向きだ。価格も高くなってしまう。このためダイハツはHVを採用しない。
軽量化とエンジンの改良で低燃費を実現する」と語っていたのが印象的だった。

 ミライースはHVと遜色ない低燃費を実現しながら、価格はプリウスの半分程度の79万5000円に抑えた。そんな低燃費と低価格を武器にミライースは大ヒット。受注台数は発売後2週間で月販目標の約3.6倍に当たる約2万5000台に達した。
確かに上のサイトの考察は、わかるがもっと具体的に自分なりに考えたくてダイハツのサイトで調査報告書をダウンロードして熟読してみて、結果的には長くなってしまったが以下のようにまとめてみた。
ダイハツのサイトは以下のとおり、下のサイトから調査報告書のPDFをダウンロードした。皆様の方でもさらに詳細な内容を知りたい方は、以下のサイトから報告書をダウンロードして参照してください。
当社は、2023年4月28日に公表した認証申請における不正行為を踏まえ、公正で独立した第三者委員会を本年5月15日付で設置し、事案の全容解明および原因分析に加え、当社の組織の在り方や開発プロセスにまで踏み込んだ再発防止策の提言を依頼し、この度、その報告書を受領いたしました。その調査報告書について公表いたします。 この度の問題に関し、お客様をはじめとするステークホルダーの皆様には、多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。
さて、以下からは私がまとめた内容になります。このトピックの最後の方に作成した表をペーストしました。字が小さくかつ、まだ内容が盛りだくさんなので、さらにまとめてみます。上のサイトでは、以下のように3つの具体例が書かれている。
1.電柱などのポールに斜めから衝突した際の安全性を確かめる「ポール側面衝突試験」で、助手席側の試験データを運転席側のデータに流用していた。
2.側面衝突時に作動するエアバッグを、試験の段階で制御装置が未開発であったため、タイマーで作動させていた
3.前面衝突試験の結果をリハーサル試験の結果に差し替えていた
要するに、データ流用と試験そのものを変えて認証を受けていたということ、そしてテスト結果の差し替えである。
この中で、私が詳細をまとめた資料でも、流用はいくつもある。短期開発を最優先するために、立会認証管に説明したり、再試験をするのでは生産を遅らせる必要があるため、それを省略してしまうことが日常化していることがわかる。
また、認証試験では試験条件として、法規で重量や速度の範囲を決めているが、それが法規の範囲を超えてしまう際に、例えば、計測値は42mmだった際に法規内の数値41.5mmに独断で安全上問題ないだろうと変えてしまっているのがわかる。
また、試験車に車台番号が刻印されていないのに虚偽の車台番号を記入して申請している。
7項、後面衝突試験における不正行為の1. 衝突速度の虚偽記載の例では、「速度が基準を超過していたが不利な条件下での結果だったため安全上問題ないと判断して虚偽の速度を記載」とこれも独断で安全だろうと判断して虚偽記載をして申請してしまっている。
15. ヒップポイント試験における不正行為では、1.室内安全試験の評価項目として実施される試験における座席加工において、「立会試験の前日夜にはさみやカッターで着座位置を低くする加工を加えて調整した」とまさに犯罪行為をしていると言える行動をしていることは驚きだ。
このようなことを10件、20件と重ねているとは全く驚きである。
最後の24. 排出ガス・燃費試験における不正行為、25. 原動機車載出力認証試験における不正行為については、品質保証関係ではないが、開発として、私のしていた仕事に密接に関係している。
オイル温度を上げる、排ガスを漏らす、新しい触媒を使う、走行抵抗を小さくするなどは、誰もがすぐ思いつき開発中に課題解決のため色々トライした経験はエンジン技術者だったら誰でも持っているだろう。
出力に関しても、吸気通路を磨く、修正係数をいじるなども同様で、開発中の定番の課題解決方策だ。
しかし、あくまで、開発中であり、認証試験で、このようなことをするのは基本的には考えられない。ところが、ダイハツでは、都合の悪い数値は認証申請においては、日常的に書き換えるという風土となっていたと思われる。通常は品質保証部門は技術部とは別の組織として、トップの役員→部長→課長→係長(主任、班長)という組織が、品質保証部門と技術開発部門とそれぞれ独立してあって、技術部門が開発を急ぐあまり、上に見られる行動をとった場合、品質保証部門が待ったをかけるという組織になっているものだが、このダイハツの例では、品質(認証)担当部門と技術開発部門の責任分担がはっきり分かれていないように感じる。
また、認証試験や生産ライン出荷時には、各部品にバラツキがあり、結果的に出力や排ガスなどの結果にある幅が生じる。その幅は±3%くらいにもなり、それを前提で出力や燃費の公表値は発表・認知されている。だから、記者が試乗する車両などでは、その上限になるような準備をすることはあるが、それを認証試験で実行するというのは、なんということだという感じである。
私はこのような仕事に関わってきた人間なので、上記のような感想を持っているが、このような仕事に関わっていない人には、これらの不正に対していったいどのように感じるのかは興味深い。
以下が私の作成した不正のリスト一覧。



久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった。 読了 〜今のキャスターやMCは皆、同じことを言ってる、面白いわけがない〜

2023-12-24 17:48:34 | 
久米宏さん、初の書き下ろし自叙伝。
TBS入社から50周年を迎える今年、メディアに生きた日々を振り返ります。 入社試験の顛末から、病気に苦しんだ新人時代。
永六輔さんに「拾われた」『土曜ワイドラジオTOKYO』、 『ぴったし カン・カン』『ザ・ベストテン』『久米宏のTVスクランブル』『ニュースステーション』の18年半、『久米宏 ラジオなんですけど』の現在まで。
久米宏の歴史=メディア史の意味もあり、時代の証言として、なによりも 「ない番組」を切り開いてきた、一人の人間の成長物語として、読み応えのある1冊です。
初日の惨敗から ニュース番組の革命といわれるまでの『ニュースステーション』は、圧巻のドキュメント。伝説の番組は、 時代の空気を鮮やかに甦らせます。
覚えていなけど、この本は、TVかなんかで知ったんだと思う。予約を入れようと図書館で検索したらすぐ借りれそうなので、タイミングを見て予約を入れすぐ借りれた。タイトルの「久米宏です」のあとの「ニュースステーションはザ・ベストテンだった。」という言葉が興味を引いた。
目次は以下の通り。
【目次】 【プロローグ】 『ニュースステーション』初日の惨敗
【第1章】 ―青春のラジオ時代―
寝坊で最終面接に遅刻 アナウンスブースでの危機 栄養失調から結核に
ひたすら電話番の日々 なぜ永六輔さんに拾われたか 「番組つぶしの久米」 【第2章】 ―テレビ番組大成功―
『ぴったし カン・カン』大ヒット 『ザ・ベストテン』発進 公正なランキングによる大波乱
『ザ・ベストテン』と『ニュースステーション』 百恵さんのお尻をむんず 「健康な努力家」黒柳徹子さん
【第3章】 ―生放送は暴走する―
視聴率100パーセントの超多忙 オフィス・トゥー・ワンとの出会い フリー転身で得たもの、失ったもの
テレビだけができる番組 本音で勝負する横山やすしさん 裏番組は大河ドラマ 久米君はワシを必要としてるんか
【第4章】 ―『ニュースステーション』に賭ける―
中学生でもわかるニュース 電通の快挙と暴挙 テレビ朝日が社運を賭けた
三つのタブーを犯す すべての生番組を降板 初日から低迷する視聴率 せっぱ詰まってのお祓い
チャレンジャー事故報道で転機 奇跡のフィリピン革命放送 風俗を語るように政治を語れ
【第5章】 ―神は細部に宿る―
ブーメラン形のテーブル 犠牲者520人分の靴 話し言葉でニュースを読む ニュアンスのある無表情
オリジナルを最優先したコメント 出演者同士の対決を演出
【第6章】 ―ニュース番組の使命―
ニュース戦争勃発 日本が再び戦争をしないように 素人から半ジャーナリストへ 久米・田原連立政権
椿事件に巻き込まれる 大きなミスだったダイオキシン問題 テレビと政治の不義密通
【第7章】 ―『ニュースステーション』が終わるとき―
終戦時の長嶋茂雄少年 レクター博士を怒らせた ロッテ-近鉄戦を中継せよ 巨人優勝で丸刈りに
Jリーグ発足とサッカー熱 「いつやめるか」という課題 契約が切れた三ヶ月間 最終回の手酌ビール
【第8章】 ―ラジオ再び 番組の中で「生きる」―
【エピローグ】 ―簡単に まとめてみる―

内容は、久米宏という人はチャレンジの人だということ。歌番組「ザ・ベストテン」での挑戦、ニュース番組「ニュースステーション」での挑戦、さらにTVスクランブルという番組でのTV業界での挑戦など、挑戦の話題ばかりだ。
今、自民党の裏金で話題だけど、自民党議員の不祥事に、アナウンサーとして「けしからん」「国民をばかにしてる」では何も新しい視点を提供できない。「まぁ、仕方ないでしょう。党の幹事長なんだから。こういう発言をしなかったら立場がないでしょうねぇ」とコメントしたそうだ。人と違うことにこだわっていたとのことだ。今の、ニュース番組は、コメンテーターなど出演者は、そのような気配は全くなく、皆同じことを言っている。
また、「コメンテーターの意見にキャスターが逐一うなづく必要はない。「それは違う」という日があってもいい。」とも書いている。
ニュースステーションでは、小宮悦子さんとのコンビが絶妙だったが、「小宮さんは美人で、僕はプレイボーイのイメージがある。すると潜在意識で「久米と小宮の関係」を疑うだろう。だから、その期待に応えて月に一度は「悦ちゃん」と読んだ」とも書いてある。
そのほか、自民党の政治家から久米のニュースに出る時は気をつけろなどと警戒されるのを嫌ったようだ。特別な偉い人と思われるのではなく、素人の感覚を忘れたくなかったそうだ。
有名人のインタビューをする際に、いろいろなニュース番組に登場するスターに他の局で聞いたことをまた質問するのを嫌い、他局で聴いたことは聞かないようにしていたようだ。だから「今朝、朝食はなにを食べましたか?」などの質問をすることは、皆と同じ質問するより、ちゃんと考えた価値のある言葉となると書かれている。
いずれにしても、非常にいろいろなことを考え、準備して番組のキャスターをしていたことがわかる。
いまのニュース番組のキャスターを見ていると、このような努力をしているとは感じられない気がする。最近のニュースが面白くないわけだ。
一気に読める、なかなか興味深い本でした。


デンソー燃料ポンプ不具合事故 〜不具合に対する自由な発想が足りないのでは?〜

2023-12-16 22:34:16 | ニュース
このところ、読書に関する投稿以外あまりしていないので、今日は技術的な少し仕事であった技術的な話題を投稿したい。
10月に仕事を辞めたので、それまで、当事者で書けなかったことが今後は少し書けるようになったことだし、そのような記事も書いていきたい。しかし、年齢のせいかめんどくさい。笑
さて、ここ数日デンソー製燃料ポンプの不具合のニュースがいくつか紹介されている。
というのも、「今回のような事故は、今後も起こる危険性がある」(自動車の専門家)という声が上がっているからだ。
「クルマを運転中にエンストが起きると、運転者はパニックになり、冷静に路肩に停車できないどころか、停車するまでに追突される可能性も出てくる」(同専門家)と。
理由は、この欠陥燃料ポンプにはフェイルセーフ設計の視点が欠けていることにある。
その中で、上のニュースはフェイルセーフという言葉を使っている。まさに、私もこの事象はフェイルセーフ設計の視点が欠けていると思う。
みなさんは、自動車で高速道路を走っているときなど、一番安全上、危険な事象はなんだと思いますか?。上の記事はあたかも、急に停止したら危ないことに気が付かないのはエンジニアとしては問題だという論調だ。しかし、どうだろう、普通の人やエンジニアはスロットルあるいはアクセルが全開になって暴走するのが一番危険だと思うのではないだろうか。私もそう思う。
実際、電子スロットルを水上オートバイに採用した際に、私も、最初はそう思っていた。しかし、上で言うFMEAというフェールセーフの考えを織り込む手法で、スロットルが閉じる方が危険だという検討結果を経験した。なぜなら、全開による暴走は、ブレーキを使って、人間の意志で止める手段が存在する。しかし、全閉になってしまう事象は人間の意志では、手の施しようがないのだ。FMEA(Failure Mode and Effects Analysis)という手法では、いろいろな不具合を発想豊かに想定して、それぞれの事象に点数をつけ、どれが一番安全上問題かを皆で認識し合い、それぞれに対応案を考え、対策をうつのだ。
このとき、私は、暴走よりも突然灯ってしまうことの方が危険だというのは想定外の結果だった。
FMEA(故障モード影響度解析)とは
FMEA(Failure Mode and Effects Analysis)とは、製品や製造プロセスに潜在する故障モードを事前に洗い出し、影響を分析評価したうえで対策を講じる解析手法です。
故障モードとは、故障を引き起こす不具合(原因)を指し、故障そのものを意味するわけではありません。
故障モードの洗い出しにはFMEA評価フォーマット(FMEAシート)が活用されます。
当時、FMEAは新設計の機構などを開発する際には必ず実施するように決められていた。グループ討議などで、メンバーが順番でいろいろな不具合を提示し合うのだが、その際、多くの人は発想が乏しくて、「パス」する人が多かった。そう、地震が起きたら、とか津波が来たらとかいうことも、批判せず検討に入れるのがルールなのだが、皆あまり突拍子もないことが言えない。
そこで、過去からこの燃料ポンプの件の最近まで、いろいろな不具合において、私は、エンジニアの不具合に対する発想が貧困になっているのではないかと心配になる事象が多いと思う。
原発の津波による電力喪失、ホイールのボルトの緩み、システム更新時のITシステムの不具合、ロケット発射時の燃料漏れや発火など、きちんと想定して対応が組み込まれていれば、避けられていたのではと思う。プロがプロの仕事ができていないと感じる。
発想豊かに、いろいろな不具合を想定し、対策すれば、このようなことはかなり防げるはずだ。私たちの世代は、排ガス規制でエンジンなどはそれまで経験のない部品をつけ、経験のないシステムを構築してきた中で、ゼロから、いろいろな不具合を想定し、それに対して、対策を打ってきた。また、それが大変だけど非常に面白かった。ところが、最近のエンジニアは、立派なマニュアルがあるし、先人がやったFMEAの結果をベースに仕事をしてきた結果、不具合を想定する発想が貧困となっているのではないだろうか?マニュアルや過去の結果に頼るのではなく、ゼロから考え直すような訓練や組織としての姿勢が必要ではないかと思う。
さらに、自動運転などが話題となっているが、高齢者の運転する車の暴走事故が多いことから、自動運転車が暴走することに目が向いているかもしれないが、突然止まることも、それ以上に危険だという認識が、それらに関わるエンジニアに当然あると期待するが、大丈夫だろうか?。
TVであるコメンテーターだかタレントが、ハトを轢いて罰せられた事件から発想して、「自動運転車は、ハトなどが道を横切る際、それがハトだと判断して、急ブレーキをかけるべきか否か判断できるのだろうか?」と疑問を呈していたが、本当に大丈夫だろうか?また、ハトでもなく、路上に舞う落ち葉や紙屑などを、適切に判断して、急ブレーキをかけるべきか、そのまま速度を維持した方がドライバーや同乗者に安全となるという判断が適切にできるのだろうか?。どうなんだろう?当然、それらの事象を想定して、対策のロジックが織り込まれているんでしょうね?。

客観性の落とし穴 読了 〜過剰な、数値化・統計化によるエビデンス偏重は、大事な本質を見失うのでは?〜

2023-12-09 11:51:07 | 
この本は、確か朝日新聞の書評を読んで予約した。以下がそれらのサイト。
若手論客が「エビデンス」に基づいて高齢者の切り捨て政策を主張しては炎上するといった風景は、いつしか見慣れたものとなった。
 著者の村上も、学生から「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」などと問われるという。
 評者も医師である以上、エビデンスの大切さを理解してはいる。しかし、ゆきすぎたエビデンス主義には問題もある。
大学一、二年生に向けた大人数の授業では、私が医療現場や貧困地区の子育て支援の現場で行ってきたインタビューを題材として用いることが多い。そうしたとき、学生から次のような質問を受けることがある。
「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」
この本の目次は以下の通り。
 『客観性の落とし穴』目次
はじめに
第1章 客観性が真理となった時代
第2章 社会と心の客観化
第3章 数字が支配する世界
第4章 社会の役に立つことを強制される
第5章 経験を言葉にする
第6章 偶然とリズム――経験の時間について
第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景
あとがき
上の本を写した写真からわかるように、いっぱいポストイットを貼った所がある。これは、共感したところなのだが、いつものようにキーワードとしてまとめるのが難しかった。それぞれの内容が関連していることあるいは、繰り返し述べられていることが多いように思った。だから、絞ることが難しくて、結果的にいっぱいポストイットを貼ることになった。
だから、一部を紹介するか、あるいはまとめられそうなことはなるべくまとめて以下に示したい。
ー数値に過大な価値を見出していくと社会はどうなっていくだろうか。
ー患者の「痛い」という訴えが、検査データを見て客観を装う医療者の判断によって、無視される。
ー「科学の客観的価値とは何か」と問うとき、その意味は「科学はものごとの本当の性質を教えてくれるか」ということではない。「科学はものごとの本当の関連を教えてくれるか」ということを意味する。
ーたとえば「怒り」は脳画像のような計測可能な感情として問題になるのであって、怒りを引き起こしたあなたと私のあいだの人格的交流は問題にされない。
ー以前、同僚のアイーダに「フィンランドに、いわゆるいい学校ってあるんですか?」と質問したら、「家から一番近い学校」と言われた。
ー数値至上主義は偏差値に限った話ではない。社会に出たらあらゆる活動が数値で測られる。
ー子どものためと見せかけて、大人が自分の不安ゆえに子どもの行動を制限しようとしている。リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。
ー障害者がサポートを受ける場も「就労継続支援A型、B型」というように、名称自体に「就労して納税者になる」ことが目的であると明記されているのだ。このように、障害者も労働へと駆り出される。
ー社会科学の論文のみならず、新聞や雑誌がインタビューを用いるときには、要約し、わかりやすく書き直すことがほとんどである。しかし、私はあえて「語られた言葉をそのまま記録する」ことの重要性を主張していきたい。
ー「すぐ」「もう」「しょっちゅう」「ずっと」と交わらないリズムが複雑に絡み合った状況を暗示する。
ー統計はどのような確率でがんに罹患するのか、といった統計的指標を与えてくれるが、患者ごとに病の意味はそれぞれ異なる。それぞれ病をどのように受け止め、どのように病とともに暮らしていくのかは、自分で言葉にし、誰かに語ること(あるいは語らないことを選択すること)でしか意味づけられない。
ーそのためには「一人ひとりの個別の経験」の視点にこだわることが大事になる。
ー草の根の活動の存在を、政治が福祉をなおざりにする口実にしてはいけない。私たちは国家のために生きているわけではない。
ーボトムアップで作る社会。(1)かすかなSOSへのアンテナ、(2)すき間に追いやられて見えなくされている人を探すアウトリサーチ、(3)生活をさせるアウトリサーチ、(4)複数の居場所。
ーそもそも数字と競争に追われることになったのは、数百万年の人類の歴史のなかでたかだかこの200年間の西欧型社会においてだけである。

無理やりまとめると、以下のようになるのかな?
数値データなどでエビデンスを示すことは、個々の示されている事象を平均化するあるいはまとめる作業を伴い、客観化されるということで過剰に美化され、その結果、本質的な大事な事柄が落ちていくことに危機感を抱いている。
私が仕事をしていたとき、会議の議事録をまとめる際に、なるべく、言葉を発した人が言った言葉をそのままなるべく臨場感が出るようにメモしていたことを思い出す。議事録などを作成する際に、まとめてしまうと、言葉のニュアンスというか、会議のムードみたいなものが、ぬけおちてしまいがちなので、そうならないように、あとで議事録や議論の際に伝わるようにメモで表現するように心がけていた。また、英語のるん文などを訳す際にも、できるだけ原文のニュアンス、ときには直訳に近い表現を取るように心がけていた。だから、訳文などは、「直訳っぽいね、日本語の文章としてはもっと寝る必要がある」などと揶揄されることが多かったけど、あえて私は修正しなかった。それはそれで、意味のあることだったのだと、この本を読んで再認識した。
今の世の中、ワイドショーなどで、コメンテーターやメディアが必要以上に簡潔にまとめた文章が氾濫しているように思う。難しい技術の説明などを、簡単な言葉で説明しているが、ちょっと過剰ではないかと思う。難しい内容は、難しくても時間をかけて、部外者あるいはやじうま的な興味を持った人でも、自分で調べて、できる限り正しく理解する必要があると思う。