18日午後6時諌早駅に到着。バケツをひっくり返したようなどしゃ降りの雨が迎えてくれました。猛暑を少しでも和らげようと。はたまた別れを惜しむ涙の雨か。義兄の優しい思いの伝わってくるふる里でした。
―予科練から警察予備隊、そして自衛隊として勤め退職後は、僕の母の亡き後姉と実家を守りながら町役場の嘱託として地元の小学校の剣道の指導にあたってました。畑仕事にも精を出し元気な時は良く四季折々にふる里の香りの一杯詰まった小包を届けてくれたものでした。
二年前。畑仕事の最中、耕運機に右足を挟まれ入院。歩くことままならず。でも絶対歩くんだ!と義足を着けてリハビリに一生懸命の日々。昨年帰省した時。普通に歩けるようになった義兄を目にした時は「良かったね!!」と思わず駆けよって抱き合ったものでした。自分のことはさておきいつも人の世話をして駆けずり回ってる人でした。「温厚実直」という言葉がピッタリの人でした。そんな義兄が八十二年の生涯を閉じたのです。通夜には剣道の教え子さん達が親御さんと一緒に次から次へと。改めて人望の厚さを教えられました。
「こんなことでもないと会えないね」と久し振り兄弟5人揃って昔話に花が咲きました。皆年をとってしまって…。一体僕にはあとどれくらいの人生が残っているのだろうか?と。いろいろ考えざるをえない義兄との別れの時でした。それにしても何とうまい(?)具合に義兄は僕を呼び寄せてくれたんだろう!!もし講演の日程が入ってたり、旅先だったりしたら最後の別れもできなかったのに…。義兄とお別れをした後2日間ゆっくりと蝉しぐれのふる里を…猛暑の中訪ね歩きました。ふる里を後にした四十数年前とさして変わらないあの山も、あの川も、緑の田んぼも、赤い屋根の小学校も、もう…義兄の目には映らないのだ…と。
2010年8月21日 杉谷堤土手より望む