
まさに紙一重。私達がAVEに乗った翌日、同じ場所=マドリッド、アトーチャ駅で大変な惨事が起きてしまいました。ご心配を頂きましたが、お陰様で無事にスペイン周遊の旅を続けておりますのでご安心ください。
昨日は旅のハイライト、「アルハンブラ宮殿」でした。偶然にも同じ3月12日。午前中にワイフが・・・そして入れ違いに午後私が・・・この「アンダルシアの宝石」を訪れた訳です。彼女たちを乗せたバスとは高速道路上のどこかですれ違ったに違いありません。グラナダに到着した時、町は薄曇り・・・山には雲が掛ってました。恐らくワイフたちのガイドは「晴れていればあそこに雪を頂いたシェラネバダ山脈がご覧頂けたのですが・・・」とでも案内したのでしょうか?その雲も午後には次第に晴れ上がり、私達がアルハンブラに入場したときには、雲は一片残らず消えてしまったのです。
前日の悲しい事件の影響で、空港のチェックが厳しいから早めに空港へ!と言うガイドの反対を押し切って、私は対岸のサクロモンテの丘にバスを進めました。そこからの眺めは筆舌に尽くせないものでした。真っ白に輝くシェラネバダの山並みを後ろに従えて、スペイン特有の強い日差しを正面から受けて燃え上がる地上の楽園の一枚は・・・ここ数年の間に私が撮った写真の中でも恐らく最も美しいものの一つでしょう。
昨夜、到着したここバルセロナの町でも「半旗」が掲げられています。明日の総選挙を前に集会やデモで混乱するこの町の宝物は何と言っても聖家族教会。明日はそのサグラダ・ファミリアに平和の祈りを捧げてまいります。平和への祈りもまた・・・アントニオ・ガウディの建築物と同じく、永遠に未完なのでしょうか?
「雪を頂くシェラネバダの山並みとアルハンブラ宮殿
」の写真を見ました。
真っ白に輝くシェラネバダの山並みを後ろに従えて、スペイン特有の強い日差しを正面から受けて燃え上がる地上の楽園の一枚は・・・ここ数年の間に私が撮った写真の中でも恐らく最も美しいものの一つでしょう。
ご自身がおっしゃるとおり素晴らしい写真をありがとう。
「ガイドの反対を押し切って、私は対岸のサクロモンテの丘にバスを進めました。」
このときにバスに乗っていた旅行者はとても喜んだことでしょう。
歴史の日に行きました。8月21日はこんな日でした。
1862年 生麦事件。薩摩藩主・島津久光の行列を乱したイギリス商人が斬られ、1人死亡。薩英戦争の原因に
1876年 浜松県を静岡県に併合。静岡県が現在の形に
1911年 ルーブル美術館から『モナ・リザ』が盗まれる。2年後に発見
1913年 大正製薬所設立
1924年 天気図が初めて新聞に掲載される
1932年 第1回ベネチア映画祭開催
1940年 トロツキーが亡命先のメキシコで暗殺される
1945年 戦時中禁止されていた天気予報の放送が4年ぶりに復活
1948年 帝銀事件容疑者として画家・平沢貞通を逮捕。自白の真偽をめぐり問題化
1959年 ハワイがアメリカ合衆国50番目の州に
1983年 フィリピン・マニラ空港でアキノ元上院議員が暗殺される
いろいろの事があったこの日ですね。
生麦事件、「モナリザ」が盗まれ、天気図の掲載、大正製薬設立、ベネチア映画祭開催、帝銀事件の平沢貞通逮捕、アキノ議員が暗殺等々・・・
あんな事がこんな事件があったのだなぁ。と思いだされます。
歴史の日ありがとう。
いずれにしても事件に巻き込まれていないか心配しています。忙しいでしょうが、無事かどうか至急連絡ください。
14日は総選挙とのことで政府は厳重な警戒体制を敷いているとかです。十分に気を付けて下さい。
木曜日、演奏会を終え帰宅しましたところ、主人が「マドリードが大変なことになってる」と言っており、私は、スーツケースを放り出して真っ先にテレビのニュースにかじりつきました。taroさんから「マドリードにて」というメールを頂戴したばかりでしたので背筋がゾーッとしました。こんなひどいテロ、本当に信じられないような惨事。「マドリードにて」のあともう移動されたあとだろうか・・・?と思っていた矢先のバルセロナからのメールでした。
未完の平和の祈り・・・の言葉、胸が痛みます。「グラナダの夕べ」、「アルハンブラ宮殿の思出」・・・と、taro様の旅は、いつも音楽家にとってインスピレーションの宝庫のような場所ばかり!!また写真を拝見させていただきます。
忘れられない人生の一ページとなりましたね。
偶然にもこの日は、私の54歳の誕生日なんですね・・・
よくやりましたね Taroさん
マドリッドの惨事 皆心配いたしました。
コメント拝見してもその様子が伝わってきます。
懐かしいお名前が あちらこちらに・・
”言葉の旅”は皆さんにとって大切なページなのですね。
これからもですよ。