Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

ホテルオークラ・ハウステンボスさん、ありがとう!

2014年02月28日 | 日記
長崎土産のカステラ「天地悠々」


亭主が北茨城にあんこう鍋を食べに行っている間に、我がワイフはご近所の主婦連と長崎に出掛けておりました。

旅先二日目の朝、急にめまいと吐き気に襲われたワイフは、不覚にも救急車のお世話になることになったのだそうです。

宿泊はホテルオークラ・ハウステンボス。
不調を聞いたホテルのスタッフは、素早くワイフの脈を取り、氷水で首を冷やし、直ちに車椅子を用意するや、手配した救急車まで搬送してくれたのだそうです。

その間の冷静且つ迅速な対応に深く感動したワイフより、「余りにも素晴らしいホテルオークラハウステンボスさんの流れるような対応の良さを多くの人に伝えて感謝したい」とブログへの掲載を依頼されました。

帰宅後、身体に掛けていただいたバスタオルを返送しようとホテルオークラに電話しますと、「どうぞ長崎の旅の思い出にお納めください」と・・・。
宿泊部副部長、鈴木様の嬉しい電話応対にまたまた大感激のワイフは、二日目の予定が変更となったことでご迷惑をお掛けした旅仲間に大変申し訳なかったと恐縮しながら、今は元気にカステラを食べています\(^o^)/

【八仙過海(八福神海を渡る)】~その2~

2014年02月24日 | 中国
世界遺産、宏村


4月21日(日)
 昨晩、「明日は5時には起きて、食事の前に散歩に出掛ける」と意気込んでいたジュオジンだが、翌朝、何故か目覚めが悪く、6時を過ぎてようやく起き上がった。昨日、部屋に入ってから団結式ができなくてしょぼ暮れていたクロちゃんを慰めるため、二人で飲んだ寝酒を過ごしてしまったようだ。普段、11時には寝入っている人間が1時過ぎまでしゃべって起きていたのだから、起きられなかったのはまんざら酒のせいばかりではなさそうだ。

 起き抜けにサッとシャワーを浴び、着替えて朝食会場に向かった。既にマッちゃん&Dr.山中(山中氏がなぜDr.なのかというと、ジュオジンにとってマッちゃん同様テニスの仲間なのだが、本職は大泉学園で開業している歯医者さんなのだ)は料理を皿に山のように盛ってテーブルに着いていた。彼等が二人掛けのテーブルに座っていたので、ジュオジンとクロちゃんも自然と別の二人掛けのテーブルに着いた。食べ始めた頃にMr.太郎がやって来て、大きめのテーブルに座った。そこに後からやって来た女性三人(36名のツアーの中の山下氏が声掛けした八名の内の女性三人)を招き入れた。それを見てジュオジンは《この男のスマートさ、ホスピタリティーには到底適わない》瞠目すると共に脱帽した。ジュオジンとは同じ学年の筈だが、悔しいながらできがちがうようだ。今後も旅の途上、違いの差を思い切り見せつけられることだろう。少々悄然としながら食事を終えた後、黄山までの長旅のバスに乗り込んだ。

 今回の旅は《いい旅社》の黒埼会長と元々コンタクトのあったMr.太郎に会長から募集の呼びかけが有って回って来たツアーだ。Mr.太郎は以前、ジャパンポリストラベルと言う警視庁外郭団体の旅行社に勤めていて、定年退職後、旅行社の団体で作っているトラベル懇話会というところで引き続き勤務していて、言わば旅行のプロ中のプロなのである。黒埼会長が36人の団体の団長とすれば、Mr.太郎はジュオジン達8人のチームリーダーと言うことになる。リーダーはさり気なくチームを取り仕切る。「我々八人、固まって一番後ろのシートに座りましょう」まるで小学校の遠足で悪ガキどもが先生の目の届きにくい後部座席を陣取るようなものだ。後ろは揺れるのでジュオジンはあまり歓迎しなかったが、そこへムードメーカーのマッちゃんの「そうしよう、そうしよう」の一言が出て一方的に決議されてしまった。後々、これがジュオジンに災難として降りかかって来るとはその時は当の本人もゆめゆめ思っていなかった。

 バスは8時過ぎに出発した。これから五時間半の長丁場だ。乗った途端、マッちゃんは背中のリュックからビールは出すわ、ツマミは出すわで完全に宴会モード。ジュオジンも酒は好きだ。しかし、昼からは呑んでも朝からは呑まない。午前中は胃と肝臓を労るのがジュオジンの流儀なのだ。とは言うものの、あまりにキッパリ断ったのでは面白味のない人間と思われてしまうので、付き合い程度にコップのビールを啜ってごまかしていた。一方、マッちゃん、Mr.太郎、Dr.山中は順調に杯を重ね、あっという間に手持ちの酒が底をついてしまった。するとその手の嗅覚が抜群に鋭いマッちゃんは、「酒井ちゃん、免税店でウィスキー買い込んだって言ってたよな。あれ呑もうよ」と人の荷物にまで目を付けて迫った。元々ホテルの部屋でみんなで飲むために買った酒なので出し惜しみする気は毛頭無い。しかし、気前よく出したが最後、七割方残っていたウィスキーは見る間に無くなった。



 飲み物が無くなって、その上、多少酔いも回ったのか、バスの過酷な振動を残して周囲は静かになった。しかし、このバスはサスペンションが悪く、さらに高速道路にも関わらず舗装が悪いので振動が並大抵ではない。その上運転手の運転が荒っぽいときている。座席から浮き上がっては落とされるの連続だ。そのせいもあってか、普段は多少便秘気味で出ないことに悩んでいるジュオジンなのだが、今日に限って大腸括約筋が急に活動的になってきた。こういう現象は1、2ヶ月に一回位の頻度で起こるのだが、経験上、始まると2、30分しかもたない。朝の通勤時、運動のために自宅から最寄りの吉祥寺駅まで約30分程歩いている。たまに家を出て5分ぐらいしてもよおしてしまうことがある。途中に利用できるトイレはない。駅までの道は民家が立ち並んでおり、こっそり用を足せる場所など無い。コンビニが無いこともないが、トイレだけ借りる勇気のないジュオジンにとっては最後の最後の手段なのだ。最大限、駅まで我慢する。額には冷や汗が浮き出す。あまり早歩きもできない。腸内のガスは既に出切っており、これ以上ちょっとでもいきむことは危険な状態となっている。あまり神経をお尻に集中させないようにして、気持ちをなだめながら、騙し騙しなんとか駅までたどり着く。トイレまで後(あと)数十メートル。心の中でトイレが空いていることを祈る。並んで待たなければならないとしたら、我慢できず、爆発すること間違い無しだ。前を歩いていた初老の男がトイレに入って行く。まずい。続けてジュオジンも飛び込んだ。幸いにしてトイレは空いているが、前の男が先に入ってしまう。もう駄目かと思ったら男はまだゆとりがあるのか、和式のボックスを避け、奥にある洋式トイレのドアをノックしている。しめた!すかさずジュオジンは空いている和式トイレに飛び込んだ。ジュオジンには和式だとか様式だとかを選ぶ選択肢が全く無い状況なのだ。ズボンを降ろすのももどかしく、座り込んだ瞬間に怒涛のように吹き出した。危機一髪のタイミングで窮地を乗り越えることができたのだ。

 あの恐ろしい体験の予兆が高速道路上のバスの中で起こっているのだ。しかも揺れのひどい後部座席だ。座席が振動で下から突き上げてくる。この状況が続けば、2、30分保つはずの忍耐力も15分か20分で切れてしまう。日本の高速道路では10kmか15km於きにサービスエリアが設けられているが、中国では50kmから60km毎にしかない。と言うことは時速100kmで走ったとしてまだ3、40分かかると言うことだ。ジュオジンは茫然自失した。絶対にそんな長時間は保たない。自分で窮状を訴えるゆとりも気力も失ったジュオジンは隣に座っていたクロちゃんに「お腹が痛くて我慢ができない。どこかで停めてもらつて」と泣きついた。クロちゃんは最前列のガイドの所まで歩み寄って行ってパートナーの苦境を訴えてくれた。しかし、ジュオジンの切羽詰まった状況を正確に伝えきれなかったのか、冷淡にも「つぎのサービスエリアまでもう少しですから、なんとか我慢して下さい」と言う血も涙もない回答だった。既にジュオジンの忍耐力は限界に近づいていた。ジュオジンは窓外を見つめ、バスが止まれて、しかもブッシュ等でブラインドになりそな場所を必死に探した。なかなか適所は見つからない。それ程切迫した状況下にあった。後は実行する勇気があるかないかだ。うじうじ悩んでいる間に次のサービスエリアまで25kmの看板が見える。後15分。我慢すべきか、勇気を出してストップを掛けるべきか。どちらも勇気がいる。もし我慢してここで粗相でもしてしまったら前代未聞の大失態、大恥をかくことになる。結局、ジュオジンには我慢する勇気しかなかった。ひたすら耐えた。サービスエリアまでのカウントダウンが異常に緩慢に思えた。昔のインチキプロレスのカウントダウンみたいにわざとカウントを引き伸ばしているように感じられた。そういう神様の意地悪にもじっと耐えているとなんとか希望も見えてくるもので、歯を食いしばっている内に距離は次第に縮まってくる。後2kmの表示が出たところでジュオジンはゆっくり立ち上がり、中央通路を静かにドアの方面に歩き始めた。通路両サイドの人たちは既にジュオジンの苦境を聞き及んでいるらしく、「頑張って、もうちょっとよ」と小声でエールを送って寄越す。爆発物を抱えたジュオジンはあくまでも慎重に3、4分掛けて最前列までたどり着い。と同時にバスもサービスエリアに滑り込んだ。エリア内は意外と車が少なく、中を歩く人も比較的少なかった。ジュオジンはホットした。トイレの争奪戦を繰り広げる気力など、全くなかった。後数十メートル先に天国がある。それでもダッシュはできない。老人のようにゆっくりゆっくり歩いてようやくたどり着く。神のご加護か、ボックスに空きがあった。座り込んだ途端、爆発物は一気に火を噴いた。後30秒遅れていたらと考えると冷や汗が吹き出した。

 たまりにたまっていたモノをすっかり出し切ってしまうと、さっきまでの苦痛は嘘のように消え去っていった。トイレから出た所にMr.太郎とクロちゃんが立ちすくんでいた。あまりにすがすがしい顔を見せることになったジュオジンは何とも恥ずかしさでいっぱいだった。殺人犯が特赦で刑務所から釈放された時のような清々しさと恥ずかしさだ。それにしても何物にも代え難い解放感だ。これでまたまともな人間として生きられるのだ。

 バスに凱旋して戻ってきたジュオジンは何事もなかったようにまた後部座席に座った。まだ行程の三分の一しか走っていない。五時間半の旅は長い。しかし、そこはさすがに旅行会社会長が同道しているだけあって、飽きさせない企画をちゃんと用意してくれている。旅行会社自らが提供してくれる品物、それは会長のお仲間の中華街で商いをしているツアー参加者から購入した中華粽(ちまき)だったりするのだが、それらを景品にしてビンゴゲームをやろうということになった。ついさっきまで青菜に塩だったジュオジンも元気を取り戻して参加した。かなりの景品を用意したくれているのだが、なぜか不思議と太郎グループ八人の中からのビンゴが続出。粽三個セットを三人がゲットすると言う幸運に恵まれた。そんなわけでバス全体が盛り上がっている中で特に後部座席の八人は弾けていた。景品が尽きかけるとマッちゃんはDr.山中が買い込んでいたビールをまるで自分の物のように景品として差し出し、周囲から喝采を浴びていた。

 賑やかに過ごしていると時の経つのは早い。車窓の外にはちらほらと尖った地形が目立つようになってきた。いよいよ世界遺産黄山の麓にやってきたのだ。既に午後1時を過ぎている。麓の街のレストランで遅い昼食をとることになった。昨日の夕方初対面の挨拶を交わした八人もバスの中の大はしゃぎで一気に打ち解けていた。中華料理のテーブルは大体8~10人掛けで、全体36人を班分けすると1班9人か10人になる。黒崎団長の配慮で山下グループ八人は何時もいっしょで、そこに一人か二人、別のメンバーが加わることになった。今回は黒埼会長がその一人になって加わった。間近に親しく話すのは今回が初めてだ。団長の母上は中国の方で、団長は日中のハーフということになる。幼いころから中華街の中にある中華中央学園に通っていたそうで、そこの同級生たちを誘ってちょくちょく旅行に出かけるそうだ。今回の旅行にもそのメンバーが六名程加わっているらしい。旅行社の会長である黒崎団長は、自分が参加する旅行は自分および親しい友人のために精一杯楽しく、面白い旅に仕立て上げるよう心がけているという。テーブルには各種中華料理が所狭しと並ぶ。現地旅行社の計らいでビールはサービスとのこと。これも黒崎団長の裏からのプッシュの賜物と聞いている。朝のアルコールを控えたお陰もあってビールがおいしかった。昼から飲むビールはまた格別美味い。ジュオジンはさっきまで腹痛で苦しんでいたことなどすっかり忘れ、美酒、美食に舌鼓を打った。



 昼食を終え、腹もくち、ほろ酔い気分になって、もう旅の目的を達成してしまったような気分になったが、これからが観光のメインだ。今回の旅では欲張りにも一度に二ヶ所の世界遺産を廻る。一つ目が《宏村(こうそん)・中国名:ホンツン》だ。2000年に世界文化遺産に登録される前はただの鄙(ひな)びた田舎の村だった。何がポイントで世界遺産になったかと言うとここが桃源郷のモデルになったのではないかと言われていたからだ。桃源郷は5世紀初めに活躍した詩人陶淵明が詩の中で描いた理想郷だ。河に沿って山あいに入り込んだ漁師が一面桃の花で覆われた村に迷い込む。そこでは人々が争いの無い平和で幸せな生活を営んでいた。一度国に戻った漁師が再度探し求めたが、二度とたどり着くことはなかったというもの。浦島太郎の原話といっていい様な話だ。竹林の七賢に憧れ、晴耕雨読の生活を理想としているジュオジンにとっては是非一度は見ておきたい古村落だ。午後はその桃源郷の見学だ。

 レストランから出て、バスを待つため、道を渡った川べりの広場のような場所で黒崎団長と立ち話をしていると道路の方でドスンという鈍い音と共に悲鳴が上がった。何だろう?事故か?「我々の仲間じゃなければいいんだか?」団長が心配そうに言う。ジュオジンは話を中断して様子を窺いに近寄った。そこに見えた光景は我がグループのDr.山中の横たわる姿だった。その横にはバイクと中国人らしき運転手も転がっていた。そばにいたツアーメンバーがDr.の巨体を助け起こしていた。その人が「大丈夫ですか?」と尋ねると助けを拒むように振り切って、自分で立ち上がり、「ありがとう。なんてことない。大丈夫です」と言いながら、ライダーに近寄り「あんた、大丈夫?」と気遣った。男は中国語で何やらブツブツ呟いた後、バイクを起こし、さっさと立ち去っていってしまった。ジュオジンを含めた何人かがDr.山中を取り囲み、安否を問いただす。手の甲が見る間に腫れ上がった。あちこちから手が出て、絆創膏やら湿布薬やらが差し出された。「病院行った方が良いんじゃない?」誰かが言う。「いや、大丈夫、湿布薬で十分だよ」Dr.は気にかけず、平気を装う。本人としては事を大げさにしてメンバーの中のトラブル発生ナンバーワンに成りたくないという気持ちがありありと見えている。原因が左側通行の日本と勘違いして、右手にばかり気を取られてしまった自分のミスによるものだということも恥じての発言らしいが、兎に角本人の自己申告を周囲としても信用せざるを得ない。幸いにしてその後も大事にならずに済んだ。Dr.にとって残念なことには、このトラブルの情報は忽ちツアーメンバーの隅々まで伝わってしまった。ぶつけてきた相手を訴えることもなく、黙って立ち去らせたという人柄の良さも含めて。



 全員を乗せたバスは間もなく《宏村》に到着した。


村全体が風水思想をベースに建造されている。特に水を有効利用しており、村全体を水路が駆け巡っている。村民はその水で炊事、洗濯をし、さらに床下へも水路を経(へ)廻(めぐ)らせることでエアコンとしての利用もしている。民家は明、清時代の物が残っており、日本の白川郷同様、住民が住んだまま世界遺産となっている。ふつうの民家が土産物屋と化している所もある。観光客がいなければ静かな村なのだろう。しかし、ここが桃源郷に匹敵する場所なのかどうかは通りすがりの観光客には分からない。長いこと住んでみてその実態が分かるというものだろう。所詮、観光地と言うものはそういう所なのだ。感動らしい感動を受けぬまま、ジュオジンにとって十五ヶ所目の中国世界遺産の旅は終わった。
夕方、麓の屯渓(とんけい)に戻り、レストランで夕食を摂り、その後、現地旅行社の配慮で旧繁華街『老街』に繰り出し、散策した。マッちゃんとDr.山中は当初、怪しげなマッサージを受けてみたいと意気込んでいたが、身の危険を感じたのか、期待は萎んでしまい、商店街の冷かしに終始していた。ジュオジンはマッちゃんの付き人兼通訳で、マッちゃんがほしいものがあると得意な中国語でダンピング交渉に当たった。静岡から参加した山下チームの一員、阿部ちゃんは通訳なしの体当たりでチャイナドレスの価格交渉に当たったが、韓国人と間違えられ、定価をウォンで答えられ、交渉決裂したらしい。その後、ガイドの周さんの助けを借りたが、値段を叩くとそれなりの商品しか出さないとのアドバイスを受け、少しだけ負けさせて落札させた。後日、このチャイナドレスは船上パーティで彼女を美しく引き立たせることになった。

 一行は怪しげマッサージを諦めたマッちゃん、Dr.山中を引き連れ、ホテルに戻った。何とも物足りなさを感じていた二人は山下チーム全員に招集を掛け、ホテルの部屋での飲み直し会開催を提案した。前夜のホテル到着が遅かったので、夜の懇親会は初めてだ。空港で買い求めた宴会用ウィスキーは昼間のバスの中でとっくに飲み干してしまった。どこで調達してきたのか、それぞれがビールや紹興酒、白酒(ばいちゅう)、つまみ等を持ち寄って大宴会となった。話しは怪しげマッサージを諦めて欲求不満の貯まったマッちゃんから自然と出た。内容からそれほど過去の話ではないようだ。まだ現役の時代と言うことなので十年前ぐらいの話だろう。大阪駐在時代に東京から大阪へ帰る新幹線の中で出会った女性との物語だ。グリーン車の指定席に行ってみると自分の座席番号の所へ美しい女性が座っていて、居眠りをしていた。仕方なく、隣の席に座り、目が覚めるのを待って、座席違いではないかと話しかけた。普通の人間なら「すみません」で席を代わって終りなのだろうが、EQ指数の高いマッちゃんはそこから話をつないで彼女と親密になってしまう。騙したのか騙されたのか、まんまと相手の電話番号と住所を聞き出してしまう。そして、その後、二人は抜き差しならぬ関係に入ってしまう。ところがそれは単なる情事では終わらなかった。相手はやくざの女房だった。その上、女性には息子もいて、息子が購入した車の保証人に何故かマッちゃんがなってしまったのだ。話しはこじれ、息子がローンを払わないものだから、マッちゃんの所へ督促が来て、最後は裁判沙汰になってしまった。結果、マッちゃんは三百万円を支払わされる羽目に陥った。まあ、命を取られなかっただけ幸運と考えるべきだろう。それ以降、奥さんからの信頼は失墜し、クレジットカード取り上げの禁治産者扱いをされているとのこと。もっともそれで懲りたかと言うとなんのその、その後も色々と悪行を続けているようだ。こんな話をしているとあっという間に時間は過ぎ、日にちが変わっていた。いよいよ今日は黄山だ。睡眠不足は禁物。みなそそくさとそれぞれの部屋へ退却して行った。

【八仙過海(八福神海を渡る)】~その1~

2014年02月22日 | 中国
酒井さん執筆の旅行記


4月20日(土)
 今回の旅は降って湧いたように話が持ち上がり、せっつかれるように慌ただしく決定した。御歳(おんとし)七十歳のアブノーマルオジさん、マッちゃんこと松本氏から二月初旬に突然誘いを受けた。大先輩マッちゃんとは四十年来のテニスの付き合いで、海外旅行も過去二回、一緒に行っている。いささか超人的な行動を取る癖(へき)が無いでもないが、至って熱く、人情味のある人物でもある。ジュオジン(執筆者酒井の文中名)は昨年、最愛の妻と老いた母親を立て続けに失い、まだ、完全にセンチメンタル状態から立ち直っていない。そこへ心根優しいマッちゃんがジュオジンの気持ちを奮い立たせるために声を掛けてくれたのだが、誘いをすんなり受けることにしたのは自分自身の気持ちをポジティブにしたいという一面と、それ以上に企画がとても魅力的だったからだ。中国語を学んでいる関係からこれまでジュオジンは毎年のように実地訓練を口実に中国へ足を運んでいる。目的は『食』と『世界遺産』だ。『食』に関しては単に食いしん坊というだけで、各地の美味しい本場中華料理を日本相場より格段に安い価格で思う存分食べられる事が何とも嬉しい。『世界遺産』を目的にしているのは『食』だけではいかにも底の浅い人間と思われてしまうことを避けるための隠れ蓑だ。

 ジュオジンはすでに四十三ヶ所ある中国の世界遺産の内、十四ヶ所を訪れている。今はその数を増やすことが一つの目標となっている。しかし、中国一の名峰と言われる『黄山』へは行っていない。中国五岳の一つである『泰山』は登ったことがあるが、「黄山を見ずして山を見たというなかれ」と言われ、また「五岳(泰山、崋山、恒山、廬山、我眉山)より帰り来たれば山を見ることなし。黄山より帰り来たれば五岳を見ることなし」(五岳を見たからと言って山を見たことにはならない。黄山を見たならば五岳を見る必要はない)とも言われるほどの名高い黄山をまだ尋ねていない。今回のツアーはその黄山を訪れるとともに近郊の世界文化遺産の『宏(こう)村(そん)』も訪れる。参加すれば一挙に二か所の世界遺産を踏破できる。さらに素晴らしいのは四日間の黄山ツアーの後に四日間の豪華客船の旅がセットされているのだ。すぐにでも参加の意思表示をしようと思ったが、よくよく日程を見ると四月二十日出発で帰国が四月二十七日となっている。まさにゴールデンウィーク直前の一週間だ。ジュオジンはすでに二年前に定年退職を迎え、その後、再雇用契約を結び、嘱託勤務三年目を迎える化学品日用雑貨メーカーの社員だ。いかに嘱託社員とはいえ、ゴールデンウィークを利用して、と言うならまだしも、その前の丸々一週間の休暇申請はさすがに気が引ける。マッちゃんには「行きたい気持ちは十分あるんだけれど、引っかかることがあるので返事はちょっと待って」と、あいまいな回答をしておいた。一方で自分より年の若い上司に機嫌のよさそうなタイミングを見計らってあくまでも控えめに、これこれこういう企画があるのだけれど、休みを頂けないかと持ちかけた。最近は自分より歳若い、勘三郎や坂口良子といった人たちが立て続けにこの世を去っている。自分もいつどうなるか分からない。元気なうちに人生を楽しんでおきたいと言うことをさりげなく付け加えた。意外にも上司はすんなり申請を許可してくれた。

 早速、ジュオジンは参加の意思をマッちゃんに伝えた。そして次の関門であるパートナー探しに取り組んだ。マッちゃんは同じテニス仲間の歯医者の山中先生を誘ってペアにしている。ジュオジンも一人部屋と言う訳にはいかない。昨年までなら迷うことなく妻のKをパートナーにできた。今年はそれができなくなった。仕方なく元会社の先輩であるクロちゃんこと黒田氏をパートナーとした。クロちゃんとは過去に何度も中国旅行に出かけている。Kおよびクロちゃんの細君泰子(たいこ)さんも含め、四人で出かけたこともある。彼も個性派で自己主張が強く、言ってみれば我儘で、クレーム、難癖を着ける名人であるところがちょっと問題の人物だ。しかし、この際、あまり選んでいるゆとりはない。すぐに二人で申し込みをした。旅行社は『いい旅株式会社』というあまり聞きなれない会社だ。ちょっと不安にも感じた(いい旅社の黒崎会長、申し訳ありません。正直なところの第一印象でした。後半でカバーします)が、間にマッちゃんの知り合いで、ジュオジンも面識のある山下太郎なる人物が関与している。十年以上前にマッちゃんに誘われて参加した異業種交流会で出会った人物で、当時は警察関連の旅行社に勤務していた。ジュオジンとはほぼ同学年で、今は退職し、様々な旅行社が加盟している旅行懇話会なる団体に所属し、半分ボランティア、半分アルバイトとして働いている。そういう人間が間に入っているので心配はない。

 マッちゃんからの連絡で、申し込みの詳細を山下氏に話してくれとのことなので、当然話が伝わっているものと思い、ジュオジンは直接太郎氏に親しげに電話で話し掛けた。「酒井ですけれど」と切り出すと「どちらの酒井さんですか」という返事が返ってきた。あまりの冷淡な返事にちょっと憮然としたものの「松本さん経由で旅行の申し込みをしているものです」と伝えた。太郎氏はまだジュオジンの事が思い出せないようで、事務的なやり取りで終始した。マッちゃんからは締め切りまでまだまだゆとりがありそうなニュアンスで聞いていたが、団体割引が効く申込期限が迫っているので、大至急、手続きをしてほしいと言われた。話しの食い違いと太郎氏のそっけなさにこの旅行に対する一抹の不安が過(よ)ぎった。出発までまだ二カ月以上ある。気持ちの切り替えを図らなくてはならないジュオジンであった。

 二ヶ月間は長かったが出発が迫るにつれて期待も膨らんできた。会社のメンバーにも休暇の件を早めに案内し、バックアップをしてくれそうな若手女子社員三人には日頃よりたまに夕食を共にしていたし、直前には豪華昼食をご馳走して手なずけておいた。主だった得意先にも事前に休暇案内を出したし、飼い猫も知人宅に預ける依頼をして準備万端整えた。そんな折、突然飛び込んできた情報が上海、江南地区に発生した鳥インフルエンザのニュースだ。せっかく楽しみにしている計画に横やりが入った。もし、パンデミック状態になったら取りやめにせざるを得ない。そうでなくともこんな情報が入ってきては「こんな時期にのこのこ出かけて行くのか」と周囲のひんしゅくを買いそうである。何とか広がらないでくれと心で祈りつつ、静かに動静を見守った。幸いにして拡散はしているものの、速度は速くなく、政府の渡航禁止令も出ていない。そうこうしているうちに出発日は近づいてきた。荷物は意外とかさばった。通常の旅行の準備の他、豪華客船用の準備もしなければならなかった。船長主催のレセプション用ドレスコードはフォーマルファッションだ。ジャケット、ネクタイ着用が義務だ。その他、船内でのフィットネスクラブ使用時のスポーツウェアーやプール用の水着等々、何かと用意するものが多く、大きめのトランクは満杯となった。その分期待も膨らんで、人生初の豪華客船の旅を含むツアーはいよいよ当日となった。

 行きは成田から上海まで飛行機で、帰りが上海から大井埠頭までの船旅となる。朝から曇りがちで、天気予報では夕方から雨になると言う。成田空港集合時間が十七時半なので自宅を三時に出発した。以前のようにKと一緒だったり、Kの見送りを受けたりということも無く、一人さびしく出かける。何とか雨よ、もってくれと言う期待もむなしく、Kの涙雨のごとき小糠(こぬか)雨が降り出した。最寄りの西武線武蔵関駅までは十二、三分ほどだ。折り畳み傘は持っているが、後の始末が面倒なので、差さずに足早に歩いた。幸いにあまりぬれずに駅に到着した。その後は順調に進み、早めに出てきたので五時過ぎには集合場所の第一ターミナルIコーナーに着いた。クロちゃんが一人ぽつねんと佇んでいた。

 「まだ誰も来ていないみたいだよ。エアチャイナのカウンターはFなんだけれど、団体集合カウンターはIになっているんで迷っている」という。ジュオジンが顔見知りを探したがIカウンターにもFカウンターにも知った顔は見当たらなかった。IカウンターとFカウンターを行ったり来たりしている内にIカウンターに山中先生が現れた。挨拶を交わしクロちゃんを紹介している内に今度はマッちゃんが奇妙奇天烈ないでたちで現れた。漫画フクちゃんがかぶっているような四角い学生帽を禿げあがった頭の上に載せ、胸に『練馬稲門会』と書かれたオレンジ色の法被(はっぴ)を纏っている。どう見てもチンドン屋か、正体不明の危ないおじさんといった出(い)で立ちだ。単に目立ちたがり屋と言うのではなく、出身校である早稲田大学をこよなく愛しているが故のパフォーマンスなのだが、どうしたって目立ってしまう。八日間行動を共にすると思うと少々気が重くなる。

 集合時間少し前になってようやく太郎氏が到着した。太郎氏は電話で冷淡な対応をしたことなど端(はな)から気にしている様子もなく、「お久しぶり」と屈託なく挨拶をして寄こした。
「この間は『どちらの酒井さんですか』なんて冷たい反応だったよね」とジュオジンは厭味ったらしく言った。
「突然電話貰ったもので、つい言ってしまいました」
その答えにジュオジンは太郎氏には全く他意はなかったと認識し、今後の旅を楽しいものにするため、これ以上突っ込むことは控えた。

 集合カウンターは結局Fカウンターということが判明。一行三十六人を率いるツアー団長のいい旅社会長黒埼氏も到着してチェックインの列に並んでいた。黒崎氏は細身の長身で、旅好きの象徴である陽に焼けた渋い顔を微笑ませて迎えてくれた。
チェックインの後は搭乗時間まで自由行動なので、旅行前の恒例行事である『寿司岩』にて軽く安全祈願を執り行う。これをやっておかないと実体経験から必ず不測の事態が発生するという不安があるのだ。ビールとつまみ少々、握りニ、三個を食し、無事、安全祈願祭は終了した。その後、免税店でホテルの部屋飲み用のウィスキーを買い求めた。クロちゃんはその外に秘かに化粧品購入。自分用だと言っていたが、きっとまたどこぞのお姉ちゃんにあげるのだろう。ジュオジンは今のところ亡くなった妻に貞節を尽くし、その手のお付き合いは皆無なので、余計な気遣いをしなくても良く、至って気楽だ。後々、この暢気さがささやかな後悔の種になるのだが。


<中国国際航空機内で寛ぐ旅人たち>
 ゴールデンウィーク前のこの時期の機内はさぞ空いていると思ったが、ほとんど満席状態。ジュオジンは三人掛けの真ん中にすわることになった。そしてクロちゃんは窓際へ。通路側の比較的若い男はほとんどしゃべらず、アジア系だが国籍不明。
上海行きジャンボ機は夜七時半に成田空港を飛び立った。約4時間のフライトだ。通路側の無国籍青年は何故か、《いい旅社ご一行様》に独り包囲され、借りてきた猫のように大人しい。英語と中国語で話し掛けるCA(キャビンアテンダント。最近ではスチワーデスと言う言葉は死語に成りつつあるようだ)に対して、言葉が解らないのか、はたまた失語症なのか、ほとんど手話のように指差しだけで意思表示している。従って、左側は静かでいいのだが、右側の窓際がいけない。まるで二、三ヶ月無人島に閉じ込められていた人間が、ようやく人間界に戻り、人恋しくて、話したくてしょうがないといった感じで機関銃のようにしゃべり掛けてくる。フライト期間中はジュオジンにとっては静かに思索に耽る時間なのだ。機関銃音を遮るためジュオジンは仕方なくヘッドホンを耳に当て、あまり興味のない映画に見入った。食事の時も外さなかった。こうしてジュオジンにとって大切な思索時間と帰国後書く予定の旅行記執筆のための準備の時間は失われた。


<鳥インフルエンザを怖れてマスク姿で到着の旅人>
 ジャンボ機は三時間半後の23時、現地時間午後10時に上海浦東空港に着陸した。ツアー参加メンバー36人もの入国手続きだったが、比較的スムーズに運び、11時近くには空港からほど近いホテルにチェックインできた。

<初日のホテル=上海臨港大酒店>

既に夜半でもあり、明日は比較的早い時間に出発と言うこともあって、みな早々に各部屋に引き上げて行った。普段なら早速どこかの部屋で団結式でも開催しようと持ちかける筈のマッちゃんも今日はおとなしく引き上げた。せっかく免税店でブランド物のウィスキーを買い込んで張り切っていたクロちゃんはジュオジンに促されて残念そうに部屋に入った。

【八仙過海(八福神海を渡る)】掲載に寄せて

2014年02月21日 | 中国
実家玄関の「八仙図」
出国100回目の記念に、中国蘇州にて買い求めた両面刺繍


天下の名峰、世界遺産「黄山」と日本初寄港のオリンピック・ヴォイジャークルーズの旅を体験したのは、昨年(2013年)4月のことでした。
親しい旅仲間8名とご一緒し、まさに夢のような8日間の旅を楽しめたのも、これまた友人である黒崎さんが会長を務める「㈱いい旅」さんの完璧な手配のお陰と深く感謝しております。

この度、その旅仲間の一人酒井さんがこの感動の旅の思い出を素敵な「旅行記」にまとめてくださいました。
名付けて、「八仙過海」・・・

「八仙(はっせん)]とは中国を代表する道教の仙人のことです。中華社会のいかなる階層の人にも受け入れられ、信仰が厚く、日本における七福神のようなものです。我々8人を仙人になぞらえて、副題に「八福神海を渡る」と名付けたのは、中国の歴史・文化に明るい酒井さんならではの光るセンスです。

読む度に抱腹絶倒、スリリングなこの素晴らしい旅行記は、まさしく一編の長大小説の如くですが、幸い旅行日程に沿って章に分かれているため、自分自身の大切な旅の記録として、これより8回に連載して私のブログに永久保存させていただくことといたしました。