Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

不滅のグレン・ミラーサウンド

2010年11月28日 | 雑学
グレンミラー・オーケストラを率いるラリー・オブライエン


不滅のグレン・ミラー・オーケストラを聴いてきました。
グレン・ミラーはベニー・グッドマンと並んで“スイングの王様”と称されるジャズマン。彼ほど広く日本人に愛され、親しまれたミュージシャンはいないでしょう。青春時代に何度も聴いた懐かしい名曲の数々は、まさしく不滅のグレン・ミラー・サウンドでした。

グレン・ミラーは1937年に自らのオーケストラを結成。太平洋戦争の勃発で一時バンド活動を休止したものの、42年アイゼンハワーに認められ、エアー・フォース・バンドとして活動を再開。従軍慰安のために世界中を廻って演奏活動を続ける中、44年、パリへ向かう飛行機に乗ったまま、英仏海峡で還らぬ人となりました。

彼の死後、グレンミラーサウンドはレイ・マッキンレー、バディ・デ・フランコ、ピーナッツ・ハッコー、そして現在のラリー・オブライエンに引き継がれてきました。今回も、バンドの編成はトランペット4・トロンンボーン4+1(指揮者のラリー・オブライエン)・サックス5・ピアノ・ベース・ドラムスの17人で、これはグレン・ミラーの当時と全く同じ編成です。

コンサートの第一部は、「ムーンライト・セレナーデ」、「茶色の小瓶」など、誰でもが一度は耳にした珠玉のグレン・ミラー・サウンドのオンパレードです。そして第二部は季節柄ふんだんにクリスマスソングが盛り込まれておりました。男女それぞれのボーカリストの歌も素晴らしく、また、ムーンライト・セレネーダーズと名付けられた3人のバンドメンバーが加わっての混声コーラスのハーモニーも最高。ラリー・オブライエンによるトロンボーンのソロ「ダニー・ボーイ」にも酔いしれました。でも、何と言っても一番の感動はあのミラー・サウンドです。クラリネットがサックス・セクションをリードして行くあの独特のミラー・サウンドは、まさに「That's the sound!」・・・音響の良さも手伝って、オリジナルのグレン・ミラーを凌ぐのではないかと思うほどのご機嫌なサウンドでした。

誰も寝てはならぬ

2010年11月19日 | 雑学
キエフ・オペラ

キエフ・オペラを鑑賞してまいりました。演目は「トゥーランドット」です。かの荒川静香さんを金メダルに導いたイタリアオペラの名作です。

キエフは今はウクライナの首都ですが、そこにはモスクワのボリショイ歌劇場、サンクトペテルブルクのマリインスキー歌劇場と並ぶ旧ソ連の三大歌劇場の一つウクライナ国立歌劇場があるほどの芸術の都です。今回はそのキエフから総勢210名もの歌劇団が来日したのです。その移動費・滞在費たるや想像もつきません。

巨匠ジャコモ・プッチーニの遺作としても有名なこのオペラのハイライトは、ダッタン国の王子カラフが朗々と歌い上げる「ヌッサ・ドラマ=誰も寝てはならぬ」です。メロディは良く知っているのに、一体誰が誰に向かって言った言葉なのか・・・? そして、何故寝てはいけないのか・・・? 知らない人も多いことでしょう。

氷のように冷たい心を持つ絶世の美女トゥーランドットが出す三つの質問に全て答えたカラフ王子が、今度は私の番だ!と質問を出します。私の名前を明日の夜明けまでに答えよ!と。 王子の名前を調べ上げるべく、トゥーランドット姫が北京中にお触れを出したのです。「この者の名前が判るまでは誰も寝てはならない!」と。カラフ役のテノール歌手が歌うアリアが余りにも有名なので、カラフの言葉と勘違いするかも知れませんが、字幕を良く読むと、「誰も寝てはならぬか・・・」と、姫の言葉を受けている ことが解ります。

王子の名前を知っていながら、名を明かそうとしない女奴隷リューの拷問シーン・・・。どうしてお前は辛い拷問に耐えられるのかと訪ねるトゥーランドットに対して、リューは「それは愛の力です」と答えます。そして、最後のクライマックス・・・父皇帝の「その者の名は分かったか?」との問いに対して、トゥーランドットは「異国の者の名は愛です」と答えるのです。このプッチーニの名作もまた「愛」がテーマだったのです。

舞台狭しと居並ぶ50名を超える群集の大合唱・・・人間の“声”がこれほどまでに敬虔で人の魂を揺さぶるものだったのかを改めて実感し、身震いいたしました。

2006年2月24日「千両役者」

日本の秋=昇仙峡

2010年11月14日 | 日記
自転車の仲間と秋の昇仙峡に行ってきました。
いわゆる輪行・・・自転車を折り畳んで電車に積み、遠出をしてのサイクリングです。

文字通り、川崎駅にて自転車を折り畳み、袋に入れてJRに乗車。甲府駅にて再び自転車を組み立てて、いざ、昇仙峡を目指しました。緩やかとはいえ、ひたすらの登り坂にひたいには汗が滲みます。甲府から8キロ、約1時間でやっと昇仙峡の玄関、長澤橋に到着しました。ここで、名物「ほうとう鍋」で腹ごしらえ。美味しいほうとうと新鮮な地元の野菜に大満足の昼食でした。

午後はいよいよ昇仙峡遊歩道に乗り入れました。さすがに紅葉シーズンまっさかりの土曜日ということで、相当の人出です。その人波を縫うように遠慮しながらの自転車走行でした。でも、やはり自転車は最高です。帰りの下り道は本当にスイスイと樂ちんです。爽やかな秋の風を頬に感じながら、サイクリングの醍醐味を満喫した一日でした。


半世紀ぶりの奇跡

2010年11月04日 | 日記
雲ひとつない秋晴れ、神宮球場

練馬稲門会の松本さんからこんな嬉しいお誘いをいただきました。
慶応に2連敗!早稲田と慶応は同率決戦!11月3日(祝)13時 神宮球場
先発する斉藤佑樹君の学生野球の最後です。いい天気青空の下きっと素晴らしい野球観戦です。


30日が台風接近、雨天中止になった時に、何か奇跡が起きそうな予感がしていました。東京6大学秋季リーグの優勝決定戦は20年振り、さらに早慶戦での決定戦は実に50年振りなのだそうです。

50年といえば、春・秋でちょうど100季目。この不思議な切り番に挑む斉藤投手こそが、実に第100代の主将なのです。野球の神様は最後の最後に筋書きのないドラマを用意していました。

雲ひとつない秋晴れの神宮球場・・・素晴らしい試合でした。あわやノーヒット・ノーラン達成かとも思われた斉藤投手の好投に、慶応打線も意地で応えます。結果は10対5で早稲田の勝利。大学入学の年の春季リーグ開幕戦を開幕投手として勝利した男が、大学最後のリーグ戦をも制した瞬間でした。

斉藤投手が勝利投手インタビューで語った言葉です。
斉藤佑樹は「何かを持っている」と言われてきました。いろんな人からそう言われて、自分なりに「何かとは」を考えました。それは「仲間」です・・・・

2010年11月3日、文化の日・・・この日、僕たちは新たな野球伝説の現場証人になりました。


2010早慶戦更新版=期間限定掲載