Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

ドン・ペドロの首~旅情編

2016年09月18日 | スペイン
「カペサ・デル・レイ・ドン・ペドロ通り」を見下ろすドン・ペドロ


スペインのアンダルシア地方セビリアの町には14世紀のカステリア王ドン・ペドロ1世(在位1350-1369)が残した建造物が今も残ってます。
ひとつは、いうまでもなく彼が完成した優美で官能的なムデハル建築の王城(アルカサル)であり、
そして、もうひとつが「ドン・ペドロ」の首といわれる胸像です。

若干15歳の若さで国王に即位したドン・ペドロは、長く続く隣国アラゴンとの闘い、自国の内戦の時代において、国王の権威と自国の栄光を求めて勇猛と策略と残酷さで荒涼たるスペイン全土を駆け巡り続け、波乱に満ちた生涯を送りました。

直情的な激しさと、正義心に富んだ寛大さを持った彼の性格は「残酷王」と「審判王」という相反する二つの呼び名を彼に与えました。
彼の正義は、混乱した中世社会に法と秩序を打ち立てようとするものであり、彼の裁きは常に公平で峻厳なものでした。

彼が19歳の時の話です。
セビリアの街の治安の悪さを嘆いた王は、「街中で殺人を犯した者は直ちにその首をはね、見せしめのために殺人現場にその首を晒す」との布告を出した。
ある夜、お忍びで見回りしていた王は、王の素性を知らない若い貴族との争いになり、ついにその貴族を斬り捨ててしまう。
王は慌てて王城に逃げ戻ったものの、運の悪く、その一部始終は一人の老婆によって目撃されていた。
老婆の通報は、ついに王にまで伝えられ、そして犯人の特徴は王を示すものだった。
なんと、王自らが人殺し?!驚く市民たちの前で、彼は潔く己の罪を認め、自分の出したお触れに従うように命じた。
こうして殺人現場にはドン・ペドロの石造の首が晒されたのである。
いかに国王と言えども、法を犯せば首を晒されることをセビリア市民に示した英断だった。
いつしか彼の石像の首が晒された街路はカンディレホ(ろうそくの灯)通りと呼ばれるようになり、セビリアの街の名所となった。


「審判王」の呼び名の通り、常に公平で公明正大であり続けたドン・ペドロ1世ならではの逸話です。
ドン・ペドロの首は17世紀に胸像として復元され、現在でも「カペサ・デル・レイ・ドン・ペドロ(ドン・ペドロの首)通りの迷路のような狭い街角を見下ろしています。

因みにドン・ペドロの首が晒されたカンディレホ通りは、プロスペル・メリメ原作のオペラ「カルメン」の中で、カルメンとドン・ホセが初めて逢引きする場所でもあります。

今は「アルファルファ通り」とその名を変えたカンディレホ通りを歩きながら、スペインがまだカステイリャであったドン・ペドロの時代に思いを馳せる・・・旅心がそそられます。
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死者よりの便り

2016年05月25日 | 日記
私が22歳で就職した会社は今は無き東京観光㈱でした。
当時の社長は吉村光雄さんと言って、現在私が事務局を勤めるトラベル懇話会を作った方です。

今年で創設39年目を迎えるトラベル懇話会・・・
最初の会社の社長が創設したこの会に、こともあろうに定年を経て再びお世話になるという不思議なご縁を、
どうしても墓前にご報告したくてお墓参りさせていただいたのは一昨年の秋のことでした。

その時、お参りにご一緒した金徳さんより、
「吉村さんの奥様が、我々の墓参りを大層喜んでおられたよ」
「あまりに感激したので、奥様は山下君にお礼の手紙を出したそうだヨ!」
との知らせがありました。

しかし、同じ鶴見区内で引っ越ししたことを知らない奥様の手紙が私の手元に届く筈は無く、
奥様は昨年夏、そのまま帰らぬ人となりました。

時は巡り、本日、故吉村社長のご長男のオフィスを訪ねました。
トラベル懇話会での例会の講師をご紹介いただくためでした。

打ち合わせが終わるやその息子=吉村さんから一通の封筒を手渡されました。
「母の遺品を整理していたら出てきました」と・・・。
封も開けてないままのその手紙を見た瞬間、私はあの時のお礼状に違いないと直観しました。

お墓参りへの丁寧なお礼の言葉が綴られたこの歳月を経た封筒は
きっと今はご主人と二人仲良くお過ごしの天国からの贈り物に違いないと、
身震いするほど感動いたしました。

この奇跡の手紙は永遠に保存させていただきます。
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あれから40年・・・

2016年04月26日 | 日記
あの日もロビーを飾った5月人形


「その“星雲の間”は、今は“ケンジントンテラス”という名前に変っております」
笑顔の素敵な接客係さんからの明るいお返事でした。

ロビーコンサートを聴くために久し振りにホテルオークラに行ってきました。

コンサートも終わった帰り道、余りににこやかなその女性に、
「昔、星雲の間で結婚式を挙げたんです!」と話し掛けたときのことでした。

22歳で就職した会社は東京観光!
その今は無き中堅大手の旅行会社があったのは虎ノ門。
会社から近いこのホテルは公私に亘り本当に良く利用させていただいたものでした。

あれから40年・・・綾小路君麻呂さんのギャグではありませんが・・
1975年4月29日に結婚式を挙げた私たちは、今週末結婚40周年のルビー婚を迎えます。

ソプラノ嘉目真木子さんが清らかに歌う
ジャンニ・スキッキの♪私のお父さん♪を聴きながら・・・
激動の昭和の時代とともに、いろんなことのあった家族の40年を感慨深く振り返りました。

それにしても、ふと、そんなお話しをしたくなるほどのスタッフさんの笑顔の素敵さこそが、
今も昔も変らないこのホテルの人気の秘密なんだなぁと実感しました。

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世界遺産 万里の長城

2016年02月19日 | 雑学
巨大な守りの壁がもたらしたものは、実に皮肉な結末だったのです。
史上最強の城壁、世界遺産=万里の長城の光と影。

史上最強を誇った明の長城・・・

しかし、この時の修復で莫大な国費が費やされたといいます。
明はゆっくりと疲弊し、威継光(せきけいこう)も失脚します。

その後、北方から満州族が侵入。
新しい王朝、秦として中国を支配するまでにさほど時間はかかりませんでした。
このとき、明の武将自らが長城の門を開け、敵を迎え入れたといいます。
完璧なる守りを手に入れた時、明は内部から滅びたのです。

長城とは何だったのでしょう?
遥かなる攻防の果てに、ひとつながりの巨大な壁だけが残されました。

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家族、祖国のため死ぬ

2015年06月29日 | 下田
祖母、33回忌 海善寺


「語り継ぐ、伊豆の戦争」という特集で伊豆新聞5月24日版に父の手記が掲載されました。
戦後70年の節目の年・・・戦争について、平和について考えさせられます。

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本当はベートヴェンのこと 大好きだったんだ

2014年11月27日 | 日記
久元祐子さんが弾いたベーゼンドルファ


「僕はどちらかと言えばベートーヴェンは好きじゃないなぁ・・・」
その方の口癖でした
元気いっぱいのその方と久元祐子さんのリサイタルにご一緒し、
「モーツァルトが愛したピアノ」の音色に感動したのは・・・
先月の30日、本当についこの間のことでした

訃報を聞いて遠路はるばる駆けつけてくださった久元さんが
心を込めてその方に捧げるピアノ曲を献奏してくださいました

なんと、名器ベーゼンドルファから流れてきたのは・・・
♪月光♪

久元さんがそっとつぶやきました
「笠原さん、本当はベートーヴェンが大好きだったのよ」と

クラシック音楽を愛し、そしてまた仲間を大切にする方でした
ご自宅の隣に、わざわざ囲炉裏付きの音楽サロン「青藍」を建て増しし、
多くの音楽家を招いてはサロンコンサート=夢塾(MUSICA)を主宰してくださいました

青監に集うたくさんの音楽ファンを迎える笠原翁

その笠原尚夫さんが永眠なさいました

久元さんの指先が紡ぎ出すモーツァルトの協奏曲23番~アダージョの哀愁の旋律は
笠原さんを慕って集まった皆さんに
今は無き音楽サロン=青監で流れた多くの名演奏と
屈託のない笠原さんの明るい笑顔を思い起こさせたに違いありません

笠原翁のご冥福をお祈りし、これまでいただいた多くのご厚情に心より感謝申し上げます
有難うございました
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便利な世の中

2014年11月09日 | 日記
ANAの自動チェックイン機


息子の海外出張を見送りに、羽田空港へ行ってきました。

首都高速は「ETCカード」
ANAへの搭乗手続きは、「マイレッジカード」で自動チェックイン

親子三人でお茶した支払いは「楽天カード」

駐車場の入口での「自動精算機」へは「Edy」をかざすだけ
精算データが駐車券に登録されたらしく、駐車場出口に近づくや、ゲートが自動オープン

結局、現金は一円も使うことなく行って帰ってきました。

家に帰ると、留守中に宅配が届いたらしく「不在票」
フルタイムロッカーに「FTSカード」を入れたら、「ネットショッピング」した品物が出てきました。

まあ、なんとも便利な世の中になったものです。
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嬉しいお言葉に、編集の苦労が吹き飛びました

2014年09月27日 | 下田
IHNS研究会OB会の皆様と


「伊豆下田にて戦争体験を聞く」旅から帰り、
旅の動画を製作・アップいたしましたところ、
同行の大先輩より、身に余るお褒めのお言葉を頂戴いたしました。

感謝を込めて、その全文を原文のまま掲載させていただきます。

 山下監督のいつもながらの安定感のある作品に、まず感嘆しました。
 黒澤明監督、小津安二郎監督それぞれに独自の作風を確立していますが、
 山下監督においても独特の作風を完成させていると思います。
 頭の中に描いた脚本に従って、撮り進め、時に柔軟・臨機応変に目の前の風景・出来事に反応する。
 景色はあくまでも美しく意味深く。
 登場人物はやさしく、万遍なく捉えられ、一瞬の表情を記録しています。
 そして、編集においては適格なスーパーインポーズで見る者を納得させ感動させます。

 また、音楽は否が応でも旅情を高め、心に響く選曲で風景と相まって心に沁みわたります。
 視覚だけでなく聴力にも訴えます。
 終盤に、夕映えあり星座やライトアップされたモニュメントなど、
 定番の設定が現れてエンディングにいたります。
 これらが集大成されて、山下監督の安定感ある作品を生み出します。
 見る側の気持ちを十分配慮した気配り、心配りが見られます。
 こんな作品を数多く作り続けられる機知と発想とバイタリティそして細やかさに、心から敬服しています。
 これからも素晴しい作品を撮り続けていただくことを願っています。
 また、宝物が増えました。有難うございました。


動画前編:日本の夜明け(所要7分40秒)


動画後編:戦争体験を聞く(所要8分30秒)
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INSPIRE THE DREAM

2014年09月13日 | 歴史
宙に浮いた不思議な地球儀


アサヒトラベルインターナショナルの福田社長より、なんとも洒落た地球儀を頂いた。
磁力のバランスにより、空中に浮きながら回転し続ける、夢とロマンを掻き立てる地球儀だ。
聞けば、会社創立50周年の記念品だとか。
そんな貴重なものを、「事務局のデスクにも飾っておいて」と、さりげなく・・・
こんな気配りこそが、まさに出来る社長のなせる業なのだろう。

早速に事務所に飾らせていただいた。


地球儀を宙に浮かせる作業に多少は戸惑いつつも、永久自転する地球儀を眺めていると、また旅に出たいという気持ちが湧いてくるから不思議である。

同社の社名入りの紙袋の中にはもう一点、「50th Anniversary」と記された冊子が添えられていた。


それとなく読み始めたら止まらなくなった。
「学ぶ旅行を通じて異文化理解の架け橋に」という社是のもと、同社が一貫して教育旅行に取り組んで来た半世紀の歴史が見事に描かれている。

と、その黎明期のページに目が釘付けとなった。なぜならそこにはこんな記述があったからである。

(1)会社のルーツ・旧アサヒトラベルの誕生
「(発起人=初代社長の任期満了に伴い、波多野武が社長に就任したものの、諸般の事情により)波多野は会社経営を断念することとなりました。その際、譲渡先を相談していたのが、国際旅行業協会(JATAの前身)の役員である吉村光雄氏でした。」(P8)

(4)新生「アサヒトラベルインターナショナル」の誕生へ
(東急観光からの独立した郡司亮一は、新しい会社設立を目指しましたが)当時は旅行業開業のための審査が約半年必要で、教育関係団体旅行を集中的に取り扱う夏休みにとうてい間に合いませんでした。そこで、前出の吉村光雄氏に相談したところ、アサヒトラベルの案件があがり、その継承を考えた方が早道だという結論に達しました。(P10)

いやはや、私が驚いたのはここに記載された二人のお名前でした。
吉村光雄氏は私が22歳で入社した「東京観光」の当時の社長であり、波多野武氏は入社の翌年に常務取締役として着任した、まさにその人だったからです。

今はトラベル懇話会の副会長として日々お世話になっている福田社長の会社が創立50年を迎えられる中、そのルーツとも言える会社設立に、若き日の私の会社役員が二人も関わっていたとは何たる驚き!
冊子に綴られた同社の50年の歴史は、まさに日本の旅行業の、そしてまたその中で私自身が歩んできた歴史そのものでした。

改めて、こんな知られざる歴史と不思議な人のご縁を教えてくださった福田社長に心よりの感謝を申し上げます。

INSPIRE THE DREAM・・・半世紀の間、若者に異文化交流の場を提供し続けてきた㈱アサヒトラベルインターナショナル様の益々のご発展を祈りつつ、トラベル懇話会設立の発起人の一人でもある故吉村光雄氏の墓前にこのご縁を報告に行こうと心に決めました。
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英断・命のビザ~杉原千畝物語~

2014年04月27日 | 歴史

なんとも素晴らしい、感動のパフォーマンスでした。
杉原千畝・・・リトアニア大使として、ユダヤ人難民に「命のビザ」を発給し続けたこの人の名前を知らない人はいないでしょう。

俳優水澤心吾さんがこの杉原千畝の心の葛藤を見事に演じてくれました。
内幸町ホールの舞台上には水澤さんただ一人・・・。
一人芝居とは思えない程の圧倒的な迫力でした。
心が震える一人芝居を演じ切った水澤さんの頬には大粒の涙と熱演の汗が
ライトに照らされて輝いてました。

杉原千畝さんが、当時外務省の命令に反して手書きで発行した通過ビザの数は6千通!
彼の英断のビザによって救われた命は、その後脈々と70余年の時を繋ぎ・・・
今では25万人を数えています。

杉原千畝さんの輝かしい人道的行為を決して忘れまいと
リトアニアの首都ヴィルニュスのネリス河畔に植えられた桜の木の脇には「杉原モニュメント」が、
そして、当時日本国大使館が置かれたリトアニア第二の都市カウナスには杉原記念館が建てられ、
彼の偉業を今に語り継いでいます。


カナウスの杉原記念館内部


杉原さんの執務デスクに座る友人トミー


見事な“一人芝居”を演じて下さった水澤心吾さんとの記念ショット


更に昨夜は内幸町ホールの会場に、リトアニア共和国駐日特命全権大使エギディユス・メイルーナス閣下夫妻がお越し下さいました。


希望日本の中村崇さん、感動の会へのご案内と、
素晴らしい皆さまとのご縁をありがとうございました。

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