Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

ベートーヴェン

2003年03月26日 | ドイツ
青藍で熱演の久元さん

青藍でのピアノコンサートのおりに、久本祐子さんから著作にご署名をいただきました。「世紀末の音楽風景」ー夢の喪失と演奏の現在ーその本を読み始めたところです。期せずして今日3月26日はベートーベンの命日です。私の「歴史の日」の中でも一番好きな文章をご紹介させてください。25歳のころ「運命」のレコードジャケットに書かれていた文章です。

ベ-ト-ベン没。五十六才 =1827年、ドイツ=
1827年3月26日、「喝采せよ、友よ、喜劇は終わった」と言い残して、ベートーベンはこの世を去った。一旦、ヴェーリング墓地に埋められた彼の遺骸は後に、1888年になってウィーン中央墓地に葬られた。

もちろんナポレオンという一人の英雄の出現が時代の要請であったように、19世紀初頭の音楽界もまた、18世紀の貴族中心型から市民中心型へ移行しようという変革の時代であった。18世紀の音楽愛好者にして芸術の保護者であった王候貴族の没落は、もはやすぐれた作曲家を雇い、彼等に命じて用途に応じた作品を作曲させるだけの財力と権力を失いかけていた。

こうした時代背景から見ると、ベートーベンの出現は、どこかナポレオンのそれに似ていなくない。しかしナポレオンは必ずしもボナパルトである必要はなかったが、ベートーベンはルードヴィッヒでなければならなかった。政治上の英雄は、時を隔てて見れば、時代を回転させた一つの歯車として観察し得るものであるが、芸術上の英雄は時代を超越して生きるその作品と共に、永遠の光彩を放っているのである。


マリーアントワネットの結婚式

2003年03月22日 | フランス
ベルサイユ宮殿、ルイ14世騎馬像

今回は、「憧れのオリエント急行で行く、ジュネ-ブ・べニス・パリ8日間」ツアーで欧州に来ています。連日晴天に恵まれたツアーも無事終了し、今、パリ発全日空機内にて書いてます。最終日の今日はべルサイユ宮殿に行って参りました。

宮殿二階に入るとすぐに目に入るのが王室礼拝堂。かつて遠くウィーンより輿入れしたマリー・アントワネットとルイ16世の結婚の誓いの儀式が行なわれた場所です。一人異国に嫁ぎ、不安な気持で儀式に臨んだ僅か15歳の少女は、たどたどしくも長たらしい自分のフルネームを結婚証明書に署名をするのです。マリー・アントワネット・・・・・ドゥ・ハプスブルク。

その時でした。大勢の貴族に見詰められる中、緊張のあまり彼女はインク壷を倒してしまったのです。結婚証明書に拡がる黒いシミ。証明書の書き直しは許されません。見て見ぬフリをする列席者たち・・・・やがて革命の嵐に翻弄され断頭台の露と消える、フランス史に名高い悲劇のカップルの誕生の瞬間でした。

時が流れ、彼女がコンコルド広場で処刑された時、人々の胸にはあの結婚証明書に拡がった黒いインキのシミの記憶が蘇りました。「最初から祝福されない結婚だったのだ・・・」と。こうしてみるとブルボン王朝の統治とは・・・ルイ14世が絶対王制により富を築き、ルイ15世がその富を消費し、ルイ16世がその罪をあながった・・・百年であったとも言えるのではないでしょうか?

ほろびゆくものは美しい・・・私たちの心に壮大なロマンが拡がります。

レマン湖畔にて

2003年03月17日 | スイス
オーストリア皇后エリザベートが死の前日に泊った部屋

モンブランへ登ってきました。出発時のジュネーブはどんよりと暗く寒い朝でした。バスの中には期待よりも不安が勝ったあきらめの空気が流れます。でも、なんと。シャモニーからエギーユ・デュ・ミディの展望台に到着してみると、年間でも四日に一日しか晴れないといわれるこの山に、一片の雲さえ見当たりません。それどころか、遠くマッターホルンまでくっきりと見渡すことができました! 幸運を運ぶ指輪の神通力!またこの指輪が新たな伝説を作ってくれました。

もう一つ感激!
かのオーストリア皇后エリザベートが死の前日に泊ったホテル、ボー・リバージュに行ってきました。彼女はこのホテルに泊った翌朝、レマン湖の遊覧船に乗る直前にアナキストに刺され帰らぬ人となったのです。ホテルのフロントマネージャーに声を掛けました。「私は皇妃エリザベートのフアンです。彼女が最後に泊った部屋を見せていただけませんか?」 答えは「ウイ、ムシュー」でした。美人コンシェルジェ、カトリーヌさんの案内で、今でもスイートルームとして世界のVIPに提供される「119号室」と「120号室」の室内を見学させていただきました。

その豪華な「べッドルーム」と、エリザベートが生前最後に見たであろう「お部屋からのレマン湖の眺め」をアップいたします。明日はオリエント急行でべネチアに向かいます。

Tのこと

2003年03月14日 | 雑学
「T」は掛け橋です。上の横棒は道路、下の垂直線は橋げたですよね。
Traは掛け橋を伝っての移動を意味します。トラバース、トラベル、トラバーユ、トランスファー、トラフィック、トレイド・・・・

Tellは「話す」の意味ですが、なぜ「T」がつくのでしょう?話すには心と心に掛け橋が必要だから・・・・?この「Tell」を「T」で始まる言葉にした人は天才だと思います。なぜなら、最初は石の橋を現した「T」が、テレフォンを生んだからなんです。今では「T」はコミュニケーションを表す言葉です。上の横棒は電線、下の垂直線は支柱です。何たる偶然!原始の時代、小川に板を渡して隣の村に移動した人々は、まさか電気のことなんて知る由もないのに・・・・・テレビ、テレックス、テレコミュニケーションなんて無縁の時代に言葉は生まれているんです!

明日からは、欧州域内で通話可能な携帯電話(Telephone)を持って、オリエント急行(Train)の旅(Travel)に行って参ります。 

Hのこと

2003年03月10日 | 雑学
「H」は天に掛ける梯子です。 レンガの模様のようでもあります。私見ですが・・・・「H」は積み重ねることではないでしょうか?高いHigh  家 House  建物 Hall 手 Hand  ホテル Hotel ドイツの地図で「H」は駅のことです。世界遺産 Word Heritage  歴史=History も積み重なるものですね!

Hapsburg は750年間も欧州に君臨したんだから凄いですよね。アメリカは・・・・・僅か200年ちょっとで歴史の彼方へ消えて行きます。2200年の教科書にはアメリカはベトナムで曲がり角に立ち、イラクで決定的なダメージを受けたと記載されるでしょう。戦争に勝って正義に負けるからです。 歴史は皮肉です。サダム・フセインの歴史的評価は、人の痛みを思いやることを忘れたアメリカに対するレクイエムです。