Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

あの鐘を鳴らすのはあなた

2000年10月04日 | 歴史
燃えて炭化した巨木

御巣鷹山へ登ってまいりました。日本航空㈱の五つの労働組合主催の慰霊登山です。日本航空の社員の皆さんを中心に151名が集まりました。事故直後はともかく、ここ数年では随分多い参加人数なのだそうです。やはり2000年ということで「20世紀の大事故に対する一つの区切りを!」と思った人が多かったのでしょうか。アメリカ人なら誰でも、ケネディーが暗殺された日に、自分がどこで何をしていたか覚えていると言われますが、我々日本人もまた、1985年8月12日の日航機墜落の日のことは決して忘れることはありません。

何冊かの関連書物を読みましたが、やはり実際に行ってみると、そこは「想像を絶する空間」でした。まずは山の深さ。今でこそ、道も整備されているものの、当時、救助隊の皆さんはどうやって登って、また遺体や物資をどうやって運んだか?そして「その場所」が余りに広範囲なことに驚きました。川上慶子さんが発見された沢から高浜機長の位牌まで、衰えた私の体力では途中休憩が必要なほど離れているのです。更にその御巣鷹の尾根の険しさ。あれでは不時着ではなく激突です。

乗員組合中執の芦沢さんが飛行機の模型を使って解りやすく説明してくれます「向うのあの黒く見える尾根に最初に接触ました。一度バウンドして三秒後、ここに機首から激突したのです」信じられません。時速500キロです。

来年の『情報公開法』の成立を前に、先般貴重な事故調査関連資料が焼却・廃棄されたことをご存知でしたか? そしてそれに抗議するかのように「ボイスレコーダー」の録音記録がテレビで流されました。もう直ぐ21世紀が目の前です。同じような事故がもう一度起こった時に、人々はやっとあれは圧力隔壁の損壊が原因ではなかったのだと気が付くのでしょうか。それでは余りにも遅すぎます。余りにもお粗末です。

事故調査にも活躍された日本航空OB藤田さんのお話が耳に残りました。
「アメリカでは事故調査に終わりはありません。真実への取り組みは永遠なのです。年月が経って新しい科学技術の進歩によって、事故当時は解らなかったことが解る場合があるからです。日本では事故報告書が提出されると事故調査は終了です。その後に真の原因は?などと言っても、『あれは前任者の時代の出来事ですので』と取り上げてもらえません・・・・」

こうしてこの史上最悪の航空機事故の本当の原因は歳月の流れの中で封印され、風化され、やがては忘れ去られてしまうのでしょうか?何百もそして幾重にも立ち並んだ位牌からは、「そんなことはさせないぞ!」との叫びが聞こえてきそうな、そんな、何とも表現のできない空間でした。

最後に一瞬に燃え尽き、今は黒く炭化した巨木の画像と、鎮魂の鐘でのスナップを添付しました。来年この鐘を鳴らすのはあなたです。合掌!


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1 コメント

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2000年10月4日の返信 (真澄)
2007-04-23 06:03:55
一瞬ブルッとしました。添付の映像がより文章をリアルにしていて、何だか私もその場に行った気に陥りました。無言の威圧感が当時の惨事を回想させます。

この航空機事故にしろ戦争にしろ、その大惨事を二度と繰り返すことのないように、語り継ぐ人、語り継ぐ物がなければなりませんね。今を生きる私たちはもちろん、次世代を生きる人達にも。

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