風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

可能性の水平線

2006-10-30 18:57:38 | 徒然なる日々
関西に帰ったとき、ふたりの赤ちゃんと対面した

          
ひとりは姪っ子。もうすぐ2歳を迎える、なんとハーフだ。
姉夫婦が海外在住のため、彼女とは1年に1回しか会う機会がない。今回は姉夫婦が関西に帰国していたので会いに行った(それが今回の帰郷の目的だったんだが)。
1年前はまだバブバブ赤ちゃんだったのに、今やママゴト道具を駆使してワタシに「ハイ、あ~んして」をしてくるまで成長した!スゲェーっ!!。片言だけど日本語もちゃんと喋るし。でも生後から片時も離せなかったヨレヨレのぬいぐるみは、まだ側にいる…(写真で添い寝しているモノがソレ)。そう言えばワタシも「モンチッチ」を片時も離せない子供だったなぁ
姉曰く、結構人見知りする子なはずなのに、最初っからワタシにはなぜか警戒心ナシ。1年に1回しか会ってないんだから、忘れてるだろうに…。どこかで血のつながりを感じている?。可愛いヤツめ~
また次に会うときは「オバチャン!おもちゃ買って!」とか言われるんだろうか

もうひとりは15年来の友人の赤ちゃん。もうすぐ1歳の誕生日を迎える男の子。母似の美肌でとっても可愛い。最初は「アンタ誰?」とばかりに警戒していたけれど、すぐに慣れてくれて一緒に遊べた。もともとワタシ赤ちゃん好きのため、一緒に遊ぶのはとっても楽しい。ちなみにワタシが好きな赤ちゃんのパーツがコレ↓。
          
コレよコレ!この手の甲に出来るエクボ!!くぅぅぅっ!!これがワタシにはたまらんのだっ!。赤ちゃんの手って何でこんなにカワイイんだろう…。食べてしまいたくなるぞ(コラッ!)。

この小さな手の中は、たくさんの可能性で溢れている。30ン年生きたワタシより、はるかに多くの可能性を掴んでいるのだ、このちっちゃいちっちゃい手で。姪っ子も友人の赤ちゃんも、これから何にだってなれる。可能性の水平線が、彼らにはどこまでもどこまでも広がっているのだ。
ワタシにだって可能性の水平線は広がってるけど、残念なことに年齢制限があるものへのトライは難しくなってる。だからこそ、この小さな手でたくさんのことを叶えて欲しい、出来ればよりたくさんの光を掴んで欲しい。そう願わざるを得ない

そうそう、姪っ子にも友人の赤ちゃんにも、「ちょっとぉ~、アンタの後輩に我が家に来るよう言っておいて~」と念押ししたのだが。ウチに天使が舞い降りるのはいつだ?。

青空のうまいもん

2006-10-29 18:13:23 | グッジョブ!
関西から持って帰ってきた風邪が治らない…。おかげでずっとダウンしてました。予定してた飲み会もキャンセルして養生中。ワタシが言うのも何ですが、皆様風邪にはお気をつけて

関西ネタでもひとつ
ワタシが関西に帰ると必ず寄るお店がある。それは大阪名物・串かつのお店『青空』。路面電車の駅構内に店を構えるという、なんとも面白い立地条件のお店。
串かつというと、競馬新聞もったオッチャンたちがカウンターで立ち呑みしながら食べるフードとか、通天閣のお膝元・新世界の香りがプンプンとか、「ソース二度漬け禁止ルール」とかのイメージがあるのでは?。
でもこのお店には、そんなワイルドな匂いは全くない。女性ひとりでゆっくり食べられる落ち着いた雰囲気。出てくる串かつも「ただ野菜や肉を揚げました」というだけの簡素なものは一切ない、創意工夫を凝らしたお上品なモノばかり。ほとんどがソースなんてつける必要のない、美味しい味付けをされたもの。従来の串かつのイメージに革命を起こすようなものばかり。串は全部で30種類。定番もあれば季節モノもあって、何度いっても飽きない。
串に関してはオーダー制ではなく、マスターにおまかせなのでどんな串が出てくるかは毎度毎度のお楽しみ♪。お腹イッパイの満足になった時点で「ストップコール」をするシステムなんだけど、出来れば30種類全部食べたい~(ワタシの自己ベストは20串。相方は30種類制覇したことがある)。ひとつひとつの串が感嘆符つきの美味しさを誇る素晴らしいお店なのだ~。しかもいくら食べても油で胃もたれしない。油にもトリックがあるそうだ。

だから関西在住時代は、このお店にしょっちゅう食べにいってた。ひとりでフラ~っと寄っては、お店のマスターと奥さんに仕事の愚痴を聞いてもらいながら美味しい串かつをたらふく食べたてストレス発散したもんだ。串だけでなくマスターご夫妻の人柄もあって、このお店は居心地がいい。マスターご夫妻はワタシにとっては「大阪のお父さんとお母さん」だ。
んもんで今回も行って来ました。ホンマ美味しかったわ~。写真でおすそ分け。

          
↑上がパン・下がカマンベールチーズ。パンの中にはピザソースとチーズがたっぷり。

          
↑アスパラ1本丸々揚げたモノ。先っぽにはベーコンが巻いてあり、かなり食べごたえがある。ド肝抜かれる一品。

          
↑エビのすり身を揚げたものを、生姜たっぷりのお吸い物につけたモノ。お上品な味であったまる~。

他にもマツタケやいちぢくといった季節モノたっぷりでした。また関西に帰ったときには食べに行くよぉ~、ウフッ

ベタベタな街に帰る

2006-10-23 16:45:46 | 徒然なる日々
             

先週末、関西に帰ってましてん
たった3日間という超短期滞在。でも約400日ぶりの関西の街は、相変わらずベタで嬉しかったわ♪。東京よりも気温がやや高く、汗ばむ陽気。そのせいだけではないと思うけど、滞在中に風邪をひいて帰京の日に38度の発熱というスゴイおまけ付きとほほ。そんなフラフラやったのに、伊丹空港で「551の蓬莱」の豚まん(大阪人のソウルフード)を買って帰ることだけは忘れなかったワタシ

1年以上帰らないと、街の景色も変わるもんでして。なんば駅前からは南街劇場(古くからある映画館)が消えて、変わりに大きなマルイが出来ていた。エライオシャレになったもんやねぇ~、なんてあんぐり口を開けてしまった。景色ではないが、「Pitapa」なんて私鉄版ICカードも出来てたのにもビックリ
でも変わらない景色もある。千日前の路地には、昔からのポルノ映画館がまだ残ってた(イマドキ観にいく人がおるのか!?)。新今宮(通天閣のお膝元の大阪屈指のディープな駅・一部女性のひとり歩きが困難な地域アリ)の駅構内では、オッチャンが駅員と大声で喧嘩し、昼間からワンカップの日本酒飲んでホームで寝てる人もいてる…。あ~ここは変わってないわ~、となぜか嬉しい。つまりベッタベタなところは1年やそこらでは何も変わってなかったのだ、ウン。

街が変わった・変わらへんという前に、自分もすっかり東京に人間になりつつあるねんなぁ、と感じることもあった。エスカレーターに乗るとき、無意識に左に寄っている(関西は右寄りが基本)。ホテルでTVを見ていても、チャンネルに一瞬迷う
それと久しぶりに見た関西ローカルのTV番組が、「アレ?こんなにやかましい番組やったっけ?」と思うぐらい騒々しく感じるのだ。ベタベタ・コテコテな番組で嬉しいのだが、ゲストがいっせいに喋るので聞き取り出来ない!(それもみんな芸人か、芸人もどきの人ばかり)。そういえば東京ではこの手のTV番組はないもんなあ。
関西在住時代にお世話になったセラピストの方が、「関東に引っ越してきて2年目で、明石家さんまの喋りがうるさく感じるようになった」と話してたが、それと似た感覚になってしまったのだろうか??。とは言え、やっぱり関西ローカルの番組は面白かったぞ。久々にみた「せやねん!」には感動すら覚えたわ

体調不良で行きたかったところ・食べたかったもの全てを満喫出来なかったけど、それなりに楽しかったなぁ。しばらくは帰郷ネタをドーゾ。

コトー先生の島

2006-10-19 19:12:40 | 徒然なる日々
先週から始まりましたなぁ、「Dr.コトー診療所2006」(フジテレビ)。吉岡秀隆、ハマり役ですなぁ~。個人的には蒼井優がカワイイ

前回シリーズを放送していたあの2003年の夏。ワタシはプー太郎の旅人で北海道放浪中だった為、ほとんど観ることが出来なかったのだ、残念無念。ホントはすごーく観たかったのだが(同じ理由で「ブラックジャックによろしく」も途中から観れなくなったなぁ)。
そして放送終了後の秋に、今度は沖縄を放浪。そのとき「Drコトー診療所」のロケ地・与那国島へ渡った。国境の島・与那国島は、こんなご時世でも行くも帰るもタイヘンな島(詳しくは過去ネタ参照)。飛行機も目視着陸なので(管制塔がない)、たびたび欠航するしさ。外界から隔絶された雰囲気があり、そのせいか「沖縄」というよりも「与那国というひとつの国」という印象だったなぁ。
なもんで、今回の放送もドラマのストーリーよりも、「あ!ココで泳いだ!」とか「この道知ってる!」「これはあそこの港だ!」とか役者さんたちには申し訳ないが、風景に目がいって仕方ない

ドラマでよく登場するコトー先生の診療所は、小さな集落の端っこにあった。あのときはドラマ撮影が終了したのに、ポツンと残されていた。
ワタシが行ったときには、扉が開いていて観光客に解放されていた(といっても、ほとんど観光客なんていないんだが)。わざわざドラマのために建築されたのに、いろんな技術を駆使して「古い建物風」に仕上がっていたのにはビックリしたなぁ。ベッドのある部屋からは、ドラマの通り極上の海が見えていた。あまりにもキレイな海だったので、レンタル原付バイクで宿に戻って水着で戻ってきて泳いだもんだ(笑)。11月下旬でも昼間なら泳げる気温。コトー診療所の海は身体が溶けそうになるほど美しかったなぁ

あとドラマのエンディングなどでコトー先生が自転車で走る、海岸沿いの直線道路だが…。原付で走るとホントにキモチが良かった。「風になれる」気分だったなぁ。
ただし、あの一帯は「与那国馬」の放牧地域。ちょっと走ると馬が道をとうせんぼしていたり。あげくに道路には馬の排泄物がゴロゴロと…ヒェェェェェッ!。なもんで、いつもコトー先生が自転車で走るシーンを見ては、「きっとスタッフが頑張って馬の排泄物の掃除したんだろうなぁ」とシミジミ思ってしまうのだ。
こういうおせっかいな視聴者は、柴崎コウが泣きながら診療所を走り出たシーンを見ては「比川の診療所から走って出てきて、久部良の港で泣いてるなんて…。一体何キロ泣きながら走ったんや!?」とか、「コトー先生は1日何キロ走ってるんや?この風景だとすごい距離走ってることになるけど…」とかいらぬツッコミをしてしまう。そういうツッコミはやめましょう、と相方に呆れられ。
そうかと思えば、時任三郎が振込みをして銀行が「琉球銀行」で興奮してみたり(なんでや~)。ゆいレールがちょこっと映っただけで「ここはどこの駅か!?」と調べてみようとしたり。嗚呼、沖縄病というよりただの痛いヲタクだ~
とか言いつつも、毎週楽しみに観てしまう秋デシタ

バッチフラワーレメディカルテ「ウィロー」

2006-10-16 18:31:09 | スピリチュアル
このブログで何度か取り上げてきた、ワタシのライフワーク・バッチフラワーレメディについて語ろうかと。(他のライフワークは「ひとり旅」と「プロレス」だが)。ひとつひとつのレメディについて、過去に学んできたことやワタシの経験も織り交ぜて語ろうかと。(バッチフラワーレメディについて詳しい説明はコチラ。)
ワタシの勉強にもなりますんで。でもあくまで不定期、気の向いたときの企画ものということで(ええ加減や~・笑)。


第一弾は「ウィロー(Willow)」柳の花から作られたレメディ。
こんな精神状態のときに助けてくれます↓。

『恨み・怒り』『自己憐憫』『自分の不幸は他人のせいだ』『自分が可哀想に思え、被害者意識的な怒りを感じる』『なんで私だけが…という不公平感』


バッチ国際教育プログラムを受講したとき、白石由利奈先生(日本バッチ業界の大御所!。ワタシも散々お世話になった方)が「ウィローは柳の花。柳の下と言えば幽霊。幽霊と言えばうらめしや~、の恨みがウィロー」という見事な暗記方法を教えてくれたもんだ
あと中島みゆきの迷曲?『♪うらみ~ますぅ~♪』なんて、ウィローそのもの

ちょっと脱線。バッチを学ぶとよくぶつかる疑問なんだけど、同じような『怒り』のレメディでホリー(Holly・西洋ひいらぎ)がある。このホリーとウィローの違いがよくわからなくて、ワタシも学び始めた当初は「???」と何度も首をかしげたもんだ
先生に質問したり自分なりにつかっていくうちにわかったのが、ウィローはネチネチ・ブスブスくすぶっている火山のような怒り。何かから被害を受けた、という意識が強い。
一方ホリーはメラメラ~、と燃え盛る炎のような怒り。特別何かをされたわけでもないのに怒りを感じてしまうのがウィローにはない性質(その代表格が「嫉妬」か?)。もちろん何か被害を受けての怒りも含むが、ウィローよりもっと攻撃的な怒りである。

話を元に戻すとウィローは、「誰かや何かから被害を受けたり、誰かや何かと比較をして起こる怒り」なんだとワタシなりの結論を出した。
だから相手が人でなくても、「世の中不公平だ」とか「地震のせいで全てを失った」といった人ではない対象から受けた被害者意識全般もウィローの守備範囲となりうると思う。
またまたホリーとの比較になるが、ホリーが被害を受けた相手に『ちくしょーっ!ナニさっ!!』と直接怒りをぶつける感情とすれば、ウィローは『何さ、格好つけてるけどホントは私にヒドイことして…』と陰口を言ったり、ネット上に匿名で悪口を書いてみたりするような感情。この違いがわかります?。

ではウィローのネガティブな感情に見舞われてしまった人がウィローを飲んだ後どうなるのか?。
そもそもウィローの反応として文献では、『許しと信頼・自分の人生に責任を持つ』といった変化が訪れる、と書いてあります。それは以下のケースからも読み取れるもの(ワタシの数少ないセッションの一部ですが)。

職場のいじめが原因で休職に追い込まれたAさんの場合。いろんなレメディを飲んでウィローにたどりついた後のこと。『あの人たちのせいでこのまま私の人生終わりたくない!』と決意、退職し新天地へと旅立った。その姿は感動モノだった。

過去の辛かったり悲しかった体験のフラッシュバックが何度もあり、それに付随しておこる恨みつらみ。もう相手は忘れているだろう内容なのに、まだ自分だけいつまでも怨んでいる。そんなときにウィローを飲むと…恨みが消えた訳ではなかった。でも「いつまでも恨んでいても何も生み出せない・何も進めない」と、恨みだけで生きていくことをやめる決意が出来たBさん。


どちらのケースも許しには至らなかったけど、「恨み」で止めてしまった時計の針をポジティブに進めようとしている。
「恨み」「怒り」など外の世界にゆだねていた鍵を、自分の手の中に取り戻す。そしてその人らしい人生を歩いていく。それがウィローの役割なのかもしれない

伝説のネタ満載ドラマ

2006-10-14 19:38:03 | 徒然なる日々
今週TSUTAYAで全巻借りて、ハマってしまったDVD
それは…『もう誰も愛せない』(1991年フジテレビ木曜劇場・主演:吉田栄作・山口智子・田中美奈子)。

ちょいとソコの姉さん!貴方も見てたでしょう!?。この伝説のツッコミどころ満載の「ジェットコースタードラマ」。ちょっとトイレに立つと、ストーリーに全然ついていけなくなると評判。放送当時話題騒然でしたなぁ~。翌日学校や会社でこのドラマの話題持ちきりだったし。TSUTAYAで見つけて、思わず勢いで借りちゃったよー。
周りの人に「レンタルしちゃったんですよぉ~」なんて話をするものの、みんな「あー、見てた見てた。でもどんなあらすじたったっけ?」と割と覚えていない。そういうワタシも、「吉田栄作がウォーッ!!!って叫ぶヤツ」とか、「山口智子の足を舐めるシーンがあった」とか「珍しく辰巳琢郎が悪役やってた」「山口智子が豹変する」など、断片的なモノしか記憶にない。あらすじなんてすっかり忘れてた~

てな訳で、全12話見ちゃいました。感想としては…。
出演者のファッションセンスに衝撃の嵐。上着が長い長い!女性のスーツがダボタボ(しかもショッキングピンクときたもんだ)、TシャツやらダンガリーシャツをGパンにINして着こなす吉田栄作…
おまけにみんな眉毛ボーン!!にマットなハデハデ口紅・超ロングヘアーで前髪立てて、耳がちぎれるほどデカイイヤリング…。まあ、なんてバブリー♪。
でもよく考えたら自分もそんなファッションしてた記憶が

肝心のストーリーは、意外と前半はゆっくり進行してたのに驚いた。結局ついていけなくなるストーリー展開は、最後の2~3話程度だったかな?。最終回なんて「ここまでやるのか!?」というぐらい人を殺します(笑)。今の韓流ドラマ以上の素晴らしく根拠の無いストーリー展開には、ただただ脱帽
当時の女性週刊誌で、このドラマのツッコミどころが掲載されてた記憶が。でも実際はそれ以上にツッコミどころ多すぎて、最終回には疲れ果てましたぜ。吉田栄作の戸籍はどうなってるの?、というぐらい「田中美奈子とは共犯者同士」→「ふたりは実は兄妹だった」→「それは嘘でした」→「実は田中美奈子だけが実子」→「栄作ホンマは伊武雅人の子供だった」な展開。ね?疲れるでしょ?(笑)。
そして語り継がれる吉田栄作の「ウォーッ!!」、懐かしくて涙でちゃったよー。

笑撃的(笑)なシーンも然ることながら、よく見ると脇を固める役者さんたちが芸達者。主役だったけど、山口智子の「純情な令嬢→復讐に燃えるオンナ」の演技力はゾクッときたし(彼女が悪役っていうのも、今となっては珍しい?)。
薬丸ヤックンのストーカーぶりも、かなりハマってました。はなまるマーケットやってるよりも違和感なかった?。
でもダントツは辰巳琢郎でしょう!!!。確か本放送時このドラマの開始5分前に、毎回「くいしん坊万歳!」で辰巳琢郎出てたはず。「今日は○○漁港にきてます!」なんてニコニコやってたのに、同じチャンネルで5分後にはサディスティックな社長で再登場。絶対遊んでたはず、フジテレビ。

昨今ネタ不足なのか、昔のリメイクとか小説や漫画原作のドラマばっかり。純粋なドラマが少なくなってきたので、こういうトンパチなドラマもたまには見たいもんですなー

お会式

2006-10-13 09:58:11 | 徒然なる日々
          

池上本門寺のお会式(おえしき)に行ってきた

池上本門寺、と言えば以前プロレスラーの豆まきネタでピックアップしたお寺。毎年レスラーが節分に豆まきするので、全国からプロレスファンが集う(嘘です)。
ついでに数年前まで本門寺のそばに「高田道場」があったそうで(これはホント)。最近代理母問題で話題の高田延彦PRIDE総括本部長が、この本門寺の石段でトレーニングをしていたという噂もあったり
何よりも日本プロレス界の師・力道山が眠る場所。プロレスファンのある意味聖地

ではなくて…。本当は日蓮宗の総本山。この日本屈指のブランド寺で、毎年10月11~13日に開催されるのが「お会式(おえしき)」というお祭り。日蓮宗を旗揚げ?した日蓮上人の入滅した日をのお祭りなんだそうだ。
普段は静かな門前町にこの日だけ全国から信者さん&観光客&近隣にお住まいの方々etc…が集まり、凄まじい数の人・人・人・人で溢れる。大阪で言えば、正月の住吉大社並みの人出(かなりピンポイントネタやのぉ~)。

メインは12日の夜。信者さんたちが万灯と呼ばれる山車(写真参考)と共に、手に持った小さな太鼓を鳴らして本門寺まで練り歩く。その万灯が本門寺の石段を上がっていく姿は幽玄で美しい…。万灯の先導をする信者さんたちが纏(マトイ)を器用にクルクル回し、夜空に「ドン・ドン・ドン・ツク・ドン・ツク…」というお囃子が響く。いつ見てもお江戸チックでいいもんだ。

これだけ人が集まれば、当然のごとく集まるのが屋台
いつも思うんだが、『浪花のたこ焼き』とか『大阪名物たこ焼き』とかいう大阪をアピールしているたこ焼き屋がほとんど。
しかし残念ながら、関西人のワタシが食べると「金返せぇぇぇ!」と叫んでしまうシロモノばかりなんだが。だいたいやねぇ~、あんなデカイたこ焼き美味しいわけないねん!サイズがデカイってことはなあ、火が入りにくいんや、だからな・・・(以下、クドイので自粛)。
ついでに関東の「イカ焼き」は、イカの姿焼きである。タマゴの姿はどこにもない。最近関東の屋台でよく見かける「大阪焼き」ってナニ?。お好み焼きの回転焼き(=今川焼き)バージョンみたいなんだが。大阪で食べたことがないぞ(それはワタシだけか?)。

名月

2006-10-07 20:14:52 | 徒然なる日々
ご近所に友がいる。ホントに目と鼻の先に住んでいる、とはこのことだろう。
彼女(Oちゃん)は上京してから最初に勤めた職場の同僚(現在はふたりともソコは退職した)。同じ年齢の上にナゼか最初から妙にお互い気が合った為、今でも仲良くお付き合いさせてもらっている
Oちゃんとは別段用はなくても、月に一度ペースで近所のサ店でお茶を飲むのだが。会ってしまえば最後、毎回4時間5時間はザラに喋るのだ。「ナニをそんなに話してた?」と聞かれても、他愛も無い世間話ばかりなのだが…。昔関西デジタルフォン(懐かしい!!)のCMで、タランティーノが『No!しゃべりタランティーノ!』と言うのがあったが、まさに我々はいつも喋り足りん。放っておけば1晩ぐらい軽く喋るかも…

本日もしゃべりタランティーノは4時間コースで喋りまくり。「ふぅ~、今日もよく喋ったぜー」と満足して帰ろうとすると…。

          


夜空に見事な満月が。う、美しい…。ひょっとして、中秋の名月?。
ゆうべの嵐のおかげで、昼間の東京@素晴らしい秋晴れだった。だから月もこんなにキレイなんだなあー。写真ではキレイに撮りきれなかったけど、本当に美しい月だ。
家に帰ってベランダから双眼鏡で覗くと。おぉぉぉ~、ウサギが餅ついてるぞぉー。てな訳で、「月見団子」ではなく「お餅」食べながらベランダで月光浴(単に台所に餅があっただけの話だが)。こんな月夜にパワーストーンの浄化をやったら、メチャメチャクリアーになりそう、ドキドキ

ネットでウンチク調べてみた(笑)。以下、Wikipediaより抜粋↓。

秋や冬は空気が乾燥して月が鮮やかに見え、かつ、秋は湿度も低く夜でもそれほど寒くないため、名月として鑑賞されるようになった。 中国、日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠んだり酒を飲んだりした。ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであったようで、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例で、とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。

↑だそうです。こんなキレイな月を愛でられる文化の日本人で良かったよー

I feel happiness

2006-10-06 08:35:43 | 徒然なる日々
            

魔法使いから貰った「ダイヤモンドのダイヤルのついた帽子」をかぶって、チルチルとミチルは青い鳥を探す旅にでた。贅沢の国、死の国、未来の国、思い出の国…。訪れたどの場所にも本当の青い鳥は存在しなかった。しかしチルチルとミチルが以前から家で飼っていた鳥が、本当の青い鳥だった。

メーテルリンクの「青い鳥」。子供の頃にアニメでやってて、キレイな絵と原作者の名前の音が好きでよく観てたなあ
ワタシは20代後半に、本当の幸せを探し求めて「青い鳥」を何度も読んだ。だけどあの頃のワタシときたら、この話の意図する幸福論を噛み砕いて消化することが出来なかった。『本当の幸せは外にではなく、内側に存在する』というメッセージが、アタマではわかるもののココロではなかなか理解出来なかったのだ

あの頃のワタシにとって「しあわせ」というのは。宝くじで3億円当選するとか、ブランドもので着飾るとか、寝食忘れるほど夢中になれる何かがあるとか、とびっきりの彼氏が出来るとか、毎日楽な仕事ができるとか、特別リングサイドでスゲェ試合を観戦するとか(笑)…。特別なナニかでしか有り得なかった。
ウキウキ・ワクワク・ドキドキ。心拍数があがるようなことだけが「しあわせ」だと思っていた。ただ、何も無い、平凡で単純な毎日の中にはしあわせなんてない。そう思ってた。もひとつ言えば、「与えられること」だけに貪欲だった。だからこそ、苦しかったのかもしれない。

あの(今より少し)若き日から色々経験して(たいしたことはなかったけど)。ようやくしあわせって特別なナニかの中にだけ存在しているんじゃない。「ただ、何も無い、平凡で単純な毎日」の中にも、しあわせが溢れていることに気づけるようになった。ようやく自分なりに噛み砕き、「ワタシの青い鳥」が自分の内側にいるのだと納得することが出来るようになったのだ

待遇がどうであれ、生活していけるお給料のもらえる仕事があること。笑顔で仕事ができる環境でいること。毎日電車が遅れなく走ってくれること。晴れること、雨が降ること。美味しいご飯を作れること。スーパーに欲しいものが売ってあること。安心して眠れる場所があること。友達がいること。伴侶とその家族がいること…。

一度でも電車が止まって出勤できなくて困った思いをすれば、以後電車が時間通りに運行してくれるだけでもしあわせに思う。仕事がない経験をすれば、今こうして働ける場所があることだけでもしあわせに思う。笑顔を失った時間をもったことがあれば、笑顔でいられるだけでもしあわせに思う。
「負」の経験をしていれば、当たり前のことが当たり前でなくなる。他の日常の中にも「当たり前」がないことに気づける。

不平不満を述べる前にまずは「当たり前」という概念をとっぱらって、感謝の念を抱くようになればしあわせは簡単に見つかった。もともと足元にいたのだ、青い鳥は
なんでこんな簡単なことがわからんかったんやろう?ワタシは。わからないぐらい恵まれた場所にいたんやろうか?。だったらそれもしあわせな人生だった。
「ワタシは不幸ぢゃー!」と叫びたかった出来事があったからこそ、足元の青い鳥に気づける自分へと変われた。だったら悲しかった出来事もしあわせに繋がる大切なもの。まあ、いろんな旅をしなければチルチルとミチルも本当の青い鳥に気づけなかったんだから、人生多少の遠回りは必須なのかも。

チルチルとミチルの持っていたダイヤモンドのダイヤルのついた帽子は、感受性のアンテナだったのかもしれない。アンテナのダイヤルを変えて感謝のキモチをもてば、しあわせなんてアチラコチラに転がっていたのだ。特別なナニかだけがしあわせなんかじゃない。
今日もアチコチにいる青い鳥に、手を合わせて「ありがとう」。I feel happiness

大空と大地と季節の中で

2006-10-05 19:58:16 | 徒然なる日々
北海道病重症患者(別名・北海道職人)の相方からの依頼で、松山千春のベスト版CDを借りてきた。(ちなみにワタシは沖縄病重症患者。我が家は北と南の重症患者が同居している、不思議な家庭である)。

沖縄を旅するとBEGINにハマるように、北海道旅人の多くがハマってしまうのが松山千春。そうなのだ、あの北の広大な大地には、チーさまの歌がイチバン似合う!(と思う)。同じ北海道出身者のドリカム(帯広出身)では、ここまで北の大地への思慕をつのらせることは出来ないであろう(と思う)。

そういうワタシも、北を旅してからチーさまを好きになったひとり。
それまでチーさまと言えば、『スキンヘットのイカツイオッチャン』とか『芸能界きっての武闘派』とかいうイメージだったり。最近では鈴木ム○オのお抱え応援団?、のイメージだけど。
そう言えば記憶の彼方に『確か昔グリコアーモンドチョコレートのCMに出てた、さわやか路線のシンガーソングライター(←古っ!)』があるか?。それぐらいリアルタイムではあまり縁がなかった世代のワタシ。リアルタイムでチーさまを聞いてた世代は、今は40代ぐらいなんだろうなあ。

そんな古い歌なのに、聴くと北の大地の匂いがする。『大空と大地の中で』はもちろんのこと、『季節の中で』なんてどこにも北海道を思わせるフレーズはないのに北の風を感じる。素晴らしい~。借りてきたCDを相方と聴きながら、思わずウットリ。あ~、また北海道を旅したいなあー

ちなみに、松山千春関連の旅の思い出といえばコレ↓。

        

北海道足寄(あしょろ)にある松山千春の実家跡。
すっかり観光地化していて、足寄を通る旅人の寄り道コースと化している。なんか「使用前」「使用後」みたいな絵だよな

この名所?、ものすごーく普通の住宅地の中にあるので、場所わからずにMTBで右往左往していたワタシ。そのへんを歩いてたオジサンに道聞こうと「すいませ~ん」と一声かけただけなのに、「千春の家かい?(ニヤリ)」とオジサンに即答されてしまったのにはビビった思い出が。