風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

バランスが大事

2007-07-25 19:01:50 | 徒然なる日々
              
↑我が家のクマプーは近眼なので、本を読むときにメガネがいる。いや、本文とは何の関係もない写真ですスイマセン。可愛かったので載せちゃいました

改めて本日のお題↓

連日、頭痛・便秘・不眠に悩まされたこの頃
うぬぬ~、やはり6月下旬から始めた仕事のせいか?。睡眠薬が手放せないんだよなー。ブログもろくに更新出来ないし…。いや、待てよ。前職の頃から頭痛で夕飯の支度が出来ないこともあったぞ。新しい仕事のせいだけではあるまい…
数分悩んだ末(短っ!)出た結論は、「自律神経失調症」というヤツではないかと←素人診断。そう言えばこの時期、周りで「病院に行ったけど異常ナシって言われたのに症状が消えない」なんて人続出しているな。

交感神経と副交感神経を司る自律神経。
獣が狩りをする体制が交感神経と表現するのであれば、「癒し」の瞬間が副交感神経と言えばいいだろうか。緊張と緩和、このふたつがバランスよく保たれるように、自律神経は日夜頑張っている。
だけど多くの日本人は交感神経優位状態で、毎日を過ごしていると言われている。常に何かに追い立てられ、緊張状態が持続。ヘビーな勤務体系。家に帰っても仕事のことが抜けない。心から安心することの出来る時間の欠如。そんな人も結構いるのではなかろうか?。
1日のうち交感神経が作動している時間と副交感神経フル稼働している時間の比率を考えれば、「アラ、ワタシは副交感神経フル稼働時間のほうが多いわ~」なんて人のほうが珍しくないだろうか?。

ワタシも「交感神経優位タイム」が圧倒的に多いひとりだ
それが仕事をしてようがしてまいが、あまり関係ないことにこの頃気づいた。要は性格的な問題なんだと思う。
結局は『今この瞬間』を生きていなくて、いつも『ほんの少し先』を想い(今夜の晩御飯の献立や、明日の仕事について)または『過去の懺悔』を「おれたちひょうきん族」のエンディングのごとく繰り返し。そんなことを続けていればやはり身体のどこかが参ってしまうだろう、当然のごとく。
脇目もふらず毎日全身全霊で仕事に燃えていた頃のワタシに向かって、姉が言ったことがある「オリンピックの選手だって、毎日オリンピックは出来ない。休息が十分にあるから、大舞台で実力発揮出来るんやで」と。

「もうそろそろ、生き方変えたほうがええんちゃう?」
というアチラ(ドチラ?)からのメッセージなのかもしれん。と今回30ン年生きてきて、初めて軌道修正に応じてみることにした。

まずは『今この瞬間』を意識した。チョット先や過去に意識が行っている時には、目の前に見える景色の色を心の中で反芻してみた。←なんか怪しい人だが、それしか思いつかなかった。
あとは副交感神経稼動指令発令警報!(ナンノコッチャ)を、出来るだけ出すようにした。「今はまだ副交感神経モードでいい」と自分に言い聞かせてみたり、暇さえあれば爪揉みをやってみたり。
そして「コレを聞けばきっと副交感神経モードになる!」と我が家の沖縄民謡CDを毎日通勤で聞いてみたり(個人的には「島唄」「てぃんさぐぬ花」とビギンに尽きる)。挙句には「ココは沖縄!コレはゴッパチ!(←58号線のこと)」と国道1号線沿いに歩くときには妄想モードに入ってみたり。それはやりすぎやで~、とツッコまれるぐらいやりました。単に妄想癖があるだけ??。
あと自律神経バランスの王道ヨガの実践。案の定、身体ガチガチ。それでもめげずに寝る前に続けてみた。ついでに自己投資「全身マッサージ45分コース」にも行って来た。
and バッチフラワーレメディを自分の感情に合わせてブレンド(これはワタシの中では基本)。


すると…。
まず便秘が治った。しばらくすると不眠も治まって睡眠薬がいらなくなった。最後まで残っていた頭痛も、気づいたら落ち着いていた。やっぱり自律神経バランスだったのかー。
大抵の場合、症状があると薬で押さえ込みたくなる。痛みなんて耐えがたいし、毎日の生活に影響が出るので早くなんとかしたい。そういうワタシも、鎮痛剤乱用しすぎで血圧低下を起こしてブッ倒れた前科者アカンヤン。
だけどホントは身体の声聞いて、可能な限り自律神経のバランスをとる努力をすればなんとかなるもんなのかもしれない。もちろん、病院でちゃんと検査するのも大事だけどね。普段から自分の自律神経をコントロール出来るように訓練しておくのも、病にならないひとつの手段かもしれない

そういうワタシの副交感神経フル稼働ナンバーワンツールは…。生後3ケ月ぐらいのプクプクに太った&フサフサの髪の毛&黒目いっぱい赤ちゃんのスマイルである。恐るべし、赤ちゃんよー。嗚呼、こころが溶けそぉぉぉ!

鏡の法則

2007-07-23 19:21:06 | スピリチュアル
              

今月発売になった「鏡の法則コミック版」買ってしまいました。本屋で平積みになっているので、目にしたことのある方もいるのでは?。
コミック版ではなく小説版がベストセラーになってのは去年の話だったか。昨年の秋に小説版を初めて立ち読み(殴)した際、ぶっちゃけワタシの印象は・・・真実を包み隠さずに言うのであれば・・・「ケッ!」と唾を吐き捨てたくなるような気持ちだった。

息子が学校でイジメにあっているが、その原因が実は母親にあった。母親と母親の父との不仲が、人生の映し鏡のように息子に現れているという真実。母親は一代決心し自分の父親との和解への道を歩んだところ、息子はいじめられなくなった…。

「鏡の法則」をメチャメチャかいつまんで話せば↑こんな話である。
親子関係で問題を抱えているワタシとしては、「またか」という不貞腐れた気持ちになった。対象が「他人」であれば憎んでいても批判されることは少ないというのに、対象が「親」に変わっただけで周囲の人に一斉に批判される。この本からもそんなお説教じみたことを感じ、紀伊国屋書店の店先で「ケッ」と言いたくなったもんだった(ホントはそういう趣旨の本ではないんだが)。
でも…何かが引っかかっていた。なぜか


それは自分にも「鏡の法則」と全く同じケースが思い当たっていたからだと思う。
実は相方の上司が、ワタシの母親とビックリするぐらいソックリな性格で。その上司が「これでもか!!」というぐらい、相方を毎日いびっていた。自分が憎んでいる相手とソックリな人が、自分の大切な人を攻撃している。まるで自分の子供時代を見ているのかと思うような、相方の会社での生活。「偶然」で片づけられることかどうか…。
もしかすると、あの本の言うように「人生の現実はワタシの心の中を映し出した鏡」なのかもしれない。ホントなのかもしれない、と引っかかっていたのだ。

時は流れ数ヵ月後。
「鏡の法則」の著者が書いた「幸せ成功力を高めるEQノート」という本に、今年のアタマ出会った。人生ひっくり返された本だった。『今年度最優秀エライ本で賞』差し上げたくなるぐらい、驚愕の内容だった。一発で著者・野口嘉則氏のファンになった。


その「人生をひっくり返した」野口氏の書いた「鏡の法則」。
ケッ!、と思いつつもどこかで引っかかりもっかかり~。今回とうとうコミック版を買ってしまった、なんでかねー(←うちな~くちでドーゾ)。
前半は小説版のコミック化、後半は補足Q&Aで構成。ワタシが呼ばれて?買ってしまったという読むべき文章は後半に待ち受けていた。

ゆるすということは、相手の行為をよしとすることでもなければ、大目にみることでもありません。
また「相手が悪い」と思いながら、我慢することでもありません。
ゆるすとは、過去の出来事へのとらわれを手放し、相手を責めるのをやめ、今この瞬間のやすらぎを選択するということです。



ナンデ被害者のワタシが加害者を許さなければならんのじゃ?、と思い続けて何年経過したことか。「許す」ということが、いつもイコール帳消しに感じていた。それがどうしても許せず結局冷たく重い鉄の塊が、心の中にいつまでも残る状態だけが続いていた。
でもそうじゃない。ホントに許すというのは、自分自身のため。自分が解放されるためなんだ、とこの文章を読んだとき「ホレ、これが答えやで~」と神様が言ってるような気がした。
確かに憎むにはエネルギーと時間を消費する。今ワタシの中から親への憎しみが消えれば、どれほど軽くなることか。憎しみに使っていた分のエネルギーを、プロレス観戦やら旅やらブログやらMTBやらで爆発できるはず。「高山ヨックン~」「ミノリーン」「タジリさまぁぁ」と観戦中の声援だって、もっとラブリーになれるはず(←なんかが違うぞワタシ)。
縛っていたのは親ではなく、自分自身だった。
それがわかっただけでも、この本を買った(呼ばれた?)価値は十分にあったと思うなあー。

この本にはご丁寧に「過去から解放される許しのステップアップ手順」まで掲載されていて。なんとも至れり尽くせりな内容。憎しみで苦しんでいる人には助けになる一冊
『じゃあアンタも早く相方のためにも、このステップアップやって過去から解放されたら?』とツッコミが来そうですが…。人間変わるっていうのは、ものすごく勇気が必要なんだと本の前で実感中のヘタレ(←結局まだやってないんかいっ!!)。

日曜日の夜は

2007-07-20 08:45:39 | ハマリもの
めっきりドラマを見なくなった
10代後半からハタチ前後の頃って、毎日のようにドラマ見てたのになぁ。当時はトレンディドラマ(死語)全盛期だったし、TVにかじりつける時間も余裕もたっぷりあったからだろうか。
そんなドラマ無し人生になってしまったワタシが、久々にハマっているドラマ。

「パパとムスメの7日間」(TBS系・日曜21時~)

パパ(舘ひろし)と女子高生のムスメ(新垣結衣)が、ひょんなことから中身だけ入れ替わってしまう。というメチャメチャベタな設定のドラマ。ストーリーだけを読んでると、使い古されたものでコレといって魅力はない。

が、しかし

役者の演技力というものは恐るべし。単純なストーリーにリアリズムを加え、実際に見るとこれがかなり面白いのだ!
新垣結衣のオッサン化もなかなかの演技力だが、舘ひろしの女子高生化は一見の価値がある!!。携帯の早打ちはもちろん、言葉遣い・仕草・表情が完璧なイマドキ女子高生。片思いする先輩を前にモジモジする姿や眼差しまでが乙女モード、という徹底ぶり。「気持ち悪い」というハードルを楽々クリアーして、むしろ可愛く見えてきてしまう不思議っぷり。だらしなく着こなしたスーツ姿で、デスクの上にて頬杖をついている格好はかなりツボ。いや~、役者ってスゴイねー。

おかげで毎回大爆笑。床を転がりまわるほどウケてます、ワタシ。「クール&ダンディ」なイメージが強い舘ひろしだからこそ、こういう役はギャップがあって面白いんだろうなー(素顔は「酒が呑めない」「甘いもの大好き」「携帯電話を持ったことが無い」らしいが)。

「あぶない刑事」開始から20年経過。まさかタカが女子高生になる時代が来るとは…。というよりも、舘ひろしが「ムスメに嫌われるパパ」という設定の年齢になってしまったことも、軽~くショックだったりするんだが。(あんなパパンだったら、ワタシは絶対ファザコンだ!!)。
という訳で毎週日曜の夜が楽しみなワタシです。

引き出しの多いひと

2007-07-12 23:13:59 | プロレスLOVE
ゆうべは仕事帰りに後楽園ホールへ。毎度お馴染みプロレス観戦デス
橋本真也の命日でもあり、彼が立ち上げたプロレス団体「ハッスル」で追悼興行ということで。ファンとしてははずせないですな。…という気持ちもあったけど、単純にハッスルが見たかっただけ(笑)。

毎度のことながらハッスルを観るとよく笑う。腹筋が痛くなるほど笑う。プロレスを観て、こんなに笑うのかと思うぐらい笑う。裏打ちされた技術とプロレスへのリスペクトを守りながらも、爆弾のようなネタが各所に散りばめられてある。コレが不思議なことに「プロレスを一度も観たこと無い」のビギナーも、「プロレスファン歴30年」という筋金入りマニアも、同時に笑わせて楽しませるという摩訶不思議な世界を作り出しているのだ
そして一度観ると中毒のようにハマってしまう。「え?この次どうなるの?」というTo be continue状態を必ず作り出している。だからお客さんは気になって、また次も観に来てしまう。うまいやり方ですわ~。おかげでワタシもハマっているファンのひとりですが

             

レイザーラモンHGに負けたらハードゲイの衣装を着る、という「マスカラ・コントラ・ハゲドラ」で負けちゃった天龍源一郎。この日、「天龍ゲイ一郎」として登場。きっと10年前のワタシが見たら、意識不明の重体になること間違いない画像だ。しかもよく見ると結構似合っている…。

会場でリアルタイムで見ていたワタシは眩暈がするほど驚き、死ぬかと思うぐらい笑い転げ、呼吸困難寸前状態に。よく考えたらこの御方「大ハヤブサ」になった過去もあるし、神取忍と試合したこともあるし、武藤を相手に雪崩式フランケンシュタイナーを繰り出したこともある。ものすごーく引き出しの多いレスラーだ(チャレンジャーとも言う)。やれない訳はない。
しかしながらも、「まさか」という気持ちもあった。なもんでこの出来事は2007年最大のビックリだったぞオイッ。しかも腰は振るし「フォーッ!」もやるし高田総統に「バッチコーイ!」もやるし。源ちゃんノリノリやないかぁぁぁっ!!。御本家HGには「どんなに似合ってるんですか!今年のベストハードゲイニスト新人賞は、あなたで決まりですよ!」と大絶賛されるし。引き出し多すぎだって
やはり橋本の命日だから、激闘を繰り広げた相手に哀悼の意をこめて天龍はこんな格好をしたに違いない。橋本vs天龍戦は素晴らしかったもんな~シミジミ。きっとそうだ(「←それは絶対違うと思う」と試合後の飲み会で、観戦仲間全員から否定されたが)。
ハッスルでの川田の壊れっぷりも凄まじいが、今回それを越える壊れっぷりをみせた天龍源一郎57歳の夏・・・。またこうして惚れたレスラーが増えてしまった(どういう基準でホレるんだ???)。


そんなこんなで、相変わらずプロレスばかり観にいってる。去年もかなりの数の観戦をしたけど、今年も恐ろしい勢いで観にいってるように思う…。プロレスLOVE(@ムトウケイジ)は加速する一方。ビッグマッチが多くて会場もたくさんある首都圏に住んでると、気軽に行けるからホント歯止めがきかない。エンゲル係数ならぬ、プロレス係数の上昇に頭を抱えるこの頃。嗚呼、頑張って働こうっと。

千の風になって

2007-07-11 08:03:07 | プロレスLOVE
           

少し前の話。GWに名古屋へ全日本プロレスの試合を観にいった翌日、岐阜県土岐市へ向かった。ここ数年の間、ずっと行きたかった場所へ向かったのだ。
そこは2年前の今日、この世を去った橋本真也が生まれ育った町。そして彼が永遠に眠る場所。

小さな小さな、驚くぐらい小さなお寺に、破壊王の位牌はあった。
「天武真優居士」その位牌の由来は、彼が憧れ続けた織田信長からとって「天武」真也の「真」心優しき人の「優」だと住職さんが話してくれた。
あれから時間が流れたのに、ワタシのようにこのお寺を訪れるファンは後を絶たないそうだ。「やっと心の整理がつきました」とバイクに乗ってやってくる人もいた。レンタカーを借りてくるひともいた。お互い知らない人同士なのに、偶然一緒になったファン同士が堂内で橋本の話をしていたこともあった、と住職さんは言う。まるで昔からの友達のように、橋本の試合の話を熱く語り合って姿を見てとても驚いたそうだ。
そんなお話を聞きながら、ワタシも位牌の前で手を合わせた。この心優しきひとりのプロレスラーに、心から哀悼の意をこめて。

「お墓の場所はホントはあまり教えないんですが」と住職さんにカナリしつこく食い下がり。詳しいお墓の場所は教えられないので、自分で探すことを条件に霊園の場所だけ教えてもらった(有名人なので墓を荒らされるかも、と懸念しているらしい)。旅用の折りたたみ傘では凌げなくなってきた雨の中、お寺から歩くこと数十分。山の手にある小さな墓地にようやく着いた。
いくつか立ち並ぶ墓石。その中でも一際花が鮮やかな墓が静かにそこにあった。ずっとこの場所に来たい、と願い続けた時間がようやく終わった瞬間。

   私のお墓の前で 泣かないでください
   そこに私はいません 眠ってなんかいません
   千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています

そこに橋本はいなかったかもしれない。千の風になって、今もプロレス会場のどこかにいたのかもしれない。だけどどうしても、どうしても。あの日から言いたかったことがあった。

「共に時代を過ごせてありがとう。たくさん感動させてくれてありがとう。」

その言葉を墓前で言えた瞬間、涙が流れた。それは悲しみの涙ではなかった。感謝と安堵と「やっとここまで来れた」という気持ちが入り混じった、不思議な涙だった。やっと会えた。
共に夢を紡いで、勝利も敗北も感動も悲しみも時代時代で与えてくれたひと。本当の意味で、ワタシはワタシの中にいる橋本真也にケジメをつけられた瞬間だったかもしれない。
今でも彼の試合のVTRを見返すと、やっぱり興奮するし感動する。「爆勝宣言」は、何年経ってもイントロだけで涙腺がゆるむ。彼を越えるぐらい覚悟を決めた入場シーンのレスラーは、いまだいないと思っている。色褪せることなく、いつまでも記憶の中で破壊王は生き続けている。

もしもホントに千の風になったのなら…ずっと見守っていて欲しい。それがあの時代を共に生きた、ワタシとワタシたちプロレスファンの願い。

音で綴る旅

2007-07-05 13:22:42 | 旅たびたび
上京してきて以来、東海道新幹線に乗る機会がめっきり減った。
かれこれ3~4年ぐらい乗っていないことになる。別に関西に帰っていない訳ではないのだが、青春18切符とか飛行機を使う機会が多いので新幹線の利用率が圧倒的に減ってしまった。東北新幹線だったら、相方の祖父母がいる盛岡や最近旅で青森にハマっているのでよく乗るのだが。
なもんで、今年のGWに名古屋に行った帰り「こだま」に乗車したときにゃ~、久しぶりに聞いた東北新幹線の車内メロディが懐かしくて仕方なかった

この乗り物に付随するメロディというヤツ。意外と覚えているもんだ。そしてその乗り物以外の場所で聞くとなんか面白い。そんなことを気づかせてくれた動画があった。

新幹線車内チャイム集

↑コレで東海道新幹線の始発・終着駅車内チャイムを聞いたとき、涙が出るほど懐かしかった~。関西からよく東京に遊びにきてた頃。この「まもなく~東京~」のアナウンスの前に流れるチャイムのメロディが、『おー、着いた着いた。メイク直しでもするか』の合図だったのだ。もう住んでしまったので、そんなお約束もなくなったけど。あの20代の自分がとっても懐かしい
 
                             

東京に住んで電車に乗っていると、駅毎に違う発車メロディがあることに気づいた。それもバリエーションが豊富。有名どころでは恵比寿駅の「第三の男」とか蒲田駅の「蒲田行進曲」とか?。高田馬場駅の「鉄腕アトム」もそうかな?。

JR東日本 駅発車メロディメドレー

↑そんな駅発車メロディを集めた動画。
これが…聞いてて面白い(笑)。どれも聞き覚えのあるメロディばかり。普段駅のホームや車内で聞いてるメロディを自宅で聞くと、なんか面白い感覚になる
原宿駅が上下線で違う音楽だった、なんて普段気づかない。その上、ちゃんと曲名がついているんだよなぁ。いつも思うが新宿駅の山手線発車メロディって、沖縄民謡「てぃんさぐぬの花」に似てないかい?。
きっと生粋の鉄ちゃんなら、こういう音楽もタイトル見ずに「○○駅の○番線!」とか当てられるんだろうな(笑)。いや、鉄じゃなくても東京でよく電車乗る人なら、聞いてて楽しいはず!。…と言い切りたい(ええいっ!鉄と呼びたきゃ呼べ!!)。

是非このシリーズで「JR西日本編」とか「沖縄ゆいれーる編」とか。あと「ANAの機内BGM(音階の追いかけっこみたいなメロディ)」なんて作ってくれないかしらん??。だって音だけで旅気分になれるんだから

相棒再び・後編

2007-07-04 22:00:40 | TOKYO生活
信号が変わったらスタートはローギアで。ペダルを漕ぐ足が軽くなったら、徐々にギアを重くして。坂道では足が辛くなる前にギアチャンジ。下り坂はうんと重いギアで駆け下りる。

その足元の感覚が、なんだかとても懐かしく感じたビアンカともツーリング(というほど距離は走ってないが)。空は程よく雲がかかっている。ピーカン晴れは気持ちいいんだけど、体力消耗しやすいし何より日焼けが恐ろしい年頃のワタシ。その日の天気は、自転車乗りにとってちょうどよかった。土曜日とは言えども、都内は車多し。路上駐車も結構いるので車道を敬遠し、ひたすら歩道を走りながら東京の中心地・皇居を目指す。

途中、東京タワーが見えてきたので向かってみた。
             
なんやぁぁぁ~っ、東京タワーって丘の上に建ってたのかいっ!(←初東京タワーのおのぼりさん)。短距離ながらもけっこう急な坂道で、ビアンカのギアはローのままでもキツかったぞ!東京タワー高さ水増しかっ!ゼェゼェ
と毒づいてみながらも、やっぱ東京の象徴。足元から見上げると迫力があったなぁ
東京タワーだけでなく、東京の街というのは意外と平たい土地ではないことを実感。いわゆる高級住宅街はどこも高台で、ゆるみきった足にはキツイ道なんだな、これが。そんなこともビアンカと走らなければ知らないままだったかも。

道に迷ってみたり、コンビニで休憩を重ねながらようやく本日の目的地・皇居到着(ベタな目的地だが)。皇居周辺といえば、やっぱココははずせないでしょ!。

             
霞ヶ関界隈。
ワタシはこの街がかなり好きである。「○○省」が軒を連ね、パリッとした緊張感がたまらない。レトロで重厚感のある建物の法務省も大のお気に入り。同じような独特の雰囲気を醸し出す、となりの永田町もかなり好き(ヘンですか?)。
警視庁を初めて見たときにゃ感動したぞー(←刑事ドラマヲタク)。
『どういうことだね!西部署はどうなってるんだ大門くんっ!』
『自分が責任をとります』
『大さん、ココは俺に任せてくれ』
『課長…』
(↑妄想エンドレス以下省略)。
天下の警視庁の前でしばし妄想タイム。これぞ桜田門の変(な人)

変質者になっているだけではつまらないので、桜田門をスタート地点に、反時計周り皇居を一周してみた。
これが…かなり気持ちいい!!。都内には珍しく信号がほとんどないので、走りやすいのだ。気持ちよさの理由はきっとそれだけではないんだろうと思うけど。とっても気分がノッてくる道
お堀を左手に適度な緑の中を、ランニングする人たちに混ざってスイスイ走る。武道館を過ぎたあたりから地味に登り坂になるけど、三宅坂あたりでの下りは最高の気分!。ヒャッホォー!と思わず叫びたくなる気持ちよさがあった。あー、ええ道やなぁ。ブラボー皇居

サイクルメーターの時速表示がグングン上がる。ギアもどんどん重くしたくなる。ビアンカと呼吸があったような、ノリノリの気分。そんな感覚を久しぶりに感じた。あの旅で何度も経験した、自分とビアンカが一体になる瞬間。それを再び体験出来たのだ。
嗚呼、あれほど酷い扱いをしていたというのに。彼女はまだワタシに夢の続きを見せてくれる。相棒でいてくれる。それだけでもホント嬉しかったなぁ。

そんなこんなでこの日の総走行距離は40km。
「たったの」40kmにもかかわらず…翌日全身筋肉痛。運動不足過ぎやでワタシ、ホンマ。きっとビアンカも呆れているはず。運動不足解消に、ツーリング定期的にした方がよろしいみたいで。

相棒再び・前編

2007-07-02 19:20:18 | TOKYO生活
           

彼女↑の名前は「ビアンカ」。メーカー名は「biabchi(ビアンキ)」なんだが、とほほなワタシが読み間違えして「ビアンカ」と呼んでしまって以来ずっとその名で呼んでいる。
彼女は4年前、夏の北海道を100日間共に旅したパートナー。

本当はあのころ誕生日に自分へのご褒美として、宝石を買うつもりだった。でも「無期限の旅をしたい」という夢は膨らむ一方で、退職するか悩んでいた時期でもあったりして。北海道を思う存分旅したい。その夢は北の大地のごとく果てしなく広がっていた時期でもあった

とりあえず夢が実現したとき(=退職出来たとき)のプランニングなんぞしてみたら、旅の足というものに行き詰った。電車オンリーで北海道を旅するには無理がある(電車の走ってない場所のほうが多い)。バスを乗り継いでも限界がある。そのたびにレンタカーを借りるなんて不経済極まりない。今更バイクの免許をとるなんて無理
行き詰った末に閃いたのか、自転車の旅。決して「体動かすのが好き」だとか「スポーツ得意」だった訳ではない。動機は到ってシンプル「自転車なら燃料費がいらないので、旅の途中でお金がかからない!!」←かなりワタシらしい理由だと思われ…

「とりあえず買うことで、夢実現につながるよ」と先輩ドリーマー・F嬢(退職して留学経験アリ)のアドバイスを受けて、気づいたら宝石の購入資金がビアンカに変身していた。
町の自転車屋で、彼女に初めて会ったときのことはよく覚えている
ダークカラーの多いマウンテンバイクの陳列の中で、一際鮮やかなグリーンを放っていた。「イタリアの空色を現したカラーです」と自転車屋の店員さんが教えてくれたときにゃ、もうコレだなと決めていた。

そこから何度も自転車屋に通い、乗り方・メンテナンスの仕方・パンク修理の手順・輪行(分解して袋詰めにした状態)の方法etc…を伝授してもらった。
キャンプだとかバーベキューだとかアウトドア系が大の苦手なワタシが、この手のことを覚えるのは至難の技。それでも親切丁寧な店員さんのおかげで、生まれて初めてアウトドア系に手を染めることに成功。人生ってわからんもんだなー。
その後、人生最大の決断(←その当時は)退職に踏み切ったのはそれほど先のことではなかった。確かにF嬢が言ったとおり、プランが具体化すればするほど夢の拡大は止まらなくなるもんだな。


そして夢は叶った。

ときには大雨の中泣きながら走り。ときには峠の途中で「もうイヤじゃぁぁっ!」と彼女にニールキックで八つ当たりし。ときには彼女を分解して袋詰めして電車にのったり。ついでに旭川駅でホームから彼女を車内に持ち込もうとしたら、扉に挟まれる始末。乗り換え時間3分のときにゃ、「か、肩が抜けるぅぅぅっ!」と涙目にになりながら彼女を担いでホームを駆け。ときには中標津の涙が出そうな美しい牧草地を走り回り。ついには日本最北端を共に踏みしめ。ときには彼女と一緒に富良野の夕景の一部に溶けたこともあった…。
そんな思い出は全て、永遠にワタシの人生の宝物となった



ところが、だ。

旅を終えてここ数年間、相棒はベランダで野ざらし状態。全く乗ることがないまま時間だけが過ぎた。酷い扱いだ、あんまりだよな、と自分でも思ってた。このままベランダで錆びていくだけの運命かもしれない…。

しかし人生は不思議なもので。相方が急に「夏休みに北海道でビアンカに乗りたい!」と言い出した。どうやら旅人もある程度のレベルまで達すると、車での移動よりも更に原始なスタイルを模索するようだ。便利さよりもオリジナルを重視して、どんどん不便なスタイルを好むようになる。不思議なもんだ。

その「北海道で乗りたい」リクエストに答え、数年ぶりにビアンカをメンテナンス。油を差し、パンクを修理しギアを調整。なんとか乗れるようになった。すると相方が毎週末のように「練習」と称して乗り始めた。ときには100km以上走って帰ってくる!スゲェーッ
人が乗り回していると天邪鬼な心が騒ぐのか、自分も乗ってみたくなる。なんちゅーワガママさだろうか、と自分でも呆れるが。まあ、ここ数年運動不足だし乗ってみるかと言い訳。お天気のいい土曜日、数年ぶりに相棒と走ることになった…。


(長い前振りやなぁ~本編は後編で)。