風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

鏡の法則

2007-07-23 19:21:06 | スピリチュアル
              

今月発売になった「鏡の法則コミック版」買ってしまいました。本屋で平積みになっているので、目にしたことのある方もいるのでは?。
コミック版ではなく小説版がベストセラーになってのは去年の話だったか。昨年の秋に小説版を初めて立ち読み(殴)した際、ぶっちゃけワタシの印象は・・・真実を包み隠さずに言うのであれば・・・「ケッ!」と唾を吐き捨てたくなるような気持ちだった。

息子が学校でイジメにあっているが、その原因が実は母親にあった。母親と母親の父との不仲が、人生の映し鏡のように息子に現れているという真実。母親は一代決心し自分の父親との和解への道を歩んだところ、息子はいじめられなくなった…。

「鏡の法則」をメチャメチャかいつまんで話せば↑こんな話である。
親子関係で問題を抱えているワタシとしては、「またか」という不貞腐れた気持ちになった。対象が「他人」であれば憎んでいても批判されることは少ないというのに、対象が「親」に変わっただけで周囲の人に一斉に批判される。この本からもそんなお説教じみたことを感じ、紀伊国屋書店の店先で「ケッ」と言いたくなったもんだった(ホントはそういう趣旨の本ではないんだが)。
でも…何かが引っかかっていた。なぜか


それは自分にも「鏡の法則」と全く同じケースが思い当たっていたからだと思う。
実は相方の上司が、ワタシの母親とビックリするぐらいソックリな性格で。その上司が「これでもか!!」というぐらい、相方を毎日いびっていた。自分が憎んでいる相手とソックリな人が、自分の大切な人を攻撃している。まるで自分の子供時代を見ているのかと思うような、相方の会社での生活。「偶然」で片づけられることかどうか…。
もしかすると、あの本の言うように「人生の現実はワタシの心の中を映し出した鏡」なのかもしれない。ホントなのかもしれない、と引っかかっていたのだ。

時は流れ数ヵ月後。
「鏡の法則」の著者が書いた「幸せ成功力を高めるEQノート」という本に、今年のアタマ出会った。人生ひっくり返された本だった。『今年度最優秀エライ本で賞』差し上げたくなるぐらい、驚愕の内容だった。一発で著者・野口嘉則氏のファンになった。


その「人生をひっくり返した」野口氏の書いた「鏡の法則」。
ケッ!、と思いつつもどこかで引っかかりもっかかり~。今回とうとうコミック版を買ってしまった、なんでかねー(←うちな~くちでドーゾ)。
前半は小説版のコミック化、後半は補足Q&Aで構成。ワタシが呼ばれて?買ってしまったという読むべき文章は後半に待ち受けていた。

ゆるすということは、相手の行為をよしとすることでもなければ、大目にみることでもありません。
また「相手が悪い」と思いながら、我慢することでもありません。
ゆるすとは、過去の出来事へのとらわれを手放し、相手を責めるのをやめ、今この瞬間のやすらぎを選択するということです。



ナンデ被害者のワタシが加害者を許さなければならんのじゃ?、と思い続けて何年経過したことか。「許す」ということが、いつもイコール帳消しに感じていた。それがどうしても許せず結局冷たく重い鉄の塊が、心の中にいつまでも残る状態だけが続いていた。
でもそうじゃない。ホントに許すというのは、自分自身のため。自分が解放されるためなんだ、とこの文章を読んだとき「ホレ、これが答えやで~」と神様が言ってるような気がした。
確かに憎むにはエネルギーと時間を消費する。今ワタシの中から親への憎しみが消えれば、どれほど軽くなることか。憎しみに使っていた分のエネルギーを、プロレス観戦やら旅やらブログやらMTBやらで爆発できるはず。「高山ヨックン~」「ミノリーン」「タジリさまぁぁ」と観戦中の声援だって、もっとラブリーになれるはず(←なんかが違うぞワタシ)。
縛っていたのは親ではなく、自分自身だった。
それがわかっただけでも、この本を買った(呼ばれた?)価値は十分にあったと思うなあー。

この本にはご丁寧に「過去から解放される許しのステップアップ手順」まで掲載されていて。なんとも至れり尽くせりな内容。憎しみで苦しんでいる人には助けになる一冊
『じゃあアンタも早く相方のためにも、このステップアップやって過去から解放されたら?』とツッコミが来そうですが…。人間変わるっていうのは、ものすごく勇気が必要なんだと本の前で実感中のヘタレ(←結局まだやってないんかいっ!!)。

コーチング体験

2006-11-06 19:35:49 | スピリチュアル
先日、「コーチング無料体験」なるものを受けた

コーチング。ここ数年、ビジネス書のコーナーでよく置いてあるので見かけたことのある人もいるのでは?。決してエースをねらえ!の宗方氏のハナシではありませぬ(笑)。数年前、お世話になっていたセラピストさん主催のワークショップで初めて知ったコーチング。そのときから「なんか面白そうだなぁ~」と興味を持っていた。
このコーチングのセッションを無料でしてくださる方がいらっしゃる、と花音ちゃんのブログで紹介。これも何かの機会だ、とワタシも早速セッションを受けてみた。

そもそもコーチングとは?。
『あなたの中にある可能性を引き出し、自分で答えを見つけ、自分で行動できるように促し、夢や目標を達成するためのサポートです。「答えはあなたの中にある」これがコーチングの基本哲学。』
(セッションを担当してくださった方からの説明文より抜粋)
「答えはあなたの中にある」好きだなぁ~、このコトバ。幸せも自分の中にあるんだもんな。コーチングのセッションについては、以下報告↓。かなり長文になりました、ゴメンナサイ。


今回のセッションをして下さる方は、沖縄在住の方(またまた沖縄発信ネタだー)。なもんで、遠方在住のワタシのような者には電話でセッションをしてくださった。有難い~。でも対面セッョンと比べると伝わりにくいことがあるのでは?、と心配していたんだけれど…。ところがどっこい、目からウロコ連続のセッションが繰り広げられたのだ!。

今回セッションの内容としてワタシが選んだのは、何十年も抱えてきた両親への葛藤。これがなかなか根深い問題で、何歳になっても解決することはなかった
無料体験セッションの内容としてはディープすぎるよなあ~、と恐縮しつつ予約時間に電話をかける。受話器の向こうからは、優しく暖かな女性の声。それが今回セッションをしてくださるrubyさん。
まずは今までこの問題を抱えながらも、真摯に受けとめて頑張ってきたことを労ってくれる。この時点で、この人はこのヘビーなこの問題を一緒に考えてくれるんだ、という安心感が生まれた。

その後rubyさんからはアドバイスらしいアドバイスはほとんどなく、いろんな質問を繰り返される。今抱えている両親への憎しみを10とすると○○はいくつぐらいになるのか、とか、大人な自分をイメージするとどんな形・色なのか?、とか。
こういうセラピーを受けた経験のあるワタシにとっては答えにくい質問はなく、ホントに簡単な質問のみ。いつものごとく大ボケな?解答を繰り広げるワタシ

すると…不思議な現象が起きた。ただ質問に答えているだけなのに、自分の中に「答え」が湧き上がってくるのだ。
「その憎しみの感情のおかげで得たいいことは何か?」(質問の仕方はもっと違う形だったけど)に答えようとして、ハッとさせられたのだ。憎しみ続けたおかげで、いろんなネガティブな出来事が連鎖し、それを解決しようとしていろんなセラピーを受けた。その結果、スピリチュアルの扉を開いて今のワタシがいる。セラピーを通していろんな人たちと出会った。もし憎しみを抱えてなければ、最終的にあの人たちには出会わなかったのだ…

「今抱えている憎しみを10とすると、幾つぐらいまで減ると幸せですか?」という質問に対しても同じ現象が起きた。ワタシは「ゼロです」と答えられなかったのだ、なぜか。普通に考えれば「ゼロ」であるのが一番ベストなのに?ナゼ?。
次の瞬間ハッとした。「ゼロ」にすると両親との関係が切れてしまうからイヤなんだ…。憎しみというカタチでもいいから、繋がっていたいのだ。「愛憎」とはよく言ったもんだ。
そのとき目からウロコがドッサリ落ちた。そんな答えが自分の中にあるとは予想もしてなかった、ビックリ

そんな「気づき」が答えとして自分の中から湧き上がる。すると今まで抱えていた感情が変化し、見方が一気に変わる。つまり被害者意識から脱却する。お荷物だと思っていた出来事が、実は宝だったと自分の中で答えを出せたのだ。「見方が変わる」「フォーカスする場所を変える」それがコーチングなのか!?。

同じように自己イメージのフォーカスを変えるセッションをしてもらったのだが。やはり目からウロコ続出。今まで自分という素材のドコを見てきたんだろう?、と思うぐらい自己イメージがバージョンアップするのだ。それも事実だけを見て気づく。今まで自分という素材の良さに気づかずに、なぜにあれほどまで調味料で味付けすることに必死だったんだろう?。
不思議だ~

アドバイスなんかない、ただ一緒に考えてくれて違う見方を提案してくれる、自分の中にある答えを導き出してくれる。明らかにカウンセリングとは違うコーチング。むしろ、カウンセリングよりも優しく納得のいくものだった(自分で答えだすんだから、そりゃあ納得できるよな)。NLPの技法も取り入れているので、アンカリングもしてもらえてラッキーだったわ~。受けて良かった感謝感謝。

ホントに無料でいいんですかね?、と疑問に思うぐらい効果発揮したrubyさんのコーチング。興味のある方はお問い合わせをしてみてくださいな。100人限定無料体験で、現在60人経過しているので急げ~!!

rubyさんのブログはコチラ→コーチという生き方

バッチフラワーレメディカルテ「ウィロー」

2006-10-16 18:31:09 | スピリチュアル
このブログで何度か取り上げてきた、ワタシのライフワーク・バッチフラワーレメディについて語ろうかと。(他のライフワークは「ひとり旅」と「プロレス」だが)。ひとつひとつのレメディについて、過去に学んできたことやワタシの経験も織り交ぜて語ろうかと。(バッチフラワーレメディについて詳しい説明はコチラ。)
ワタシの勉強にもなりますんで。でもあくまで不定期、気の向いたときの企画ものということで(ええ加減や~・笑)。


第一弾は「ウィロー(Willow)」柳の花から作られたレメディ。
こんな精神状態のときに助けてくれます↓。

『恨み・怒り』『自己憐憫』『自分の不幸は他人のせいだ』『自分が可哀想に思え、被害者意識的な怒りを感じる』『なんで私だけが…という不公平感』


バッチ国際教育プログラムを受講したとき、白石由利奈先生(日本バッチ業界の大御所!。ワタシも散々お世話になった方)が「ウィローは柳の花。柳の下と言えば幽霊。幽霊と言えばうらめしや~、の恨みがウィロー」という見事な暗記方法を教えてくれたもんだ
あと中島みゆきの迷曲?『♪うらみ~ますぅ~♪』なんて、ウィローそのもの

ちょっと脱線。バッチを学ぶとよくぶつかる疑問なんだけど、同じような『怒り』のレメディでホリー(Holly・西洋ひいらぎ)がある。このホリーとウィローの違いがよくわからなくて、ワタシも学び始めた当初は「???」と何度も首をかしげたもんだ
先生に質問したり自分なりにつかっていくうちにわかったのが、ウィローはネチネチ・ブスブスくすぶっている火山のような怒り。何かから被害を受けた、という意識が強い。
一方ホリーはメラメラ~、と燃え盛る炎のような怒り。特別何かをされたわけでもないのに怒りを感じてしまうのがウィローにはない性質(その代表格が「嫉妬」か?)。もちろん何か被害を受けての怒りも含むが、ウィローよりもっと攻撃的な怒りである。

話を元に戻すとウィローは、「誰かや何かから被害を受けたり、誰かや何かと比較をして起こる怒り」なんだとワタシなりの結論を出した。
だから相手が人でなくても、「世の中不公平だ」とか「地震のせいで全てを失った」といった人ではない対象から受けた被害者意識全般もウィローの守備範囲となりうると思う。
またまたホリーとの比較になるが、ホリーが被害を受けた相手に『ちくしょーっ!ナニさっ!!』と直接怒りをぶつける感情とすれば、ウィローは『何さ、格好つけてるけどホントは私にヒドイことして…』と陰口を言ったり、ネット上に匿名で悪口を書いてみたりするような感情。この違いがわかります?。

ではウィローのネガティブな感情に見舞われてしまった人がウィローを飲んだ後どうなるのか?。
そもそもウィローの反応として文献では、『許しと信頼・自分の人生に責任を持つ』といった変化が訪れる、と書いてあります。それは以下のケースからも読み取れるもの(ワタシの数少ないセッションの一部ですが)。

職場のいじめが原因で休職に追い込まれたAさんの場合。いろんなレメディを飲んでウィローにたどりついた後のこと。『あの人たちのせいでこのまま私の人生終わりたくない!』と決意、退職し新天地へと旅立った。その姿は感動モノだった。

過去の辛かったり悲しかった体験のフラッシュバックが何度もあり、それに付随しておこる恨みつらみ。もう相手は忘れているだろう内容なのに、まだ自分だけいつまでも怨んでいる。そんなときにウィローを飲むと…恨みが消えた訳ではなかった。でも「いつまでも恨んでいても何も生み出せない・何も進めない」と、恨みだけで生きていくことをやめる決意が出来たBさん。


どちらのケースも許しには至らなかったけど、「恨み」で止めてしまった時計の針をポジティブに進めようとしている。
「恨み」「怒り」など外の世界にゆだねていた鍵を、自分の手の中に取り戻す。そしてその人らしい人生を歩いていく。それがウィローの役割なのかもしれない

スピリチュアルな風が吹く・その3

2006-09-17 08:50:08 | スピリチュアル
スピリチュアル番組『オーラの泉』に、なんと前田日明が出演!!!!!

ワタシャこの情報聞いてから放送日まで心配で仕方なかったぞ…。「前田さんの前世は武士だったんですよね」と柔和なお顔で話す江原さんに、「なんやとぉ!そんなもんわかんのかっ!?」とアキラ兄さんのキャプチュードが炸裂するんじゃないか。「オーラの色は赤ですね」という三輪さんに、「やかましいんじゃーっ!」とアキラ兄さんのキック炸裂。…なんて阿鼻叫喚の結末が待っているんじゃないかと、オチオチ夜も眠れなかった(それはちょっとオーバーやろ??)。
そんな全国のプロレスファンの心配をよそに(心配してたのはワタシだけか?)、無事にオンエアーの日を迎えた。ワタシもドキドキしながらこの番組を見た

感想は…。「アキラ兄さんって、結構スピリチュアルな人だったのね…」と目からウロコ
赤ちゃんの頃の記憶があったり(こういう人ってホントにいるんだよなぁ。ワタシの知り合いでも出生後すぐの頃の記憶が鮮明に残っている人がいる)、肉体と魂のズレをいつも感じていたり、あげくに富士山で龍と鳳凰を見た体験があったり。
凡人からすれば「ホンマかいな?」と思ったりもするんだが、あの前田日明が小細工するとは思えない
番組は過去に類を見ない濃厚な内容で進行。江原氏には「霊媒体質」と診断されたり、うしろにいる将校さんたちが前田の狂気を操っていると見たり、江原&三輪さんで激論してみたり。
須藤元気がゲストの回でも、ここまで濃厚にはならなかったのだが…。やはり前田には何か一筋縄ではいかないものがあるのだろうな。
ワタシは前田世代のファンではないので、上っ面の前田の歴史しか知らない。でもその波乱万丈な半生と、今回の番組内容がものすごくリンクしているように見えた

最後までアキラ兄さんがゴンタ顔になることなく、無事に番組終了してホッとした(笑)。次回ゲストには是非是非、高山善廣を…(←病気)。

スピリチュアルな風が吹く・その2

2006-09-16 08:10:39 | スピリチュアル
某日。お昼休みに休憩室でプロレス雑誌を読む(←日常茶飯事な風景)。
とある記事を読んでたとき、「?????」とアタマの周りをクエスチョンマークが浮遊。その記事がコレ↓。

「試合後の柴田がそういって胸を指したように、『ソウルメイト』を自認する二人には目に見えない、確かな絆がある。」

ソウルメイトって…。えーっと…今ワタシが読んでるのは『アネ○ネ』とか『トリ○ティ』じゃなかったはずなんだけど???。思わず表紙をひっくり返してみるが、やっぱプロレス雑誌だ。ビックリ
いつの間に『ソウルメイト』が市民権を得た言葉になったのかい?。しかもプロレス雑誌には絶対有り得ない活字だと思ってたんだが…。

          

このソウルメイト発言をしたお二人の選手がコチラ。柴田勝頼選手(左・フリー)とKENTA選手(右・NOAH所属)。
なんでも友人を介して会っちゃったら、初対面でイキナリ意気投合。着てる服のブランドから帽子までお揃い、いろんなところで共通点がシンクロしていたため、互いを『ソウルメイト』と呼ぶようになったらしい。その意気投合ぶりは仕事にまで波及して、タッグチームを組んでしまったそうだ。チーム名はお互いの一字をとって『柴KEN。渋谷駅の銅像っすか!?。オーイ、だれかもっといい名前つけてあげてー。(一部ファンの間では「ソウルメイツ」とか呼ばれてるが(笑))。
しかしこの間の武道館では、いい試合してたなぁ>柴KEN(特に柴田)。

「ソウルメイト」なんて言葉がまさかプロレス界で使われる時代になったとは…正直ビビったたじろいだ。マット界にもスピリチュアルな風が吹くようになったのか?
そのうち「あの選手は波動が高いので、闘いたい」とか、「ハイアーセルフに導かれて、この団体に乗り込みました!」とか掲載される時代になるのかしらん?う~む。

スピリチュアルな風が吹く

2006-09-15 14:35:28 | スピリチュアル
東京@一気に秋の気配
最近は季節の変わり目がフェイドアウトではなくカットダウン。『今日から夏!』という暑さがイキナリきたと思えば、秋も同様に『今日から秋!』と一気に気温が下がった。
ワタシは昔から四季の中で秋がイチバン好きだった。長袖シャツ1枚で外出し、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、泣けてくるぐらい鮮やかな色彩の夕暮れ空を見上げ、羽根布団1枚にくるまれて眠る。あ~、四季のある日本に生まれてよかったとシミジミ思う瞬間。

味覚の秋も捨てがたいが、やはり読書の秋(なぜか秋になると本を読みたくなる)。神保町の行きつけの本屋で、夜長の友はないかね~とブラブラしてた。この場合、「行きつけの本屋」と言っても文芸書専門店ではない。書○ブックマート地下1階の格闘技専門コーナーなんだが…(んなところで本さがすな!、って?)。
そんなヲタクなコーナーで、ふと目に付いた鮮やかなブルーの表紙。思わず衝動買いしてしまった。

            

『風の谷のあの人と結婚する方法』須藤元気・著(ベースボールマガジン社1200円)。

タイトルから察すると作者はアキバ系か!?、と思ってしまうが、れっきとした現役K-1ファイター・格闘家である。
ワタシはこの方の試合は一度も見たことないんだが、リング外でのそのスピリチュアルっぷりにド肝を抜かされて以来気になる人になってしまった(そのときのハナシはコチラ→言霊アスリートネタ)。今年の春だったかな?『オーラの泉』に出演したときにゃー、その波動の高さを存分に見せてくれたもんだった

そんな気になる人・須藤元気の著書を読んでみた。
某宮崎アニメについて語ってる本・・・ではなく、須藤元気なりの人生哲学を語ってる内容。その中には格闘技の話がほとんど出てこない。本職なのに?。自分のホームグラウンドをはずした上で、人生哲学を語るんだからこれまたビビったたじろいだ。
「人生哲学」と書いたけど、ホントはもっとシンプルなことを書いている。「どうすれば幸せになるか」「どうすれば生きにくさ・苦しさから解き放たれるか」そのテーマを感じさせる内容だった。そこに須藤元気特有のスピリチュアリティが存分に発揮されていて、心地よい眩暈がするようなアドバイスが散りばめられている。
「学びについて」「人間関係について」「心のコントロールについて」「時間について」「成功について」「身体作りについて」「リラックスについて」の7項目で書かれているのだが、どれもわかりやすい文章でスラスラ読めてしまう。その中でも「人間関係について」が、ワタシはとても興味深かった。

あと『内で未来を楽しむイメージ・トレーニングをすることで、本物の未来も楽しくなっていく』なんていう、「具体的な夢のイメージを広げることが夢への近道」的考えなんてのもあった。コレってプロレスラー・TAJIRIもたびたび言ってることと同じ。成功者が口を揃えて同じことを言うのには、耳を傾けて損はないのかもしれないな

剛のイメージの強い格闘家が、スピリチュアルな本を出す時代になったとは…。時時代も変わったもんだとシミジミ。「剛」も「スピリチュアル」も両方が好きなワタシにとっては、サンマと栗ご飯揃い踏み並みに嬉しいんだが

あれは神の島 遥か国よ

2006-08-17 22:42:25 | スピリチュアル
          

「イヴの眠り」ネタ書いてて、また久高島に行きたくなった
高速船の窓から段々近づいてくる島影、迷路のような集落、岬へと続くダート道のアップダウン、その道を自転車で走るときに肌に触れる風、海ブドウ丼の歯ごたえ、覗き込んだら気配を感じそうなクボー御獄の入り口…。
眼を閉じれば、あの島での感覚がリアルに甦る

さて久高島のハナシは、たまにこのブログで書いたことはあったけどここでキチンとおさらい
那覇バスターミナルから路線バスにコトコト揺られること約1時間。知念半島沖5キロに浮かんでいる、周囲8キロの小さな小さな細長い島が久高島。平べったい島である。

ここは沖縄の人たちにとって大切な島。科学が発達した今でも「神の島」と呼ばれている。琉球の始祖アマミキヨが降臨した、と言い伝えられているのだ。琉球王朝時代には、王たちはこの島の見える斎場御獄(せいふぁーうたき・現在は世界遺産に指定)へと参拝していた、というのだから。
久高島だけに限らず、沖縄の人たちは本土の人間に比べて「目に見えないもの」を信じる心が強い。それが今なお、文化として根付いていることに驚かされる。「ニライカナイ」という思想も、沖縄らしくてとても印象的だ。なので、今も変わらず沖縄の人たちにとっては「神の島」として崇められている。

久高島を知ったのは、仕事辞めて沖縄を放浪していたときのこと。同じゲストハウスに泊まってた女の子に写真を見せてもらったのだ。そのときは「神の島」であることも何も知らなかった。
でもその数日後、ウチのブログコメント欄常連のshantiね~ねから「是非久高島に行きなさい」と教えられた。何かがシンクロしてる、と感じてその年の11月のある日初めて久高島を訪れた。

この島には昨今流行の「スピリチュアルスポット」という言葉が、一番ふさわしい肩書きなんだと思う。この鈍感のワタシでも、島一番の聖域・クボー御獄に行ったときには「ここはなんかいる!見えないけどすごいエネルギーを感じる!」とゾクゾクしたもんだ。降り注ぐ木漏れ日も、目には見えない何かをシャワーのごとく注いでいるような気になった
もちろん御獄に行ったときは、島の神事をつかさどる女性に同行してもらう許可をもらって入れてもらった。「御獄(うたき)」というのは、祈りを捧げる神聖な場所のこと。沖縄本島だけでなく、どこの島にも存在する。観光客がむやみやたらに入ってはいけない場所である。

ちなみに沖縄では、神事は女性の役割。クボー御獄も男性は入れない。ここが本土と正反対。本土では「女性は穢れているから入山禁止」なんて宗教も多いのにね。不思議だ。

残念ながら、現在はクボー御獄の中に何人たりとも入れなくなった。ルールを守らない観光客に踏みにじられ、聖地の気がことごとく乱されてしまったからだ、と聞いている
なもので、久高島に行くたびにクボー御獄の入り口で手をあわせる程度になってしまった。あとはカベール岬や伊敷浜を回るお決まりのコース。それでもこの島へ行くだけで、不思議とエネルギーがもらえる。説明がつかないんだが、この島には目に見えない何かが存在している。
ときどき無性に行きたくなる久高島。そんなときは大抵島に呼ばれていたりするんだな、面白いことに。またいつか、神の島へ。

(写真は伊敷浜。スモーキークォーツとともに)

言霊パワー その2

2006-04-16 11:14:21 | スピリチュアル
春はワタシにとって鬼門だった。毎年春になると、厄介なことが起こっていた。時には心の大風邪をひいたり、時には家なき子になり、時には職を失ったり。しかし今年は全く何も無い。もう春は鬼門の季節ではなくなった。
というよりも、気づいたらここしばらくヘコむ、ということ自体が無くなってた。ワタシを知りえる方なら「そうだそうだ」と言うだろうが、とにかくワタシはいつも些細なことで落ち込んでいたし悩んでいた。趣味なのか?、と尋ねたくなるほど深刻になることが多かった。平和であることの方が少なかったかもしれない。でも「最近ヘコんだのはいつやったっけ?」と思い出せないぐらい、ヘコむことや悩むことが御無沙汰になってしまっている。プチ・ヘコむことや、「なにさぁーっ!」なことは多少あったけど、「どんよりどよ~んの深刻ムード」が無くなったのだ。それよりも「ラッキーやわ~」とか「うわ~!ありがたいっ!」とかいうことに、結構めぐり合うようになってきている。有難いことである

結局のところは人生が楽になった、の一言に尽きる。なぜにこういう変化が起きたんだろう?。変化の原因を考えてみたら、いくつかの要因が挙がった。その中でも一番強力な原因になっていることはコレだろう、と思うことがある。それは言霊パワー。毎日暇さえあれば「ありがとう、ありがとう、ありがとう」とか「ツイてる、ツイてる、ツイてる」と何十回も何百回も言っている。ホームで電車待ちしているときも、周囲に誰もいないのを確認しては「ありがとう、ありがとう…」とブツブツ言っているという、ちょっと春のアブナイ人と化していたり

言霊パワーについては、格闘家・須藤元気がアインシュタインの相対性理論を用いて説明していた(詳しくは過去ブログネタ→「言霊アスリート」でどーぞ。ついでに「言霊パワー」の項もご参照下さいな)。ワタシが言霊パワーについて知ったのは1年前。小林正観さんという人の本で知った。この方は「ありがとう」を言い続けていると、いいことが起こるという説を説いている。

ちょいと話は逸れるけど、『お金のあるところにお金は集まる¥¥¥』という話を聞いたことはないだろうか?。似たもの同士が集合しやすい、という話もある。明るい人のところには明るい人が集まりやすく、逆に悩んでる人のところには似た悩みの人が集まりやすい。一概には言い切れないけれど、もしもその説が正しいとすると…。『ツイてる』といい続けていれば、ツイてることがやってきやすいということになる。『ありがとう』といい続けていれば、「ありがとう」と言いたくなるようなことが起こりやすくなる。不平不満ばかり言い続けていれば、不平不満を言いたくなるような出来事が起こりやすくなる。(これを波動の法則、というそうだ)。

ホンマかいな?と疑う気持ちが無かった訳ではない。ただ、言霊パワーを知った頃は毎年恒例・春の大波乱期で心の大風邪をひいてる真っ最中。何でもいいから、とにかくすがりたかった。言い始めた頃は、何十回も何百回も言い続けることが苦痛にも感じた。「結局何も変わらんやん!」と辞めたこともあった。でも時間がたって、ここしばらく『ありがとう』『ツイてる』『嬉しい』『楽しい』etc…を言い続けてみたら気づくと人生楽になってた。悩みがなくなっていた

もしかしたら他にもいろんな原因があって、人生楽になったのかもしれない(思い当たることがいくつかあるし)。でも言霊パワーは確実に人生を豊かにしてくれる。不安なことがあれば『○○になってくれてありがとう~』、となってほしい結果の感謝の先取りを唱えていれば不安は消える。(願った通りに現実が運ぶときもある)。闇に光の言葉を浴びせれば、闇は消えるしかない。ワタシの今までの人生、不安という存在にいつも苦しんできた。その不安が消える方法を知れば、これほど人生が天国に感じることはない

ちなみに『ありがとう』『ツイてる』etc…などの言葉は、ちっとも感情込めなくてもOK。お経を読むかのごとく言ってるだけでもいい。もちろん感情こめて『ありがとう』『ツイてる』というほうが、気持ちもノリやすい。自分が何を人生に呼び込むかは、自分の言葉次第っていうことなんだろうなぁ

トイレの神様

2006-03-29 20:40:22 | スピリチュアル
日本国内、アチコチ旅してきてアチコチのトイレを使用してきた。日本最北端の公衆トイレから、南の果ての島の水洗トイレまで。北海道の伊達市にある道の駅「フォレスト276」の1億円のトイレも使用したことがある(トイレの個室の中に洗面台があって、トイレのロビー?でピアノが自動演奏していた)。この時代にはお目にかかれないような、超年代モノの使用を躊躇してしまうような水洗ではないトイレも体験した。意外と山奥なのに水洗トイレだったり、逆に函館のど真ん中なのに水洗ではなかったり。石垣島のドミ宿で、生まれて初めて便器の真横でシャワーを浴びるという衝撃の体験をした(でも沖縄ではそれほど珍しくはない。ユニットバスの湯船ナシ状態と考えればいいだけで)。屋久島ではタンクにつながれた水鉄砲で流す、というスリリングなトイレ体験もしたなぁ…。京王プラザホテルのトイレには、エマニエル夫人が座ってそうな籐の椅子が並んでる「トイレサロン」みたいなのがあって、ビックリたまげたことがある

そのトイレには神様がいる、という話をよく聞く。先日とあるオバアチャンからも「トイレの神様は目が不自由だから、いつも綺麗にしてあげないと」、なんて話を聞かされた。「すず音」をプレゼントしてくれた友人も、最近あちこちで「トイレの神様」についての記事を目にする機会が多い、とか。ふーむ、結構メジャーな話なのかしらん?。
ワタシが初めて「トイレの神様」の話を聞いたのは、沖縄の友人からだった。トイレを綺麗にしておくと、臨時収入が増えるそうだ。多数の本を執筆している小林正観さん、という人が情報元らしい。ワタシも小林さんの本を読んだが、ナルホドと思うところもあった。トイレが汚れているところというのは、波動がよくないそうだ。公衆トイレなんかが代表的で、大抵治安の悪い場所の公衆トイレは美しくない。経済的に発展していない国のトイレも美しくない。逆にたくさんの人が利用しているにも関わらず、居心地のいいトイレもある。水洗じゃなくても美しいトイレもたくさんある。要は掃除が行き届いているかどうか、なんだと思う。そのトイレをこまめに掃除すると、トイレの神様が喜んで臨時収入を運んでくるそうだ¥¥¥。それも道具を使わなければ使わないほど、臨時収入のゼロが増えるとのこと。例えばゴム手袋を使わずに、便器の中にドボン!と手をつっこんで洗う、とか。ヒエーッ!ワタシには到底出来ない。でもやってる人は結構いるみたいだ。
この話を聞いてから、トイレはこまめに掃除するように心がけている。が、まだ「宝くじ当選!」とかいう目に見えた臨時収入はない。ただ…お得なことが転がってきやすくなった気がする。ツイてることが時々ある。とある商品が思わぬ事情でタダになった、とか。趣味でやってるポイントサイトのアンケート依頼がポンポン来て、ポイントたまって商品券に代えられたり、マイルに代えられたり。それが全て「トイレの神様」のおかげなのかどうかわからないけれど、以前より増えたのは事実かな?。何よりも日常生活で一番多く使うトイレが綺麗というのは、気分がいいこと。これからもトイレ掃除頑張ってみよう~。

言霊アスリート

2006-01-22 17:40:01 | スピリチュアル
毎週木曜日の深夜、テレビ朝日系列で放送中の「NANDA?」。ナンちゃんの司会で、いろんなジャンルのスポーツを取り上げる番組。ワタシも何度か観たことがあります。先週は「関節技ってNANDA?」と題して格闘家をゲストに招き、素人でもわかりやすい関節技講座を展開。その中で「私のびっくりトレーニング」というお題のとき、ゲストの格闘家・須藤元気氏は【紙に「私は強い」と書く】と発言。何をウケ狙いしているんだ?、と思ったらこんな話を始めました。

人間形成するのは思考・言葉・行為の3つしかない。考えることか喋ることか行動すること、それ以外で自分を定義するものはない。これは物理学でもあり精神哲学でもある。
◆エネルギーと物質は同じもの。アインシュタインの相対性理論・E=MCの二乗(エネルギー=質量×光速の二乗)でも述べられている。エネルギーの振動数が低下することによって物質化する。だから「ありがとう、ありがとう、ありがとう」とずっと連呼することによって、「ありがとう」なことがやってくる。言葉を吐いていることによって物質化する。これは物理学です。だから僕も毎日紙に「私は強い」と書いている。書くことによってずっとエネルギーを出し続けているんで、強い自分が出来上がる。エネルギーを出し続けることで、内面から「強い自分」を作り上げていく。
◆今日会った人の名前と「ありがとう」を必ず書いている。するとそれがいい風に作用する。感謝の気持ちが現実を作るのに、一番エネルギーが強いと思う。嫌いな人の名前書いて「ありがとう」って書くと、だんだんその人が嫌な人じゃなくなる。最初はその人の名前を書くのも嫌だったけど、それを続けていくうちに「アレ?嫌いじゃなくなってきたな?」ってなった。それが一番の近道。
◆みんな「強くなろう」とフィジカルから(ジムなどに)通おうとする。でも精神と肉体はつながっている。だから試合のときプレッシャーで肉体が表現出来なかったりする。だから入り口をフィジカルなものではなく、メンタル的なものとか精神的・魂のレベルのところから入ってフィジカルなものにいけば、すごくスムーズに流れる。

あいやぁ~、ビックリ。言霊パワーを相対性理論で展開しちゃったよぉー。以前このブログで言霊ポスターネタを出したけど、確かに言葉で表現したものは自分に返ってくるんだなぁと最近つくづく思っていた。こういう話を「眉ツバ」と思って鼻で笑うもよし、「面白そう、やってみよう」と実行して効果を確かめるもよし。人それぞれだろうけど、ワタシは是非やってみようかと思いました