会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

会津八一 1500

2017-08-06 18:16:11 | Weblog
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上宮遺跡公園・八一の歌碑 2013・12・7(土)

 会津八一の奈良の歌碑・19基目が2012年10月に除幕されたところである。上宮遺跡公園は法隆寺の東南にあるが、分かりにくくて近くまで行ってから時間がかかった。遺跡公園自体が小さいこともあるが、近くに広がる住宅街が見通しを悪くしている。公園内には5つの歌碑があり、八一の歌碑は北東の角にあった。
 上宮遺跡公園は“かみや”と読む。ここは上宮王家・聖徳太子が住んでいたという言い伝えが残っている土地の大規模な遺跡群跡を整備した公園である。歌碑は

 法隆寺村にやどりて  解説

  いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
           きぬはた おれり あき ちかみ かも
    (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)

 ところがこの歌碑は以前八一の次の歌であった。

 五重塔をあふぎみて  解説

  ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を 
           ひとひ の ごとく たてる この たふ

    (千年あまり三度めぐれる百年を一日のごとく立てるこの塔)
 
 調べるとこの歌碑は八一の筆ではなかったため、法隆寺前に新しく18番目の歌碑を建てた時にこの歌碑も八一筆のものに替えたと言う。書にこだわった八一であったため会津八一記念館は自筆の書でないと彼の歌碑と認めていない。
 19基目の歌碑を訪ねることができたが、帰路の渋滞(新名神、伊勢道、東名阪合流による)が気になったので、ゆっくりとした時間を取ることはできなかったのが残念だった。